林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

練馬はシスレー

2015-10-20 | 色めがね

東京都練馬区立美術館で開催中の「アレフレッド・シスレー展」がいいですね。
同じ印象派でも、晩年は抽象派に変身したモネなのに、野次馬が押し寄せていた東京都美術館の「モネ展」より、ずっといい。

シスレーは最後まで印象派の風景画家だった。
練馬区立美術館は、西武池袋線中村橋駅から近く、ほどほどの大きさで、休日でも空いていたので疲れなかった。
しかも、しかもですよ、入館料は75歳以上はナシ。

残念だったことも少しある。
それは国内にある作品だけをを集めた所為か、作品数が少なかったことだ。
また作品の脇にある説明カードの文字が、目を近づけても読めないことだった。
まぁ「印象派」なので、作品鑑賞は説明抜き、印象だけでいいかもしれないけどね。

少ない展示作品数対策として美術館は、壁の隙間や空部屋にセーヌ河の閘門群や、何と荒川放水路の解説看板を展示した。
これが分かり易くて、大いにタメになった。

練馬と言えば、昔は「練馬大根」で、最近では「東京都内で一番暑い場所」という印象です。
しかし駅周辺の商店街は清潔で洒落ている。

練馬区は、知らぬ間に文化的な街に変身したようだ。

上は「サン・マメスのロワン河畔の風景」、下は「牧草地の牛、ルーヴシエンス」です。
あちらの絵の額縁の豪華さには、いつも吃驚です。

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印象

2015-10-06 | 色めがね

東京都美術館へ「モネ展」を観に行った。予想どおりの大変な入場客数だった。

印象派という名前の由来になった「印象・日の出」▲は何重にも折れ曲がった行列に並び、歩きながら見なければならい。
あんな朦朧とした油絵を近くで観たって、はっきり見えないから、並ばずに見ようとしたら、人垣の間からちらちら見えるだけだった。

殺到する観(光)客を捌くために、美術館は行列のさせ方と流し方を工夫している。更に絵を展示する方法も改善して欲しい。

  森生の提案は、あと1~2m高い位置に絵を展示したらいいと思う。
  そう、欄間に飾ったご先祖さまの写真か表彰状のようにです。これは冗談ではなく真面目な提案です。

有名な睡蓮の絵が何点も展示されていたが、睡蓮のカタチは腐り果て、油絵の具を塗りたくっただけ。額縁の立派さだけが目立った。
モネ先生、きっと画商に、売れる絵を何枚も描くことを督促されて、草臥れちゃったんだろうね、という印象だった。

誘ってくれた韋駄天じぃさんは気が短い。
絵の前の人山の黒だかりを尻目に、スタコラサッサと出口へ一直線。
韋駄天じぃだって、今年で後期高齢者のはずだ。あの馬力も........、うふふ。

印象・巨大美術館での有名画家展は、どうも感心しませんな。

昼飯は御徒町駅前の吉池ビルに出店している、鶯谷の老舗洋食屋「香味屋」でする予定だった。
しかし、美術館から上野公園とアメヤ横丁を通り抜け、食堂階に辿り着いたら「香味屋は8月31日で閉店しました」という張り紙だわ。
なんだい、1か月経っても後釜を誘致できないのかぃ。

吉池ビルも、印象は良くなかった。

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言い分・2

2015-08-04 | 色めがね

東京オリンピックは呪われているようだ。今度は商店街のポイントカードのような東京オリンピックエンブレムにケチが付いた。

舛添都知事も認めたように、ベルギーの劇場ロゴにそっくりだ。また、オランダからの色使いへの指摘もご尤もである。
特に、ベルギーから東京に変わる動画は、サノケンさんの、着想が変形し完成するまでの過程を的確に捉えて、説得力がある。

これらに対し、サノケンさんの言い分は当初「特にありません」からこう変わった。

   ベルギーのデザインは初めて見ました。あれを参考にしてはおりません。

そりゃぁそうだろう、四の五の言い訳を詳しく言うのは恥の上塗り。だが「盗作」と決めつけるのはいささか気の毒ではある。
商店街のポイントカードならともかく、世界中に公開される作品を、サノケンさんクラスの人気者が盗作するはずがない。

サノケンさんには亀倉雄作や田中一光のような、日本文化に関する見識と才能が不足していたと言うこと。
それにこのデザインはごちゃごちゃと複雑。色は多色使い。ベルギーの劇場の方が使い勝手がいい。
今後制作するポスター・看板・制服・等々と組み合わせにくい。

