★ 12月になった。
5年前までは11月末から12月上旬は猛烈に忙しい毎日を何十年も過ごしていた。
毎年出していた100枚の年賀状を書き上げるのが大変だったのである。
年賀状はその枚数を100枚と決めて、すべて毛筆で書いていたのだが、
2014年に母を亡くして、『印刷した喪中はがき』を発送したものだから、
それが途切れて、いろいろ考えた結果、
2015年からは年賀状の発送を止めてしまったのである。
★ 年賀状に関して5年前の2014年11月のブログにこんなことを書いている。
毎年100枚と数を限って、自分の手で毛筆で年賀状を書いてきました。
私なりにその時代時代に、100人を選んでいたと思います。・・・・・・
親戚や子どもたちにも、出していましたが、娘家族がアメリカに行って10年、年賀状などの仕来たりのない国ですから、出すにも出せなくなりました。・・・・・
ネット社会で、パソコンを使えば簡単に年賀状も創れる世の中になりましたが、年賀状は日本の文化ですから、昔のママがいいとずっと毛筆で書いていたのですが・・・
昨年母が亡くなりました。 『初めて喪中はがきの印刷されたもの』を発送しました。
★ 個人的に『印刷した葉書』を発送したのは 、この時が初めてのことだった。
それまでは、転勤時の連絡や、お礼状もすべて自筆で、お一人、お一人に書いていたのである。
葉書を出す相手の方に対して、『私なりの想い』を『私なりに』書くべきだと思ったし、すべて一律というのもどうかな?と思っていたりしたのだが、
『喪中はがき』を発送してしまって、
そんな『私なりのやり方が途絶えてしまった』のが、一度考えてみようと思ったきっかけなのである。
毎年出していた上司の方なども、年々数は少なくなるし、100人の相手の方の半数近くがFacebook などで繋がっているなど、周りの環境の変化もあったのだが、
『私なりのやり方が途絶えてしまった』ことが最大の理由だったと思うし、『やる気』を失ってしまったのだろう。
これは年賀状そのものではなくて、ネットに出した年賀のご挨拶なのだが、
こんな感じで1枚1枚相手の方に対して文章の違ったものを出すのは結構な労度であったのは間違いなくて、それなりの覚悟みたいなものが要ったのである。
今思うと、ちょうど『やめる時期』だったのかなとも思ったりする。
★ それにしても、日本の年賀状はまだ健在で、今でも約70%の人たちが、年賀状を出しているらしい。
当方から、年賀状を出さなくなって、もう5年にもなるのだが、毎年我が家には何枚かの年賀状が届くのである。
気を遣って頂いて、誠に恐縮なのだが、敢えてご返事など出さないことにしている。
一方で、Facebookでは、 歳が変わると直ぐ、『謹賀新年』のご挨拶を出させて頂いたりしている。
これが今年の新春にFacebook にアップした新年のご挨拶である。
こんなことを思ってスタートした2019年もあと1ヶ月である。
『今年何か新しいこと』見つけられたかな? と今思っている。
何か、あったような気もする。
この1ヶ月、じっくり考えてみようかなと思っている。