昔話をまた書きたくなるような会合があった。
昨日、マッハⅢの開発物語を三樹書房が書籍で来春発刊するその取材があったのである。
その取材もさることながら、久しぶりに会社に行って、事務所で話をしたり会議室で会議をしたりいていると、ついつい昨日のことのようにいろいろと思い出すことが多いのである。
とりわけ、昨日の出席者には、昔のレース仲間もいたし、
その後、写真撮影で出かけた記念車の展示場では、想い出がいっぱい詰まったマシンの数々に再会した。
それを管理しているのが、今はOBの加藤君であったりして、またまた昔を思い出したりしてしまった。
つい先日、「昔話よりは今のほうが面白い」などと、威張って書いた直ぐその後ではあるが、
こんな懐かしいマシンやら人たちに会って、
写真も沢山撮ったりするとそのご紹介も兼ねて、幾つかの昔話をアップしようと思ってしまうのである。
とにかく、昨日はそんな「昔話をする正規の会議」であった。こんな経験ははじめてである。
開発物語なので技術畑の話が中心なのだが、私はこんな話をした。
当時のカワサキには、競合他社に勝てるものは何もなかった。
商品も台数も、何か一つでも勝てるものをとモトクロスレースに賭けていた。
そして、それは何とか達成も出来た。
一番であったかどうかは別にして、何度も現実に優勝したし、赤タンクのカワサキと一世を風靡したと雑誌などに書いて貰った。
そんなレースを直接担当していて、若かったこともあるが、鼻高々であった。
そんな時代であった。
その後、東北で「実用車のカワサキ」の営業の担当をしたのだが、営業の分野では威張れるものはまずなかった。ホンダ、スズキ、ヤマハのずっと後ろを走るカワサキだったのである。
そんな頃、250A1が出て少し威張れた、自慢も出来た。
実用車からスポーツ車へカワサキのイメージの転換が少しは出来かけた、そんな時マッハが発売されたのである。
これは強烈であった。
世界一早いと胸を張って言えたし、カワサキ自身が言わなくても周囲がどんどん言ってくれた。
営業の世界ではじめて「一番と言えた」そんな車であった。
まだ、日本では大型車の時代ではなく、ヨーロッパへの進出も過渡期で、販売はアメリカ市場だけが中心で台数的にはそんなに多くは売れなかったが、
「与えた印象は強烈極まりないものだった。」
もう一つ、デザインのことだが、
私が勝手に思っているのだが、カワサキはデザインでも時代の先端を走ったと思っている。
タンクは二輪車の顔である。
その昔二輪のタンクはメッキタンクであった。
それがメッキの側板になったりしたが、メッキタンクであったことに変わりはない。
メッキを止めて、
「色塗りの塗装にしたのは250A1がはじめての筈である」
A1までは、塗装にはなったが、タンクのニーグリップにはゴムの黒いラバーがついていた。当時のバイクには全てニーグリップは附いていて当然だったのである。
「全てタンクが塗装になったのは、このマッハが最初である」
ただ、初期のマッハにはニーグリップのところには申し訳程度のでっぱりがある。
これに機能性があるのか単なるデザインかは解らない。
さらに言えば、
「シートの後ろに弁当箱のようなのをくっつけたデザインにしたのもカワサキがはじめての筈である」
営業やでデザインには素人の私が「そのはずだ」と勝手に言っているので、確かかどうかは解らぬが、
私は、カワサキはバイクのスタイリングでも先頭を走ったと、そう思っているのである。
マッハⅢは、私にとってそんな思い出のあるバイクであった。
昨日、マッハⅢの開発物語を三樹書房が書籍で来春発刊するその取材があったのである。
その取材もさることながら、久しぶりに会社に行って、事務所で話をしたり会議室で会議をしたりいていると、ついつい昨日のことのようにいろいろと思い出すことが多いのである。
とりわけ、昨日の出席者には、昔のレース仲間もいたし、
その後、写真撮影で出かけた記念車の展示場では、想い出がいっぱい詰まったマシンの数々に再会した。
それを管理しているのが、今はOBの加藤君であったりして、またまた昔を思い出したりしてしまった。
つい先日、「昔話よりは今のほうが面白い」などと、威張って書いた直ぐその後ではあるが、
こんな懐かしいマシンやら人たちに会って、
写真も沢山撮ったりするとそのご紹介も兼ねて、幾つかの昔話をアップしようと思ってしまうのである。
とにかく、昨日はそんな「昔話をする正規の会議」であった。こんな経験ははじめてである。
開発物語なので技術畑の話が中心なのだが、私はこんな話をした。
当時のカワサキには、競合他社に勝てるものは何もなかった。
商品も台数も、何か一つでも勝てるものをとモトクロスレースに賭けていた。
そして、それは何とか達成も出来た。
一番であったかどうかは別にして、何度も現実に優勝したし、赤タンクのカワサキと一世を風靡したと雑誌などに書いて貰った。
そんなレースを直接担当していて、若かったこともあるが、鼻高々であった。
そんな時代であった。
その後、東北で「実用車のカワサキ」の営業の担当をしたのだが、営業の分野では威張れるものはまずなかった。ホンダ、スズキ、ヤマハのずっと後ろを走るカワサキだったのである。
そんな頃、250A1が出て少し威張れた、自慢も出来た。
実用車からスポーツ車へカワサキのイメージの転換が少しは出来かけた、そんな時マッハが発売されたのである。
これは強烈であった。
世界一早いと胸を張って言えたし、カワサキ自身が言わなくても周囲がどんどん言ってくれた。
営業の世界ではじめて「一番と言えた」そんな車であった。
まだ、日本では大型車の時代ではなく、ヨーロッパへの進出も過渡期で、販売はアメリカ市場だけが中心で台数的にはそんなに多くは売れなかったが、
「与えた印象は強烈極まりないものだった。」
もう一つ、デザインのことだが、
私が勝手に思っているのだが、カワサキはデザインでも時代の先端を走ったと思っている。
タンクは二輪車の顔である。
その昔二輪のタンクはメッキタンクであった。
それがメッキの側板になったりしたが、メッキタンクであったことに変わりはない。
メッキを止めて、
「色塗りの塗装にしたのは250A1がはじめての筈である」
A1までは、塗装にはなったが、タンクのニーグリップにはゴムの黒いラバーがついていた。当時のバイクには全てニーグリップは附いていて当然だったのである。
「全てタンクが塗装になったのは、このマッハが最初である」
ただ、初期のマッハにはニーグリップのところには申し訳程度のでっぱりがある。
これに機能性があるのか単なるデザインかは解らない。
さらに言えば、
「シートの後ろに弁当箱のようなのをくっつけたデザインにしたのもカワサキがはじめての筈である」
営業やでデザインには素人の私が「そのはずだ」と勝手に言っているので、確かかどうかは解らぬが、
私は、カワサキはバイクのスタイリングでも先頭を走ったと、そう思っているのである。
マッハⅢは、私にとってそんな思い出のあるバイクであった。