ま、ここはいざぎよく白紙に戻すことですね。そうはいっても、あんなに派手にお披露目しちゃったんだから、今更難しいだろうけどね。
なお、東京オリンピック組織委員会の言い分も奇っ怪である。

  1年もかけて調べて決めたので問題はありません。

こういうものは盗作でなくても先にデザインした方が勝ち。
大体、本当に調査したのかね。競技場の経緯を見れば、信用できない。

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大入り満員

2015-01-11 | 色めがね

 

百貨店の展覧会は、客寄せのために開催するのだから、混み合っているのが当たり前だ。
連休に行く方が悪いのである。

そうはいっても、銀座松屋の古田織部展は入り過ぎ。
展示作品が小さい陶器なので、見下ろす位置に展示してある。人垣の間からちらちら眺めるのがやっとだった。

和服姿のおばさんが多く、作品の前に立ち止まり、噂話が自慢なぞ、織部とは関係ない話題に盛り上がっているのが迷惑だ。
別に、入場する必要はなかったんじゃないかぃ。

外は厳しい寒さ。会場ほか店内はむんむんする暑さで、ぐったり。
暖房温度を下げ、店員が厚着してほしいものだ。

続いて行ったのは日本橋高島屋の川瀬巴水展。

入場を待つ行列が呉服の大売り出し会場まで延びていて、織部どころではない熱気だった。
列に並ばず入口まで行き会場を覗いてみると、人山の黒だかり。版画のように小さい展示品は見えるはずがない。
昨年、破水の版画は、太田区立郷土博物館で既に見ているから、大混雑の記念品売場で絵葉書を数枚買っただけで、日本橋丸善へ。

丸善も暑かった。
気にしていた本を探す気力体力は既になくなっていた。

八重洲口の、黄昏た街の寒さが心地よかった。

茶碗は、藤田美術館蔵・御所丸茶碗「緋袴」。
古田織部について詳しい説明がある
こちらのブログから拝借しております。
この茶碗、松屋の会場にはあったかなぁ

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お宝の時価総額

2014-12-12 | 色めがね

皇居お濠端の出光美術館へ行って来た。
開催中の「仁清・乾山...... 風雅のうつわ・京の工芸」展を拝見しに行ったのだ。

出光美術館は小さな美術館なので疲れず、平日なので作品も説明もじっくり眺めたり読むことができて、幸せだった。

仁清は華麗な作品が多く、渋い乾山も近寄ってよ~く観察すると、細部はなかなか美しい。
大小いずれの器も、曲線と直線がたっぷりとして気品と粋と貫録がある。


安茶碗しかお目にかからない日常、たまにはこういう立派な器で食事したりお茶してみたいものですなぁ。
えっ?! あれって床の間に飾っておくものなんですか? ......... わが猫額亭には床の間がないや

ガラスの向こうに並べられた、風雅な作品の多くは、出光美術館の収蔵品だった。
うヘー、時価総額は一体いくらになるのだろうか、なんて想像するのはどうしようもない貧乏人の性。

しかし、出光美術館の本当のお宝は、休憩室から見晴らす皇居の大きな眺めであります。
無料のお茶を何杯も頂き、しばし大富豪の気分になりました。


上から野々村仁清「色絵芥子文茶釜」と尾形乾山「呉須白彩薄に蝶文鉢」です。

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デュフィと鉄斎

2014-07-26 | 色めがね

 

デュフィの水彩画が好きだ。
鉄斎の山水画も好きだ。

今、東京で両大家の回顧展が開催されている。
目が眩む暑さを我慢して渋谷へ行ったのは、デュフィ展がもうすぐ終わるからだった。

東急文化村ミュージアムは大分混み合っていた。
展示作品は大量で、デュフィらしくない、というか森生が知らなかった修行模倣模索時代の重厚暗鬱な作品が多く、少しガッカリした。

デュフィに期待したのは、爽やかな潮風が感じられる、淡彩の海辺の風景や、涼風が通い緑滴る競馬場の風景だった。
それから、さささぁーっと描いた華麗な花の絵もね。

だが、チマチマと筆先を使って描いた輪郭線と、その輪郭線から意図的に外した淡い着色が、艱難辛苦の結果であることが良く分かった。
このごろ、じじぃも絵の脇に掲示している解説をじっくり読むようになったのである。いい勉強になりました。

