★80年前の12月8日は昭和16年(1941年)で、
私は今の韓国ソウルにいて、当時は韓国は日本だった。
京城桜が丘国民学校の2年生だったのだが、こんなニュースが何度も流れたのをよく覚えている。
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。
帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
日本海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃。
また、その1時間以上前には日本陸軍がイギリス領マレー半島に奇襲上陸し、
日本はアジアや太平洋の各地でいっせいに軍事行動を開始し、
3年9か月におよぶ太平洋戦争の始まりだったのである。
新聞はこのように報じている。
当時の新聞は右から左へ書かれている。
テレビなどは勿論なかったので、もっぱら「ラジオ放送」だった。
大東亜戦争開戦のニュースは繰り返し放送されたことはよく覚えている。
★小学生だったが、昭和20年8月15日に終戦を迎えた時は
中学1年生だったから、小学生時代はまさに戦時中だったのだが、
この約4年間は最初は勝ち戦だったので、内地も何の問題もなく
夏冬の休みには明石に帰省していたので、
当時の日本の神戸・明石などはよく覚えている。
負け戦に転じて、関釜連絡船が潜水艦にやられてからは内地には戻っていないが、
当時の朝鮮・京城(今のソウル)は何の問題もなく食糧事情もよかったし、
「戦時中」というだけで普通の生活が続いていたのである。
12月8日は、そんな太平洋戦争の開戦日なのだが、
開戦の詔書では、宣戦布告の相手はアメリカ、イギリスの2カ国なのに、
終戦の8月15日に玉音放送で流れた終戦の詔書ではアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連の4カ国が当事国なのは、
中国とは支那事変からすでに戦争状態にあり、
ソ連は1945年(昭和20年)8月8日に日本に宣戦布告しているので、開戦の詔書と終戦の詔書では当事国の数が異なるのだそうである。
閑だから、いろいろネットで調べるのだが、この頃は何でもよく解るので、
当時のことを思いだすにも重宝している。
★ 昭和16年の12月8日は大東亜戦争開戦の日なのだが、
昭和20年(1945)は終戦になって、
その12月8日は朝鮮から日本に引き揚げてきた日なのである。
この日を境に、私の一家の状況は戦前・戦後で一変するのだが、
そんな極端な変化を、私自身は結構「楽しんでいた」節もあるのだが、
父母にとっては「大変な変化」であったのは間違いない。
12月8日は、そんな節目の日でもある。
中学1年生だったから、その時の状況をよく覚えているのだが、
明石の駅前あたりも様変わりして、文字通り焼野原だったのである。
ネットで探すと、こんな写真も出てくる。
引き揚げ先だった、明石の本家も爆弾と焼夷弾にやられて
跡形もなかったのである。
そんな12月8日なのだが、
今は本当に平和な日々が続いていて
戦争当事国であった「鬼畜・米英」と非常にいい関係なのである。
80年も経つと、世の中変わるものである。
そんな劇的な変化の時代を生きることが出来て、
いろんな経験が出来て「よかったな」と思っている。