雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の『ブックマーク』造りました

2008-08-19 04:16:22 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
モジュールメニューの欄に『ブックマーク』というのがあったのだが、
どのように使うのか解らずに放っておいた。

何とかやってみようかと思ったのは、つい先日お付き合いが始まった、『武雄人』さんが、ご自身のexciteのブログに雑感日記をリンクして頂いており、ごくごく最近『よく行くブログ』に雑感日記を取り上げて頂いたからである。
私も何とかチャレンジしたのだが、exciteではどうしても出来なかったのである。

gooのブックマークで挑戦してみたら、何とかできたのである。
出来たのだが、どんなコンセプトでどのように選ぶべきか?
いろいろ考えた末に選んだのが並んでいる。

基本的に
差別化できているもの、
労作であると思われるものから、
1.モーターサイクル
2.マーケッテング
3.三木市とその関連
4.その他いろいろ

に分類して選んである。そういう順序に並んでいる。


速遅速遅密疎密疎は
モーターサイクルの歴史が詳しく纏められている。
FUKAI,REIという個人の方が纏められた労作である。
長くモーターサイクルの世界にお世話になったので、これはトップに位置すべきだと思ったのである。

2番目の8耐優勝の記事は、たった1度カワサキが優勝をした記念の記事である。
ちょうどその場にもいたし、故岩崎茂樹君がスポーツ推進部長で担当したその年であった。

3番目は、スズキのOBの中野さんがレースの世界を纏められている労作で、
私のコメントなども紹介頂いている。毎日このサイトを通じて私のブログにアクセスがある。

60おじさんとseaz companyのカバン屋さんは、今もしょっちゅうお世話になっている。
紙の単車屋さんとは、ブログのコメントを交わしただけなのだが、私の単車営業の原点、岩手の市場でそれこそ差別化された紙の単車のご商売、毎日の写真も美しい。

大西宏さんのマーーケッテングエッセンスのマーケッテング論は流石です。

武雄の樋渡さん、三条の国定さん共に日本一若い市長を経験されている。
まだまだ若い30代の市長さんで、共に総務省出身である。
お二人には直にお会いすることが出来た。何かのご縁を感じるのである。
今後も何らかの発展もあるかも知れない。

以下、私なりに面白いと思う方が続いている。
今後どんな風に、増えたり変化するか楽しみです。

取りあえず、このくらいでスタートしてみたいと思います。



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お盆休みと日航ジャンボ

2008-08-18 04:15:54 | カワサキ単車の昔話
私にはあまり関係もなくなってしまったが、世の中 『お盆休み』 で長い連休であった。
その休みも終わって帰省ラッシュのニュースである。

私にもそんな『お盆休み』に関係のある時期も当然あったのである。
あまり覚えてはいないが、この年のことはよく覚えている。


至極当然のことだが、夏のこの時期、お休みなのは日本だけで、世界は休みなど関係の無い普通の日なのである。
1985年8月13日からこの日本の休みを利用して、アメリカのロスとリンカーンに高橋鉄郎さんのお伴で出張をした。
海兵育ちの高橋さんは『月月火水木金金』の精神もおありだったとは思うが。
単に長い休みを家で過ごすより、海外は働いているので『その時期に』ということであったのだろう。

当時ロスは田崎さん(川重会長)、リンカーンは佐伯君(元川重副社長)が担当の時代であった。
リンカーの夏は日本とはまた違って、熱暑という暑さであった。



そんなこともあるのだが、1985年8月13日はあの御巣鷹山の日航ジャンボ事故のあった翌日である。
利用した飛行機は日航ジャンボジェットである。
事故のニュースがずっとテレビで生々しく流れていた時間であった。

流石に、お盆休みだったからか、大事故の翌日でキャンセルしたのか、
飛行機はガラガラだった。機内サービスはやけに良かったように思った。
帰りの飛行機は、『ファーストクラスが空いていますので』とファーストクラスに乗せて貰ったりした。


御巣鷹山の日航ジャンボの事故は、747SRという機種だという。
空気圧の関係で尾翼の操作が出来なくなったのだという。
これは、私が勝手に思っているのだが、『あのジャンボではないか?』と思っているのである。


これも高橋さんと一緒だったが、
ずっと以前CKDの市場調査でイランのテヘランからバンコックへ飛んだことがある。
アメリカの航空会社のジャンボであった。
その飛行機の一番後ろのトイレで、私は機内で事故に遭ったのである。

ちょっと説明が難しいので、想像をたくましくして読んで頂きたい。

飛行機の機体は後ろに行くほど細くなっている。
一番後ろのトイレは、四角ではなくて奥が細くなっている。
トイレのごみを捨てる箇所は、通常はふたは奥に向かって単純に開くようになっている。
一番後ろのトイレだけそれが出来ないので、細くなってゆく機体の壁に沿ってヨコに開くのである。

紙を捨てようとして、『一瞬のうちに』ふたと壁の間に指を挟まれてしまったのである。
壁とふたの間に挟まった指はどのようにしても抜けなくて、非常ベルで乗務員を呼んで、何人かの乗客も手伝ってくれてやっと指は抜けたのだが、抜くときに挟まれた指が何針も縫うほどに切れたのである。

なぜこんなことが起こったのか、間違いなく『空気圧』の仕業である。
この話の続きはまだあるのだが、

会社に戻っても、この話はなかなか理解して貰えなかった。
『そんなトイレあるのか?』
『トイレで何してたんや?』
そのときも説明が、難しかったのである。


それから、だいぶ年月が流れて、羽田から伊丹へのJALの便で、同じ構造の機体を見つけたのである。
一番後ろのトイレのごみ捨てのふたは、同じスタイルであった。
一緒に乗っていたのが田崎さんだったので、わざわざ一緒にトイレを見に行った。
彼は当然この話はよく知っているし、先ほどのコメントも彼のコメントである。