  

出光美術館で鉄斎展を観るのは2回目である。普段よりも人は入っていたが、作品はゆったり観ることができた。
出光は沢山の鉄斎作品を所蔵しているらしく、図々しいけれど羨ましい。といって、例え貸してくれても、わが猫額亭には飾る場所がない。

鉄斎の場合の輪郭線はデュフィと異なり、大胆不敵、自由奔放に躍動しているように見える。もちろん細心の計算はあるのだろうが。
着色は山水画なので当然淡彩で、デュフィと同じように輪郭線を外している。画面の隅にある漢詩なぞ、行がひん曲がっていても平気の平左。
絵を描く苦労よりもヨロコビが感じられた。

デュフィと鉄斎は、横書きと縦書きの文化圏に別個に属しながら、到達した画風は意外にも共通の境地だった、と素人のじじぃは感じた。
生前、互いに相手の作品に接していたら、デュフィはまた模索を始め、鉄斎は「ややっ...... う~む」と唸ったのではあるまいか。
そういうことを空想させる、二人の偉大な画家の、愉快な展覧会だった。

   

出光美術館の最大の楽しみは、皇居前広場を見晴らす休憩室である。
冷房が利いた部屋で、無料の冷やし煎茶を3杯も頂きながら、皇居と外苑の滴る緑を「鑑賞する」ことは無上の喜びである。
ここは都心に於ける仙境なのであります。

                                            

東急文化村にも穴場があった。その楽しみは長くなるので別の記事にしますね。

上から「ヒナゲシト7アイリス」「ニースの窓辺」/「梅華邨荘図」「東■僊閣図」です。
最後の読めない漢字は、これから勉強します

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懐かしい風景

2014-01-11 | 色めがね

「清洲橋」

ビル・ゲイツが、画廊に展示中の全作品を買い取ったといわれる版画家・川瀬巴水の展覧会。
名山先輩に誘われて、一緒に観に行った。

見たことがない日本の風景だったけれど、どれもがとても懐かしい風景だった。
特に水辺の風景、それも日没後の暗い家並みに、仄かに灯る暖かい明かりが素晴しかった。

完成作品の参考資料として、鉛筆で丁寧に描きこんだスケッチ帖が展示してあり、これがまた素晴しい。
絵葉書大の寸法で、彩色はごく一部分であっても、これだけでも立派な絵画作品に見えた。

二人とも、川瀬巴水のことをNHKの日曜美術館で知った。
放送は千葉市美術館での展覧会に沿ったものだったが、都内の大田区立郷土博物館でも、いま、開催中である。

古くて狭い会場ながら展示数は多く、解説は丁寧。入館者はまばら。版画鑑賞にはこちらの方が良いのではないか。
現在は「中期」作品の展示中で、「後期」も観たくなった。
なお、大田区の方は「入場無料」です。大田区住民の皆様、ありがとう。

「塩原 畑下」

時を忘れて川瀬巴水を楽しんでいたら、とっくにお昼時を過ぎていた。
食堂を探し、都営地下鉄西馬込駅、本門寺公園、本門寺と巡り歩いたが、坂の多い閑静な住宅街が延々と続くだけ。
東急池上線池上駅に着いた時は、朝食が暗いうちだっただけに、もうふらふらだった。

博物館近くの湯殿神社は、巴水の版画を連想させる明治大正期の雰囲気があり、参道の巨樹3本がお見事。
腹ごしらえをして、もう一度参拝したい寂れた小さな神社だった。

池上本門寺は広大な境内に巨大な伽藍や会堂が連なってはいるが、アッケラカンとして有難味がいまいち。
ひもじくて、ご本尊を拝む気にもならなかった。
川瀬巴水を拝めただけで満足な二人だった。


「雨の大宮」

詳しい内容は「大田区立郷土博物館」をご覧下さい。
よろしければ「千葉市美術館」もどうぞ。

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一番電車

2013-03-17 | 色めがね

乗り換えのために飯能駅で電車を降りたら、プラットフォームは異様な熱気に包まれていた。
胸に巨大な造花を着けた偉そうな紳士たちが小走りで池袋方面に向かっていた。
高級カメラを担いだ鉄道オタクが押しかけていた。

