雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

道路特定財源の一般財源化

2008-03-18 04:06:22 | 政治
道路特定財源の一般財源化は今一番の政治課題である。
オンブズマン三木さんがブログでアップされている。

一般の世論の大勢は『一般財源化に賛成である』
私もそう思う。そのほうが自然である。
何十年前の日本ならそれは理解できるのだが、これだけ道路も整備されてきた現在、なお10年も必要と言うのは、解り難いのである。

一番解らないのは、世論が賛成する『一般財源化』に地方の『首長の殆どが反対』することである。
90数%の反対と聞いていたが、仙台、国立、狛江、綾部、尼崎、広島の6つの市だけが賛成なのだという。
この比率は不思議としか思えない。もう少し賛成するところがあってもいいと思うのだが。

何か賛成するとほかのことも含めての影響でもあるのだろうか?
賛成をしている6つの市長さんに、こんな質問をぶつけてみた。



道路特定財源の一般財源化の問題については、
世論の大勢は『一般財源化に賛成』です。
然るに地方の首長さんの殆どが一般財源化に反対です。
そんな中で『広島、仙台、尼崎、綾部、国立、狛江』の市長さんが賛成と聞いております。

是非、以下の質問にお答え頂きたいと思います。

1.賛成の理由は何ですか

2.反対が圧倒的ですが、反対の理由は何だと思われますか。

3.賛成すると何か、後で影響があるのでしょうか

4.その他、ご意見があれば教えて下さい。

賛成が6市はどう考えても少な過ぎます。何故、みんな反対されるのでしょうか。
お忙しいところ恐縮ですが、よろしく御願い致します。




三木の藪本さんも、武雄の樋渡さんも『一般財源化には反対』の立場である。

東国原さんの理由は、何度も聞いて解っている。
あの場合は宮崎県という特別に道路整備の遅れている地域の事情からの理由で、
一般財源化するなら遅れている分余計にくれますかと、確かそんな理屈であった。


何の関係もない三木の一市民の質問に答えてくれる行政があるだろうか?

どなたでもいいのだが、何故そうなのかと言うことを解り易く教えて欲しいのである。
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何故開幕日が違うのか?

2008-03-17 17:06:22 | スポーツ
もう直ぐプロ野球の開幕である。

野球シーズンが始まりそれ自体は待ち遠しいのだが、
どうも解らないのはセントラルとパシフィックで、何故開幕日が異なるのだろうか?

パが一足早く3月20日、セは3月28日である。
試合数は144試合と同数であるはずだ。

交流試合も、最後の日本シリーズも同じなのに何故開幕だけが違うのだろうか。
開幕日は違うのに、キャンプインは同じ2月1日である。
昨年もそうだったが、優勝が決まってから日本シリーズまでが間延びした。

大リーグのようにあまり休みを取らずにどんどんやるべきだと思う。
そんなに大きな国ではないし、昔と違って移動も簡単、ドーム球場で環境もいい。

一度基本的に考えたらと思う。
どうも日本のプロ野球は、
時代や環境が変わっているのに、やっていることは昔のままである。


サッカーのほうがずっとすっきりしている。
いっそのこと1リーグにして、球団数は減らさずに少し増やして、外人枠なども増やしたらどうか?
球団数を増やしても実力は低下しないと思う。裾野は広がっている。
新しいスターもそのほうが出やすいのではないか?
テレビの放映料等も全球団で分配する方式のほうがいい。
現状では特定球団の選手しか顔と名前を覚えて貰えない。


とにかく、マンネリから脱皮すべきである。
2軍だけでなく、最近増えている地方リーグなども視野に入れて、野球界としての対策をすべきである。

コミッショナーというのも、どんな機能を持っているのかよく解らぬ。
このままだと、大リーグの2軍化してしまうのではないかと思ってしまう。



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久しぶりのドライブ

2008-03-16 17:54:37 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
ちょっと書くのは気恥ずかしいのだが、『昨日は久しぶりに260キロのドライブを楽しんだ』
それ自体はそうなんだが、なぜそうなったのかは私の思い込みからそんなことになったのである。

2月の何時頃だったか、大阪の古川君がMFJの全日本モトクロス選手権第1戦、名阪での招待券を送ってくれた。
昨年も頂いたのだが、行けなかったので今年は是非行こうと思っていた。

