例年の通り川崎重工のOB会である相信会の神戸地区総会があった。
今年も100人以上が出席し盛会であった。
川崎重工の母体は造船である。
かって造船事業が全社を支え続けた時期も長かったのだが、時代は移って今は単車を中心の汎用機や車両といった経営の足を引っ張ってきた事業が中心になったりしている。
そんな現在の状況からか、相信会の会長の高橋鉄郎さんも、川重会長の田崎雅元さんも単車出身の仲間である。
そういう意味では、会に出席していても非常に気楽である。
会は挨拶から始まる。
いつものことだが、高橋さんの挨拶はお人柄が出て、好感が持てる。
海軍兵学校出身の高橋さんでなくても、今の世の中は少々おかしいと思う。
私など戦中派と言えるかどうかは別にして共感するところは多い。
高橋さんの下で長く一緒に仕事をさして頂いたが、タダの一度も挨拶文など用意したことはない。
何百人の会合でも原稿なしの挨拶であった。そういう意味では楽な上司だったといえるだろう。
その高橋さんも、盤寿81歳になられた。
盤寿とは将棋盤9*9の81からそう言われるとは春の総会の挨拶であった。
田崎さんとは若いころから一緒に仕事をする機会が多かった。
レースもそうだし、彼が担当したダンピング問題ではその対策としての国内販社を私が担当したりした。
大変な時期のKMCの担当だったが、そのころは高橋さんと私が企画で支えたそんな仲である。
田崎さんの話も軽妙で面白い。
昨日は『帰属意識の話』だった。
人それぞれいろんなところに帰属して生きている。
彼は満州で生まれ育った引揚者だが、その出身の小学校は100周年を迎えるそうである。
今は減っていくばかりの同窓会だがそんなところにも帰属していると言っていた。
オリンピックが始まるが、『ロシヤとフランスと中国が残ったら、皆さんどこを応援しますか?』
どことは言わなかったが、彼は子供の頃のふるさと満州がある中国と言いたかったのだろう。
これはソウルで育った私にはよく解る話である。私もそんな場合韓国を応援する。
夏の大会に、最後九州勢が残ったら、どこでもいい『九州を応援する』と言う。
彼は宮崎の出身である。
そして、最後に『相信会』に結び付けて終わった、乾杯の音頭のスピーチであった。
いろんな方とお話が出来た。あっという間の2時間であったが、
田崎さんとは、11月のメリケンパークでやるミニSLの件でいろいろ話をした。
これは今、彼が神戸市との関係でいろいろ援けてくれている。
お互い、イベント好きだし、いいイベントなので神戸に定着するように、努力しようということで、確認しあった。
高橋さんにしても、田崎さんにしても、いつになっても昔と同じ仲間のレベルで話ができるのは、苦しかった時代共に苦労した運動部のような 『帰属意識』があるからだろう。
これはカワサキの単車の昔の人たちに共通して言えることである。
今、順調すぎる単車部門だが、是非こんないい伝統は受け継いでいって欲しいと願うものである。
『帰属意識』については、他にもアップした。
今年も100人以上が出席し盛会であった。
川崎重工の母体は造船である。
かって造船事業が全社を支え続けた時期も長かったのだが、時代は移って今は単車を中心の汎用機や車両といった経営の足を引っ張ってきた事業が中心になったりしている。
そんな現在の状況からか、相信会の会長の高橋鉄郎さんも、川重会長の田崎雅元さんも単車出身の仲間である。
そういう意味では、会に出席していても非常に気楽である。
会は挨拶から始まる。
いつものことだが、高橋さんの挨拶はお人柄が出て、好感が持てる。
海軍兵学校出身の高橋さんでなくても、今の世の中は少々おかしいと思う。
私など戦中派と言えるかどうかは別にして共感するところは多い。
高橋さんの下で長く一緒に仕事をさして頂いたが、タダの一度も挨拶文など用意したことはない。
何百人の会合でも原稿なしの挨拶であった。そういう意味では楽な上司だったといえるだろう。
その高橋さんも、盤寿81歳になられた。
盤寿とは将棋盤9*9の81からそう言われるとは春の総会の挨拶であった。
田崎さんとは若いころから一緒に仕事をする機会が多かった。
レースもそうだし、彼が担当したダンピング問題ではその対策としての国内販社を私が担当したりした。
大変な時期のKMCの担当だったが、そのころは高橋さんと私が企画で支えたそんな仲である。
田崎さんの話も軽妙で面白い。
昨日は『帰属意識の話』だった。
人それぞれいろんなところに帰属して生きている。
彼は満州で生まれ育った引揚者だが、その出身の小学校は100周年を迎えるそうである。
今は減っていくばかりの同窓会だがそんなところにも帰属していると言っていた。
オリンピックが始まるが、『ロシヤとフランスと中国が残ったら、皆さんどこを応援しますか?』
どことは言わなかったが、彼は子供の頃のふるさと満州がある中国と言いたかったのだろう。
これはソウルで育った私にはよく解る話である。私もそんな場合韓国を応援する。
夏の大会に、最後九州勢が残ったら、どこでもいい『九州を応援する』と言う。
彼は宮崎の出身である。
そして、最後に『相信会』に結び付けて終わった、乾杯の音頭のスピーチであった。
いろんな方とお話が出来た。あっという間の2時間であったが、
田崎さんとは、11月のメリケンパークでやるミニSLの件でいろいろ話をした。
これは今、彼が神戸市との関係でいろいろ援けてくれている。
お互い、イベント好きだし、いいイベントなので神戸に定着するように、努力しようということで、確認しあった。
高橋さんにしても、田崎さんにしても、いつになっても昔と同じ仲間のレベルで話ができるのは、苦しかった時代共に苦労した運動部のような 『帰属意識』があるからだろう。
これはカワサキの単車の昔の人たちに共通して言えることである。
今、順調すぎる単車部門だが、是非こんないい伝統は受け継いでいって欲しいと願うものである。
『帰属意識』については、他にもアップした。