雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

新しいこと

2007-11-16 04:59:19 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
昨日だったか、ぼんやりテレビを見ていると、
年をとっても確りと若々しく生きているという人の番付みたいなのをやっていた。

1番は、名前が出て来ないのだが、
芝居ででんぐり返りをやる、あの女優さんが断トツで

2番目には加山雄三が入っていた。
トップ10の中には吉永小百合もいた。所ジョージもいて、年寄りに入れるには可哀想だと言われていた。

歳をとると、何とか若々しくありたいと思うのは切実な思いである。
私なども、周囲の同年齢の友人たちも、みんな歳よりは若く元気に思えるのは、
野球をやっていたり、
二輪やジェットスキーといった若者と関係の深い分野で生きてきて、
知らず知らず気が若いからだと思う。



番組の中で3位に挙げられていたのは、
98歳のお医者さんで名前は当然の如く忘れてしまったが、
98歳にしてまだ今後の10年計画を持っているというから驚きである。

その人が、70年代、80年代、90年代それぞれにこんなことに留意して生きればと示唆してくれている。

70年代は、「新しいことを始めること、腹7分目」
80年代は、「歩くことーーー」であった。
自分の今の状況の70年代だけは確り覚えている。


「新しいことを始める」は出来ているが、「腹7分目」はダメである。

70歳になって新しく始めたことは、私の場合は意外に多い。

1.まず、パソコン。会社では一切触らず、見もしなかった。
2.バラの育成、栽培。これは1年を通してやることがある。
3.囲碁。これは50年ぶりの再開、それもパソコンで世界の人を相手に、年間1200局ぐらい。
4.ストレッチ。1日1時間。物心ついて以来、今一番身体は柔らかい。
5.ブログ、そして今、SNS
6.デジカメの写真

こうして並べてみると、結構いけている。
この中で、お奨めは「ストレッチ」である。会う人毎に奨めている。
姿勢がよくなるし、動きが軽くなる。歩き易くなるし、ゴルフも飛ぶようになる。

元気になったような気分になるのがいい。
10年前よりは、今のほうが体力もあると断言できる。

ストレッチの良さは、あんまり「しんどくない」「座っていても出来る」などである。
やろうと思えば誰にでも簡単である。ヨガが流行るのも解る気がする。
私のは、我流のストレッチ、ヨガの真似事である。


腹7分目が意外に難しそうである。戦後の食糧難の時代に育っているのが原因か。

80代は歩くことと言われている。
「ウオーキング」を始めてみるかと思ったりしている。

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56年ぶり人事不同意

2007-11-15 04:45:05 | 政治
56年ぶり人事不同意という記事が出ている。
何のことかと読んでみると、政府の同意人事案件の一部人事が参院の反対で通らなかったというのである。

その中味だが、官僚の天下りに関連しているのである。
民主党が反対した3人はいずれも官僚出身のようである。
「官僚出身だからおかしい、と言うのはおかしい」と官僚出身の町村官房長官が反論しているが、それもそうである。


反対された一人、長尾さんの経歴が出ている。
22歳東大卒運輸省、37歳課長、48歳官房審議官、50歳運輸省退職、その後幾つもの役職を歴任して今65歳である。

優秀なのだと思う。見識もあるのだろう。
官僚だから不適任もおかしいとは思うが、そもそも天下りの問題点は、
「50歳で運輸省退職」にあることは間違いない。

今時、50歳で勤めを放り出されたら、再就職するなと言うほうが無理である。
50歳定年制やこれに類する慣習を止めない限り、天下り問題の解決はないと思う。

優秀官僚を早く辞めさせて、
その受け皿に要らぬ組織をいっぱい作り、
している仕事の報酬とは思えないほどの高給を取り、
それを渡り歩いてその度に多額の退職金をせしめる仕組みは、
官僚が編み出したものである。

その殆どが税金で賄われている。
優秀な人材には、官庁でもっと長く働いて貰いたい。
そうすれば、若い若い、見た目には貫禄も何もない国税局長などが居なくなるのではないかと思う。