月の真ん中ぐらいの日曜日というのがアタマにあって、てっきり3月だと信じ込んでいた。ご丁寧にカレンダーの予定に名阪と書き込んでいる。

名阪スポーツランドは、初めてで道やキロ数や当日のスケジュールは確り確かめたのに、肝心の日にちはすっかり忘れていた。

11時15分のレースにあわせて、片道130キロ、1時間半の行程とふんで9時10分に家をスタートした。
130キロと言っても数キロを除いて高速だから1時間半で大丈夫だと計算した。

大阪の名阪入り口まで、丁度1時間、小倉で降りて名阪スポーツランドの入り口で音が違うなと思ったが切符を見せて『今日はモトクロスではないですよ』と言われるまで気がつかなかった。

何事も大雑把で思い込みの激しいのは、よく指摘される私の性格ではある。
切符が送られてきたら、翌月開催だと勝手に思い込んでしまった。
切符をもう一度見たら4月13日である。これを月半ばの日曜日と思い込んだのである。


仕方がないから、今日はドライブと決め込んだ。
丁度1時間半、思った通りの時間でこれは大満足であった。

帰りは、同じ道を帰ってもと大阪市内を抜けて、阪神高速を須磨まで京阪神で最も早くできた高速道路である。
名神高速と繋ぐために当初は神戸ー西宮までだった。
いずれにしても1960年代には出来ていた旧い高速である。いろいろ手が加えられて今はその面影はない。
最近は湾岸線を走ることが多いので久しぶりの走行である。
そんなことを思い出しながら、走っていた。

日曜日で空いていた。天気は良いし申し分のないドライブではあった。
こちらの道もちょうど130キロ高速が須磨までの分、高速代は若干安いことも解った。

昔は100キロ以上のドライブはざらだったが、最近は久しぶりである。
運転は嫌いではないので、モトクロスは見れなかったが、好天のドライブを楽しんで昼ちょっと過ぎに家に着いた。

『たかじんのそこまで言って委員会』も見れたし、まあいいとしておこう。
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中田と佐藤

2008-03-16 15:29:53 | スポーツ
中田翔と佐藤由規。

ともに今年プロに入った高校球児、
ホームランの期待される中田、150キロを投げる佐藤。
その名前の字を見ても今の若い子だ言うのが解る。昔にはなかった名前である。

ともに2軍スタートとなったが、必ず出てきて欲しいし出てくるであろう。
そのスケールはともに並外れである。
今年の後半戦が楽しみである。


よく昔の選手と比較される。高校卒でプロに入った昔の選手たち。

王、清原、松井と中田。
ホームランのキレの良さは圧倒的に中田である。
昔の選手はみんな1軍スタートであった。然しその頃のプロ野球のレベルと層の厚さが全然違う。どちらがどうと比較するのもファンの楽しみの一つであろう。

金田、尾崎、堀内、江夏、稲尾、などなど。
ピッチャーは凄いのがいっぱいである。どちらかと言うと先輩たちが凄いと思うのは、その記録が凄すぎるからである。
スピードガンがなかったので、『どちらが速いか』はよく解らないが、先輩たちの『記録は抜けない』ことだけは確かである。

そういう意味では野球が変わってしまっている。

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旧い日記から、小山修身君

2008-03-16 04:55:48 | スポーツ
旧い日記をめくっていた。昭和31年、1956年のこと。

大学の5回生の頃である。5年大学に通った。卒業できなかったわけではない。
卒業を1年延ばしたのである。
このジャッジで私の人生は変わったと思う。もしこの判断をせずにそのまま卒業していれば全く違った人生を歩んだと思う。
良かったか悪かったか?  良かったと思っている。

なぜ、卒業を延ばしたのか。理由は幾つもあるのだが。
昭和31年は景気が悪くて、就職難であった。卒業してもいいところ?に行ける確率は少なかった。

野球部のキャプテンをやっていたが、満足できていなかった。
もう1年延ばして監督をと野球部長に奨められたりした。ちょっと身体を壊したりしていて、それも理由の一つであった。
結局、野球部長のゼミだけ残して、卒論を書かずに残留して野球部の監督をしたのである。

