山本隆君からこんなメールが届いた。
「12/2の夕方からリーガロイヤルホテル京都で小嶋松久の現役引退記念パーティが行われます。
招待状によりますと、発起人 二輪 久保和夫 河崎裕之 吉村太一、四輪 高橋国光 片山義美 黒澤元治の面々です。
モータースポーツ界のOB総動員、おそらく日本で今まで無かったような錚々たるメンバーが集合、当日は同窓会のような懐かしい若かりし頃の思い出話を語り合い楽しいひと時を過ごしましょう。
との誘いがあり、出席の知らせ出しております。
おそらく星野も来ると思います。
当日は朝から忙しいんですが、済まして行って来ます楽しみです。
山本レーシングサービス
山本 隆
私のこのブログにも「小島松久」の検索ワードでよくアクセスがあったりする。
丁度、レースを担当していた頃の日本のレース界はこのメールに出てくる名前の人たちが頂点にいた頃である。
特に久保和夫は城北ライダース、小島松久はマウンテングライダースというスズキの名門モトクロスクラブでのトップライダーであった。
なぜか、スズキのライダーたちとは親しくして頂いていた。
片山義美(スズキ)の主催する神戸木の実クラブのメンバーが山本隆、歳森康師、金谷秀夫、星野一義、清原明彦などカワサキのメンバーばかりであったためかも知れない。
マン島で亡くなった藤井敏夫君を私に紹介してくれたのは久保和夫君だった。
そんな時代の小島松久君が「現役引退」、今まで現役だったのかとビックリしている。
ひょっとしたら事業のほうからの引退かも知れない。
小島君と言えば、一番脳裏に浮かぶのは、
66年7月、青森岩木山の全日本MXでカワサキF21Mはデビューするのだが、山本、歳森、星野、岡部というカワサキのライダーたちが揃って上位を占めたのに、トップの座だけはRHの小島にやられたのである。
その後、コジマエンジニアリングとして四輪のレース界に進出し、片山義美、星野一義などとF2,F1の世界で名を馳せた事業家でもあった。
マリンのボートもやっていて、ジェットスキーなどでも関係があった。
彼の京都の事務所にも何度かお邪魔したことがある。
最後に会ったのは、片山義美君の引退パーティーの席だったからもうだいぶ前のことである。
ずっと昔のレース界は、ライダー個人というよりは、所属するクラブチームごととの繋がりが強かったように思う。
城北ライダース(スズキ)、 マウンテンライダース(スズキ)、 スポーツライダース(ヤマハ)、 カワサキコンバット(カワサキ)、 神戸木の実クラブ(スズキ、カワサキ)など、名門といわれるクラブにトップライダーたちが所属していた。
確かに、メーカー色はあったのだが、ライダー間の付き合いや、メカニックたちも交流があったりしてレース界が成り立っていたような気がする。
私が、ライダーでもないのに面識があったりするのはそんな時代のお陰だと思う。
山本君もそんなことでわざわざメールをくれたのだと思う。
懐かしい人たちばかりである。
よろしく、お伝えくださいとメールには返事した。
「12/2の夕方からリーガロイヤルホテル京都で小嶋松久の現役引退記念パーティが行われます。
招待状によりますと、発起人 二輪 久保和夫 河崎裕之 吉村太一、四輪 高橋国光 片山義美 黒澤元治の面々です。
モータースポーツ界のOB総動員、おそらく日本で今まで無かったような錚々たるメンバーが集合、当日は同窓会のような懐かしい若かりし頃の思い出話を語り合い楽しいひと時を過ごしましょう。
との誘いがあり、出席の知らせ出しております。
おそらく星野も来ると思います。
当日は朝から忙しいんですが、済まして行って来ます楽しみです。
山本レーシングサービス
山本 隆
私のこのブログにも「小島松久」の検索ワードでよくアクセスがあったりする。
丁度、レースを担当していた頃の日本のレース界はこのメールに出てくる名前の人たちが頂点にいた頃である。
特に久保和夫は城北ライダース、小島松久はマウンテングライダースというスズキの名門モトクロスクラブでのトップライダーであった。
なぜか、スズキのライダーたちとは親しくして頂いていた。
片山義美(スズキ)の主催する神戸木の実クラブのメンバーが山本隆、歳森康師、金谷秀夫、星野一義、清原明彦などカワサキのメンバーばかりであったためかも知れない。
マン島で亡くなった藤井敏夫君を私に紹介してくれたのは久保和夫君だった。
そんな時代の小島松久君が「現役引退」、今まで現役だったのかとビックリしている。
ひょっとしたら事業のほうからの引退かも知れない。
小島君と言えば、一番脳裏に浮かぶのは、
66年7月、青森岩木山の全日本MXでカワサキF21Mはデビューするのだが、山本、歳森、星野、岡部というカワサキのライダーたちが揃って上位を占めたのに、トップの座だけはRHの小島にやられたのである。
その後、コジマエンジニアリングとして四輪のレース界に進出し、片山義美、星野一義などとF2,F1の世界で名を馳せた事業家でもあった。
マリンのボートもやっていて、ジェットスキーなどでも関係があった。
彼の京都の事務所にも何度かお邪魔したことがある。
最後に会ったのは、片山義美君の引退パーティーの席だったからもうだいぶ前のことである。
ずっと昔のレース界は、ライダー個人というよりは、所属するクラブチームごととの繋がりが強かったように思う。
城北ライダース(スズキ)、 マウンテンライダース(スズキ)、 スポーツライダース(ヤマハ)、 カワサキコンバット(カワサキ)、 神戸木の実クラブ(スズキ、カワサキ)など、名門といわれるクラブにトップライダーたちが所属していた。
確かに、メーカー色はあったのだが、ライダー間の付き合いや、メカニックたちも交流があったりしてレース界が成り立っていたような気がする。
私が、ライダーでもないのに面識があったりするのはそんな時代のお陰だと思う。
山本君もそんなことでわざわざメールをくれたのだと思う。
懐かしい人たちばかりである。
よろしく、お伝えくださいとメールには返事した。