御巣鷹山の日航事故は、このあとなのである。
『ひょっとしたら、田崎さんと一緒に見た、あの飛行機ではないか?』
『空気圧がおかしくなって、操縦桿がおかしくなったのではないか?』
私の指をあっという間に吸い込んだ、あの空気圧は尋常なものでは無かったのである。
この話、読んで一番理解できるのは、高橋さんと田崎さんだろう。


初めて聞く人は、『ホントか?』と思うだろう。
私の左の中指にはまだ、その傷跡が残っている。

お盆休みと、飛行機からふと『こんな昔話』を思い出した。
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「Google』のストリートビュー

2008-08-17 05:05:34 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
なぜか、技術的なことはからっきしダメである。
興味関心はあるのだが、技術的なことを覚えたり勉強しようと言う気には全然ならないのである。

覚えること自体大変だし、幾らでも上があり奥深い、それは専門家の世界で専門家に任せたらいいと勝手に思ってしまうのである。

技術分野だけでなく、法律もダメである。
六法全書は開いたこともない。あの字を見た途端に嫌になってしまう。
これも専門家の世界だろう。

碁は好きで、今でも年に1200局ぐらいは打っているが、これも布石や中盤までは好きだが、詰め碁や寄せは面倒である。

よく考えてみると、性格がずぼらに出来ているのかも知れない。



インターネットの世界は、何なんだろう。
技術の分野かも知れぬが、無茶苦茶関心がある。
いろんなことが、現実的で役に立ったり、利用できたりするのがいい。
技術は苦手だが、勝手なものでネット関係のものは、いろいろと調べたりする。



今朝は『ストリートビュー』に相当の時間を費やした。

「大西宏さんのブログ」にこの話題が出ていて、それは個人情報がどうのこうのというややこしい話で、その話は池田信夫のブログにまで飛び火するのだが、それはそれとして、

『ストリートビュー』そのものがどんなものか?
どうすれば見れるのか?
三木はみれるのか?
家の近所はどうか?
など、具体的なことに、解らぬままにチャレンジしてしまうのである。

ある程度解った。
神戸も三木も見えるが、残念ながらまだ緑ヶ丘は見ることが出来ない。
「ストリートビュー」だから文字通り「ストリートからの眺め」である。
神戸のメリケンパークもこんな写真は、ストリートからは見られないのでダメなのである。
地図で道が青くなっていれば、見れるのである。

知らないまちでも、例えば武雄でも、三条で「道からの眺め」は解るのである。




ホントはこんな写真ではなくて、武雄や三条の写真をここに貼り付けたかったのだが、私の技術ではダメだった。
ただ、ひょっとすると武雄や三条はまだダメなのかも知れません。

発想はいいのですが、技術が伴いません。
然し専門家がヨコにいてくれたらそれは可能です。
どなたか、チャレンジしてくれませんか?

いろいろやってみて、何とかどんなものかと言うことは解った。
リンクもしてみたが、スリートビューの写真はどうしても表示できないのである。
その地図からは、いろいろやると写真にはたどり着く。
逆の写真を表示してあって、そこから地図に行くようなことがどこかのブログで出来ていた。

そんなレベルになるとお手上げなのである。
こんな風に見ればいいというのは、ここから見つけたのである。

それでもこんな時間は、結構楽しいのです。
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三条市vs三木市、三条市and三木市?

2008-08-16 09:26:16 | みっきぃふるさとふれあい公園
今朝、exciteのブログにアップしたものである。

二輪業界にも関係が大いにあるので、ここにも掲載してみたい。


『こんな表題の『ケンオー、ドットコム』と言うブログを見つけた。
書いてある内容が面白いので、そのままご紹介する。


『国定勇人三条市長は、地元の新潟県央工業高校の甲子園初戦を観戦した翌日、兵庫県三木
市の三木JCで講演して以来、三木市との交流を推進している。どのように交流が深まっていくのか、とても興味深い。

三木市は三条市と同様、金物の町であることを知る三条市民は多いだろう。金物業界にいたことがないので客観的にはわからないが、三条市民にはライバル的な意識が強いのではないだろうか。どちらかといえばプラスよりマイナスのような気がする。

積極的なマイナスというよりは、どちらかというと知らんぷりをしているというか、向き合わないようにしているというか。一方で、事業所レベルでは三条市と三木市で関連があるのを知っている。ぜひ、三木市に対するイメージや感情を三条市の金物業界の人に聞いてみたい。

いずれにしろ、その三木市と交流しようとは、三条市民なら思いつかなかったではないだろうか。仮に思いついてもすぐに否定されそうな気がする。そんななかで国定市長が三木市と交流を進めようとしているところがおもしろい。地元からは出てこない発想で、今後の進展を見守りたい』


私は二輪業界に長くいた。
金物業界と同じく、世界的に見てそんなに主流の業界ではない。
然し、そのメーカーたちはそれぞれ特色があって、面白い。

戦後は200に近いメーカーがあったが、今残っているのは4つである。
ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキ。
これはライバルか? 仲間か?

