和田誠さんのイラストが載っている本なら、無理しても買うことにしている。
東急文化村の宝の山のような本屋で見つけた、新潮文庫「青豆とうふ」は手ごろな値段だし、嵩張らないので、迷わず買った。
著者・挿絵とも和田誠と安西水丸である。
この本の内容は、じじぃがごちゃごちゃ書くより、和田誠が書いたまえがきと、安西水丸が書いたあとがきをそのまんま転記した方がいいと思う。
長くなりますが読み易い文章なので、お付合いくださいね。
まえがき・和田誠
ぼくは安西水丸さんのファンです。同業者という点ではぼくの方が少しばかり先輩ですけど、こういうことは年齢とは関係ありません。
いいものはいい、面白いものは面白い、美しいものは美しい。水丸さんの絵は、どれにも該当するんです。
そして彼の絵はのほほんとしている。一見、手を抜いているようにさえ見える。この「一見」というところがミソなんです。
実は手を抜いているどころか周到に計算された「のほほん」であって、彼の作るものはふんわりと、あるいはじわっと、人の心に入ってきます。
その上忘れられない何かを植え付ける。油断がならない。真似しようとしても真似できるものではありません。
水丸さんは文章の達人でもあります。エッセイはもちろん小説も書く。文章を書くことはぼくも好きですが、創作は苦手です。
たまには童話ふうのものを書くことはあるけれど、彼の短編のようなエロティックな作品を書くことはできません。
経験不足と言うんでしょうか。それはともかく、文章を書く、という点は共通しています。
二人ともイラストレーターですから、もちろん絵を描くことは共通項です。二人とも絵を描き文を書く。
ということは、水丸さんの文章にぼくが絵をつけることができるわけだし、ぼくの文章に水丸さんが絵をつけることができるわけですね。
そう思ったのが、この企画のそもそもの始まりです。
二人で交互にエッセイを書き、書き手でない方がイラストレーターとして参加する、という連載をしようよ、とぼくが提案、水丸さんが「小説現
代」に話をつけてくれて、企画が実現したんです。
エッセイはシリトリ形式で進行しました。「歌仙」形式と言った方がいいかもしれないですね。
片方が書いた文章のおしまいの部分を引き継ぎながら、いつの間にか別の話題になり、そのおしまいの方をもう一人が引き継いでゆく。
打ち合わせなしなので、お互いにどういうことになるかわからない。話の展開の先が読めません。
したがって事前に書く材料を準備しておくことができない。相手の文章を読んで、挿絵を描きながら、次に自分が書くことを考えるという、なか
なか面白くて得がたい経験をしました。
連載を始めるにあたって、タイトルをどうしようという話になります。二人ともいい知恵が浮かびませんでした。
ある日水丸さんが、彼と名コンビでもある作家の村上春樹さんと食事をしながらこの話をして、「タイトルを考えてよ」と頼んだそうです。
村上さんは「そんなこと、とてもとても」と言いながら、ふと「青豆とうふ」と口にされた。水丸さんは「それ、いただき」と言い、翌日それを
きいたぼくも賛成して一件落着したわけですが、ちょうどその話題が出たときに村上さんが食べていたのが、青豆とうふだったということです。
ほんわかとして、とてもいいタイトルですね。それにしても、青豆とうふを食べてくれていてよかったと思います。
納豆つくねきんぴら添えだったらどうなっていたでしょう。
後日、水丸さんにねだってその店に連れて行ってもらいました。渋谷にある小ぢんまりしたカウンター割烹料理屋さん。
ぼくはさっそく「青豆とうふ」と注文しましたが、「あいにく今日は品切れです」とのことで、まだぼくはこれを食べていないのであります。
あはは。面白いでしょ? 本文の面白さを期待できますね。
ここで一旦休憩し、明日は「目次」です。これがまた、なかなかの傑作です。
鳥人の絵が和田誠さん、福助の絵が安西水丸さんだと思います。
題字はどちらが描いたか、区別がつきませんね。
141031