やがて華やかなファンファーレ。そしてプカプカドンドン。
横浜・中華街を発った東急の一番電車が、横浜、渋谷、新宿三丁目、池袋、所沢を経由して飯能にやってくるそうだ。
ああ、ピストル堤が生きていれば、強盗慶太が率いる東急電車を、西武の奥座敷飯能に迎え入れただろうか。

だが、東急電車はガラガラだった。

9時10分に中華街行きの西武電車が出る、という。
山の手線・恵比寿駅から広尾に行く用事があり、早起きして高麗から出てきたのだ。

そうだ! まだ乗ったことがない東京メトロ副都心線を使い、渋谷に行ってみよう。
新しい渋谷駅は今朝から大騒ぎらしいぞ。

上り電車はガラガラだったけれど、所沢あたりから乗客が増え、新宿でほぼ満員。渋谷で超満員になった。

横浜と渋谷・池袋、それにおまけみたいに小江戸・川越が加わり客引き合戦が始まるそうだ。
でもね、一番電車で感じたことは圧倒的な横浜の勝ち。サイタマ勢の負け。そりゃぁヨコハマはステキだものな。
森生の故郷が近く、紅顔の美少年の頃は.....。



とにかく、池袋、所沢、飯能はてんで問題じゃない。
まして地の果てアルジェリア。4線直通で飯能が賑わったらおめでたい。むしろ..........。

近頃、うっかり電車に乗ると、どこへ連れて行かれるか分からないので、お出かけもままならない。
じじばばには、飯能商店街だけが頼りだからね。
飯能商工会議所のみなさん、頑張ってね。

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新国立競技場

2013-02-01 | 色めがね

信じられないけれど、東京オリンピックに賛成する人が70%を超えたそうだ。
わがニッポン人は、なんてアサハカさなんだろう。まるでお猿さんだ。

現在の国立競技場は取り壊し、6年後に新しい国立競技場ができあがるそうだ。
そんなことを、誰がいつ決めたんだろうか。

新国立競技場のデザインは世界中から46案も集まり、ザハ・ハディド氏のものに決めたそうだ。
イカニモな、大袈裟で子ども騙しのけばけばしいデザインだね。

 ・スポーツの臨場感を思わせる流線型のデザイン
 ・世界に日本の先進性を発信し、優れた建築・環境技術をアピールできるデザイン
 ・未来に向けたメッセージ

などと日本スポーツ振興センターは新聞広告で自画自賛し、しかも「OUR STADIUM 新国立競技場」だもんね。
建設費は1300億円だそうだ。多分全額が税金だろう。スポーツ振興センターのお歴々は一銭も負担せず、居場所が確保できるんだから図々しく「OUR」というのだろう。

決定したデザインについて、選考委員の内藤廣氏がTVでちょっと漏らしたとおり「コストをまるで考えていないデザイン」である。採光空調掃除修繕など膨大な維持管理経費が、今後何十年も必要になるだろう。


柔道女子日本代表の園田隆二監督。あの可愛らしい顔で、暴言や暴力を繰り返していた。
監督に叩かれた選手たちも、マスコミから叩かれている園田監督も、オリンピックに逆上してしまったのである。
東京でオリンピックを開催したら、金メダルの悪影響はもっと大きくなると思うよ。

日本スポーツ振興センターの言い分はこちらをどうぞ。
同センターは独立行政法人で、天下り組織のようです。HPはこちらをどうぞ。

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松本俊介展

2013-01-14 | 色めがね

 Y市の橋

昨年は、36歳で亡くなった「不世出の才人」松本俊介の生誕100年だった。
世田谷美術館で開催している「松本俊介展」を観に行った。(1月14日で終了です)

実は、松本俊介の絵で思い出す作品は2点しかない。他の絵を観たことがなかったからだ。
その2点は、小さな町を背景に大きく描いた作業服姿の自画像と、横浜の運河に架かる橋の絵である。
自画像の方は半世紀も前に、鎌倉にある神奈川県立近代美術館で観たことを今でもはっきり覚えている。

2点はどれも色彩が暗く好きな絵ではなかったが、一種独特の詩情と迫力があり、記憶に残る絵だった。

松本は早世した画家なので作品数は少ないだろうと想像していたが、多数の作品で大きな展覧会になっていた。
初めて観た作品群はどれも松本俊介そのものであり、見応えがあった。