ちなみに、1年経って一転、昭和32年は『神武景気』と言われた。
川崎航空機にコネで入社した。大勢入社した同期の会の名前は『神武会』である。




野球はバカみたいに一生懸命練習した。
メンバーもそこそこで、強いとは言えぬがそこそこの野球は出来た。

秋のリーグ戦のことである。
1回生の投手小山修身君が凄い記録を作っている。

これは、意識的に『造った記録』である。

11月2日市大戦。7-1で勝つ、小山完投、ここからスタートしている。

1週間空いて後半戦
11月7日市大戦。2-0と快勝した。
11月8日工大戦。1-0で勝利、小山の連投で順調にリーグ戦を立ち上がった。
11月9日工大戦。0-09回引き分け、3連投である。

ここまでは、惰性できた。3連投も凄いし無失点も凄い。前週の市大戦からだと29イニング連続無失点である。
7-1と1点を取られた1点もエラーからだから、36イニング連続無自責点である。ひょっとしたら『新記録ではないか』と思った。

ここからは正直記録を意識した。本人もひょっとしてチームメイトも記録については知らなかったと思う。
翌日の経大戦は『行けるところまで』と記録を意識して小山でスタートした。

11月10日経大戦。4-0 9回2,3塁の危機を見逃しの三振で完投完封。


そして翌週、ここまできたら小山しかない。
11月14日経大戦。4-0とまたも完封勝利。5試合無失点である。
11月15日薬大戦。13-3ここで記録は途切れた。

小山修身君の記録は53イニングス連続無失点64イニング連続無自責点である。
薬大戦の1点目も野手の悪投によるもので自責点記録は更に2イニング伸びて64イニングだったと思う。

これは、間違いなく学生野球の記録で、たぶん今も残っているのではないだろうか。
少々、無茶苦茶だが連日連投、記録の間一切他のピッチャーは投げていない。



小山君とは今でも家も直ぐ隣町で、年に何回かゴルフもするし野球部のOB戦でもお会いする。
この話も昨年出た。彼は記録のことは途切れるまで知らなかったと言う。

昔はホントに記録など眼中になかったのである。
高校の頃、チームが夏の予選で灘校相手にパーフェクトゲームをやったが、試合終了後球場の『この試合は完全試合でした』というアナウンスで初めて知った。
同期の溝畑投手である。


そんな時代だった、当時は新聞などでも取り上げられなかったと思う。
もう50年以上も前である。小山君の名誉のためにこのブログを贈りたい。

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さよなら銀河

2008-03-15 16:36:48 | 発想$感想
昨日の最終列車で、寝台急行『銀河』は59年の歴史の幕を閉じた。

昭和24年、1949年のスタートである。
最初は1,2等寝台と言う高級列車だったが人気がなく、翌年3等車も連結されるようになったらしい。

1等、2等、3等車と言う呼び名も懐かしい。
戦前の1等車は個室で最後尾か展望車がついていて1等乗客だけが利用できた。


『銀河』は最初、神戸始発、東京行きであった。
私が入社した昭和32年以降も神戸駅をを8時ごろの出発であった。
神戸駅の一番山側の普通は使われないプラットフォームに止まっていた。

3段ベッドで狭かった。
東京には朝早く着きすぎて、東京駅で朝風呂に入りその後出社して丁度いい時間であったように思う。


当時は、飛行機は飛んではいたが多分高くて、とても普通の人が利用するものではなかったのである。
昼の特急列車などもあったが、昼間に何時間もかかっての移動は許されず東京出張はいつも『銀河』であった。

どこの会社もそうだったようで、銀河に乗ると学友たちによく会えたりした。


そんな思い出のある『銀河』だが、昨日が最後である。
最後になると大人気である。名残を惜しむ人たちでプラットフォームは溢れ、最後の列車も切符は当然のように売切れである。

『銀河』だけでなく幾つもの列車が『サヨナラ』した。
時代の流れである。


『新幹線より3000円も安い航空券が売り出される』 と今朝のニュースは伝えている。
列車より飛行機のほうが安いのである。確かに時代は変わった。
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量産事業について思うこと

2008-03-15 04:34:39 | カワサキ単車の昔話
大量に生産する工場システムに、広く使われている『ジャストインタイム方式』を、
請負会社が派遣する派遣従業員に適用するのは『違法』という面白いニュースを報じている。

