先日久しぶりに仙台へ行った。
仙台に住んでいたのはもう40年も前のことである。
その頃はまだ人口も50万人を切っていたし、仙台駅もまだ昔のままで勿論新幹線も開通前で、駅のウラ辺りも未開発のままであった。
今回、仙台の町を久しぶりに見て特に周辺の変貌振りに驚いた。
4年も住んだ街なのに、新しく開発された地域はクルマで走ってもどこを走っているのか見当もつかぬ変りようである。
街の中心部は流石に昔の面影のままであったが、杜の都の面影は少なくとも郊外には見られなかった。
彼岸の墓参に明石に行った。
中学、高校、大学、会社勤めで仙台に転勤するまで住んでいたし、子供の頃の明石もよく知っている。
終戦後伯父たちが疎開していた田舎も、今は神戸市西区になって新興の繁華街に一変している。
大型店舗や飲食店の看板が並んで賑やかではあるが、昔の面影など偲びようもない変わり方である。
昔のままがいいとは言わぬが、もう少し何とかなったのではないか。
仙台も明石もともに昔の城下町である。
お城やそれに付随する公園などそれなりに昔の風情は残っているのだが、どちらも郊外に行くにつれて郊外のよさよりは、賑々しさやけばけばしさが目だって城下町の面影など微塵も残っていないのである。
ヨーロッパの町などは、どこも何となく風情があって街全体の景観に統一性があるように思う。
どうも日本の行政は個々の規制や規格には熱心だが、トータルデザインはどうも得意ではないようである。
個々をいろいろ言う前に、「どんなコンセプトの街づくり」をするのか、「昔から受け継がれた伝統や景観」をどのように生かした街づくりをするのか、そんなことをよく考えて欲しいと思う。
今住んでいる三木市も城下町である。
今のところ、仙台や明石のような雑然としたところはない静かないい街だと思うが、40年先もそんな雰囲気が残るような街づくりであって欲しいと思う。
詳しいことはよく解らぬが、国の言う「景観法」はそんな方向を示しているのだろうか。
仙台に住んでいたのはもう40年も前のことである。
その頃はまだ人口も50万人を切っていたし、仙台駅もまだ昔のままで勿論新幹線も開通前で、駅のウラ辺りも未開発のままであった。
今回、仙台の町を久しぶりに見て特に周辺の変貌振りに驚いた。
4年も住んだ街なのに、新しく開発された地域はクルマで走ってもどこを走っているのか見当もつかぬ変りようである。
街の中心部は流石に昔の面影のままであったが、杜の都の面影は少なくとも郊外には見られなかった。
彼岸の墓参に明石に行った。
中学、高校、大学、会社勤めで仙台に転勤するまで住んでいたし、子供の頃の明石もよく知っている。
終戦後伯父たちが疎開していた田舎も、今は神戸市西区になって新興の繁華街に一変している。
大型店舗や飲食店の看板が並んで賑やかではあるが、昔の面影など偲びようもない変わり方である。
昔のままがいいとは言わぬが、もう少し何とかなったのではないか。
仙台も明石もともに昔の城下町である。
お城やそれに付随する公園などそれなりに昔の風情は残っているのだが、どちらも郊外に行くにつれて郊外のよさよりは、賑々しさやけばけばしさが目だって城下町の面影など微塵も残っていないのである。
ヨーロッパの町などは、どこも何となく風情があって街全体の景観に統一性があるように思う。
どうも日本の行政は個々の規制や規格には熱心だが、トータルデザインはどうも得意ではないようである。
個々をいろいろ言う前に、「どんなコンセプトの街づくり」をするのか、「昔から受け継がれた伝統や景観」をどのように生かした街づくりをするのか、そんなことをよく考えて欲しいと思う。
今住んでいる三木市も城下町である。
今のところ、仙台や明石のような雑然としたところはない静かないい街だと思うが、40年先もそんな雰囲気が残るような街づくりであって欲しいと思う。
詳しいことはよく解らぬが、国の言う「景観法」はそんな方向を示しているのだろうか。