★こんな4人が「MFJモーターサイクルスポーツ殿堂入り 」をしたというニュースが流れた。
左から久保和夫・鈴木忠男・山本隆・吉村太一さんである。
私がカワサキでレース担当をしていたころの
ライダー諸君で当時は久保和夫さんは名実ともに日本のトップライダーだったが、
山本隆さんがちょっと有名になりかけた頃、
吉村太一ちゃんと鈴木忠さんはまだ新人ライダーだった。
なぜか、いろいろと関係があった。
久保さんは当時の名門城北ライダースのTOPライダーで、
久保さんだけでなく、城北ライダースの人たちと何となく繋がっていた。
藤井敏雄さんを私に紹介してくれたのは久保さんだった。
山本隆さんはカワサキのライダーだったから当時は毎日会っていた。
私は彼の仲人でもある。
吉村太一ちゃんは、当時カワサキにいた星野一義のライバルで、
二人が18歳の頃からよく知っている。
鈴木忠さんも知っているが、
彼の師匠・スポーツライダースの野口種晴さんとも結構親しかった。
この写真後列の一番右は、大久保力さんである。
当時はバイク雑誌はオートバイ誌とモーターサイクリストの二誌しかなくて、
大久保力さんはサイクリストで新車のテストライデイング記事担当で、
よく明石に来られてた。
今は二輪車業界の大御所なのである。
★ それにしても、みんな立派になられるものである。
50年前、皆さんがこんなことになるとは夢にも思わなかったのである。
この数年でも、いろんな機会にいろんなところでお会いはしているのだが、
みんな昔のご縁で繋がっているのである。
たまたま、若いころレースを担当したお陰で、
当時はただのライダーだった方たちが「世界の~」とか「日本の~」とかがつく
有名人になっていくので私としても嬉しい限りなのである。
いろんなライダーたちとの思い出の写真がいっぱいなのでご紹介してみよう。
これは東京で、サイクリスト誌の会合で久しぶりにお会いした久保和夫さん。
これは同じ会合で、私がシャッターを押してるが
山本隆・久保和夫・菅家安智さんである。
これはかってのモトクロスライダーの集まりに、ご招待頂いたときに
菅谷・久保・吉村さんと
これは「片山義美をしのぶ会」での私のテーブルで、
有名人いっぱいである。
私の左の大槻幸雄さんも殿堂入りされたし、
吉田純一さんは叙勲を受けられたが、
今回は山本隆さんも殿堂入りなのである。
私の右が大久保力さん、この時は同じテーブルだった。
これはまだ片山義美さんがお元気なころ、
確か「神戸木の実50周年記念」だったと思う。
これはマウンテンライダースの50周年記念で、
当日は私の誕生日だったものだから、
太一ちゃんが気を遣ってくれて、こんな花束を頂いた。
その会合の始まる前に、こんなライダーたちと
鈴木忠さんもいるし、金谷もいる。
金谷秀夫とはこの日が最後になってしまった。
超有名人になった星野一義とも、想い出いっぱいなのである。
これはちょっと珍しいトリオ。
北川圭一のスタートはカワサキなのである。
京都の吉川健一さんに頼まれてチーム・グリーンに推薦したのがレースの始まり、
真ん中の女性は、今ちょっと話題のKMJの社長になられた桐野英子さんである。
★ 私自身は長く二輪に関係はしたが、
自分ではバイクにも乗らないし、バイクを持ったこともない。
それなのに、若いころちょっとレースに首を突っ込んでいただけで、
こんなレース界のいろんな会合にいろいろと声を掛けて頂けるのは嬉しいことである。
特に定年後の今、そんな二輪界の方たちとネットでは、殆ど毎日繋がっている。
そういう意味では「私の財産」と言ってよく、
そんな方たちが単なる有名人からさらに社会的な表彰を受けられることは
私にとっても「誇り」なのである。
沢山ある写真の中から、Facebook の私の表紙にこの写真を使っているのは、
私がレース担当をした時代の5メーカー
ホンダ・スズキ・ヤマハ・BS・カワサキのレース関係者が揃っているからである。
右からホンダの渡辺さん・
ブルジストンの田中隆造・
スズキとホンダにいた吉村太一、
カワサキとスズキの木村夏也、
それに「カワサキの星野一義と金谷秀夫」
このお二人はカワサキから移動後が有名だが、
レースのスタートのその故郷は「カワサキ」なのである
こんな皆さんとの思い出いっぱいなのである。
ほんとに「私の周りにいた人たちはどんどん立派になる」が実感なのである。