このような方式は製造ラインでの部品を在庫最小限に減らす仕組みである。
生産方式として一般に定着して30年も経つのだが、突然の指導に『メーカー困惑』とある。

ラインの流れの早さなども、出来る限り最善になるようコントロールされている。
そんなコントロールを、派遣された『派遣従業員にも適用するのは違法』というのが労働局の見解であるようだ。


カワサキの二輪車などは世の中のレベルに比べたら、量産と言えるかどうか位の数量ではあるが、形態は一応量産事業である。

早くから、トヨタかんばん方式の導入に踏み切ったが、
トヨタなどとはその量の規模が全然違うので、トヨタかんばん方式をベースに多機種少量生産に見合ったカワサキ独特の生産方式を造り上げている。

自動車業界では、請負労働者に頼らずメーカー側が指揮命令できる派遣労働者や期間従業員で対応している例が多いと記事にあった。



それは兎も角として、
各企業がなぜここまで生産などの効率化を徹底するのか。
これは量産の量の威力である。

量産とは文字通り量を追求する。幾つぐらいから量産と言うのか解らぬが、万単位以上であろう。

1万個、10万個、100万個、1000万個。
1円違っても
1万円、10万円、100万円、1000万円である。

これが売上高や総利益などの段階になると、知らず知らずのうちに大きくなってしまうのである。
川崎重工業は航空機や新幹線や船など1台あたりの単価は、べらぼうに大きいモノが多いのだが、いつの間にか二輪車などの売上高がトップになってしまった。

利益額でも1台が10万単位になるので、1000台で1億円、1万台で10億円になるのである。
これがプラスにもマイナスにも大きく響くのである。

受注生産とは基本的に異なる見込み生産であるから、一端過剰在庫を作ってしまうとそのマイナス面も大きいのである。
10万単位の値引きはザラだし、在庫の金利負担もバカにならないのである。
量の問題が逆に利益以上の額になって跳ね返るのである。


見込み生産、見込み販売であり、かつ競合メーカーとの競争に晒されていて、常に過剰在庫の危険はある。
販売計画とかっこよく言っているが、ホントに売れるかどうかは誰も解っていないのである。

考えて見ると、永年よく厚かましくやってきたなと思う。
カンが頼りだが、永年のカンやマーケッテングや販売網の力などで、意外にちゃんとしたカンなのである。


昨今は、どこもコンピューターの管理が徹底して、末端の状況を見ながらの自動発注などをやっているコンビニなどのシステムなどもある。
幾らかマシになっているのであろうが、それでも在庫は出る。

それをごまかしたりしているのが昨今の食品問題などで、結局は見込み違いの過剰在庫問題なのである。







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高価なものは旨いか?

2008-03-14 12:07:23 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
何でも値段と言うものがある。
当然、安いものもあれば高いものもある。

食材や料理にについても同じである。
何百円の弁当も何万円もの高級料理までいろいろだが、高いものが旨いとは限らない。安くても旨いものはある。

同時に、同じものなのに無茶苦茶安かったのに、今高級品となってしまっているものもある。

少なくなると高くなる。
私の経験でで言えば、『鯨』と『ハタハタ』である。
鯨は終戦後よく食った。肉と言えば鯨ばかりといった印象も持っている。
あんな大きなのをいっぱい獲っていたからだろう。

昭和45年、1970年仙台にいたが『鯨』がまだ安かった。「おのみ」という今最高級のものが普通に食えた。

その頃、もっともっと安かったものがある。『ハタハタ』である。
魚偏に神と書くと天声人語にある。魚偏に雷と書いてもハタハタと読む。
その卵を『ブリッコ』と言う。

生活の中にあったものはよく覚えているし、身についた知識になるものである。
今高級魚でどの位の値段なのか知らないが、当時の値段は最も安いものの筆頭であったと思う。

魚を入れる『トロ箱』というのが今でもある。魚屋の店頭などで見かけるものである。
はたはたは、トロ箱単位で売られていた。1匹の値段など付けられなかったのだろう。秋田ではトロ箱1杯で50円か100円であった。

冬11月頃から獲れるのだが、見たことは無いが海岸がはたはたで埋まるとも言われていた。
男鹿半島からの道はこの頃、秋田へ上る片道だけが常に黒く光っていた。ひっきりなしに通るハタハタをつんだトラックから落ちる雫のためである。
これは目で見て確かめた結果である。

