『四半世紀ぶりの常用漢字表の見直しに取り組んでいる文化審議会国語分科会の漢字小委員会が12日、常用漢字に新たに加える可能性のある候補の素案として220時を公表した』というモノモノシイ書き出しで、常用漢字の記事が出ている。
常用漢字などあんまり意識したことなどなかったが、
素案S、素案A、B、Cに分けられて表示されている220文字の中には、
藤、岡、、阪、奈、など地名に使われる文字や
鷹、虎、尻、膝、や串など何故入っていないのかと思われるモノもあった。
だから、今回新たに加えようといているのだろうが、何故常用漢字が定められているのかがよく解らない。
『常用漢字表は81年に定められ1945字からなる。当時は手書きを前提とする漢字表だったが、パソコンなどが普及して漢字を巡る環境は激変した』
と記事は終わっている。
確かにその通りで毎日パソコンでブログの文章のお世話になっているが、常用漢字かどうか解らぬが、相当に難しいとても手書きではと思われる文字も簡単に転換できて『なんだか賢くなったと錯覚』するような昨今である。
この機会にと、検索してみたら、
Wikipediaにいろいろあった。
そのうち抜粋してご紹介する。少なくとも私には新しい知識である。
最近は、漢字を知らなくても言葉さえ知っていれば、漢字を使った文章が書けるし、調べようと思えばWikipediaや検索があるし、便利な世の中になったものである。
『一般に現代仮名遣いや当用漢字表は漢字全廃を目論むGHQの陰謀と誤解されるが、それ以前から日本国内における漢字を抹殺せんとする勢力によりその原型が確立されていた。
1946年4月、志賀直哉は「日本語を廃止して、世界中で一番美しい言語であるフランス語を採用することにしたらどうか」という旨の提案をした。
また11月12日、読売報知(今の読売新聞)は「漢字を廃止せよ」と題された社説を掲載した。』
ホント『マジですか』と言いたくなる。
『当用漢字表
当用漢字とは、1946年(昭和21年)に漢字の全廃を目的に漢字を制限するための1850字の漢字を、狭義には指す。』
『常用漢字とJIS
常用漢字は、1981年に内閣から告示された漢字1945字を指す。
常用漢字は、漢字全廃を目的とした当用漢字と比べて制限の緩い「目安」という位置付けになっている。』
『漢字を巡るこうした政府の動きと前後して、日本工業規格(JIS)も、コンピュータなどで用いる漢字について、その漢字の種類と規格を独自に定める試みを続けてきた。』
などである。
漢字は日本独特の文化で、書道などもある。
漢字がなくなった日本はどうも想像しにくい。
ひらがなや、ローマ字では読みにくいし、と言って志賀直哉のようにフランス語もどうかと思う。
確か、インドネシヤは文字をなくしてアルファベットにしたのではなかったかと思う。
いろんな国のいろんな文字は、外から見ると不思議ではある。
タイの文字も難しいし、韓国の字も面白い。イランなどに行くと1、2、3の数字が違っているのはビックリした。
自分たちはまともと思ってはいるが、
外から見ると、日本の漢字をどう感じるのであろうか。
と、このブログ、昨日『村ぶろ』にアップしたら、kj.さんからこんなコメントを頂いた。
彼の、コメントは、いつも本文より論理的で立派である。私など何事も表面をさらっと観ているだけなのだが。
このブログの補足として、ご紹介したい。
『kj.2008年05月13日
本当にそうですね。
「常用漢字」の範囲を検討するのではなく、何故「常用漢字の廃止」を検討しないのか不思議に思います。
また、「常用漢字」や「人名漢字」の範囲を定めるのであれば、少なくとも地名や公文書表記などは、その範囲の漢字に置き換えられなくてはならない筈ですが、そういった作業は一向になされない様ですね。
電算機で打ててしまう限りは範囲外の漢字でも使用されてしまうので、JIS体系に一本化すれば良いのにと思います。
楔(くさび)形文字や甲骨文字など、古来から文字は、その時代の道具に合わせて変わってきた様です。現代で言えば携帯やパソコンですので、JIS規格が実情に近いと思います。
JISでも、中国の新興産業都市「深セン」など、経済系のメディアは苦労している様ですけどね。
さて、志賀直哉の日本語廃止論以前にも、古くは明治の初期から、ローマ字化論、あるいは仮名化論などがあった様ですが、それらの時代に、漢字の集約や仮名遣いの表音一致、文法上の例外の整理を進めて、平易でシステマチックな言語に進化させていれば、アジアに一大日本語圏が出来ていたかも知れないなぁと、少し残念に思います。
漢字はグラフィックとして直感的に理解出来る象形的な表意文字ですし、それをかなの関係詞で繋いで表現する訳ですから、現在の中国語よりも少ない字数で高機能な言語が実現出来そうですよ。』