★昨日の午後、『忠幸松本』さんから突然、Facebook のメッセージが届いた。
『今から三木にお伺いしたいのだが、ご都合は?』 と仰るのである。
FBでは毎日繋がってはいるが、お会いしたことはなくて、レース界の特に『神戸木の実クラブ』の金谷秀夫のことなどに詳しく、沢山の写真を持っておられる方、という認識だったのである。
お会いしていろいろお聞きしたら、『金谷秀夫の店』に勤めておられて、神戸木の実クラブとも関係が深かく、楽しい『レース界独特の』の昔話が続いたのである。
今は旭川にお住まいのはずだが、『なぜ神戸に?』とお聞きすると
来年2月1日に、神戸である『片山義美を偲ぶ会』の打ち合わせに来られたようなのである。
この会には私もご案内を頂いていて出席の予定なのだが、この会の発起人の方々の殆どは、私も親しく関係のあった方々なので、お会いできるのが楽しみなのである。
そんなことで、『初対面』とは思えないような、いろんなレース話に花が咲いた楽しい数時間を過ごせたのである。
★この時代のレース界は、メーカーの枠を越えての繋がりがあった時代だったので、『片山義美』さんともカワサキは直接の契約関係などはなかったのだが、非常に親しくさせて頂いたのである。
以下はかって私がアップした
『名門神戸木ノ実レ―シング50周年を祝う会』というブログからの抜粋だが、
●『神戸木ノ実レ―シング50周年を祝う会』がグリーンピア三木で行われたので出席した。
●50年前の日本のレース界、特にモトクロス関係は、MCFAJという全国のレーシングクラブからなるクラブ連盟の方がMFJよりもむしろ主力であった。
●カワサキがレースを始めたころは、片山義美さんが主宰する、神戸木ノ実レーシングの歳森康師、山本隆と個人的なライダー契約を結んでスタートしたのである。
●ヤマハは、野口種晴のスポーツライダースというクラブで、スズキは、東京の城北ライダース、関西は京都の小島松久のマウンテンライダースなどがファクトリーライダーたちを擁していた。
●カワサキは、歳森康師、山本隆に続いて、ロードレースで金谷秀夫、さらに村上力などとも契約を結んだし、片山の義弟の従野孝司とも契約を結んだ。
●関東のカワサキコンバットがが解散してからは、星野一義や清原明彦さらには和田将宏などカワサキの契約ライダーたちがその籍を置いてカワサキ色が強くなった時期はあるが『神戸木の実クラブ』はマツダとも、ヤマハ、スズキやホンダとの契約のあるライダーを有する非常に特色のあるレーシング倶楽部だったのである。
昨日の『忠幸松本』さんとのお話も、こんな昔ばなしに終始したのである。
ブログにはこんな写真も貼付してあって、
メインテーブルに座ったメンバー、前列左から
山本隆、片山義美、清原明彦、後列左から私、金谷秀夫、和田将宏、村上力。
他にも毛利良一、杉尾良文、近藤博志、など全日本チャンピオンたちも出席していたのに、まあ年寄りの特権ということか。
このパ―テ―の最後に挨拶に立った片山義美さんが、
『神戸木ノ実レ―シングは本日の会合でその歴史を閉じたい。今後は神戸木ノ実クラブとして親睦会として継続したい。』と述べて50年の歴史の幕を閉じたのである。
と結んでいるのだが、そんな片山義美さんや、金谷秀夫を偲ばねばならぬことは、ホントに残念なのである。
★片山義美さんは三木のご出身で、これは三木で開催されたイベントに出席された片山さんと、今の三木商工会議所会頭の稲田三郎さん、現市会議員の大西ひできさんとのスリーショットで、シャッターを押したのが私なのである。
この時が片山義美さんとの最後になってしまった。
そんないろいろのレース関連の想い出話がいっぱいだったのだが、
初対面の『忠幸松本』さんだったが、なかなかイイお話が出来た昨日の午後だったのである。
★ 次回は来年の2月1日の『片山義美を偲ぶ会』でお会いすることになるのだと思うのだが、昨日お会いできたのは本当によかったと思う。