林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

無理な姿勢

2011-11-30 | 重箱の隅

夕方の太極拳は5年も通い続けている人ばかりなので、諸先輩の真似をしていれば何とかなる。
いわば「ラクチン式太極拳」である。

   

しかし朝の太極拳は初心者ばかりなので細かい指示があり、同じ姿勢を何度も繰り返させられ、先生がやってきて、手を取り、腹を押さえ、股を広げて下さり、これはこれで嬉しいが、キツくもある。
普段なら布団の中にまだ潜ってるかもしれない時間なので、酷く疲れるわけだ。

美しく、鞭のようにしなやかな身体の先生は、きょうもまた無理な姿勢を強要する。

  ・はい、息を吸っておなかを凹ませ、息を吐いておなかを膨らませましょう、はぃっ。

  ・百会(ひゃくえ・頭のてっぺんのこと)を上から引っ張り上げるぅ。

  ・さぁ、丹田(ヘソの少し下)を後ろのなんとか門(肛門ではなかったはず)にくっ付けて下さ~い。

  ・膝を引き、腰を後ろに、上半身は垂直に。

等々はまだしも、

  ・尾骶骨の先っぽを上に上げて下さいね。

となると、とても実行できない姿勢である。
森生のカラダは遺伝的に異常なのだろうか。そもそも、尻尾なんか百年前からないよ。
だが太極拳のおかげで、御岳山ハイキングの後遺症を免れることができた。

太極拳には、まだまだ不思議が多い。だから陳式太極拳は「珍式太極拳」とも言える。
その一つは、ラジオ体操のような標準的なかたちがないようだ。
中華は法治国家ではなく、人治国家でアルとつくづく思う。

人形の写真について、おことわり。
以前使った写真は、「お終いの赤い玉」ですからね。
悪しからず。

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アンチエイジング論

2011-11-29 | 先輩のお言葉

アンチエイジングとは所謂不老長寿や不老不死とは少し違うようだ。
11月19日朝日朝刊に二人の学者と男性(いや違うかな?)美容家のアンチエイジング論が載っていた。

いずれもご尤もな論だが、森生は分かり易いIKKOさんの論に注目した。
下は、そろそろ老眼鏡が必要なお方なら、コラーゲンを飲む前に、無理しても読むべき論です。

       

どうです? なるほどそのとおり、でしょ?
要するに、自分の老いを自覚し、老いが一気に進行しないように日々努力すること、ってことかな。

森生は以前、国営放送のお化粧練習番組に出演中のIKKOさんを偶然見て、その美しさに驚嘆した。
しかしご本人によると、努力努力の毎日らしい。

例えばIKKOさんの脚の長さと美しさについて司会のもっさりした女優が質問した。
IKKOさんは、包み隠さず、脚を長く美しく見せる技を公開した。

それを見た森生は早速マネしてみたけれど、生易しい姿勢ではなかった。
あの日以来、IKKOさんのアリガタイお言葉を追っかけておりますです。

足を長く美しく見せる具体的な方法は過去記事「IKKOさん讃」をどうぞ。
このほか「IKKO」と入れて「このブログ内で検索」すると、記事は何本もありますが。

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明鏡止水

2011-11-28 | 高麗便り

この冬の新記録である。目覚めた時間が午前9時丁度。
この分では残り少ない貴重な一日を寝過ごし、明日起きる事態になりかねない。

とりあえず6時には目が覚めた。身体を軽くして、また温かい布団に潜り込み、国営放送を見た。
相も変わらず埒の開かない話ばかり。何が「おはすぽざわーるど」だ、下らん。で、2チャンネルに切替。

元気な娘さんたちの「朝のTV体操」、「ブック・フック・ロー」を楽しむ。「アイマイマイン」(だったかな?)はキライ。
そしてまた眠りに落ちたようだ。

また目が覚めて、今朝の「花かっぱ」は面白かった。話の内容は思い出せないが。
6チャンネル「8時跨ぎ」を覗く。こってり、あざとい見ろ・もんた氏を見ているうちにまた眠る。