ライバル視する人が多いが、私は常に仲間だと思っていた。
そしてそのように具体的に対応してきた。
ライバルとして戦っても、何のプラスも無いのである。
戦っているという自己満足だけである。

業界に200もメーカーがある隆盛期は、生き残りをかけて断固戦うべきである。
業界がおかれた立場、環境を考えるべきだと思っていた。
二輪業界でのライバルは、ホンダやヤマハではなくて、若者が目を向けたがる他の業界との戦いなのである。


金物も良く似ている、
三条と戦ってみても、お互い傷つくだけである。
ライバルではなくて、仲間として業界自体を盛り上げるべきである。

三条の国定さんにはそれを言った。
ちゃんと理解をして頂いたし、国定さんご自身もそのようなお考えのようである。

三木市vs三条市ではなくて、三木市and三条市が正解だと思っている。
行政は、三木の金物業界のことを思うなら、『金属工業技術センターの存続』も大事かも知れぬが、それよりも『業界協調』のほうが実効があることに早く気づかねばならない。

既に、国定さんはそれに気づいている。』

小さいところで、喧嘩したり競争したがるのは、
日本人の悪い癖ですかね、それとも人間のさがなんでしょうか?
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8月15日、終戦記念日

2008-08-16 05:19:36 | 発想$感想
昭和20年8月15日、私は中学1年生であった。
夏休み中で学校のプールに泳ぎに行っていた。

韓国の京城、今のソウルにいた。
天皇陛下の玉音放送を運動場の炎天下で何事かと気をつけの直立不動の姿勢で聞いた。
ラジオの声はよく聞こえなかったが、何となく『戦争に負けた』ということが解った。

外地での戦争体験は、何不自由なく、空襲はあったが爆弾も焼夷弾も落とさない偵察のようなもので、食糧事情も良くて普通の生活が続いていた。
ただ、小学校の5年くらいから教練まがいの訓練があって、
中学1年の夏休み中の宿題に『そもそもわが国の軍隊はーーーー』に始まる長い長い軍人勅諭の暗記が出ていて、そろそろ覚えないとと思っていた時の終戦であった。

お陰で、全然軍人勅諭は覚えていない。


戦争体験のある世代もだんだんと少なくなってきたが、
私など戦争体験と言えるようなものは何一つ無い。
ただ、中学の上級生は学徒動員で出征するのを送りに行ったりはした。
『お国のために立派に死んでこいよ』と何の疑いも無く見送りの下級生は叫んでいた。

そんな時代だったのである。
国のために戦うと言うことについては、みんながそう思っていた。
そんな教育だけは、内地よりも進んでいたかも知れない。


内地、今の日本をそんな呼び方をしていたが、内地は空襲で大変だったと言うのは何となく聞いていた程度である。
明石の空襲では、叔父と叔母が無くなった。
ビルマの戦争で母方の伯父が戦死した。

戦争は大変なことだと思ってはいたが、本当にそう思い出したのは、昭和20年終戦の年の12月に明石に引き揚げてからである。
小学生の低学年のころ帰省して、知っていた明石はそこに無かった。

見渡す限り焼け跡だった。
本家の庭には1トン爆弾が三つも落ちて、直径20メートルほどの円錐形の池になって水がたまっていた。
焼夷弾は、数えることが出来ないほど地面に突き刺さっていた。

米も無く、闇米が1升100円もしてびっくりした。
朝鮮では1斗100円だったのに。
そんな高い米が食えるわけは無く、なんば粉のパンやサツマイモなどが主食であった。
中学時代に腹いっぱい飯を食ったのは覚えていない。
高校になって野球部の夏の合宿が初めてだったような気がする。
2年のとき北陸に遠征に行ったらお土産に米を1升ずつ貰って、大事に持って帰った。

そんなまさに廃墟から日本は立ち直ったのである。
いろんな経験をした。
一生のうちにこんな経験をすることは、これからの世代には不可能だと思う。

戦争は大変である。
平和のあり難さに慣れてしまって、いまさら感じないそんな世の中である。
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ブログのコメントで思ったこと

2008-08-15 04:33:30 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
コメントから、いろんな発見がある。

こんな武雄の新しいブログを発見した。
『武雄市民物語』として、今年の3月にスタートである。

新しいブログに出会ったとき、
いつもの癖だが、その最初のスタートのブログは必ず見ることにしている。
どんなことでブログをはじめたのか。
どんなコンセプトでブログを発信されようとしているのか。
そんなことが書かれていることが多いからである

この『武雄市民物語』のスタートはこんなブログである。

武雄にはいっぱいいいブログがあって、樋渡さんの『武雄市長物語』を中心に回っている。
武雄のブログはこんなにいっぱいあって、このブログにも紹介されている
いつの日か、三木もこんなになればいいなと思っている。
『武雄市民物語』もこの中に紹介されている一つである。



このブログ、三木の最近活躍目覚しい『さるとる』君の昨日のブログのコメントから見つけたのである。
武雄人(たけおんちゅ)と読むらしい。

そこからたどり着いたのだが、『最近のコメントを』欄を見てまた驚いた。
『さるとる』君のコメントがいっぱい並んでいるのである。
彼は何でも積極的である。
思ったら直ぐ行動する。


三木市と武雄市は、人事交流提携を結んでいる。
民間レベルでも、『モノ』でも『ヒト』でも繋がっていけばいいと思っていた。
小さなことだが、こんなところで繋がっているとは知らなかった。
「さるとる」さんだけが繋がっているのかと思ったら、
エキサイトブログには、R175さんの「どうぶつのつぶやき」も
私のexciteの「雑感日記」もリンクされていた。
読んで頂いているのである。


遠く離れたまちが、『繋がって何かをやる』『何かをやりたい』と思っている。
簡単なようだが、何をやるにしても距離があってなかなか難しい。

ブログはその距離を忘れさせてくれる。
三木にコメントするのも、武雄や三条にするのも同じことである。


コメントは双方向の情報発信そのものである。
上手く利用しながら、連携の輪を拡げていけたらと思った一事であった。
私も機会を見てコメントしてみよう。


(追記)
このブログ今朝4時30分に発信した。
今、8時半になろうとしている。
さるとるさんからは6時57分に
武雄の樋渡市長からは8時19分にコメントが入った。
武雄も三木も一緒なのである。
見て、コメントすれば『直ぐ繋がる』ブログの良さである。