それでも、これは難しいと思う。
もう何年も掛かって出来上がったものだから、
仮に政権交代して、民主党になったとしても直ぐに出来るとは、とても思えない。然し、自民党では言うだけムダである。

やはり、政権交代は大連立よりは、国民の目線での政治に一歩近づくはずである。
大連立など、「政治のプロ」しか思いつかない理屈づけのような気がしてならない。

「政治のアマチュア」の一人の意見である。
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カワサキ単車の昔話-78

2007-11-14 04:51:01 | カワサキ単車の昔話
昔話をまた書きたくなるような会合があった。
昨日、マッハⅢの開発物語を三樹書房が書籍で来春発刊するその取材があったのである

その取材もさることながら、久しぶりに会社に行って、事務所で話をしたり会議室で会議をしたりいていると、ついつい昨日のことのようにいろいろと思い出すことが多いのである。

とりわけ、昨日の出席者には、昔のレース仲間もいたし、
その後、写真撮影で出かけた記念車の展示場では、想い出がいっぱい詰まったマシンの数々に再会した。
それを管理しているのが、今はOBの加藤君であったりして、またまた昔を思い出したりしてしまった。

つい先日、「昔話よりは今のほうが面白い」などと、威張って書いた直ぐその後ではあるが、
こんな懐かしいマシンやら人たちに会って、
写真も沢山撮ったりするとそのご紹介も兼ねて、幾つかの昔話をアップしようと思ってしまうのである。

とにかく、昨日はそんな「昔話をする正規の会議」であった。こんな経験ははじめてである。
開発物語なので技術畑の話が中心なのだが、私はこんな話をした。




当時のカワサキには、競合他社に勝てるものは何もなかった。

商品も台数も、何か一つでも勝てるものをとモトクロスレースに賭けていた。
そして、それは何とか達成も出来た。
一番であったかどうかは別にして、何度も現実に優勝したし、赤タンクのカワサキと一世を風靡したと雑誌などに書いて貰った。

そんなレースを直接担当していて、若かったこともあるが、鼻高々であった。
そんな時代であった。

その後、東北で「実用車のカワサキ」の営業の担当をしたのだが、営業の分野では威張れるものはまずなかった。ホンダ、スズキ、ヤマハのずっと後ろを走るカワサキだったのである。
そんな頃、250A1が出て少し威張れた、自慢も出来た。
実用車からスポーツ車へカワサキのイメージの転換が少しは出来かけた、そんな時マッハが発売されたのである。

これは強烈であった。
世界一早いと胸を張って言えたし、カワサキ自身が言わなくても周囲がどんどん言ってくれた。
営業の世界ではじめて「一番と言えた」そんな車であった。

まだ、日本では大型車の時代ではなく、ヨーロッパへの進出も過渡期で、販売はアメリカ市場だけが中心で台数的にはそんなに多くは売れなかったが、
「与えた印象は強烈極まりないものだった。」


もう一つ、デザインのことだが、
私が勝手に思っているのだが、カワサキはデザインでも時代の先端を走ったと思っている。

タンクは二輪車の顔である。
その昔二輪のタンクはメッキタンクであった。
それがメッキの側板になったりしたが、メッキタンクであったことに変わりはない。
メッキを止めて、
「色塗りの塗装にしたのは250A1がはじめての筈である」

A1までは、塗装にはなったが、タンクのニーグリップにはゴムの黒いラバーがついていた。当時のバイクには全てニーグリップは附いていて当然だったのである。

「全てタンクが塗装になったのは、このマッハが最初である」

ただ、初期のマッハにはニーグリップのところには申し訳程度のでっぱりがある。
これに機能性があるのか単なるデザインかは解らない。

さらに言えば、
「シートの後ろに弁当箱のようなのをくっつけたデザインにしたのもカワサキがはじめての筈である」

営業やでデザインには素人の私が「そのはずだ」と勝手に言っているので、確かかどうかは解らぬが、
私は、カワサキはバイクのスタイリングでも先頭を走ったと、そう思っているのである。

マッハⅢは、私にとってそんな思い出のあるバイクであった。

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市長のいない市

2007-11-13 05:06:14 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
「市長のいない市、議会のない町村だって選択肢」という「一国多制度で自治を競おう」という朝日の社説に共感した。

