雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

月木レーシングと平井さんそして村島さん

2007-12-12 05:12:17 | ジェットスキー&KAZE
ひょこむというSNSに「カワサキワールド」というコミユニテイを新しく立ち上げた。

ネットの世界は、想像以上の力がある。
そんなに、大それたことは思ってもいないのだが、
長くお世話に人たちに、幾らかでもご恩返しが出来ないかと「カワサキワールド」を立ち上げたのである。
そのきっかけは昨日ご紹介をした福井昇君である。


さらに昨夜、「カワサキの真打」と自ら言って憚らないカワサキの名物男、平井さんがジョインしてくれた
そして、今朝、あの月木レーシングの月木さんが、そして東京の村島さんが続いてジョインしてくれた。



そして、夕方月木さんから、こんなメールが届いた

「さて、余談ですが、金森は今月は来日しないようですよ?
弊社の、アメリカオフィスに別件で聞いた所、そのような返事でした。
正確には解りませんが・・・・余談です・・・・・・
                   つきぎ  より」


前置きを話さぬとお解かりにならぬと思うが、
実は、JJSBAのジェットスキーレースで、永年女王の座を独占した松口久美子さんにも今、声を掛けている。
彼女からのメールに年末のパーテイに金森君も帰ってきて出席するかも知れないとあったのである。

金森君は、ジェットスキーのレースの世界では日本を代表する世界的ライダーである。今はアメリカで仕事をしている。

彼は若い頃、月木にいて2輪のレースをしていた。
それを川重のテストライダーに推薦して面倒を見たのは、平井さんである。

そんなことで、月木さんは松口さんは知らないが、金森君はよく知っているので、上のようなメールになっているのである。

ついでに言えば、世界的ライダーの金森君もJJSBAのレースに参戦しだしたのは、昨日ご紹介した福井昇君が発動機から単車企画に異動した85年頃よりはずっと後の話で、85年頃単車事業部で一番上手くジェットスキーに乗れたのは福井君だったのである。
私が金森君にジェットスキーで始めて出会ったのは89年4月の彦根であったJJSBAの大会である。まだその頃は川重の籍であった。



今は2輪の部品ではまさにプロフェッショナルな活動をしている村島さんは、ジェットスキーからカワサキと出会っている。福井君や松口さんとは旧知の仲である。そして、後ご縁があって単車の世界に入ってきたのである。

その時、村島さんを紹介してきたのは、なぜか本社の総務であった。
今まで「何故総務が」とずっと思っていた。
今日ひょこむのハンドルネームが「大和屋嘉平」とあったので、これも何故と思っていた。


夕方のの村島さんのメールで二つの謎が解けた。

こんなメールである。中味は殆ど省略して示すがーー。

「大和屋 嘉平」とはーーーーーー。
村島家は私の3代前迄今の新神戸から生田側沿いの三宮の駅前までが村島家の土
地を所有しておりまして、ーーーーーーーー、船具屋・旅館・賃貸業80件所有していたと父親から話を聞きました。ーーーーーーーーーーーー
「大和屋 嘉平」はそのときの屋号でございます。      村島 」



人は、いろんな形で繋がっているものである。
今の時代は、「ひょこむ」などという全く新しいシステムが、さらに新しい人の輪を創ってくれそうである。

そんな仕組みを、上手く使うのは人間の知恵だと思う。
私は、その呼び掛けをしているだけで、そこに参加する人たちが、いい知恵を出し合って上手く使って欲しいと思っている。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする