★ 昭和48年、40歳を迎えた。
自分の家を持ち、新しい土地三木の住人になった。
この年以来、三木に住んでいる。それから38年経って、一生のうちで40年近く年一番長く住んだ町になっている。
その年が40才を迎えた年であったことは覚えていなかった。日記を読み返して改めてそうだったのかと、40才を認識したのである。
この年は、カワサキにとっても記念すべき年なのである。
名車と言われ、今でも人気のZ2が国内市場に発売されたのが、この年の3月なのである。
そして、国内の新販売網組織、『カワサキ特約店制度』がスタートした年でもあった。
この年を契機に、実用車のカワサキから、『大型車、スポーツ車のカワサキ』にイメージは一転したのである。
この年以降、国内市場の二輪販売の新ネットワークにカワサキは一定の影響を与える存在に生まれ変わったと言ってもいい。
そしてそれらの推進の原動力になったのは、Z2の商品力と、特約店の協力であったのである。特に船場モータースの岡田さんをはじめとする近畿のお店にはお世話になったと思っている。
世の中は、田中内閣の2年目、所謂『オイルショックのモノ不足』などもあって、「消費は美徳」といった世相が一転『電力節電』なども言われたりしたのである。
そんな昭和48年であった。
★ 三木市役所に住民登録をしたのは、1月13日のことである。
その時点、会社での担当地域が東京、名古屋、大阪と広範囲で、勤務地の本拠が大阪だったこともあって、引き越しをすぐにしたわけでもない。
荷物は三木の新居を訪ねるために、ボツボツと運んだりしながら、三木に移り住んだのは3月末のことなのである。
仙台に4年、大阪に2年、と明石を出てから6年間も外にいたので、会社も少しは考えてくれたのかも知れない。
この年の4月からは明石勤務となって、三木からの通勤が出来ることになったので、3月末に移り住んだのである。
まだ三木の緑が丘も今のような状況ではなくて、ポツンと新しい街が、旧い三木のまちと離れて出来たという感じだったと覚えている。
40年経つと世の中は変わるものである。
この年の日記に書いている、『30代~40代の若い人たちのまち』は間違いなく60代から70代の高齢者のまちに様相一転なのである。
★ 私自身は前年に続いて、会社の仕事は大変であった。
前年に大阪に続いて兵庫も名古屋北陸などの広範囲なテリトリーになって、さらに続いて東京地区もテリトリーになり、4月からは直接東京担当を指示されたのである。
東京出張の期間が長くなった。
販売店店頭への現場へも出向いて城東、城北、城南、城北の各地区を訪ねたし、多摩地区も歩いた。 何となく田舎かと思っていた多摩地区が素晴らしい都会であることもよく解った。なんでも現場を歩いてみることである。
東京に城東、城北、城南、城北とそれぞれの地区の名称をアタマにつけたカワサキ販売店や、当時日本一の大型車販売店北多摩モータースが君臨していた懐かしい時代であった。今のKMJの大江さんが、城北地区の担当セールスをしていて一緒に店を訪ねている。
会議などでは、威勢よくかっこいい東京の販売店も店で対面してみると、いろいろ悩みも持っていた。東京の店を知ったことは、その後の販売店政策に大いに参考になったのである。
大阪から始まった第一線の現場担当も、兵庫、名古屋、東京と太平洋メガロポリスの販売店を殆ど何とまくではわかたっところで、
この年の10月からは直営部の二輪担当は終わって、販売会社本社の管理部長を命じられ、直営部以外の全国販売会社を含めた特約店制度推進担当することになったのである。
この年、特約店制度はスタートしたばかりであり、Z2の発売もあって、東、名、阪の地域は何とか形は整ったが、その他の地域はまだ昔のままの販売店制度が敷かれていたのである。
★ 特約店制度と言うのは、いままで日本にはなかった『新しい販売ネットワークシステム』なのである。
相手もいることだし、そんなに簡単に出来たりはしないのだが、結果としてはこの制度は、その後何年か掛って、カワサキの全国展開のシステムとして完成した。
そんな途方もない仕事をこの年の10月からスタートさせている。
このような、創造的な仕事はなかなか難しいが、なかなか楽しいところもある。神経質な人には大変なのだろうが、いい加減なところがある私などには意外に向いていると思っている。
こんな仕事に必要なのは、『いい協力者』がMUST条件なのである。
この制度が成功したその協力者は、社内では『古石喜代司』君。 社外では船場モータースの『岡田博』社長。
この二人がいなかったら、こんなにスムースな展開はしなかったろうと思っている。
特に岡田博さんにはお世話になった。 岡田さんはあちこちの特約店説明会に同行して頂いて、自らこの制度についての説明をして頂いたのである。
新しい制度を大阪で一緒に創り上げた仲間と言うより『同志としての動き』であったと思う。
メーカーの推進する政策を、販売店の立場にいながら、推し進めて頂いたことに改めて感謝したいと思っている。
★この年の、8月4、5日、琵琶湖のマキノ町で、2000人を集めたジャンボリーを開催している。
このジャンボリーも大阪と名古屋と、管内の特約店の協力で、大成功であった。
今年の3月4、5日の『カワサキの想い出、そして未来』を主宰した、平井稔男さんらと一緒にやった、当時としては画期的なイベントだった。
このジャンボリーに、『カワサキの想い出、そして未来』の司会コンビのはっぴえんどの森田さんとねこさんが、ユーザーとして参加したとはつい先日聴いたばかりである。
世の中、いろいろと繋がっているものである。
もう40年前のことなのだが、
考えてみると、今でもその延長で、そのころのメンバーたちと結構楽しんでいるのである。
そんな、昭和48年、私も40才まだ若く元気ハツラツだった。
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