起きて「林住記」を書く前に昨日の閲覧数・訪問者数・順位が目に入る。グーブログの余計な心遣いである。
また下がったけどどうでもいいわぃ、と思うが明鏡止水というわけにもゆかず漣が立つ。

対策は.........、ない。いや、今日休めば明日は上昇するかも。

        ♪ 読んでくれない「林住記」 涙こらえて書いてますぅ おじぃこころのぉ未練でしょう

        そうそう、都はるみさん、助けて下さいね。

                        「北の宿から

 

ブログは芸能スポーツネタを扱うと閲覧数訪問者数が上がるんですね。下らん。
写真は高麗川です。昨日のもちろん夕方ですよ。

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昼間の酒

2011-11-27 | 林住期

近くの街に住む気の置けない仲間が集まり、木立の中にある隠れ家のような名店へ蕎麦を食いに行った。
飲兵衛が二人いるので昼間っから酒盛りになるのは仕方ないでしょうよ。





酒はいわゆるその、端麗甘口。冷は喉越し頗る良し。天麩羅は質量ともに二重丸。
口角泡を飛ばしてるうちに、目的の蒸篭蕎麦は固まりかけていた。じじぃたちの所為だ。まぁ、丸をあげる。



胡坐にも草臥れ、ご機嫌ですぐそばの航空公園をぶらぶらり。航空発祥記念館は高嶺者無料。ありがとさん。
酒豪じぃ、子ども押し退け酒気おび操縦。れれれ不時着だぁ。う、明日また来るぞ、だとさ。



             

の喫茶店でまた長話。野田なまず噺はともかく、パソコン話は噛みあわない、纏まらない、キリがない。
........ 家に帰り着いた時、辺りは真っ暗け。厳しい冷気が懐に。



西武航空公園駅は、JR原宿駅・北鎌倉駅と共に関東の駅100選に入ってますが、あんなぼろっちい駅じゃないよ。 

このところ、止せばいいのにあっちこっちに首を突っ込んで、目が回る忙しさになってきた。
そうそう、ジャンボを買いに数寄屋橋のチャンスセンターへも行かなくちや。

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高尾山より御岳山

2011-11-26 | 風に吹かれて


山を下りるケーブルカーに、鶯嬢がいなかった。
代わりは運転手を兼ねるカラスのお父さんである。
この烏氏、なかなかの芸達者。満員の乗客を笑わせながら、

 ・御岳山は紅葉だけじゃなく、春はかたくり、夏にはれんげしょうまがある。

 ・冬の夜景は日本一で、眼下遥かに煌く東京は宝石箱のようだ。

 ・日の出山のご来光は素晴らしく、樹氷だって見られます。

などと自慢し、苦労して徒歩で下山するヒトを車窓から見下ろし、「後悔してるよ」とからかい、最後に、

 ・隣の高尾山なんかへ行かずに御岳山に来て下さいね。

と締めたから、車内は爆笑となった。
みたけ山観光協会は、このお父さんに感謝状を差し上げなければならない。

   わが猫額亭の裏山、多峰主山から御岳山とその左に大岳山がよく見える。
   全然見えない高尾山より御岳山に馴染みがあり、他所の山とは思えない。
   麓の見所・遊び所・食べ処を加えれば、高尾山より御岳山が断然勝ってると思う。

   天気が悪く、山は陰々滅々。写真は巧く撮れなかった。
   だから来年もまた、行ってみたい。

御岳山ハイキングはこれでおしまい。ふぅ.......。
なんでこんなに入れ込むんだろうか。それは、磨けば光る宝の山だからです。

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参道で

2011-11-25 | 風に吹かれて

「馬場家御師住宅▲」の痛みが激しくなった。早く修繕しなければ。
隣にある場違いな建物・東京都「ビジターセンター」をここに移転したらどうだろうか。


神社前の土産屋飲食店宿坊通りは、アルミサッシや新建材、ペンキで描いた看板が目立つ。
山内に散在する宿坊は、今風木賃宿に改装した結果、山に張り付いたカサブタのようになった。




