★ 世の中の状況がどんな時代であったのかはよく覚えていない。
不景気だと日記には書いているが、前年度から30%アップして、夏のボーナスは61万円、冬は70万円になっている。
毎年25%も30%も給料が上がる、今の時代には考えられない不景気である。
3月には、直接会社でお世話になった小野田滋郎さんのお兄さんの寛郎さんがルパング島で見つかって、3月12日に帰国している。
甲子園夏の大会に東海大相模が今の巨人監督原辰則が出場して人気であった年でもある。
これは昨日撮った写真だが、
三木に家を新築して2年目、周りの造園もぼつぼつとやっていて、これはガレージなのだが、下は池にしている。
この池をこの年の秋に造っているから、もう40年近くになる。。
多分、こんなガレージは、日本でも珍しいだろう。車が落ちないかと言う人もいるが、落ちるのはなかなか難しいはずである。
いまは睡蓮が新しい葉を見せ始めた。菖蒲もセリも植わっている。メダカもドジョウもエビも金魚もいる。
基本は何でもで 『差別化』 である。 何でも、ちょっと違ったところがないと気に入らないのである。
アイデアは私だが、造ってくれたのは、『庭師の藤本さん』である。 「造園屋ではない」のが自慢であった、この人も奇人変人の類であった。
★長男は小学校5年生だった。 4年のころまでは野球とサッカーの二本立てだったのだが何時のころからか進路をサッカーに絞ったようである。
私は子供の進路に口を出したことは一切ない。『勉強しろ』と言ったことも多分一度もない。
特に男の子は、自分で考えて、やりたい道を自分で選んで、進むべきだと思っている。
息子から、遊びの誘いはあっても、相談事など一度もない。 進学、就職、結婚みんな勝手に決めてしまった。
結婚式の日時は、『仏滅』 、 『なぜ?』と聞いたら、 『9月28日は誕生日だから』と言う答えが戻ってきた。
このころは、何故か三木はサッカーは結構盛んだったし、緑が丘町も小学校の先生など、なかなか熱心だった。
小学校の5年生のときには、東幡代表で県大会に出て優勝している。 緑が丘小学校の単独チームだったから大したものである。
この年から息子も、我が家のサッカー熱も、年々熱っぽさを増してゆくのである。
★会社では、企画部門を担当して、特約店制度をはじめ経営全般の旗を振る立場になった。
当時の田中社長に重用して頂いて、殆どの重要事項に関与した。
この年、川重から出向していた、西さんや、北村、野田、岩崎の諸君が川重に戻ってしまったので、余計に独りで背負うような状況に追い込まれたのである。
経営数値そのものは、不況とは言いながら、Z2の国内販売2年目で造れば売れた状況だったから、損益問題はそんなに気にすることはなかったのである。
むしろ、将来対策の構造問題を熱心にやっていた。
A,B,Cプロジェクトというのがあって、
A は東京を中心とする首都圏対策問題、これが中心課題であった。
B は、部品倉庫を明石一つに絞って、宅急便で全国配送しようと言うもので、このころはでは全国でも珍しかった方式である。
C は業界全体の課題となった安全運転対策 の3っであった。
今も、付き合っている平井稔男さんはこの年大阪母店長から、安全運転に異動している。
安全運転については当時の川重の谷岡本部長、今井副本部長に直接答申して決済を受けた組織で、確か初代の安全運転本部長は堀江さんだったと思う。
★まだカワサキの世界の市場はアメリカと国内の二つだけの時代で、世界への進出特にヨーロッパが検討されている時代である。
4月には、All Over Commity という会議を当時のアメリカの社長浜脇さんが主宰して、アメリカ人のマセックなどを引き連れて、明石で開催された。
本部長以下出席の会議だが、全部英語でやると言うのである。
国内からは『お前が出ろ』と言われて、これには流石に参ってしまった。
国内の市場戦略などを喋れと言うのだが、とてもできないので、
後輩のアメリカに行っていた渡辺君に、『私は国内担当ですから、ちょっと通訳してくれ』と頼んで私だけ日本語でやったのを思い出す。
みんな幾らか、英語はしゃべれても、そんなに大したことはないので、
浜脇さんに、『何かご意見は?』と言われても、こちらのエライさんから発言もなく、大体アメリカの言う通りにみんな決まってしまったのである。
当時のアメリカの方針は、『現地化』であったから、カワサキの商品企画なども、みんなアメリカ主導でだったそんな時代であった。
★ 未だ41歳の若手だったが、国内販社の経営の中枢にいた。
でも考えてみると、最近は30代の市長さんも20代の市会議員もいる。
明治の人たちも若くて立派だった。
戦国時代は、若くても『殿様は殿さま』だったのである。
年を取り経験を積まぬと、ちゃんとした判断が出来ないなどと言うのは間違っていると思う。
当時の日記を読み返してみても、今よりもちゃんとしたことを書いている。
人間、ちょっと背伸びして歩く方がいいのかも知れないと思っている。
★この年の2月にゴルフのセットを買ってゴルフを始めている。
今と違って、ちゃんと練習しなければコースに出てはいけないと、言われていた時代である。
それをまともに受けて、熱心に練習場に通っている。
毎週、毎週 練習場に通っているが、なかなか上手くいっていない。
半年経って、10月に初ラウンド。
ワンハーフを回って、社長とお客さんと一緒のゴルフだったこともあり、ワンラウンドは何が何だか分からず、OKと言われるので『5』と言うと『6』だと仰る。
OKと言うから、『入ったことにしてやる』と言うことだと思っていたら、『その次は入ったことにする』と言うことに気がつかず、なぜ数が違うのかとばかり思っていた。
初ラウンドのスコアは64-65-54と記録されている。まあ、そこそこで廻れたのは、半年の練習の成果だったのかも知れない。
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