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奥田村長と樋渡市長

2008-08-14 04:14:32 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
和歌山県の北山村はご存知ですか?
人口500人ほどの小さな村だが、自らブログエンジン 『村ぶろ』を立ち上げたりして、頑張っている。

そこの村長さんが奥田さんである。
私も『村ぶろ』 にはジョインしていて、ブログも更新しているが、時々コメントなども下さったりする。
写真も出ているので、ひょっとして私より年上ではないかと、お年を伺ったことがある。
当然だろうが、私よりお若くてほっとした。

どうも、運動部育ちは、年下の人にはざっくばらんに対応できるのだが、一つでも年長者には、ピリピリしてしまうのである。

そんな奥田村長が、ヤフーのシンポジュームで講演なさるそうである。
竹中平蔵さんが基調講演をされるような立派なシンポジュームのようである。
そのシンポジュームで樋渡市長も講演されるとか。

北山村のような生き方は、小さいながらも独立独歩で、それも時代の最先端を行っている。
私はそんな生き方に共感して 『村ぶろ』 に入っているのである。

余談だが、ヤフーで『雑感日記』を検索すると、gooではなくて、村ぶろの『雑感日記』が一番に現れる。
ヤフーでの『村ぶろ』の評価が高いのだろうか。



こんな小さな村が、どのような経緯でどのようにしてこんなことになったのか?
非常に興味があったので、幾つかのぶしつけな質問をしたら、
それに懇切丁寧に、こんなこと聞いてもいいのかと思うようなことまで、答えてくれた人がいる。
『北山村の姿勢は、Give&Giveです』 とあったのが印象に残っている。

それが 『いけやん』である。
『いけやん』はひょこむにも入っていて、私のトモダチでもある。
そんな『いけやん』から、昨日メッセージが届いた


『お世話になります。北山村の池上です。
11月12日にヤフージャパン主催のシンポジウムが開催される予定で、当村村長の奥田も20分ほどお時間をいただけることになり、講演することになりました。

ヤフージャパンによるとシンポジウムでは竹中平蔵氏が基調講演をおこなうことになってますが、夕張市長、北本市長のほかに武雄市の樋渡市長も講演が決まっております。

樋渡市長が奥田村長にお会いするのが楽しみだ、とおっしゃっておられたそうですが、きっとrfuruyaさんのご紹介でしょうね。

私も随行させていただくことになると思いますので、当日の様子などをリポートさせていただきたいと思っております。

本当にありがとうございました。
とりあえず、お礼とご連絡まで。
今後ともよろしくお願いします。 』

原文のままだが、私は初めて聞いた話でご紹介などしていないのである。
樋渡さんは何でもご存知だから、有名な北山村のことなど知っておられて当然なのだが、
『いけやん』が私の紹介ではないか、と忘れずに言って下さる対応が、正直嬉しくて、こんなブログをアップしているのである。
広報が本当に身についている方の、対応だと思う。


奥田さんも、樋渡さんも注目の首長さんである。
こんなシンポジュームで話をされるということは、もう既に全国区である。
そんな、お二人と何となく、繋がっているのがネットの世界の面白さである。
インタネットやブログがなかったら、絶対に繋がったりすることは出来ないのである。

そしてそれを支えている『いけやん』からわざわざメッセージを頂けるのも不思議なくらいである。
一度もお会いしたこともない。
ただ、何度かメッセージを交わしただけのお付き合いである。

みんなネットの世界のなせる業だろう。
何とか、経験できただけで幸せである。



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『高速代は掛かるけど、三木はあなたの隣まちちです』

2008-08-13 04:42:07 | みっきぃふるさとふれあい公園
昨日『道』からいろいろ思い出して、こんなブログをアップした。
ちょっと、書き足らなかったので補足の積りで書いている。


『三木って、皆さんご存知ですか?』

薮本さんが2年前に市長になって、『三木のイメージを変える』などと仰るモノだから、
お手伝いでもしてみるかと、市長メールなど生まれて初めてパソコンで出してみた。

2年も前のことである。
お陰さまで、市長メールからブログに変わって、私の生活も一新された。
私の市長メールのテーマは『三木のイメージ向上について』と題して、その1点に絞って100通以上続いたのである。

今は、私ができる小さな具体的な活動も含めて、
ブログやSNSなども使ってまだこの活動は続けている積りではある。
その意味では、 『三木のイメージ向上活動』 はずっと続いていると言っていい。
市民レベルでは、相当の水準まで来ていると思っている。



昨日のブログでご紹介した、その第1回目の市長メールでも、いろんなことを言っているが、
2年経って行政ではほとんど何の変化もない。

広報や情報は、常に末端のほうからの目線で、
末端の人たちが関心を持つようなことを中心に発信されないと、その効果は半減する。
どうも情報の発信が、自分のほうからだけになってしまうのである。
末端への心配りがあるとは、ちょっと言いにくいことが多すぎるのである。
まあ、これは民間でもままある話ではあるが、極端に言えば 『日本人の欠点』 である。
この話、先日の三条の国定さんとの会話にもちょっとでた。

その情報も説得力や、人が立ち止まって振り返る面白さが要るのである。
末端の人は、そのことをどんな観点で見るだろうかと考えるべきである。
『抜群の燃費です』などというからダメなので、『東京から名古屋までーー円で走れます』などと使う人の関心事でモノを言うべきなのである。
10万本のコスモスなどと言うから、何となくすごいなと思うのである。

こんなマーケットの、市場の状況がちゃんと掴めていないとダメなのだが、
そんな末端の状況を調べてみようと言う姿勢が皆無と言っていい。
マーケッテングマインドがないのである。


道に関して言うなら、三木は本当にいい立地である。
1年に400万人の人が三木を訪れる。勿論これは延べ人数である。
ホントは何人ですか?と聞いても誰も答えられない。

スポーツ施設もゴルフ場も公園も神社仏閣もいっぱいである。
入場料が無料のところがほとんどである。
駐車料はどこに行っても無料である。
多分2万台以上の無料駐車場が、ひょっとすると5万台以上の無料駐車場があると思うが誰も答えられないのである。
私なら直ぐ調べるのだが、--こんなのは10万本のコスモスと一緒でちょっとぐらい違っても誰も文句は言わないのである。
同じ観光地と言っても、京都や奈良とは比較にならないいい環境である。

三木に遊びに来ても、お金の掛かり方が根本的に違うのである。
高速道路料さえ使えば、1時間で近畿のほとんどのところから来れるそんな立地である。


こんなに 『差別化された』立地や環境があるのに、
観光客を500万人に増やそうと言う目標はあるのに、
それをどう使い、どのように対策しようとは考えないのである。
調べてみようと言う気もないし、まず担当部門は?となってしまう。
出すぎてやり過ぎると逆に怒られる。

『予算は使うがアタマは使わない体質』である。


このブログのテーマに使った
『高速代は掛かるけど、三木はあなたの隣まちです』は、

何回か目の市長メールで、
私はコピーライターでないので、専門の方に考えて貰えばいいのですが、
三木の立地のよさは、こんな末端からの発想の『キャッチコピー』で
施設の無料、駐車代の不要などお金の掛からない、時間も掛からないいいところですよと、『気楽な隣まちですよ』 と呼びかけてはとの提案でした。

そのためには、自分の地元三木のことをもっと正確に、マーケッテングマインドで知らぬことには、何もできません。

広報は双方向の、人々の社会的活動の関係改善を目指すべきもので、決して広く報じさえしたらいいと言うようなものではないのです。
『PR』 パブリックリレーションは、『次元の高い活動』 なのである。

一番言いたかったのは、これである。

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道の日に、バイクライダー道のごみ拾い

2008-08-11 04:43:50 | みっきぃふるさとふれあい公園
8月10日は道の日です。
三木市では、その日に道路清掃をする取り組みがもう何年か続いているようである。



三木市の道路河川課の『さるとる』さんから
『日ごろ道路にお世話になっている、バイクライダーの皆さんも、この行事を手伝ってくれませんか?』と提案があった。1ヶ月ほど前である。

カワサキマイスター同好会のメンバーが数ヶ月前から、三木防災公園にモーニングツーリングで毎月1回来ていることを彼は知っていたので、提案があったのだと思う。
アタマにパッと浮かんだら即実行するいかにも『さるとる』さんらしい発想である。


もし、皆さんならこの提案にどう対処しますか?

ほとんどなんでも、あまりダメと言うこと嫌いな私ですが、
正直『これはどうかな』と思いました。
清掃する場所は、三木の緑ヶ丘近辺、ツーリングに来ている人たちは、三木市以外の方ですし、多分一度も走ったことのない道である。
まあ言えば、何の関係もないのである。

確かに、バイク乗りたちが集まって『ごみを拾うイベント Love the Earth』などと言うイベントもあったりする。
然しその場所は、海岸の砂浜といった場所が選ばれている。

『緑ヶ丘の商店街付近では』どうも説得力も必然性もない。

カワサキマイスターのモリチャンは三木市の出身で、今も三木に住んでいる。
そんなことから三木防災公園のモーニングツーリングは私が誘ったのである。
いつか何かで、『三木』と『カワサキ』が繋がらないかとは思っていたのは事実だが。
かって私のレース仲間であったし、今は『ひょこむ』の仲間である。
マイスター同好会も『ひょこむ』のコミユニテイとして立ち上げられている。


まあ突然の話だから、人数は少なくてもいいから『やってみるか』と引き受けたのである。
モリチャンに言ったら、お盆休み中なので帰省している人も多いので、という断りつきだが快く引き受けてくれたのである。



こんなに沢山の方がバイクで駆けつけてくれました。
本当に感謝です。

当日はこんな様子でした。


マイスターのモリチャンの立場から見ると、
今回集まってくれた人たちは『お客さん』である。
お客さんに、あまり関係もない道のごみを拾ってくれと頼んでいることになる。
これは普段の信頼関係がないと、とても成り立たないことである。
お客さんの信頼度抜群の『カワサキマイスター』ならではである。

昨日集まってくれた、ライダーの中にはずっと以前このブログでも紹介したことのある、『三木市民という名刺を持つ青年』『やまかず』君もマイスターのグループの一員として参加してくれた。
彼はカワサキエルミネーターをもつ熱烈なカワサキファンでもある。
京都ナンバーの彼のエルミネーターも見せて頂いた。
彼は、さるとるさんも良くご存知である。


世の中狭いものである。
『三木』と『カワサキ』がちょっと繋がったかも知れない。

昨日、ひょこむのブログに速報でアップしたら、『今回は参加できなかったけど、次回は是非』と言うようなコメントがいくつかあった。
参加いてくれた『やまかず』君のトモダチは早速ひょこむに参加してくれた。
明石の市役所に勤める青年である。

こんなご縁で、もう少しいろんなほうに発展しないかと思ったりしている。
そんな可能性もちょっと見えた気持ちのいい、いい朝であった。




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ブログで繋がった方とまたお会いできました

2008-08-10 04:09:11 | カワサキワールド
いろいろと忙しい1日ではあった。
午後は東京から息子が帰省したりして、伊丹まで出迎えたりバタバタしたのだが、午前中の半日が充実したいい半日であった。

私はずっと休みなので、そんなこと一切感じないのだが。
考えてみると、世の中お盆休みである。
そんなお盆休みを利用して、SNSトモダチの『緑亀349』さんが『カバン屋』さんを訪ねて、三木へやってきました。

