★川崎重工業の株主あてにこんなチラシが送られてきた。
この半年間の売り上げ比率である。
モーターサイクルの比率が30%を占めていて最大なのである。
これを見て正直びっくりだし、
かっての川崎航空機工業の明石工場のロボット・ガスタービンも大きくなったし、
岐阜工場の航空機を含めると、
川崎重工業の売上高の50%以上を占めているのである。
私は昭和32年(1957)に、川崎航空機に入社したのだが、
当時は新会社設立4年目で、バイクエンジンはやっていたが、
二輪事業はまだスタートしていなかった時期である。
私自身が明石出身なので川崎航空機とはいろいろと関係もあったのだが、
軍事工場だということで戦時中には爆撃を受け、
まだ事業再開されていない昭和24年(1949)はまだ空襲を受けたままのこんな状態だったのである。
入社して財産課に配属されたのだが、財産課が処分する、戦前の機械や工場の焼け跡の鉄骨が、結構大きな比率を占めていた、苦しい時代だったのである。
実現はしなかったが、こんな4輪車の開発を手掛けていて
Zのエンジンの開発担当者であった稲村暁一さんは入社当時、
この4輪車のエンジン設計に携わっていたのである。
★ 川崎航空機工業時代の二輪車関連の推移は以下の通りで、
二輪事業が本格的にスタートしたのは昭和36年で、
その年に単車営業部が出来て、私はその新しい単車営業に異動したのである。
昭和28年(1953年) バイク用エンジンを開発/販売
昭和29年(1954年) 明発工業を設立(出資/提携)
昭和34年(1959年) 川崎航空機工業内に単車部が出来る
昭和35年(1960年) 目黒製作所と提携し販売網を確保
昭和36年(1961年) カワサキPET及びB7を発売・単車営業部発足
昭和38年(1963年) 完全新設計オートバイB8を発売
昭和44年(1969年) 川重、川車、川航3社合併し、川崎重工業に
★そんな川崎航時代は、昭和44年(1969)まで続き、
3社合併により川崎重工業となるのだが、
合併当時の主事業は今は殆ど実績のない「造船事業」が主力で、
単車事業もまだ赤字が続く不安定な時期だったのだが、
それが継続できたのは、ひとえに「造船部門」が川重全社を支えていたのである。
そんな時期を経験しているので、
現在の川崎重工業の事業比率を見ると本当に感慨ひとしおなのである。
かっては足を引っ張った「単車事業」が今は川重を支えているのである。
ただ「カワサキ・Kawasaki」は、世界に事業展開した単車事業が、
世界にその知名度を定着させたもので、
車両や船が世界に出て行った時期には「カワサキは車両や船も造っているのか」などと言われたという話もあるのである。
今年はカワサキ二輪事業のスタート60周年だし、
来年はZの発売50周年なのである。
50年も経つと、世の中は本当に変わってしまうものである。