こんなに獲れていたハタハタも乱獲がたたってハタと獲れなくなって一時漁を禁じたこともある。
いまは少し回復したとか。それでも高級魚である。
高いか安いかは、『旨いか、不味いか』ではないことは確かだ。

秋田の県魚ハタハタで造る『しょっつる鍋』の味は今も昔も同じだろう。

世の価格は、その供給量で決まる。
今安く昔高かったモノ、私の経験では『米』が一番である。



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解り難いことばかりです

2008-03-14 04:26:20 | 発想$感想
最近の出来事はどうも解り難い。
それぞれ理屈もあるのだろうが、聞いてもよく解らない。

私だけが解らないのかと思ってしまう。
今朝の新聞に並んでいる記事軒並みよく解らない。


まず道路特定財源。
『来週にも修正案、暫定税率10年延長を短縮』とある。
解り易いのは、
民主党の1.全て一般財源化する 2.ガソリン税の暫定税率は廃止する 3.道路を造る権限を地方自治体に委ねる という主張のほうが解り易い。
だから国民の半数以上が支持するのだと思うが、
肝心の地方自治体の首長さんたちが100%に近い反対なのがよく解らない。何かいいところがあるのだろうか。


日銀総裁問題。
民主党が反対する理由だけは解っているが、財務省出身がそんなに問題なのか。
こんなことをしていたらどんな結論になるのか。
副総裁はOKと言っている。
総裁が空白になると大変だと言うが、ホントにそうか?
首相が突然止めて空白になったこともつい最近あったばかりだが、どんな大変なことになったのか。
この件が国会運営に絡んで、ガソリン税が短期間?安くなると言うがこれも難しい。


春の賃上げ。
空前の好決算と言われる企業、なのに今年の春闘は横並び1000円の賃上げである。
トヨタも1000円。なぜこんなに横並びなのか?
長くサラリーマンをやってきたが、当時の賃上げ額は1000円と言う単位ではなかったように思う。
1000円の賃上げとは実際どれ位1ヶ月の給料が上がるのだろう?


石破さんの防衛省の改革案。
これ自体が難しくて、いいのか悪いのかよく理解できないのだが、
内容の論議もさることながら、各部門や内閣官房の思惑などもあって余計にややこしくしているようである。
なんでもまず組織の性にするが、イージス艦の衝突とどんな関係があるのか、絡めて論じられるのも甚だ解り難い。


どれもこれもすっきりしない。


大阪の橋下知事。
言い過ぎて、取り消し。
間違ってアタマをさげる。
ちょっと修正すると、ここぞとばかりマスコミは突っ込む。

然し、解り難いことはない。
議会や政治の常識かも知れぬが、世間一般普通のことである。

東国原さんもそうだが、解り易いほうがいいような気もする。
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人との出会いとSNS

2008-03-13 17:29:15 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
4月6日、三木山森林公園で『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』というどこ竹のリーダー講習会を開催することで進めている。

ここにご紹介するブログは一昨年の9月にアップしたものである。
堀池さんのブログに肥後の守のことが書かれて、『私も書きました』と言うコメントで堀池さんと繋がったのである。


『肥後の守といっても、なかなか通じにくい世の中になりつつある。
商標登録された、この肥後の守は、今ではただ一軒、三木の永尾製作所で造られている。

その製法は、鍛造された素材を槌でたたく、所謂、昔から伝わる鍛冶屋の製法で一本一本手で丹念に作られている。
鍛冶屋が無くなってしまったように、ナイフで鉛筆を削れる子供たちも、居なくなってしまったと、思っていたら、そうではないのである。

長野県のある小学校の子供たちが、肥後の守を使って、鉛筆削りは勿論、ナイフを使っての工作などの勉強をしているようである。
世のお母さん方も、ナイフは危ないなどと言わずに、このような活動を広める方向へ努力して欲しい。

永尾製作所には、そんな子供たちから、手書きの感謝状が、何枚も贈られている。
伝承技術を受け継いで育てている、永尾製作所を応援したいし、ナイフで、鉛筆を削る子供たちにも、拍手を送りたい。
ナイフはもともと、人を傷つけたりするものではないのである。』