本当に、そのような発想でそのようにやればいいのにと思うが、とてもそのようなことに挑戦できそうな市町村は近隣に見つからない。

社説には、こんなことが書かれている。
「全国のほとんどの自治体議会で、八百長と学芸会をやっている」
片山前鳥取県知事の指摘だそうである。
議員と行政側が事前に質問と答弁をすり合わせておき、それを読み上げるだけ、そんな現状への皮肉だ。

三木市の議会を2度だけ見せて貰ったが、全くこの指摘の通りである。
「八百長と学芸会」とまでは、流石に言えなかったが、
「議会は神聖」と仰るので、「議会よりは儀会」だと感想を述べさせて頂いた。

これに反発した議会もあるそうなので、ちゃんとやっているところも中にはあるのだろうが,「うちは違う」と言い切れる議会は全国にどれだけあるのか、と社説は言っている。


この1年、市に関係する方たちとも面識が出来て、議会に出席される方々でこのブログをご覧になる方も居られると思うのだが、
このような議会になる責任は、市側に多くあるのだとは思うが、質問に立つ議員のほうも、どう見ても迫力に乏しいのである。

議会で発言される方が、市側も議員さんも、
自分の言葉で、自分の思うことを、自分の思うとおりに、率直に言っていないのである。
少なくとも、私にはそう感じられるし、間違いなくそうである。

議会で発言される方のうち、直接お話をしたこともあるので、その方たちがどんな方なのかはよく解っている。
「その方の良さ」が、議会では全然発揮されていないと思う。

だから、学芸会になってしまうのだと思う。

改革に目覚めた議員が増えてはいるが、議会への住民の視線はまだまだ冷たい。この現状を改めたい。と社説では言っている。



ここまでが、社説の導入部である。
そのあとに、改革の実践例や、自治を向上させる仕組みの問題などに続き、
冒頭の「市長のいない市、議会のない町村だって選択肢、サラリーマンや女性が参加しやすい議会に」という「一国多制度で自治を競おう」という本論に繋がっているのだが、

とても、とても「そんなことは夢のまた夢」の現状を悲しみたいと思う。



話は変わるが、関連はある。
昨日、私が招待をしていた「やまかず」君が「ひょこむ」に参加した。解る人は解る、28才面白い青年である。
僕は一生三木にいます。市会議員が予定です。国会議員にはなりません。
きっちりとした想いをもっている。期待できそうである。



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日曜日

2007-11-12 05:04:17 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
今日は、日曜日である。

本当に久しぶりに「今日は、日曜日だ」と思った。
午後から、少しほっとして、ずっと昔の日曜日のような感じになった。

先週に「よく働いた」のではないが「よく動いた」と言うべきか、
いろいろと忙しかったのである。
勝手に自分で忙しくしたこともあるのだが、
よく動くと逆に「少し休みたいという気持」になるのかも知れない。


先週は、本当に動いたと言えば、1日おきに2回ゴルフがあった。
それも、三木のシルバーゴルフのように本当にのんびりとしたものではなく、
一つはカワサキOBのZ1会の懐かしい連中とのゴルフであったり、
もう一つは、野球部OB会のゴルフだったから、
知らず知らずのうちに、気が張っていたのだと思う。

先週は、金物祭りとビーンズドームのオープンもあって、
さらに翌日は増田ふるさと公園で、三木自然愛好研究会の皆さんとも会ったし、
翌日は独りでまた教えてもらいに行ったりもした。

ひょこむ関連のコンセプトについて、
「さるとる」さんといろいろやり取りもしたし、この関係で外に出向いたりした。
お陰で大体構想は、自分でも確かなものになった。

そして、今朝それを纏めて、
久しぶりに市長メールも打ったし、ひょこむのトモダチ全員にも流したりした。
一仕事してほっとした感じである。

午後は、ホントにゆっくりとNHKの囲碁を見て、
その後、たかじんの「そこまで言って委員会」を見てのんびりしている。

夜は、アジアシリーズでも見るかと思って今これをアップしている。
明日朝6時ごろに、発信さえすればいいように段取りしているのである。

よく考えてみると、周囲の人はさも大変なように言ってくれるが、ブログをアップしている時間は遊んでいるみたいなものである。
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山本隆のブログとひょこむ