ただ、人物像はバタ臭かったり、無愛想だったりして、ちょっと不気味であまり好きにはなれない。
暗く淀んだ雰囲気の、松本俊介が創造したと言われる街の風景画が、どれも良かった。

風景画だったら持ち帰って、猫額亭に飾っても合う、欲しいなぁ、と思った。

寒さが続くのに、わざわざ世田谷まで行くことは無い、と迷いながら出かけた松本俊介展。
会場を出る時には「来て良かった」と思えた。

立てる像

会期があと一日で終わるので、入場客が多かった。
たまたま寒さが緩んだ所為か、会場は暑く、みぞおちに汗が流れ、絵を鑑賞する邪魔になった。
会場職員が防寒服を着ても差し支えない。室温を下げて欲しかった。

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オリンピック招致反対

2013-01-10 | 色めがね

東京オリンピックに反対です。イスタンブールにやってもらえばいい。
国際オリンピック委員会が「是非東京で」というなら仕方がない、思いっきり質素にやればいい。
大金を使い、わざわざ招致運動なぞする必要はありません。


大体、大震災や原発事故の復興がなかなか進まないのに、東京オリンピックにうつつを抜かしている場合か。
東京で開催することが復興に役立つだなんて屁理屈です。

国際親善や相互理解なら、国費で留学生や研修生を、良い条件で大量に迎え入れればいい話。
遠いロンドンでさえ、あれほど喧しかったのだから、東京だったら難聴になるよ。

大体、あのカレがこのお方が、またか、と思うとウンザリする。
たまに見るからいいんだよ。

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つみきのいえ

2012-03-16 | 色めがね

八王子夢市美術館で「加藤久仁生展」が開催されている。
加藤久仁生とはアニメ「つみきのいえ」の作者(原案・原画・監督)である。
展覧会には加藤が描いた膨大な数の下絵やデザインアイデアが展示されていた。

無垢の集成材で作った展示ケースや変形額や説明台は淡彩な作品群に似合い、愉しい展覧会場を演出している。
ただ照明が暗く、鉛筆画に淡彩を加えただけの小さな作品群は目を凝らしてもよく見えなかった。
やむを得ないこととはいえ、極めて残念だった。

会場には思いがけないおまけがあった。
「つみきのいえ」を特設会場で繰り返し上映しているのである。
上映時間は完全版でわずか12分。映写会場は空いていたので、
森生は4回も観た。

アニメ「つみきのいえ」には台詞や説明は無い。ただ深い陰影を付けた鉛筆画と、静謐な音楽だけ。
それでも伝わってくるものは大きく、しみじみとさせられた。

            

    Youtubeにフランス語題の動画があった。これで「おくりびと」と共にアカデミー賞を獲ったのか。
    会場で上映中の作品と題字以外は全く同じものだ。
    このアニメの素晴らしさは論より証拠、百文は一見にしかず。何はともあれご覧下さい。

                       「 House of Small Cubes

会場入口でこのアニメから生まれた絵本を売っていた。
色彩は断然アニメの方が良く、絵本は見劣りするので、結局買いませんでした。

いちばん上の挿絵は加藤久仁生さんのHPから、他はアニメ「つみきのいえ」からお借りしました。

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腕前

2011-12-13 | 色めがね

 

荻窪駅近くで開催された、名山・端川両氏ほか大勢の水彩画展である。
3年前よりも明らかに腕前が上がったようだ。

この会には描き方を指導する人がおらず、会員が楽しみながら自己流でてんでに切磋琢磨している由。
そういうのいいですね。

  森生は以前、書道の通信教育に挑戦したことがある。
  通信教育の仕組みはなかなか優れていて、何かとカネを徴収されることになっていた。

  そんなことは相手だって商売だから構わないが、お手本を写して本部に送付すると、直ぐ赤字で直されて返ってくる。
  お手本どおりにキッチリ転写しないとダメなんですね。
  そんなばかばかしいことやってらんないよ、と高い授業料を前払いし道具を揃えたけれど止めてしまった。

で、会員のみなさんの作品の中から不肖森生が気に入ったものを展示します。
額縁のガラスに影が映るなど、ホンモノの価値を大分損なっているけれど、そこはそれご愛嬌。
デジカメの腕前、来年は上げておきますのでご勘弁願いますね。