当日は、この会場に肥後の守の永尾元佑さんも来て頂けることにになっている。
若し、このイベントがなかったら、長尾さんとお会いすることもお話する機会もなかったであろう。


この『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』を主催するのは『SNSひょこむ』の中に立ち上げたネット上のコミユニテイである。
特に従来型のタテ型組織もないし、グループの長もいないのである。
インターネットの特徴のヨコイッセンで繋がっている。

メンバーは、堀池さんたち東京の『どこ竹』の人たちも、三木の市民も職員も市会議員もいるし、ひょこむの管理者、こたつねこさんもいるのである。
このきっかけになったのは、私の昔のカワサキでのレース仲間元モトクロス全日本チャンピオン山本隆君〈60おじさん)である。

こんな多彩なメンバーが繋がって一緒に行動できるのはSNSのよさである。
そんなSNSについて、堀池さんが書いておられるのでご紹介します。

600キロ離れた距離など微塵も感じず、計画を進めていける楽しさは、ネット社会の産物だと思っている。






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天声人語

2008-03-13 04:34:04 | 発想$感想
大学の試験問題に一番沢山出題されると言う。本になったりもしている。

朝日の中でも、一流中の一流が担当しているのであろうが、『天声人語』をはじめ短いコラムの文章はプロとはいえ流石である。

ブログを書き出してから特に文章を気をつけて読むようになったが、天声人語のような文章は逆立ちしても真似できない。
文章もさることながら、蓄えられた知識、教養に圧倒的な差を感じる。



今朝の天声人語
『スポーツと観衆について、一つの「法則」があるそうだ。勝者が得るものと敗者の失うものとの差が大きいほど興奮は増す、のだという。人気チームの戦いも、親善試合では盛り上がらない。』で始まっている。

スポーツの話かと思ったら、アメリカの民主党の大統領候補者選びの話なのである。

『勝ちと負けの落差は「雲と泥」である。』
だから盛り上がるのだと続いて、もう少しこの興奮を楽しみたいのも分析した理由の一つであると指摘している。

そしてヒラリーの泣きどころは、「ヒラリー嫌い」の多さだと言う。
大統領の品定めが好きなアメリカ人が最高と評価するリンカーンの「一つのアメリカと」と言う言葉は多民族の国ゆえに日本人の想像を超えて重い。

そして『勝負の分かれ目は「心の準備」だとも言われる。女性と黒人。どちらを大統領に迎える心の準備が米社会に早く整うか。民主主義の守護者を自認する国での、思えば歴史的な戦いである。』と結ばれている。



文章も流石だが、この短い文章の中に盛られている幾つもの事柄、知識が素晴らしいと思う。
新聞社で文章を書いたり、社会の出来事を専門的に見つめていれば自然に溜まる教養なのか。

ただ、最近思うことは何事でも、ちゃんと考えるために物事を見ると、凡人でも幾らかは進歩すると言うことだ。
ブログを書き出してから、写真を撮りだしてから、モノを観る見方が少しだけ変わったような気がする。

『気がつくのが少し遅すぎたようである。』



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校長先生の卒業式

2008-03-12 08:06:10 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
私が小学校のころ、勿論戦前の軍国主義教育が花盛りの時代であった。

先生は子供たちにとって絶対の尊敬の対象であったし、父兄も常に敬意を持って接していた。
先生に文句を言ったりすることなど考えられなかった。

まして、校長先生などは雲の上の存在で、その印象は毎月8日の『大詔奉戴日』に12月8日の『開戦の詔書」を読み上げらる偉い先生というのがその印象である。
事実、6年間の小学校の生活で校長先生と直接話をしたという記憶はない。



この時代も、ある意味結構よかったのだが、
最近は時代が変わって校長先生も子供たちにとって身近な親しめる存在のようである。

永年勤められて退職される校長先生に、子供たちが感謝の気持を込めて、
校長先生に卒業証書を贈ったというほほえましい話である。

三木の自由が丘中学の神崎校長先生の話だが、こんな送られ方をすると先生をして本当によかったと思われると思う。
日頃ちゃんとしていないと、こんなことにはならないと思う。

