★ 最近は午前中はジムに行くので結構忙しいのだが、午後は十分時間があり過ぎるぐらいある。
パンダ碁を打ったりもするので、幾ら時間があっても大丈夫なのだが、
今86歳、一体『自分は何歳まで生きれるのだろう?』
と時々考えたりする。
『自分史』というカテゴリーで今まで200を超える『自分史』なるものをアップしているのだが、どちらかというと現役時代の会社の仕事のことが多くて、当時は確かにそればっかりだったような気もするが、読み返してみると、『気ままに、自由に、多くの分野に』亘って書いてはいるのだが、一言でいうと『自分史』としてのまとまりが全くないものになっている。
自由な時間を上手に使って、それらを纏めた『生涯履歴表』を創ってみようかなと突然思いだしたのである。
私は生来、結構整理したりするのは、好きというか得意な分野で、それなりに整理は出来ているし、21歳の11月8日からは、日記があるので、調べようと思えば毎日でも解るのである。
ただ、これらは全てパソコンをやらない時期に『手書きで纏めた』ものばかりなので、修正するのは大変というか『出来ない』と言った方がいい。
今はパソコンをやるようになったし、ブログも書いてるし、Facebook もあるし、ネット関連を使って『上手に関連付けて』自由に纏めてみようかなと、思ったのである。
例えばこんな風に、纏まっているのである。
★かっては EXCEL を使って作表したりしたこともあるのだが、何年も触っていないと作表の仕方も忘れていたが、何とか『文字は打てそう』なのである。
かって作った表はちゃんと『線も入って』いるのだが、『線の入れ方』がどうしても思い出さなくて、所謂『作表』が上手くできないのだが、それは後で何とかすることにして、
兎に角、西暦と昭和・平成・令和とその年の年齢までは入れてみたのである。
同じ創るなら、100歳まで作ってみたら、100歳は、『2033年・令和15年』だから、
あと15年生きたら『100歳になる』ということなのである。
こんな表までは出来て、実は1歳から30歳ぐらいまでは、書けているのだが、
やってみてわかったことは、『手書き』と違って、幾らでも『修正が簡単』なのである。
これはなかなか「オモシロい」と思った。
どんどん作っていって、あとで『修正・補筆』すればいいのである。
『これは一生の仕事としてオモシロいかな』と思っている。
今まで70歳ぐらいまでは、何とか書けているのだが、それ以降がないし、ネットでこんな表に纏めておけば、どの年度から書いても大丈夫だし、この表をもう少しうまく纏められるようになれば、幾らでも修正も出来るし、細分化も出来るし、今まで書いてた『自分史』と繋ぐことも可能かな? などといろいろ考えている。
★それにしても、以前は出来ていた『線の挿入』がなぜできないのだろう?
こんなのは、基本の基本だから『出来ない方』がおかしいのである。
多分『なんだこんなことだったのか』と突然できるようになるはずである。
大体、独学で、一度もパソコンの基礎など習ったことがないから、今やっていないことは出来ないのである。
誰かが教えてくれたら、それを繰り返すのはダイジョブだから、来月には孫がアメリカからやってきて、1ヶ月もいるというから、その時教えて貰えばいいと思っている。今日もいろいろやってみたが、手書きと違って『幾らでも修正』できる処がホントにイイ。 さて、どんなことになるのだろうか?
★『自分史を書くことにした』 というブログをアップしたのは、2010-06-14 のことだから、もう10年も前のことである。
先日、自分史を書こうかなとふと思った。・・・・・
書こうかなとブログに書いた時点で、『書く』ということは決まっていたのだと思う。
私の生き方の中で、迷ったときに引き返したことは、多分一度もない。
『迷ったとき』はGOなのである。・・・・
『周囲の人たちが決めてくれた大きな道』を歩いてきたのかも知れない。
生まれてこの方、『自分は何になりたい』と思ったことはあまりない。
『一度もない』と言っていいほど、記憶にないのである。
中学も、高校も、大学も、会社も、会社の中での職種も、勤務地も、
一度だって自分で希望を言ったり、選んだりしたことはない。
『周囲が与えてくれ道』を好きなように、自分流に歩いて77年生きてきただけなのである。
77歳の時こんなことを書いている。
今回は、一歳ごとの年表を、『ネットの上で創ろうかな』と思っている。
パソコンを使うので『修正』が自由に出来て、多分『表の質』を向上することが自由なはずだし、今年の分でも先に入れたりすることも自由なのである。
昨日は、いろいろ何回も修正して、こんなところまでは出来ている。
これから先、表は一応「令和15年100歳」分までできているのであとは、埋めていけばいいだけの話だし、
多分その内容は『充実』していけるはずだとの『私の仮説』なのである。