雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

74歳の夢

2007-03-02 06:27:54 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
3月に入るといよいよ74歳になる。

よく生きたものだと思う。
父も伯父たちも多くは50代で亡くなってしまったので、本当に人生とはそんなに長くは生きれないのだと思っていた。
不思議なもので、74歳にもなると逆に幾らでも生きれるかもと、元来のネアカの性格から思ったりもする。

年をとると過去ばかり振り返って、先のことなどは考えないのかと思っていたが、
確かに過去は振り返って楽しんでいるのだが、大した夢ではないが、夢も結構あるものだ。


そのうちの幾つかを挙げると

1.家の「ばら」をもう少し立派に咲かせてみたい。

出来れば姫路バラ園のレベルを目標にしたいと、毎冬思ってスタートしている。
今年も3ヶ月が過ぎた。今のところ順調である。問題は今からだ。

2.ゴルフはエージシュート+10を目標に。

エイジュシュートは勿論無理だが、+10なら狙えそうである。
現在、ショットはゴルフを始めてから最もいい状況にある。

3.ストレッチでより柔らかく

今、物心ついてから一番身体は柔らかい。これを維持し更にもう少し。
毎日1時間の継続で可能な目標。どうせ暇なのだから。

4.ブログ関連でもう少し前進を。

具体的にはよく解らぬが、昨年の展開から推測すると、続けてさえいれば、道は自然に開けそうである。

5.囲碁でもう1目、上達を。

いけそうで、いけない。最近熱っぽさが足りない。


まあ、こんなところで他愛ないが、夢とか目標を持たぬよりはいいと思っている。
1と5が少し難しいと思うが、あとはかなりの確率で達成可能かも知れぬ。

松坂曰く 「とどかないのが夢」 「とどくものは目標」と言ったとか。
 とすれば、これらは夢ではなく、目標かもしれぬ。

兎にも角にも、74歳の1年間も楽しく前向きに生きようと思う。
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4月14日、土曜日

2007-03-01 07:46:23 | 樋渡啓祐さんのこと
昨日、三木市役所の若い職員の方といろんなお話をする機会があった。

雑談みたいなもので、特にこれといったことはなかったのだが、
この2,3日気になっていたことをお聞きしたが、どうもそうでもなさそうなので少々がっかりした。

三木市長が始めたブログのなかで、4月14日(土)に三木市の文化会館で「佐賀のがばいばあちゃん」の特別映画上映があり、今から期待している。というコメントが載っていた。

「これはやったな。」と内心思っていたのである。

先日、三木市長が佐賀県武雄市に樋渡市長を訪ね、意気投合して両市の協力協定を結ぶとか、今度は樋渡さんが三木市を訪問するとか、公に報道されている。

そんな結果を樋渡さんは5月に慶応大学で講演するとか。

「佐賀のがばいばあちゃん」の準主演格である樋渡さんを三木市に迎えたその日に合わせた映画上演とてっきり思い込んでいたのだが、どうもそうでもなさそうである。

ほんとに少々がっかりした。
今朝のブログは既に更新したのだが、また思い直してブログを書いている。

4月末ごろまでに、樋渡さんが三木に来られる。
日程は、今から調整のようである。
土曜日は一応休みだろうから日程も組みやすいかも知れぬ。
「がばいばあちゃん」が結んだようなご縁だから。

などなど、勝手に考えて「ダメもと」で。
首長の日程の話なので誠にもって僭越だが。
ひょっとしたら、若い職員の方が知らないだけで、もう決まっているのかも。

いろいろ迷った挙句、更新することに決めた。
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タイプロジェクトー1 昔話ー35

2007-03-01 06:12:33 | カワサキ単車の昔話
タイプロジェクト-1

小池君から折角詳しく纏めて頂いた「豪華川崎GTO青春物語」でタイプロジェクトのことが書かれているので、抜粋しながら触れてみたい。

市場開発室が出来て、イランとタイのプロジェクトが直ぐスタートし、少し遅れてインドネシアプロジェクトがそれに続いた。

私はタイをメインにネシヤも手伝うことになった。

タイについては、現地の馬ファミリーとの合弁会社設立を最終目標に小池君らとスタートしたのだが、
当初は話し合いをしても全然かみ合わず進展のないまま時間が過ぎるばかりだった。

ベースにある永年のカワサキに対する不信感を払拭するまでに相当の時間を必要としたのである。
約1ヶ月の出張期間中、会社設立などの具体的な話はせずに、マーケッテングや会社経営の管理手法など基本的なことばかりを馬さんの長男のチャンチャイと話し合って過ごした。

日本へ帰国する直前に馬さんも出席したミーテングが行われた。
それまでは私はまだ英語がちゃんと喋れなかったので小池君がすべて通訳をしてくれていたのだが、このときは私が意見を述べた。
述べたといっても上手く喋れる訳はないので、下手な英語のほかに黒板に次の漢字を書いた。
 
 「正直、誠実、勤勉」 「信頼,互譲、協力」

これは川崎航空機の社是と執務態度である。
馬ファミリーの息子たちは理解できなかったと思うが、オーナーの馬さんと番頭さんのチャンさんは漢字が読めたしその意味も十分理解できた。

このミーーテングが一つの転機になりプロジェクトは、少しずつではあるが動きだすのである。

人の気持ちを動かすのに、多くの言葉は要らないとこのとき思った。声の響きなどで、気持ちは伝わるものである。
高橋さんがよく言われた、海軍の「on the same boat」も馬さんの息子たちにはよく伝わったと思う。


馬ファミリー100%出資の販社GKM,生産会社TKMの試行期間の合意ができたのはその2ヶ月後の1977年2月、正式にスタートしたのは5月だった。

この時から、小池君のほかに耕守君も加わり具体的な経営やCKDの生産も開始された。
そして、馬ファミリー、川崎重工、日商岩井の三社の合弁会社
 Glory Kawasaki Motors Co,Ltd が新たなスタートを切るのである。

市場開発プロジェクト室スタート後、丁度2年が経っていた。

小池君の言う「豪華川崎GTO青春物語」の幕開けであった。


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