2007-11-11 05:04:41 | みっきぃふるさとふれあい公園
今朝、アクセス元URLのチェックをしていたら、ここから私のブログを訪ねた人が居た。

このページははじめてだけど、関西オトキチの高下さんのものである。
新しく作ったのだろう、私の紹介をコンバット時代からの監督とあるが監督はした事がない。
単にマネージをしていただけである。

60おじさんこと山本隆君(元全日本モトクロスチャンピオン)のブログと並べて雑感日記も紹介頂いている。

話は昨年の11月にさかのぼるが、
私の「カワサキのMXを確固たらしめたマシンと人」というブログに、
次のようなコメントがあったのが始まりなのである。



初めまして (オトキチ)

2006-11-07 00:55:03

今晩は。ダーヌポさん所から発見し拝読しました。
当時のカワサキのレース関係者の方なんですね。
凄い話ばかりで驚きの連続です。
それに、少し変な話なんですが運命的な事も。
11月5日にある方からF21Mを譲り受けました。
blogに書かれておられるF21Mです。(輸出仕様で緑タンクですが)
三木市に住んで居られるのですね?
アネックス三木パークを拠点にヴィンテージモトクロスレースの主催をしております。次回開催するときには是非にお越し下さい。
レストアしてF21M走らせてみます。(連れでJ1MやB8Mも居ますよ~なつかしんで貰えると思います。笑)


懐かしい話ばかりです! (山本 隆)

2006-11-22 20:43:59

アネックスでビンテージMXが開催されてる事知りませんでした、今後の予定等知らせて下さい。
懐かしいF21Mのサイレンサー無しの音聞いてみたいですね。今、私もBSAビクター441所有してますが整備中です。忙しくて自分のはなかなか手が回りません。あっそれからPC国内Bですから宜しく、これで良かったのかな?


こんなことがきっかけで、山本隆君と高下さんは繋がり、
今年の春、秋のヴィンテージMXに山本が出場することになったのである
疎遠になっていた山本君とも関係が復活して
kakogawalionyaさんともブログで繋がり、秋には直接お会いすることも出来た。


それだけではないのである。
今、私がはまっている「ひょこむ」の会員になり、
「みっきいふるさとふれあい公園」というコミユニテイにも参加してくれて、これから一緒に何かをやろうとしているのである。

1年経って、こんなことがあった。
あと1年経ったら、どんなことになっているだろうか。



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野球部OB会ゴルフコンぺ

2007-11-10 05:24:51 | スポーツ
今週は2度ゴルフに行った。珍しいことである。

最近、2,3年は真冬と真夏は止めて季節のいい時期だけそれもコンペ中心の親睦ゴルフである。
年間に15回から20回ぐらいかなと思う。
今日は、小野の播磨カントリーでの野球部OBの連中とのコンペであった。

昔はゴルフそのものに熱中して、独りで月例などに出かけてスコアやハンデイに凝った時期もあった。
その頃のホームコースが播磨であった。

日米対抗が幾度か行われたりして、その時の青木功のスコアがコースレコードになったりしている。
広いが、距離は長く戦略的なコースで私は気に入っているのだが。
最近は、親睦ゴルフであちこちのゴルフコースを渡り歩くので2年ほど前に会員権は手放した。そんなことで久しぶりの播磨でもあった。

今日のパートナーは2年先輩の方だったので、私も前から打たして頂いた。
ただ、熟知しているコースなのでいろんなことも解り、大満足であった。

まず、ドライバーの距離は昔と変わっていない。
ひょっとすると今のほうが飛んでいるかも解らない。
ショートホールなどのアイアンの距離では、昔と比べて2クラブ短くてOKである。
この二つは、道具やボールの進歩が素晴らしいということだろう。

ショットは、非常にいいのにスコアがもうひとつと言うのは、寄せとパットに真剣みが足りないということか。心構えがダメなのである。

午後、ビールを飲んで調子よくスタートしたのに2ホールでダブルスコアの16も叩いて、
「これはダメだ」と気を入れ直してやったら、残り7ホールを32で上がれたので、「やれば出来る」と思ったりしている。

