雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

KSS物語ー1 昔話-45

2007-03-27 06:03:04 | ジェットスキー&KAZE
KSS物語ー1

1988年10月55才の秋、3度目の国内担当となった。
単車事業部の業績も安定し昔のような販社再建という役割ではなく国内市場に真に期待が掛けられている状況であった。

年からいっても最後のご奉公と思ったし、事業本部長でカワ販の社長も兼務されていた高橋鉄郎さんと、
7万台、売上高400億円、利益10億円、事業部の限界利益100億円という高い目標のお約束をして引き受けたのである。

大変な目標ではあったが、やり甲斐はあった。

モーターサイクルの市場は横ばいで大きな拡大は見込めなかったが、時代の流れは新しいものが沢山あって、ハードだけでなくMCのもつソフトの分野、レースとか遊びの事業化を合わせて考えると面白い事業展開が出来るのではないかと思った。


まず、レースのテコ入れを考えて就任最初にやったのは、レース関係のOB会を現役も含めて10月15日に開催した。
安良岡、山本、金谷、和田、岡部、梅津、星野、清原などの懐かしいライダーたちと宗和などの現役連中、歴代監督やレース関係者が集まって芦屋の竹園ホテルで盛大な会合となった。。

カワサキの昔のレース関係者は山田、苧野、高橋、大槻、田崎さんなど川重の社長、副社長、常務などを務めた偉い人が多くて、こんな昔の仲間が集まって今後のレースを語ったことは現役のレース関係者にも大いにハッパをかける結果になったのである。

この年の年末までの3ヶ月間、本来の販売網関連の契約事項、価格体系などの検討も勿論やったが、特に力を入れたのは

1.ユーザー対策として既に動いていたユーザー組織KAZEの再編成
2.新しいソフト会社の設立準備、その内容の検討だった。

業界でもはじめてのソフト会社、それが翌年4月に設立された、㈱KSS(ケイ、スポーツ、システム)である。


この新しい会社の責任担当者として手伝ってくれたのが、南昌吾君である。
彼とは、特約店制度発足当時からのお付き合いだが、難しい、はじめてやることを多く担当してくれて、全て上手に捌いてくれた。

コンセプトを決めてこれで実行してくれと頼んだらまず間違いなく、目標を実現してくれるプロの実行責任者と思っている。

南君のほかに、今はオートポリスの責任者をやっている渡部達也君や西川寿光くんなど実力者の少数精鋭でスタートしたのである。

会社の設立は4月であったが、実質活動は11月頃からまずKAZEの再編成から始まるのである。
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