カバン屋さんも緑亀349さんも普通ではない『カワサキ車ファン』である。
私など、マシンの話になるととてもついていけないレベルなのだが、その二人に
さらに神戸のZ1000Jのユーザーの冨近さんも加わって、あっという間の2時間半であった。



お二人にお会いする前に「ひょこむ」に
『Zとローソンレプリカが三木で出会います』というブログをアップした。

Zもローソンレプリカも、カワサキが世に誇れる人気車種なのだが、
そのファンの双璧ともいえるお二人、『カバン屋さん』と『緑亀349さん』が三木で出会ったのである。

『カバン屋』さんは、
そんなZの好きな方を集めたクラブを作っておられます。
そして『緑亀349』さんは、
ローソンレプリカのクラブ『J'ーLIME』、の主力メンバーです。





ホントに不思議なご縁なのだが、すべての発端になったのは、
故岩崎茂樹君のことを書いたこのブログなのである。

ブログをやりだしてもう2年にもなろうとしているが、
自分で印象に残っているブログを一つあげてと言われたら、迷わずこのブログをあげるだろう。

ホントに沢山の初めての方から、コメントを頂いた。
このコメントを頂いて、ブログをやっていて良かったと心からそう思った。

岩崎君の奥さんからも、
このブログを書くきっかけになった『harada』さん、
J'-LIMEのTAKさんや久留米はラーメンさん、
塚本昭一君、
そして、『カバン屋さん』(toyamaさん)は、このとき初めての出会いなのだが、
こんなコメントを頂いている。

『はじめまして。

岩崎さんのお話を拝見して、感激しました。
岩崎さんには、とてもお世話になりました。
今でも感謝の気持で一杯です。
ご自宅にお邪魔して色々とお話をお伺いしたり、遊びに来ていただいたりと、楽しい思い出がたくさんございます。
本当に心の広い、素晴らしい方だったと思います。
岩崎さんのお話を書いて下さって、本当にありがとうございます。』


そしてそんなかたがたが、今みんな『ひょこむ』のトモダチで繋がっているのである。
まだ、お会いできていない方も勿論あるのだが、
『緑亀349』さんに現実にお会いできたのは、ホントに最高であった。
たった2時間半だったが、充実した2時間半だった。


別れ際に握手を求められたが、自然ないい握手であった。
そう言えば、つい先日お会いした三条市長の国定さんとも最後固い握手で再会を期してお別れした。
ごく自然にそんな形になる、お互いの『そんな気持ち』が大切なのだと思う。


それはそれとして、お盆で戻ってきた話好きの岩崎が、
『バイクの好きな連中を』集めての雑談会を催したのではないかと、思ったりした。


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三条市とのお付き合い、どうなるでしょうか

2008-08-09 04:31:10 | みっきぃふるさとふれあい公園
先日、三条市の国定市長が三木にお見えになって、半日ご一緒する機会があった。
その日の感想は、ブログに纏めたが、そこに書いたとおり『楽しい1日であった』

私自身が、二輪業界に長くいて、若い方たちとのお付き合いも多かったからか。
私自身の性格からか。
どなたに対しても、ほとんど同じような対応になってしまうのである。

ついこの間まで、日本一若い市長さんであった国定さんは35歳の若さで、私のまだ半分ではあるが、一国一城の主三条市長さんである。
それも総務省出身の世で言うなら『超エリート』である。
それなのに、そんな様子は微塵もなくて、初対面ではあったが、ずっと昔からお付き合いのあったような、ざっくばらんな会話を交わせたのが『楽しかった』のである。

そんな国定さんが、三条に帰られて、ブログにもボツボツ三木のことも書かれている
私のブログもリンクして頂いて、おかげさまでアクセスも増えている。


そのブログの最後にこんな風に書かれている。

『思えば、三木市を駆け巡ってみて、三木市と三条市とは似ている要素がいっぱい。それは、金物や農業や自然、寺社が多いことだけでなく、一番大切な要素〝人〟の熱さが似ています!!

私は、三木JCさんの講演会で、三木市さんと三条市と、そして同じ熱い想いを持っている樋渡市長さん率いる武雄市さんと、何か具体的な連携に向け、一歩を踏み出せないかと提案させていただきました。

これだけの人の〝気(パワー)〟があれば、必ず実現できると思います。

何だか、いい意味での歯車が廻り始めているような気がします!! 』


その通りだと思う。
武雄、三条、三木。何となく関係は出来た。
その中の、人たちに確かに『気』はあると思う。

だが、行政の中で、三市の連携が市のレベルでの優先順位で、どれくらいの位置づけになるのだろうか?
トップダウンで突っ走れば話は別である。その可能性は?

具体的に、実効のある形での連携は、どのようにすれば実現するのだろうか?
いずれにしても、樋渡さんが仰るように何か新しい発想での展開が必要だと思う。
小さなことから、あまり金の掛からない、人の知恵で人の努力で、繋がらないか?