結局、1打差で優勝を逃して3位、ニヤピンも二つ取れて、まずまずと思っている。


それにしても播磨のコースは手入れが行き届いてよくなった。
経営者が外資に変わって、そうとは聞いていたが,その通りであった。
従業員の態度も、よくなって気分のいいゴルフが出来た。

ベースは、気心の知れた野球部OBたちとの楽しいゴルフだからと思う。
次回は来年5月、また会いましょうということで別れた。
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カワサキ単車の昔話-77

2007-11-09 04:49:43 | M/Cレース
昨日、「カワサキ単車の昔話」はちょっとご無沙汰である。どうも書く気になれないのである、などと書いた。

それなのに、今77話を書こうとしている。懐かしい連中に会ったら、気が変わったのである。


Z1会の今年最後のゴルフがあった。
秋晴れの晴天に恵まれて、8組いつものように賑やかなゴルフだったが、今回は私が推薦した、歳森康師君も初参加であったし、同じパーテイには金谷秀夫君や大西、西海君といった創生期のカワサキのレースなどに関係した人たちがいて、昔話に華が咲いたのである。

歳森は天才肌のライダーだった。当時の山本隆、星野一義などとともにカワサキ赤タンク最盛期を支えたライダーである。
16歳で契約しモトクロスで山本とともに活躍していた。

カワサキが鈴鹿のロードレースに始めて正式にエントリーしたのはアマチュア6時間耐久なのだが、その時歳森がパートナーに選んだのが金谷だったのでである。
メンバーを決めるときに、歳森が私に「ロード、早いのが木の実にいるけど連れて来ていいですか?」と聞いてきたのである。
これが金谷の初レース、契約もないままのカワサキでのデビューであった。
金谷ははじめから、早かった。そしてその後正式に契約することになったのである。契約を担当していたのが私である。まあそんな仲である。


250A1の名神のテストで「ミッションが焼きついて」と言う有名な話がある、その焼きついた車に乗っていたのが金谷である。
「流石金谷だ。後輪ロックのまま転倒せずに」と言う話は何度か聞いていた。

その昔話が出た。そのテストに同行していたのが西海君で金谷の直ぐ後ろを走っていたと言うのである。これは、はじめて知った。
「120キロ位でロックして、右左に流れたが転倒せずに何とか止まった]という話も目の前で実際に見た人の話はまた格別である。当時を思い出した。


三木セブンのゴルフ場にロードレースをしていたと言う人がいて、
金谷秀夫と聞いて、神様に接するような態度であった。その道の人から見ればそうかも知れない。
Wikipediaで「金谷秀夫」を検索されたら、彼がどのくらいのライダーであったかがお解りになると思う。

私が金谷のことをブログで気安く書くものだから、
そのWikipediaの記事を書いた当のご本人から、丁寧なコメントを頂いたりもした。


歳森は金谷をカワサキに結んだ男である。
彼は人をいい方向に導く運みたいなものを持っているのかも知れない。
モトクロスもロードも器用にこなした彼は一足早く4輪の世界へ転向し日産と契約した。
そして、当時まだカワサキのモトクロスをやっていた星野一義を日産に引っ張ったのである。
日本一早い男といわれた星野を4輪の世界に導いたのは歳森だとも言える。
今、星野インパルの社長をしている金子豊君も当時はカワサキコンバットにいた仲間である。

こんな有名人たちを気安く呼び捨てにして書いているのも、昔のレース時代がそのまま繋がっているからである。


二輪やレースの世界では、結構有名な人たちが集まっている、Z1会はそんなメンバーの会である。
大げさに云えば、カワサキの歴史を造り育ててきた人たちの集まりであるといっていい。
楽しいZ1会のゴルフのそんな人たちの写真を撮ってきた。

このブログを昨日アップしたら、早速60おじさんという名前でブログを出している山本隆君が早速コメントをくれた。
山本、歳森、金谷、星野みんな神戸木の実のチームメートで山本が兄貴分だった。
彼は、ゴルフを残念ながらやらないのである。今からでもやってはどうかと勧めておいた。