御岳山も他所同様にセンスが悪く、折角の観光資源をぶち壊している。何でも新しくすればいい、てもんじゃない。
しかし、幸いまだ原形が残っている。神聖な山上の集落に再生すれば、高尾山を超えるはずだ。

ここしかないも土産品はモモンガのぬいぐるみだけだった。
他のものは名札を変えただけのようだ。

この日は閉まっていたけれど「古狸山」は好きな店です。まだ旅は続きます。

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巨木を拝む

2011-11-25 | 風に吹かれて

御岳山には巨木が多い。
人間が造った神社より、巨木の方に威厳があり、ありがたい。

この夏、東日本を縦断した台風12号は、武蔵御嶽神社の巨木を薙ぎ倒した。
神社にとって、掃除など管理の手間が省ける。
眺望が良くなり好都合だったかもしれない。

武蔵御嶽神社に荘厳さが足りないのは、周囲がばかに明るくなった所為だ。

神社は数百年後のために、せっせと植林して欲しい。
その際、彩りとして染井吉野ではなく、山桜や紅葉する落葉樹をお忘れなく。

夫婦杉を跨ぐと良縁に恵まれる由。
希望者が多いのか、樹皮がつるつるになっている。
跨って騒ぐ娘さんたちがいた。
股間がひりひりしないだろうか、と余計な心配をした。

   写真で良縁を逃す恐れがある。割愛し、森生だけの想い出とします。
   いひひ。

山中放浪は、まだまだ続きます。

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神社の風格

2011-11-23 | 風に吹かれて

御岳山の山頂にある神社の正式な名前は「武蔵御嶽神社」である。
創建は古く、祭神が大勢待機し、江戸の西を守り鎮める重要な神社だった。
だが、そのわりに貫禄も有難味もあまり感じられない。失礼ながら、全体が芝居の書割のように薄っぺらい。

石段正面にある拝殿。形は立派だが権現造りにしては軒下の装飾が足りず貧弱。注連縄が棒状なのも不思議。
それに正面をガラス戸で閉じていては、参拝者の祈りや願いが本殿におわす神々に届かないではないか。

国宝・重文を蔵する宝物殿は消防車の車庫か山車の倉庫である。



見ものは石段上左右で睨みを利かす山犬、つまり日本狼の阿吽像である。
お犬さまながら、宝物館前に立つ畠山重忠乗馬像を圧倒
するド迫力がある。



自然石の長い石段は改装工事中。
駅の階段のように歩き易くはなるが、神寂びてくるのは百年後だろう。

石段は通行止めのため裏の坂道を登った。相当な急傾斜でアキレス腱が自然に伸びる。作業車が転がり落ちてきた。
帰りもこの道を、今度は足を踏ん張りながら下りた。

   御嶽神社は、拝殿奥の本殿が小ぶりながら形がいい。
   その本殿の周囲は神さまの団地になっています。疲れていても必ずお参りしましょ。

         武蔵御嶽神社参拝と観光に関するHPを探し出しました▼

         武蔵御嶽神社神職兼宿坊経営者馬場氏の非公式武蔵御嶽神社

         みたけ山観光協会御岳登山鉄道

         ウィキペディア 

         111124


へとへと御岳山

2011-11-23 | 風に吹かれて

御岳山には何度も登っているし、日中は晴れるという予報だ。
しかも坂戸の親方・匠さんがサンチョ氏を伴い、わが猫額亭門前まで大きな車で迎送して下さる。
だから御岳山行はらくらくハイキングとタカを括っていた。

門前から1時間余りでケーブルカー頂上駅に着いた。
天気は一向に良くはならず肌寒い。頂上駅から御嶽山神社下を経由し、長尾平まで歩いた。
身体は温まり、ここまでは予想どおりのらくらくハイキングだった。



だが長尾平分岐から、さぁタイヘン。原発事故級の想定外である。
転がり落ちそうな階段を100メートルも跳ね下り跳ね下りしているうちに、膝が笑いだしたのである。
階段は石ころだらけ、根っこばっかり。瞬時も足元から目を離せず、七代の滝に着いた時は汗ぐっしょりに。

