88年10月、3度目の国内担当になって1年が経過した。
この1年、レース部門の強化、ユーザー対策としてのKAZE活動、それを専門的に対応するソフト会社の設立などどちらかと言うと従来の販売対策とは少しはなれた周辺ソフト分野の対策が中心であった。
9月には有馬さんと出会って安全運転や自動車学校などの構想も視野に入ってきた。
これらのベースにあったのは、7万台と言う夢のような販売台数を実現するためには、カワサキを強烈に支持する熱烈なカワサキファンを中心にもう少し範囲を広げた一般ユーザーへの視点を持つべきである。
そして何よりも従来のカワサキイメージの枠を越えた『新しいカワサキイメージの創造』こそがMUSTと思ったからである。
幸いにして、新発売のゼファーは従来のカワサキの走りのイメージからはちょっとはなれた『新しいスタイルのバイク』であった。
『ZEPHRE』ー西からの風 というネーミングも、受け容れられて発売以来ずっとバックオーダーが続いたのである。
人気機種を象徴する言葉が『バックオーダー』である。
W1、Z2、FX400カワサキを代表するヒット商品であった。
勿論、いずれも永くバックオーダーが続いた。
然し、ZEPHREのバックオーダーは桁外れに永くその量も大きかったのである。
私は、このいずれの機種の時期も、運よく国内担当で販売を担当していた。
運がよかったのである。
商品がいい時は、努力などしなくても放っておいても売れるのである。
そんなことで、販売台数も2年後7万台と言う目標台数のトレンドに対して、一直線に乗っていた。
このままの形を継続すれば間違いなく達成できるという、自信みたいなものもグループ全体に出来かけた頃だったと思う。
ちょっと脱線するが、今カワサキはNINJA250が人気でバックオーダーのようである。
入荷の見込みも立たないと、販売店が怒っていたが、
売れぬ在庫を抱えて四苦八苦するよりは余程いい。
後のなるとバックオーダーのあった時期は懐かしく思い出されるのである。
是非今回の250のバックオーダーも解決せずに永く続くことを祈りたい。
この秋、初めてモーターショーは晴海から千葉の幕張に移して、大々的に行なわれた。
カワサキはゼファーの好調もあって大人気であった。
このままでは勿体ないと、11月中旬には『オータムフェスタin AKASHI』と銘打って、明石のショールームと安全運転コースで2日間、ミニモーターショウを開催したりした。
そして、この頃から新販売網体制の検討の入っていた。
カワサキの特約店制も1970年から20年近く経って、新しく再スタートする時期でもあった。
世の中も変わって、ネーミングなども一種の流行りであった。KAZEもZEPHREもそんな流れの中で生まれていたのである。
永く続いた『カワサキ特約店』という呼称を、その内容とともにネーミングも変えようと言うことになったのである。
当時の若手の提案で、(当時若手は結構積極的であった。今はもうエライサンになっているがーーー)
Authorized & Reliable shop of Kawasakiの頭文字をとった『ARK』は生まれたのである。
ただ、心配もいろいろとあった。
まだ、当時は自転車屋からスタートした『オートバイ屋』と言う呼称がまだ似合うそんな店も多い中で、
『ARK』などと言うハイカラな名前が似合うだろうか。
世の中や業界が受け容れるであろうか。
ちゃんとそのように、口にして呼ぶであろうか。
そんな心配事もあったのだが、それは杞憂に終わった。
業界の話題になったし、『ARK』を一番口にして宣伝してくれたのは結果的には他社のセールスたちであった。
そして翌年、1月カワサキの新販売網政策として『ARK制度』はスタートしたのである。
今はまた昔のような正規販売店と言う呼称になっているが、
ジェットスキーの販売店だけはそのままのARKで残っているようである。
もうこれも20年近く前の話になった。
ご存知の方も当然おられると思うが、
『ARK』には旧約聖書に出てくる『ノアの方舟』と言う意味もあるのです。
これは考えた当時の若手たちの頭の中にあったのかどうか、それは不明です。