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ひょこむのブログ

2007-11-08 05:03:41 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
このところずっと、「カワサキ単車の昔話」にご無沙汰である。
ネタ切れになっている訳ではないのだが、どうも書く気持になれないのである。

新しいことをはじめたからだと思う。
過去を振り返ることも意外に楽しいが、新しい未来に向かうのはそれ以上に楽しい。
それも、今まで経験したことのない未経験の分野で、直接には関係のない人たちを横に繋いで何かをやろうとすることに、わくわく感を抱いているのである。

私の性分でやりかけると、そこそこはまり込んでしまう。
周囲が見えていない訳ではないのだが、時間は自ずと決まっているので、どこかに集中した分、省略が出来るのは仕方がないと思っている。

ずっと、そんな生き方をしてきて、どうも治らない自分の性分だと思っている。



丁度、1ヶ月ほど前から「ひょこむ」に入り、
10月6日に「みっきいふるさとふれあい公園」というコミユニテイを立ち上げた。
これが結構面白そうなのである。

「ひょこむ」という新しいSNSの仕組みそのものが面白いし、
よく出来ていていろんな新しい利用の仕方があるように思うし、
何よりもいろんな人たちと自由に繋がる可能性があるのがいい。

いま、「みっきいず」はたった20人ほどだが、その構成メンバーは極めて多岐に亘っている。
その周辺にいる人たちは、何人いるのか解らない。
それくらい沢山いると思っている。
今、メンバー0001番からNOを振っている。夢見たいな話だが、9999人までの可能性がある。

そんな人たちも視野に入れての活動は、どんなものがあるのか?
想像しているだけで楽しい。

ひょこむにもブログがある。
簡単に書いているが、ここでは5つのブログや写真が大いに役に立っている。
外部ブログの設定をしたので、皆さんも覗けるはずである。
時間があったら、また、覗いて見て下さい。

ここは、三木を舞台に展開したいことばかりを集約しています。
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こんなところを歩きませんか-2

2007-11-07 05:21:56 | みっきぃふるさとふれあい公園
こんなところを歩きませんか。

こんなところで、楽しく歩いたり、ジョギングをしたりしてみませんか。

そんな呼びかけをしています。
11月24日土曜日9時頃からを予定しています。と昨日書きました。




少し経緯を追加します。

先月の6日に、
兵庫県を中心に地域振興を目的としたSNS「ひょこむ」に、
「みっきいふるさとふれあい公園」というコミユニテイを立ち上げました。


主旨に賛同していろんな方が参加してくれています。
どんな人?

まず、三木市役所の幾つかの部門の若く元気な人たち(私から見ると誰でも若く見えてしまいます)勿論、みっきいふるさとふれあい公園プロジェクトのメンバーも何人か。
市会議員の方も。
三木市民の方、当然です。
加古川から三木アネックスパークのON ANY SANDAに参加した元全日本モトクロスチャンピオン山本隆君とその仲間。
和歌山の500人の村、今年日経のMJ大賞を受けた北山村の企画担当「いけやん」さん。
「ひょこむ」の管理人、SNSの専門家、関学大講師など多数の肩書きの「こたつねこ」さん。
などと、まだ数は20人ほどですが、ユニークな仲間たちです。


三木という地域の中で繰り広げられる活動なら、
文化でも、スポーツでも、福祉健康でも何でもやろうとしています。

そんな中で、一番簡単な誰でも参加できる「ウオーキング」からはじめようという計画です。計画の中味がちゃんと決まっている訳ではありません。
まず、実行です。やっているうちに中味はいいものになっていくと思っています。

場所は、三木総合防災公園のスポーツ施設エリアの既に歩いたりジョギングしたりできる専用の道路を中心にやろうとしています。

ビーンズドームでも見て、ついでに歩くかでも結構です。
ビーンズドームの中に綺麗な軽食喫茶が出来ました。
ここの青年と話しましたが、爽やかです。私の出身地明石の人でいろんな話が出来ました。
いい休憩場所になると思います。