こんな話を、考えるのは面白い。
発想だけなら、幾らでも出てくる。それで動かせるか?
あんまり急がずに、様子を見ながらやればいいと思う。
心配しなくても、仮に市のレベルで動かなくても、多分動き出すと思う。
やらなくても、やれなくても、誰も怒ったりしないのがいい。
出来れば、万々歳である。



この1月、「夢のある話、夢みたいな話」でスタートした鉄道マニアの蒸気機関車は、
11月15,16日には念願の神戸メリケンパークで、
ミニ鉄道フェスタin神戸メリケンパーク』というネーミングで、
神戸海洋博物館とカワサキワールド主催、神戸市の広報も巻き込んで、正式に動き出した。
来年はほぼ間違いなく、春秋2回の定期開催になるだろう。
そして、常設のSLがハーバーランドからメリケンパークまで、ひょっとしたら走ったりするかも知れない。


がばいばあちゃんでないけれど、
『人は死ぬまで夢をもて!その夢が叶わなくても、しょせん夢だから』   
ものごと、ネアカな発想がいいですね。
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KAZE VOL194号

2008-08-08 09:13:10 | ジェットスキー&KAZE
KAZEの機関紙194号が送られてきた。

今回のツーリング記事は『裏磐梯を抜けて喜多方へ』である。
いろんないいツーリングコースが日本にはいっぱいある。

その中でも東北北海道は、夏走るにはその気候の快適さもあって他の追随を許さないと思う。
バイクではないが、走るのは好きでいろんな道をいっぱい走っている。
特に東北には4年、北海道に2年いたので大げさに言えばほとんどの道は知っている。

眺望は高いところからに限る。
高いところからの広い眺めはめっぽう好きなので、飛行機に乗っても断然窓側の席がいい。
そういう意味では道からの眺めは峠道である。

今回紹介されている裏磐梯から喜多方の道も通ったことはあるが、40年も前の話だったので絶景ではあったが舗装ではない砂利道であった。
5月の連休にはまだ雪があって通れなかった道である。
今写真を見ると綺麗に舗装されていて素晴らしい。

今と違って昔はオートバイ屋=自転車屋さんだったから、販売店周りは地方周りだったのである。
そんなことで、特に東北はほとんどの道を知っているとも言えるのである。

今の時期、こんな素晴らしい眺めを、舗装された快適な道で楽しめたら暑さも忘れてしまうことだろう。




『KAZEメンバーとカワサキを繋ぐ店』というシリーズが始まった。
今回がシリーズ第1回である。

仙台の服部カワサキのセールスマネージャ武田君が登場している。
昨年服部カワサキの30周年の記念パーテイでお会いしたし、その後もひょこむのメンバーとしてお付き合いもある。
ホームページには、私のブログもリンクしてくれていて、毎日どなたかがアクセスしてくれる。

服部カワサキは昔々、まだ宮城カワサキ販売という代理店があった頃、そのサービス工場長をしていた服部謙治君がその後独立開業したお店である。
昨年引退して今は会長さんだが、まだ新婚早々の頃からのお付き合いである。
メグロの白バイを扱っていたから、当時4サイクルの大型を扱える技術者が数ない中でその技術は際立っていた。
当時ヤマハ、スズキには4サイクル車はなかったのである。

それにモトクロスが好きだったし早かった。
そんなことで、当時のカワサキファクトリーの山本隆や星野一義のライダーたちやメカニックの松尾勇さんらとも親交があったのである。
そんな特別の関係で、今でも律儀に宮城のお米や、山形のさくらんぼを送ってくれる。

仙台では勿論、東北NO1のカワサキ親派である。
トップバッターとして登場、おめでとうございました。
このシリーズにどれくらい知っているお店が登場するだろうか。
楽しみである。

記事の中に『今の2代目は旧い車に強いこともあって』とさらっと武田さんは言っているが、旧い車『Z』などのマニアであるようだ。
その旧い車は、三木の、私の家の直ぐ近くの『カバン屋さん』から何百万円かで購入されたのではないかと思っている。
昨年、久しぶりにお会いした服部君の奥さんに聞いた話である。

そのカバン屋さんには、明日J'-LIMEのメンバーの緑亀349さんが、わざわざ四国から訪ねてくる。
みんな、今『ひょこむ』で繋がっている。

そんなことで、現役は離れたが意外に情報は新しいものがいっぱい入ってくる。
ブログやSNSのお陰である。

記事中に、『イベントの話』が出てくるが、
8月10日は『道の日』である。
三木市役所の『さるとる』さんに『オートバイでツーリングする人たちは、日ごろ道にお世話になっているのだから、道の日の道路清掃に参加しませんか?』と誘われて、
マイスター同好会の人たちが、三木の緑が丘に来てくれることになっている。


こんな小さなイベントも、ちょっと社会性があっていいと思います。
KAZE194号からいろんなことを思いました。
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橋下さんまたごっついことを

2008-08-08 04:35:46 | 大阪維新の会、橋下徹氏
昨日の夕刊に
『府と市合わせ東京に負けぬ財源』
『橋下氏、協議の方針』と出ている。


何のことかと中身を見ると、
府の管理職への研修会で、『広域的な行政と住民サービスのあり方について、府市の統合も念頭に大阪市の平松市長と協議していく方針を明らかにした』とある。

大体、こんな発想はいかにも目新しく、今までの政治家からは出てこない。
仮に発想としてあったとしても、周囲に気を使って発言などしないのである。

考えてみると、道州制はあたかも決まったように言われたりしている。
その一歩手前の段階みたいなものだから、こんな話は言われてみると、あっても別段不思議でも何でもないのである。

道州制は、中央集権からの脱皮だが、これは直ぐには出来ないから、言わしておけば霞ヶ関の中央は安泰であるとの官僚のヨミもあるとか誰かが言っていた。



もしホントに知事と市長がその方向で合意すれば、直ぐには無理でも、取り組みとしては具体的に進むと思う。
WTCビルへの府庁の移転を、「道州制も視野に入れて」と発言した、その一歩前段階の具体策としても面白いと思う。

これくらいのことをやれば、大阪も東京になめられずに西の大拠点の地位を復活できるかも知れない。

「それくらいの勢いで取り組みたいと語った。
そして6日の夜、やしきたかじん宅で平松さんと食事をしたことも明かしたという。
たかじんが吹きかけたのかも知れぬが、大阪らしくてざっくばらんなところがいい。
たかじんが一緒なら、どんな感じだったのかは容易に想像できる。


