★12月8日である。
昭和16年12月8日、大東亜戦争が始まったとき、私は小学校3年生だった。
その開戦の詔書はその後毎月8日が『大詔奉戴日』と指定され、
毎月8日には全校生徒が運動場に並んで、校長先生が読まれる『開戦の詔』を頭を垂れて聞いていた。
そんな詔の内容を見るのは初めてだが、こんなことだったようである。
1行目辺りは、何となく覚えている。
その口語訳はこのようなことだとか。
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。
私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ、この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。
残念なことに中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石一味は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
残念なことに中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石一味は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
それだけでなく、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間、忍耐してきたが、
米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、
その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、
その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
昭和十六年十二月八日
★ 世の中ではいろんなことが言われているが、かっての大東亜戦争もそれなりの『言い分』はあったのだろうが、『敗戦国』になってしまうと、無条件に日本の言い分は言えなくなってしまったのだろう。
私たちが小学校で習ったことは『侵略戦争』などではなかったことは確かである。
そんな想い出もある『12月8日』だが、
4年後の終戦の年の『昭和20年12月8日』は、私たち一家が朝鮮京城(今のソウル)から、日本に引き揚げて、博多港に着いた日なのである。
ソウルから釜山まで『貨物列車』で移動し、釜山からは日本の船で引き揚げてきた。
今から74年も前のことだが、私は中学校1年生だったから、結構ちゃんと覚えている。
戦争中の日本も、小学校4年生ぐらいまでは、毎年夏・冬に一家で明石まで帰省していたので、戦前の明石も神戸も、下関から明石までの沿線の風景も、知ってはいたのだが、昭和20年12月8日に見た、空襲で焼け野原になっていた『日本の風景』は、とりわけ広島の様子はすさまじかったし、故郷明石も全く家のない『焼け野原』だった。
★あれからいろいろなことはあったが、平和な日本に再建されて、74年後の日本は、新しい『令和の時代』になった。
今年の『12月8日』を迎えて、私のアタマにあるのは、子どもの頃過ごした『南北朝鮮』がどうなるのかな❓と言うことである。
いろんな問題があって、日本人は韓国は嫌いな人が多いのだが、私にとっては子供の頃を過ごした懐かしいところだし、当時は朝鮮ではなくて日本だったし、南も北も分離などはされていなかった。
あれから70年以上も経って、朝鮮問題もいろいろあったが、今年が一番注目度が高いのでは?
今の『文政権』はダメだとは思うが、これからの1年間にはいろんな動きがあるように思う。
果たして、来年の12月8日は、どんなことになってるかな?と思っている。