いい話だと思う。
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円高の思い出

2008-03-12 04:25:06 | カワサキ単車の昔話
最近の円高が急激である。輸出産業を中心に打撃は大きく株価にも影響しているようである。

ずっと昔、1ドル360円であった円ドルレートは、この50年の間に100円までずっと円高を経験して現在に到っている。

円高と言う表現から「円が高くなってなぜ困るのだ」というのは、一般の自然な感覚であろう。
輸出立国で成長してきただけに輸出産業が影響を受けるのである。
逆に、輸入に関連するものは円高はプラスに影響する。
個人の海外旅行などでは円が強いのだから、大いにプラスなのである。

1円の円高でどのくらい利益に影響するのか?
トヨタは350億円営業利益が減少する。
これは桁違いだが、日立は8億円の減少、逆に日航は燃料などで20~25億円のプラスになると新聞に報じられている。



これは直接に担当してみないと、この影響の大きさは解らない。
カワサキの単車事業部も円高で振り回された思い出がある。

故大庭本部長が単車にこられて3年目の1985年、ようやく危機的状況から脱して、海外販社を含めてグループ全体が浮上したと思われた時期である。

この年の7月頃の損益見通しは、事業部単体で40億円ぐらい利益を245円のレートで見込んでいた。
この当時の1円の影響は約8億円、今の日立のレベルである。

これが9月には230円、11月には202円、年を越してからは200円を割り2月には190円、3月175円、4月には165円と止まるところを知らぬ極端な円高だったのである。

単純計算すると  8億*(245-165)=640億円であった。
今のトヨタの2倍に近いのだから、どんなものか想像がつくと思われる。

為替対策は、一般に為替予約や値上げやコスト削減などで対策するのだが、
こう一気に変動するとどうしようもなく、約半分の350億円あまりが当時の事業部の損失に計上されたことになった。

この経験は貴重であった。
従来の対策に加えて、『コストのドル化』など海外生産への工場移転など構造的対策など本格的な対策を経て、何年かかかって結果的には乗り切ったのである。


あの1985,6年から20年間の円高が65円ぐらいであるから、最近の円高も急激ではあろうが当時の過激さとは比較にはならないのである。

『半年で80円はホントに強烈であった。』

当時の大庭本部長以下、高橋、田崎さん(当時KMC)、直接の担当だった小川君(jyosinさん)、この時期その嵐のど真ん中にいて振り回された人たちとのあの頃の懐かしい思い出は忘れられない。


今思えば85年でよかった。
若しアレが3年ほど早い82年の単車の危機的状況に起こっていれば、
『カワサキ単車』はホントに消えていたかも知れない。

ある意味あの危機を支えたのは、3年間で立ち直っていた海外販社の力があったからで、為替の影響を販社とともに乗り切ったと言えるであろう。
同時に川重の為替の影響の少ない他事業部の力もあったのは勿論である。


当時企画を担当していたので、特に故大庭さんや当時の財務担当副社長の松本さんなどには本当にお世話になった。
苦しい頃の思い出のほうが懐かしいと言うがホントにそうである。
こんな経験をして、少々のことには驚かなくなってしまった。

今、3月末の期末決算をまじかに控えて、事業部はどんなことなのだろう。
円高は、輸出産業にとっては大変なことなのである。


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置く、掛ける、貼る

2008-03-11 17:46:33 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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ブログの投稿

2008-03-11 08:46:37 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
ブログの投稿の仕方を少し変えてみようと思う。

今まで幾つかのブログに、それぞれ記事を書いていた。
全て『雑感日記』で名前だけは統一している
それぞれのブログに自分なりに何らかのコンセプトを勝手に作って、書き分けていたのである。

大体1年経ったので、それぞれがどんな読者で、どんな傾向であるかは解ってきた。
そんななことで、ちょっと方向を変えたいと思っている。


今までも 『gooを中心』に展開してきたが、
それを更に進めて『gooの記事』を各ブログにも振り分ける方向で試してみたい。

それぞれのブログの特徴、例えば『Yahooの写真』などはそのままにして、後は何となく振り分けて行きたい。


ちなみに、今アップしているブログは、順不同でgoo以外は、

村ぶろ、FC2、excite、Yahoo、ひょこむ、を公表している。
あと二つは未公表で試しているので、全部で8つだが、一応続けたいと思っている。

gooのブログのアップ回数は、1日数回に増えるだろう。

そんなことなので、よろしく御願いします。




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