昨日に続いて今日もアクセス数の話。
昨日のブログのアクセスが400を越えた。
ブログ解析のURL別分析を見たら、その理由が解った。
圧倒的に、検索から来ているのである。その検索用語は「テクノラテイ」。
「なるほど」と思い当たるところがあった。
一昨夜10チャンネルで「さんまと所ジョージの特別番組」があった。
全部見ていた訳ではないが、たまたま見ていた時に話題に上がっていたのがブログで、その関連で「テクノラテイ」での分析結果などについて話していた。
私のブログへのアクセスの時間は放送をしていた夜の8時ごろの2時間に集中している。
そして、私のブログで繋がっているのは、「テクノラテイへの申し込みのために書いたブログ」である。
詳しいことは忘れてしまったが、確か登録のためにはブログを更新する必要があったと思う。
この頃の人たちの情報に対する反応が見えて面白かった。
何か新しいことが出ると、「即座に反応する」のである。
その時間帯の1時間以外はいつもの通常の状況に戻っている。
データーから、他のブログへは余り流れていないように思えた。
多分TVを見ている間の検索で、すぐまた「さんまと所ジョージのところへ」戻ったのだと思う。
各社の検索で「テクノラテイ」を検索してみたら、Googleなどトップから並んで「雑感日記」が表示されるのである。
確かに、テクノラテイについては幾度かその感想を述べている。
私の実感としても、なかなかのものである。
好奇心だけはこの歳になっても旺盛で、新しいものには至って関心が高い。
時代の先頭グループの最後尾ぐらいにはついてゆきたいと願っている。
「そんな想い」を何となく満たしてくれた出来事であった。
ここから、一日後の記述。
一日経って今朝の状況。 昨日に続いて350を越えた。
分析の結果は、やはり「テクノラテイ」も多いが、昨日のようにある時間に集中しているのではなく終日、平均して通常のアクセスよりは高い水準で続いている。
昨日訪れてくれた人が再訪問してくれたのか、新たにテクノラテイについて一夜明けてゆっくり調べなおしたのか。
さんまと所ジョージのTVの中の話題も「何かの事柄に」人は関心をもって「集中して興味を示す」というものであり、その状況が「テクノラテイの分析によってはっきりと解る」、ということであった。
おんなじ状況が私のブログでも起こったのである。
私にとっては、「アクセスが増えた喜び」よりも、人が関心を持ったときの「反応の仕方が解った」満足感の方が大きい出来事であった。
昨日のブログのアクセスが400を越えた。
ブログ解析のURL別分析を見たら、その理由が解った。
圧倒的に、検索から来ているのである。その検索用語は「テクノラテイ」。
「なるほど」と思い当たるところがあった。
一昨夜10チャンネルで「さんまと所ジョージの特別番組」があった。
全部見ていた訳ではないが、たまたま見ていた時に話題に上がっていたのがブログで、その関連で「テクノラテイ」での分析結果などについて話していた。
私のブログへのアクセスの時間は放送をしていた夜の8時ごろの2時間に集中している。
そして、私のブログで繋がっているのは、「テクノラテイへの申し込みのために書いたブログ」である。
詳しいことは忘れてしまったが、確か登録のためにはブログを更新する必要があったと思う。
この頃の人たちの情報に対する反応が見えて面白かった。
何か新しいことが出ると、「即座に反応する」のである。
その時間帯の1時間以外はいつもの通常の状況に戻っている。
データーから、他のブログへは余り流れていないように思えた。
多分TVを見ている間の検索で、すぐまた「さんまと所ジョージのところへ」戻ったのだと思う。
各社の検索で「テクノラテイ」を検索してみたら、Googleなどトップから並んで「雑感日記」が表示されるのである。
確かに、テクノラテイについては幾度かその感想を述べている。
私の実感としても、なかなかのものである。
好奇心だけはこの歳になっても旺盛で、新しいものには至って関心が高い。
時代の先頭グループの最後尾ぐらいにはついてゆきたいと願っている。
「そんな想い」を何となく満たしてくれた出来事であった。
ここから、一日後の記述。
一日経って今朝の状況。 昨日に続いて350を越えた。
分析の結果は、やはり「テクノラテイ」も多いが、昨日のようにある時間に集中しているのではなく終日、平均して通常のアクセスよりは高い水準で続いている。
昨日訪れてくれた人が再訪問してくれたのか、新たにテクノラテイについて一夜明けてゆっくり調べなおしたのか。
さんまと所ジョージのTVの中の話題も「何かの事柄に」人は関心をもって「集中して興味を示す」というものであり、その状況が「テクノラテイの分析によってはっきりと解る」、ということであった。
おんなじ状況が私のブログでも起こったのである。
私にとっては、「アクセスが増えた喜び」よりも、人が関心を持ったときの「反応の仕方が解った」満足感の方が大きい出来事であった。