★私には男の子ばかり4人の孫がいる。
孫・門野哲也が一番末っ子なのだが、この9月にアメリカのサンデイエゴ大学にサッカー推薦で入学したのだが、10月に始まった大学サッカーのリーグ戦にキーパーながら先発出場デビューしたようである。
最近、DNAについていろいろ思うのだが、4人の孫たちを見ていると、自分の親たちは勿論、私や家内などに似てるところも勿論あるのだが、もっと以前のいろんな方たちの、いろいろなものを受け継いでいるように思えてオモシロい。
門野哲也はサッカーのキーパーをしているのだが、背が185cmもあるのは、誰に似たのだろう? 周囲にそんな大きな人はいないのだが、これは小さなころからアメリカで育ったいい環境とその食事の影響かなと思ったりしている。
少々『怖がり』で、『自信過剰』なところなのは、私に似ているところもあるのだが、その程度は、比較にならないくらいのレベルなのである。
『怖がり』は高いところは苦手なのだが、小さい頃は公園の急な階段も怖くて降りられなかったのである。 私自身も結構何事でも『自信』を持って臨むほうだが、哲也の場合は、常に『自分が一番』だと思っている節がある。
私も、息子もスポーツはやっていて『そこそこのレベル』ではあったのだが、『プロ選手』などはとても、発想の外だったのに、娘のほうの孫二人は『プロサッカー選手』を目指すと言って、次男は今春その夢を果たしたのだが、末弟のほうは、『プロ選手』になるのは当然のような口振りなのである。
ひょっとしたら私の『ひい爺さん』は明石松平藩の剣道指南番だったというし母方の伯父楠見幸信は、昭和の初期日米対抗野球でベーブルースが日本に来たころはまだプロ野球はなかったのだと思うが、慶応の同僚宮武・山下・などと共に日本代表に選ばれていたようだから、そんなDNAを受け継いでいるのかも知れない。
因みに、楠見幸信は国鉄スワローズがスタートした時の初代総監督なのである。
確かに、相当のレベルであることは間違いないのだが、中学3年生の頃にヴィッセル神戸の練習に参加させてもらった時も、確かに高校生のキーパーと遜色なかったし、むしろ上かなと思ったが、堂々としていたのである。
こどもの頃から、サッカーの超有名選手たちと何度も一緒に写真を撮った『いい環境』に育ったことが自信になっているのかも?
これは小学生の頃、あのベッカムと一緒に。
このころから、ひと際大きい。
これは中学生の頃だと思うが、アメリカ代表監督のクリンスマンさんと。
この時も背だけは負けていないし、
クリンスマンさんの息子さんが、Strikers FCにいたこともあって、しょっちゅうご一緒だったのである。
これは高校生の頃だが、
本田よりはちょっと背は高いかも知れない。
これは、このサッカー場のこけら落としのゲームに出場して、アメリカのサッカー界の有名人と一緒の写真のようだが、本田佳祐はこの日に来ていて、一緒に写真を撮ったようである。
★そんな 門野哲也だが、この秋サンデイゴ大学に入学した。
サンデイゴ大学は昨シーズンは成績不振だったようだが、今年はそんな環境から脱皮すべく、有望新人をこんなに獲得したようである。
こんなアメリカ人の中でも一番背は高い。
10月にリーグ戦が始まって、キーパーというポジションは1人だけだから、なかなか出場の機会はないのではと思っていたが、1回生ながら先発出場しているようである。
娘がこんな実況放送のテレビをLineで送ってきたので、そこからピックアップした動画とその動画からの写真である。
サッカーの動画も面白いが、『キーパー』を見るのはなかなか大変である。
失敗は即『失点』で、『得点』には絡めない。
★これは三木に遊びにきたとき、息子はわざわざ鎌倉からやってきた。
このころは、今の体型が考えられないようなデブなのだが、
兄貴の門野真也と共に、 そのお師匠さんは 息子だったのである。
この二人がサッカーのプロになるなどとは、流石に息子も思っていなかったと思うが、どうやら二人のサッカー・プロが生まれそうである。
兄貴は今はフォワードだが、哲也はずっとこどもの頃からキーパー希望で、
小学生の頃から、かってのメキシコ代表キーパーの個人指導を一貫して受け続けているので、 その『自信のほど』も解らぬではない。
この方の指導を何度も観たが、あれくらいやると上手くなるのも納得である。
次男の門野哲也は、今年の春『プロの夢』実現したのだが、
4年後、『門野哲也のプロ入り』を果たして私は観ることが出来るだろうか?
何とかそれが『観られる』ように私も頑張って生きていきたいと思っている。