この1年、レース部門の強化、ユーザー対策としてのKAZE活動、それを専門的に対応するソフト会社の設立などどちらかと言うと従来の販売対策とは少しはなれた周辺ソフト分野の対策が中心であった。
9月には有馬さんと出会って安全運転や自動車学校などの構想も視野に入ってきた。
これらのベースにあったのは、7万台と言う夢のような販売台数を実現するためには、カワサキを強烈に支持する熱烈なカワサキファンを中心にもう少し範囲を広げた一般ユーザーへの視点を持つべきである。
そして何よりも従来のカワサキイメージの枠を越えた『新しいカワサキイメージの創造』こそがMUSTと思ったからである。
幸いにして、新発売のゼファーは従来のカワサキの走りのイメージからはちょっとはなれた『新しいスタイルのバイク』であった。
『ZEPHRE』ー西からの風 というネーミングも、受け容れられて発売以来ずっとバックオーダーが続いたのである。
人気機種を象徴する言葉が『バックオーダー』である。
W1、Z2、FX400カワサキを代表するヒット商品であった。
勿論、いずれも永くバックオーダーが続いた。
然し、ZEPHREのバックオーダーは桁外れに永くその量も大きかったのである。
私は、このいずれの機種の時期も、運よく国内担当で販売を担当していた。
運がよかったのである。
商品がいい時は、努力などしなくても放っておいても売れるのである。
そんなことで、販売台数も2年後7万台と言う目標台数のトレンドに対して、一直線に乗っていた。
このままの形を継続すれば間違いなく達成できるという、自信みたいなものもグループ全体に出来かけた頃だったと思う。
ちょっと脱線するが、今カワサキはNINJA250が人気でバックオーダーのようである。
入荷の見込みも立たないと、販売店が怒っていたが、
売れぬ在庫を抱えて四苦八苦するよりは余程いい。
後のなるとバックオーダーのあった時期は懐かしく思い出されるのである。
是非今回の250のバックオーダーも解決せずに永く続くことを祈りたい。
この秋、初めてモーターショーは晴海から千葉の幕張に移して、大々的に行なわれた。
カワサキはゼファーの好調もあって大人気であった。
このままでは勿体ないと、11月中旬には『オータムフェスタin AKASHI』と銘打って、明石のショールームと安全運転コースで2日間、ミニモーターショウを開催したりした。
そして、この頃から新販売網体制の検討の入っていた。
カワサキの特約店制も1970年から20年近く経って、新しく再スタートする時期でもあった。
世の中も変わって、ネーミングなども一種の流行りであった。KAZEもZEPHREもそんな流れの中で生まれていたのである。
永く続いた『カワサキ特約店』という呼称を、その内容とともにネーミングも変えようと言うことになったのである。
当時の若手の提案で、(当時若手は結構積極的であった。今はもうエライサンになっているがーーー)
Authorized & Reliable shop of Kawasakiの頭文字をとった『ARK』は生まれたのである。
ただ、心配もいろいろとあった。
まだ、当時は自転車屋からスタートした『オートバイ屋』と言う呼称がまだ似合うそんな店も多い中で、
『ARK』などと言うハイカラな名前が似合うだろうか。
世の中や業界が受け容れるであろうか。
ちゃんとそのように、口にして呼ぶであろうか。
そんな心配事もあったのだが、それは杞憂に終わった。
業界の話題になったし、『ARK』を一番口にして宣伝してくれたのは結果的には他社のセールスたちであった。
そして翌年、1月カワサキの新販売網政策として『ARK制度』はスタートしたのである。
今はまた昔のような正規販売店と言う呼称になっているが、
ジェットスキーの販売店だけはそのままのARKで残っているようである。
もうこれも20年近く前の話になった。
ご存知の方も当然おられると思うが、
『ARK』には旧約聖書に出てくる『ノアの方舟』と言う意味もあるのです。
これは考えた当時の若手たちの頭の中にあったのかどうか、それは不明です。