上から、尾瀬1・2
民家園を行く・深大寺山門・春を待つ奥日光・開拓往時の駅逓所・伊那の里から仙丈岳・太海海岸・大悲願寺山門

作品の周囲を少し切り取り、横幅を揃えるために大きい絵は縮小してあります。

会期は終了しております。
写真をなんとかホンモノに近付けようと弄っているうちに、日数が経過しました

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ゆく年くる年

2011-09-18 | 色めがね

  なに急がなくてもいいよ。

日本橋高島屋へ行ったとき、必ず立ち寄る売場は民芸品売場である。
犬塚勉展の後、また覗いてみた。

おお、氏原忠夫原画の暦があるではないか! しかももう来年のものだ。
まだ早い。それに来年のことは分からないけれど、迷わず買った。
昔はシルクスクリーンプリントの壁掛暦にしてたが、ここ何年かは普通印刷・卓上型・630円で我慢している。

そしてショーケースの上に今年の暦が飾ってあることに気付いた。
去年の暮は高島屋に行けず、買い逃した暦である。
あと残す月は4ヶ月しかないが、買うことにした。

年嵩の店員さんが、氏原が描いた暦用封筒を探してくれたが、どうしても見つからない。
恐縮して「封筒なしでも構いませんよ」と言ったところ、嬉しいじゃありませんか、

   「それじゃ、もう8ヶ月も過ぎた展示商品ですし、封筒も見つかりません」
   「お好きのようなので差し上げますわ」

流石、日本橋の老舗百貨店だ。駅にあるただデカイだけの鉄道系百貨店には真似のできない接客である。
来年も元気なら、売上貢献にはならないでしょうが、ちまちまと買物をさせて頂きますね。

 涼しい10月来ておくれ。

さて、氏原忠夫は没後相当年数が経ったはず。
いくら多作でも、もうそろそろ未発表の作品は底をついたのではないか。
多分スヌーピーのように公認代作者がいるに違いない。

その証拠に、来年の図案は、今年に較べいささか精彩がない。
近年の暦は、原作者の意図が理解できなくなった若い人の、代作ではないだろうか......。
などと店員さんに申し上げたら苦笑いをされた。

折角のご好意に余計な一言、反省してます。
いつもこれで失敗しておりますが、つい.......。

日本を代表する偉大なグラフィックデザイナー「氏原忠夫」は、ウィキに載ってません。
確か、味の素かキッコーマンの広告の挿絵を永らく担当していました。
ネタ切れの時、氏原作品から記事を捻り出す森生は、憤慨です。

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犬塚勉に再会

2011-09-17 | 色めがね

                                                                                                      

猛暑を押して、日本橋高島屋で開催中(9月26日まで)の「犬塚勉展」へ行った。
無理をして行って良かった。

奥多摩町の小さな美術館で観たときはさほど感じなかったが、犬塚は優れた色彩画家だ。
また、素人目にはゴーギャン・シャガール・セガンチーニ・ワイエスなどに学んだところが多いようだ。(解説にはそんなことは書いてなく、これは不詳・森生の怪説です)

仏教画はごたごたして好きではない。
初期の、少し抽象的な、またグラフィックデザインのような作品はなかなかいい。

晩年(といっても谷川岳での遭難死は38歳だ)の巨木や渓谷の巨岩は、存命ならどう変わっていただろうか。
もしかすると精神性に於いて、先の4巨匠を超える「世界のイヌツカ」になっていたかもしれない。

 坂のある丘の路

といっても森生が好きな絵は、初期に奥多摩を叙情的幻想的に描いた風景画群と、どうと言うこともない庭先を超人的に精緻な筆使いで描いた作品群である。

 梅雨の晴れ間

切り株と巨木や巨岩は近寄り難い迫力があり、居間に飾り寛ぐような甘い絵ではない。

     展覧会場の構成と説明は分かり易くてよかった。入場者数もほどほどで、作品を楽しめた。
     ただ、絵の脇にある説明プレートの文字が小さ過ぎる。
     またプレートが透明のため文字の影が壁に映り、文字の輪郭が重なり、読みにくかった。

      深く暗き渓谷の入口・山の暮らし

     他の展覧会では絵葉書を何枚か買うのが習慣だが、犬塚勉展では画集を買ってしまった。
     モノを減らそうとしているのに、こんな散財は近頃滅多にないことである。

入場券の作品は「ひぐらしの鳴く」(部分)です。

高島屋では、日本民芸品売場で嬉しいことがあった。
それは別の記事で。
日本橋丸善で見つけたタカラモノも

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