是非、ご参加下さい。
11月24日、土曜日9時からです。これがまず第1回です。
当日、ビーンズドーム、大きな催しがあるはずです。
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こんなところを歩きませんか

2007-11-06 06:34:07 | みっきぃふるさとふれあい公園
こんなところを歩きませんか。

こんなところで、楽しく歩いたり、ジョギングをしたりしてみませんか。

そんな呼びかけをしています。
11月24日土曜日9時頃からで、どうですか。

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政治の世界は解らない

2007-11-06 05:24:06 | 政治
昨日今日の政治の動きを見ていると、
われわれとは違う人種の世界の出来事のようである。

どちらがどう言い出したのかも解らぬし、
小沢さんの辞めるという理由も解らぬではないがと思ったりもしていたが、
いろんな解説や論評を聞いているうちによく解らなくなってしまった。

新聞の解説記事やテレビの評論家の意見など聞いていると、理解できるのではなくて、どんどん解らなくなってしまう。

新聞の社説も、大連立を推す読売の主張も読んでももう一つ解らない。
国語の難しい文章の読解力を試されているような気がする。

衆院と参院のねじれ現象はあってはならないことなのか。
仮に衆議院が解散総選挙があったとしても、自民党が勝てばやはり大連立しかないのか。

民主党はどうなるのだろう。

大連立は自民党は全員が賛成なのか、反対なのかよく解らないが、それを言った福田さんは安泰の様相である。
小沢さんは、本当に辞めねばならぬほどのダメージを受けたのか。

同じ一つの問題で、一方は安泰一方は大事件である。

この数日の政治の動きについて意見を、と求められたら、
「解りません」と言う以外答えようがないようになってしまった。

これを解ったように解説する評論家という人たちも大したものだと思っている。
「とにかくよく解らない」のである。

解散総選挙が一番すっきりすると思うのだが。
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増田ふるさと公園

2007-11-04 16:28:03 | みっきぃふるさとふれあい公園
三木の金物祭りと同時期の開催だったので、
てっきり「増田ふれあいまつり」だと思って出かけたのだが、「まつり」ではなくて、
「増田ふるさと公園」という公園内で行われた温か味、人間味あるれる催しであった。

久しぶりに、感動した。 そんな出会いもあった。
写真もたくさん撮ってきたので、このブログを是非ご覧下さい

イベントにもいろいろあるが、仲間意識の感じられる、そんな同志的な集いは一種独特の楽しいものである。
ジェットスキーのJJSBAのレースとか、KAZEのイベントに現役時代そんな感じを抱いたものである。

世の中には、いろんなイベントや催し物があるのだが、
そこに仲間意識が感じられるものは、意外に少ないのである。

そんな催し物に出会ったし、三木の人たちに、三木を愛する人たちに出会えたという感動がそこにあったのである。

私自身、三木市民の仲間に入れて頂いて「ほっとした」そんな感じを持てたし、
そんな人たちが、そこに居た。


三木自然愛好研究会の小倉会長さんや、ここに集われた皆さんのご努力に心から敬意を表したいし、少しでもお役に立てばと思っている。


「ひょこむ」の仲間のさるとる君とは昨日のビーンズドームに続いて一緒になった。
ジーン景虎さんとお会いできたのは本当によかった。さるとる君の同級生だとか。
三木でのブログの大先輩で「三木市」というカテゴリーだけでも、182本のブログをアップされている。
「ひょこむ」にお誘いをした。
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法律と常識

2007-11-04 05:42:28 | 発想$感想
どこの国もそうだが、法律でいろんなことは規制される。

法律で決められたことは守らなければならない。これは当然である。
ところが決められても守られないことも多い。

逆に、法律で決められていないことは,おかしなことでも罪にならないし罰せられなかったりする。


私自身のことで恐縮だが、
私は法律や規則や、細かいことは余り興味がない。
好きか嫌いかと言われると「嫌い」である。
六法全書など開いたこともないし、単位は取ったかも知れぬが勉強はしていない。

