★ 長く生きてはきたが、登山もしないし山とは直接の関係などもなかったのだが、
コロナウイルス問題が起こって、それまで毎日行ってたジムから、
トレーニングの場所を三木総合防災公園に変えたこともあって、
3月以降は、『丹生山』と毎日対面していたのである。
ちょうど車を止める駐車場の前の芝生の広場から、
このように真正面に『丹生山』は見える位置にある。
眺めているのは三木からだが、丹生山は神戸なのである。
方角で言えば右の山すその向うに六甲山脈があり、その右手が神戸の街である。
何となく格好のいい山で、三木のあちこちから眺めることが出来る。
こんな風にも見えるし、
これはもう10年も前、 孫・古谷仁 と一緒に拝んだ
丹生山に登る 『初日の出』なのである。
こんな写真があるということは、何となく『丹生山』は心の中にある山なのだろう。
★ 実は、昨日の朝は、濃い霧に覆われていて、
いつもの広場から見える『丹生山』が全く見えないのである。
いつもある山がないと、何となく気になって、
霧の晴れるのを、辛抱強く待とうとしたのだが、
30分ぐらい待って、これくらいまでにはなったのだが、
また、霧がかかってしまって、諦めて戻ってきたのである。
今朝の『丹生山』である。
あるところに『山』があって、何となくホッとした。
今までも、何となく意識してた山なのだが、こんなに意識したの初めてである。
改めて、こんな写真を撮ってきた。
なかなか、『いい山』だと思われませんか?
見えないけど、このすそ野を高速道路が走っていて、
明石海峡大橋を渡る 『淡路島から四国徳島への道』 なのである。
今まで住んだことのある町、明石にも山はなかったし、
三木にも高い山などはないのだが、
神戸は六甲山や丹生山など、いい山があるから魅力的なのかも知れない。
そういう意味では、三木からも『見える山=丹生山』を改めて意識させてくれた、
一昨日の『霧』だった。
こんなこと思うようになると、やはり歳なのかなとも思ったりする。
『丹生山 雑感』 である。