『橋下さん、また、ごっついことを』と思うが、
これくらい次々と、面白いことが出てくると末端も大阪から目が離せなくなるし、マスコミの注目度もさらに上がるであろう。

私も目を離さずに見守りたい。
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アクセス解析

2008-08-07 04:41:25 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
何度か 『アクセス解析』 について述べたことがある。
 
私が数あるブログの中で 『goo』 を主力ブログと位置づけし、
少しは考えながら前日に必ず完成させている。
他の7つほどのブログは、その補助の役割や、マーケッテングの役割を果たしてくれているのである。

そういう意味では、
私のブログ戦略は、他の方の一般ブログと『差別化できている』と勝手に自己満足しているのである。



なぜ、gooをその中心においているのか?
それは 『gooのアクセス解析』 が他のブログに比べて、よく出来ていると思うからである。

『アクセス数』などはどこのブログにもある。
確かに、それも関心事ではあるが、数量に拘るいかにも日本的な発想である。


ブログも、アクセス数などで競ってみても
上には上があって、どうしようもないのである。

gooのアクセス解析はいろいろあるのだが、
その中で一番興味のあるのは、『アクセス元URL』である。
毎日、そのベスト20が表示されるのである。
どんな方からの、どんな人からのアクセスなのか?
どんな検索用語からのアクセスなのか?
末端の状況が解って、私のマーケッテングマインドを満足させてくれるのである。


この話は、三条市長の国定さんとの雑談の中でも出た話である。
国定さんのブログは毎日15000のアクセスがあるという。
『どんな検索ワード』が多いですか?
ほとんどが『お気に入り』からの定期読者ですか?
との私の質問に、ほとんど『お気に入り』からでしょうと答えられた。

昨日の私のブログは、『三条市長国定勇人さん』で当然このブログへのアクセスが主流だが、全然違う検索ワードからのアクセスも結構多いのである。

 『アクセス元URL』のベスト5は

三条市長日記(一般)   35

このまちにすみたい    15

三条市長日記(8月5日)  9

小耳早耳情報         8
 
三条市長新聞         8

と流石に、三条に関連したものも多いのだが、『小耳早耳情報』など三条独自のもののようで、この中にさるとるさんのブログと一緒にリンクされているのは、如何にもネット社会だなと思う。

以上は昨日の数値だが、今朝も同じような傾向で、アクセスはさらに増えて、
さるとるさんのところかも19人の方が来られている。

検索ワードからは
『明石高校野球部 昭和25年』
『北海道川重建機』
『武雄市』
『兵庫県 カブト虫獲り』など
こんな言葉から私のブログに繋がっているのである

今朝はそんなことで、いつもよりアクセスはちょっと多くて435でした。
一番多かったのは朝の4時台で33、一番少ないのは夕方の4時で6でした。
ページビューも、どのページが読まれたかも、すべて毎日出てきます。

私の1日は毎朝、この 『アクセス解析』を見ることから始まります。
現役の頃は、毎朝何百枚も来ていた愛情者カードを見ることから始まっていました。
まあ、趣味に近いと思います。
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大阪府庁のWTC移転案

2008-08-06 05:25:19 | 大阪維新の会、橋下徹氏
WTCの処理には大阪市は困っている。

大阪府は府庁の建物の老朽化で耐震補強を必要としている。その額も150億円と多額である。
いまさら、新府庁の建物を建設するなどは難しい。

同じ大阪府の中の話である。
大阪府庁のWTCへの移転案、これは面白い発想だと思う。
『過剰な設備を府と市で共有すれば大阪が強くなる』と評価する大学教授もいるようだ。

逆に『今までの検討はなんだったのか。議会軽視も甚だしい』と不満をあらわにする府議もいるらしい。
然し、これは従来型の旧い発想である。
橋下さんでなかったら、従来型の政治家ではなかなか出てこない発想である。
今までの検討が、古臭くてダメなのである。この案を従来の案に加えての検討の提案だから、大いに議論すればいいと思う。

縦型の組織の中ではとても考えられないことで、そんな枠を超えたところの自由な発想がトップダウンででてくるところが非常にいいと思っている。



そんな風に思っていたら、そのアイデアの背景として、こんな記事が出ていた。

『大阪市を訪れた橋下知事は、庁舎整備案の選択肢の一つとして府がWTCへ移転する案を平松市長に提示した。
WTCへ府庁移転を提案した理由について、
「関西州の州都を見据え、府市協調の象徴にしたい」としたうえで、
「移転が実現するには課題が多いが、関西州というゴールを設定すれば、それに向けて乗り越えられるのではないか。外資系ハゲタカファンドが買うのではない。市民、府民に後押ししてほしい」と話した。

一方、平松市長は
「乗り越えなければならないハードルを把握する必要がある。橋下知事が描く青写真は大阪市にとっても納得のいくもの。それに向けての努力をさせてほしい」とし、今後WTCについてのデータを府に提示していく方針を示した。』


タテ型の社会では、大阪府と大阪市などはそれぞれの立場からの主張を真っ先に言うのが普通である。
一般にこうした大きな強い組織体は仲が悪いのが普通で、協調する前に競リあってしまうのである。
誰かの面子や、根回しの不足など従来型の処理が横行する。

府民や市民は置いていかれてしまうことが多い中で、今回の提案は遠く道州制への移行も視野に入れて小さな枠に捉われない発想は流石橋下さんだと思う。

伊丹空港問題は、多くの問題点含みだとは思うが、
これは先人の政治家たちの負の遺産を後輩政治家たちが協力して、前向きに進める点でも画期的である。
譲渡金額などの細部こだわらず、トータルメリットを求めて、それこそ知事も市長も議員さんも『政治的決断』をすることが求められるのではなかろうか。

私は、大賛成である。
府民や市民の方々も是非後押しして欲しいものである。


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