会社でも、一応人並みには仕事をこなしてきたが、その基盤となったのは、
規則やその業界のしきたりなどではなく、「全て常識」を基準にして物事を考えてきたと思う。

このほうが意外にスムースに行くのである。
法律ではないが、業界で決められたような基準や規則よりは、普通の常識で考えたほうがいい場合が多かった。

規則はある立場の人の、或いは業界のために作られたり決められたりしていて、
本当に末端の一般の立場と言うか常識で考えると、おかしなことも多いのである。



こんな、私が経験してきたようなちっぽけな話ではなしに、

最近、ニュースとして世の中を賑わしている年金問題などは、
「常識で考えると」無茶苦茶極まる話なのに、法的にはどうなっているのか、責任を取る人はいないような始末である。

無茶苦茶にした時代の人はお咎めもなく、なぜ舛添さんが給料の20%カットをしなければならぬのか?
北海道の豚肉や何かを誤魔化した社長は逮捕されたのに、年金ではこんな無茶をしても大丈夫なのである。

法律と常識のヒラキが大きすぎると思う。



食品業界のごまかし表示の問題も、急に法律に照らして処分し出したが、
こんなことはこの業界では常識であったのではなかったのか?

官僚の交際費の問題も、自治体などでの口利きも、どこかの会社のゴルフ賭博の問題も、その業界や世界では「当然の常識」であったのだと思う。

業界の常識は、世の中の普通の人が普通に考える「常識ののレベル」とは少し違っている。

「世の中一般に考える常識の基準」で、物事が考えられたり行われたりすることが望ましいと思う。
そんなレベルで法律が作られて、それを守るようにすればいいのに、
法律を作る時に誰かの都合のいいように、都合の悪いことは曲げられてしまっているのではなかろうか?


もともと日本は、「世界の常識」が通り難い、一種「独特の常識」をもつ国であるように思う。
それでも、決められたことは守らねばならぬ。それが法治国である。

法律を作る人の責任は重いのである。
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完全試合

2007-11-03 05:41:43 | スポーツ
昨日の中日ー日ハム戦、53年ぶりの中日の日本一で終ったが、
一番話題に上っているのは、9回の落合監督の采配である。みんなの注目が、9回の山井から岩瀬の交代に集まっている。


落合監督で検索をして、幾つもブログを読んでみた。
いろいろな意見はあるが、どちらかと言うと
「落合監督の決断を評価する」方向に変わってきているように思う。

このような話にどちらが正しいかという判定をすること自体が難しいのだと思う。



私自身の感想も、最初から決まっていたわけではない。時間とともに変わって行ったような気がする。
若し仮に、私自身が若し解説者や評論家の立場で聞かれていたら、

例えば、試合の解説をしていたら、あの代えるといったあの時点では多分「山井続投で行くべし」と言ったに違いない。岩瀬と告げられたとき、まさか?と思った。

岩瀬が投げているときは、評論家の立場から応援者の立場で、モノを言ったと思う。どうしても3人で抑えて欲しかった。山井のためにも、岩瀬にも。

そして、試合が終って中日の勝利が決まり、落合監督や中村選手たちのコメントを聞いてからは、落合監督の素晴らしい決断だったと思うように変わった。

一夜明けて、今朝辺りから野村監督や矢沢さんなどの反対意見を聞くと、余計に落合監督の決断を支持する方向に固まってきた。



考えてみると、野球はチームで闘うスポーツである。
第一に考えるべきは、チームの勝利である。
完全試合は一人のピッチャーの勲章なのだろうか?仮にエラーがあったら、成立しないのである。
完全試合はピッチャーに与えられてはいるが、本来チームにも与えられるべきである。
ならば、ピッチャーが二人であろうが、チ-ムとしては完全試合である。
今までに、そんな例がないから、そう考えないのだろう。

などと、理屈を並べてみたりするが、本当はそんなことはどうでもいいのかも知れない。



中日の選手や、ファンの素直な喜び方を見ると、
リーグ戦でのチームの闘い方通りに事を運んだ落合監督の采配はそれでよかったのではないかと思う。

采配云々よりは、チームの53年ぶりの日本一を、チームの完全試合で掴んだ中日におめでとうと言うべきなのだろう。

日本のプロ野球に注目、関心が集まった事は、大きいと思う。
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