私の宝物ーゴルフ優勝カップ
家の飾り棚に、真っ黒な純銀製のゴルフの優勝カップが飾られている。
昭和50年から55年までの5年間に13回開催されたゴルフコンペで、当時企画室長、営業総括部長を兼務された堀川運平さんが主宰された「企営会の優勝カップ」である。
この時期、単車事業部が大きく動いた乱世の時期であった。
中、長期の計画や、議論が盛んに行われ組織も大きく動いた。
この間私など、企画、市場開発室、単車事業部管理、カワ販と4回も異動している。
田崎さんも最後の取り切り戦の頃は、アメリカだったと思う。
このコンペで思い出すこともいろいろあるのだが、
1回から13回まで、優勝者13人が名前を連ねている。
別に二度優勝は権利なしというようなルールがあった訳ではない。
自然にそんなことになったのである。
その優勝者の名前を並べてみると、カワサキの関係者なら名前を見るだけで当時のことが思い出せるに違いない。
職位は当時のものの積りだが、まあ間違いないと思う。
第1回 50-12-20 田崎雅元 (企画部、課長) 当時も、まあ上手かったかな。
第2回 51-4-24 田中誠 (カワ販社長) ゴルフ暦、運、ハンデイ?
第3回 51-10-20 橋本賢 (資材、部長) 同上
第4回 51-12-4 宮田敬三 (IKS社長) 同上
第5回 52-3-19 那波義治 (営業課長) 若手実力者を自認の頃。
第6回 52-6-18 土井榮三 (資材、課長) このコンペの最大功労者です。
第7回 52ー9ー17 古谷錬太郎 (市場開発室、課長) やり始めた頃でハンデイ26~28?
第8回 52-12-3 堀川運平 (企画室長) 流石、カップ提供者の実力。
第9回 53-3-18 苧野豊秋 (カワ販専務) 長いお付き合いだが、始めの終わり?
第10回 53-7-15 野田浩志 (管理、課長) アメリカ帰りの実力?
第11回 54-3-17 若山禎一郎 (IKS部長) 川重係長の頃です。
第12回 54-7-14 酒井勉 (企画室長) 自他共に認めた実力者時代。
第13回 55-5-13 前田佑作 (新カワ販、部長) 川重係長の頃。
第14回 取り切り戦 古谷錬太郎 (新カワ販、常務) 川重課長の頃,ハンデイもまだ20幾つ?
最後のほうはカップを出された堀川さんは本社財務に戻られていた。
第1回のコンペには私は出場していない。
田崎さんが優勝しているが、実はこの日は大変な日だったのである。
この頃、単車事業部を統括されていた吉田専務が12月20日の休みを返上して長計の検討をしようという指示があったのに、このコンペがありますからと堀川さんが電話で断られたのである。
吉田さんからは 「若い奴でもいいから、須磨の翠山荘に出て来い」 ということで、私やまだ係長だった森田進一君たちが大専務との検討会に出て終日議論をさせて頂いたのである。
結構楽しかったし、吉田さんも若手との話が新鮮だったのか、ご機嫌であったのを覚えている。
そんなことで第1回のコンペに出られなかったので、
神様が想い出と共に私に下さった宝物のような気がするのである。
事実、純銀製の立派なカップは、幾つかのカップの中で群を抜いた貫禄で飾り棚に鎮座している。
私の宝物 「企営会優勝カップ」 である。
家の飾り棚に、真っ黒な純銀製のゴルフの優勝カップが飾られている。
昭和50年から55年までの5年間に13回開催されたゴルフコンペで、当時企画室長、営業総括部長を兼務された堀川運平さんが主宰された「企営会の優勝カップ」である。
この時期、単車事業部が大きく動いた乱世の時期であった。
中、長期の計画や、議論が盛んに行われ組織も大きく動いた。
この間私など、企画、市場開発室、単車事業部管理、カワ販と4回も異動している。
田崎さんも最後の取り切り戦の頃は、アメリカだったと思う。
このコンペで思い出すこともいろいろあるのだが、
1回から13回まで、優勝者13人が名前を連ねている。
別に二度優勝は権利なしというようなルールがあった訳ではない。
自然にそんなことになったのである。
その優勝者の名前を並べてみると、カワサキの関係者なら名前を見るだけで当時のことが思い出せるに違いない。
職位は当時のものの積りだが、まあ間違いないと思う。
第1回 50-12-20 田崎雅元 (企画部、課長) 当時も、まあ上手かったかな。
第2回 51-4-24 田中誠 (カワ販社長) ゴルフ暦、運、ハンデイ?
第3回 51-10-20 橋本賢 (資材、部長) 同上
第4回 51-12-4 宮田敬三 (IKS社長) 同上
第5回 52-3-19 那波義治 (営業課長) 若手実力者を自認の頃。
第6回 52-6-18 土井榮三 (資材、課長) このコンペの最大功労者です。
第7回 52ー9ー17 古谷錬太郎 (市場開発室、課長) やり始めた頃でハンデイ26~28?
第8回 52-12-3 堀川運平 (企画室長) 流石、カップ提供者の実力。
第9回 53-3-18 苧野豊秋 (カワ販専務) 長いお付き合いだが、始めの終わり?
第10回 53-7-15 野田浩志 (管理、課長) アメリカ帰りの実力?
第11回 54-3-17 若山禎一郎 (IKS部長) 川重係長の頃です。
第12回 54-7-14 酒井勉 (企画室長) 自他共に認めた実力者時代。
第13回 55-5-13 前田佑作 (新カワ販、部長) 川重係長の頃。
第14回 取り切り戦 古谷錬太郎 (新カワ販、常務) 川重課長の頃,ハンデイもまだ20幾つ?
最後のほうはカップを出された堀川さんは本社財務に戻られていた。
第1回のコンペには私は出場していない。
田崎さんが優勝しているが、実はこの日は大変な日だったのである。
この頃、単車事業部を統括されていた吉田専務が12月20日の休みを返上して長計の検討をしようという指示があったのに、このコンペがありますからと堀川さんが電話で断られたのである。
吉田さんからは 「若い奴でもいいから、須磨の翠山荘に出て来い」 ということで、私やまだ係長だった森田進一君たちが大専務との検討会に出て終日議論をさせて頂いたのである。
結構楽しかったし、吉田さんも若手との話が新鮮だったのか、ご機嫌であったのを覚えている。
そんなことで第1回のコンペに出られなかったので、
神様が想い出と共に私に下さった宝物のような気がするのである。
事実、純銀製の立派なカップは、幾つかのカップの中で群を抜いた貫禄で飾り棚に鎮座している。
私の宝物 「企営会優勝カップ」 である。