雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

石原慎太郎 逝く

2022-02-05 07:00:23 | 発想$感想

★ 石原慎太郎さんが逝ってしまった。

 石原慎太郎が一つ上裕次郎が一つ下、私と同じ昭和一桁生まれの世代である。
 特に関係があった訳でもないのだが、
 昭和一桁はまさに戦前派で、同じ昭和でも昭和二桁の方とはちょっと違ったところがある。

 所謂「旧制中学校の世代」で戦後も何となく戦前教育の続きを受けた感じで、
 一つ下の世代からは新制中学校が出来て「戦後の教育」がスタートしたのである。
 私はその旧制中学の最終学年で2年生になっても1年生の入学はなく
 当時の野球部で中学3年間と高校の1年間の4年間運動部の最下級生生活を経験したのである。


★ 石原慎太郎と何となく出会ったのは、
 彼が一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞し、「太陽族」が生まれる契機となったのだが、
その時は私も大学4回生の頃だった。

 その頃、まず石原慎太郎の名前が有名になったのだが、
 大学の野球部の先輩の住所がなぜか「石原慎太郎宅」であって、
 その方が明石の野球部の先輩だったことから、
 石原慎太郎のことと共に、慶応にいる弟は無茶苦茶面白いらしいと「裕次」のことが話題になったりしたので、
 石原裕次郎のことは、デヴュー前から何となく知っていたのである。
 
そんなことがあったので、
太陽の季節」の映画は勿論見たし慎太郎・裕次郎兄弟のファンになったのである。


★それ以降のこの兄弟の活躍は改めて言う必要もないのだが、
 石原慎太郎さんは70歳にして東京都知事をされたりしたので、
 2017年2月20日の私のブログに
 「築地市場 と 石原慎太郎さん」というテーマでアップしているのだが、

 その時にこんな写真とともに、このように書いている。





 
同じ年代で一番、比較して注目しているのは、石原慎太郎さんである。
6ヶ月年上だが学年は同期で、ちょうど大学のころに石原裕次郎が『太陽の季節』でデビューした。
高校、大学の野球部の先輩が石原慎太郎と関係があって、未だ有名になっていないころから、同じ年代だと意識していたし、当時慶応の学生だった裕次郎のことは映画にデビューする前に話題にしたりしていた。

特に70にもなって東京都知事をやられたりして、都知事の業績の中身などよりは、ずっとその『元気さ』に注目してきたのである。
今年からは衆議院議員に復帰だし日本維新の会代表としてまだまだ元気だから、そんな元気さだけには負けないように頑張りたいとも思っている。


★「そんな元気さだけには負けないように」と思って
ある意味「目標にしていた石原慎太郎」なのである。



   



 それなのに、突然先に逝ってしまわれた。

 昭和も遠くなってしまった。
 そんな昭和を代表する素晴らしい兄弟だった。





  安らかにお眠りください。

 

 
 


コメント
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