滝の先がまたタイヘン。胸突き十八丁、死の鉄板階段である。それを八百段もよじ登った感じ。
心臓はばくばく、足はよろよろ、周囲の秋を愛でる余裕なぞ全くなく、写真どころじゃありませんからね。

先導する匠さんはいいよ。老人力不足でコンパスが長い。愛妻弁当にも恵まれて体格がいい。
サンチョ氏だって足は短いが小柄軽量。二人とも余裕の階段登りだったらしく、口惜しい。

「岩石園」とは大袈裟である。岩が転がっている当り前の小さな渓流だ。紅葉は無く黄葉ばかり。
だが渓流と絡みながら歩く道はよく整備され、少し楽しくなってきた。新緑の頃は、もっと良さそうな渓流である。

渓流の終点で昼食。匠さんの夫人による創作めし「マテバ椎実入混ぜ御飯黄菊花弁葛葉包み」は美味かった。
ガツガツ食ってしまい写真を忘れちゃった。また作って下さいね。それに短くステキな名前を考えて。

綾広の滝は今でも山伏の行場として使われているようだ。
越中おじがいなくても岩下に御幣があり、何やら怪しい雰囲気だ。滝はたいしたことはない。

滝を後にしてまた登る。後は緩い坂道が長尾平まで続き、都水道局職員が烏天狗のように追い越して行った。
辺りはますます暗くなった。天狗が霧を呼んだようだ。

    【滝巡りと岩石園へこれから行く方にご忠告】
    森生たちの経路を逆に進み、岩石園から引き返すこと。努力対効果を考え七代の滝は外そう。
    滝といったって山犬のお叱呼みたいな滝だからね。

長尾平に着いたのはまだ2時前だった。
膝の笑いも静まり、心臓が飛び出さなかったお礼参りのため「武蔵御嶽神社」に参拝した。

ここで一旦休憩し、神社の印象は次の記事にしますね。ふぅ。
なお、御岳山へ行ったのは去る11月15日でした。

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席を譲られる時

2011-11-22 | 林住期

電車やバスに乗る時、帽子を目深に冠るようになった。
理由は、オシャレのためではなく、座席を譲られるのが嫌だから。

いや、本当は座りたいんですよ、とっても。
だから狸寝入りしてる若造が前にいると、蹴飛ばしたくなるほどニクイ。若造がへなちょこならば、だけれど。

要するに、じじいと見られて同情されるのが嫌なのだ。

座席を譲る時は、「次の駅で降りるので早く立とう」という演技をし、決して「どうぞ」などと言わないで欲しい。
さり気なく、さっさと出口付近に移動して頂きたい。

思秋期後期は本当に難しい年頃だと思ふ。
お願いします。

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幸福について

2011-11-21 | うわごと

見事なシクラメンが届いた。
タイヘン嬉しく思いましてね、品種名札はうっかり捨てちゃったよ。

じじぃになってしまった森生をまだ覚えてくれてるヒトがいることに、いま、少し幸福を感じている。
これで年金受給額と「林住記」閲覧者数が増加すれば至福の境地だが、世の中は上手くゆかないものよ。

年金は今更どうしようもない。ただ祈るのみだ。
使い勝手が悪いグーブログで悪戦苦闘しつつ、新しい記事を続々と投稿しても閲覧数には何の効果もないわぃ。

........ 閑話休題。

ブータン国王ご夫妻が帰国された。お二人の謙虚なお人柄に大いに魅せられた。
特に若い王妃の輝く笑顔は美しく慎ましく聡明である。いかにも幸福そうで森生も幸福な気分になれた。

ブータン王国は国民総生産より国民総幸福量を大切にしている由。
国民の実に96%もが幸福を感じているそうで、誠に羨ましいかぎりである。省みてニッポンは如何に.......。

さて、問題はわが皇太子殿下ご夫妻である。
お二人は畏れながら、ブータン国王ご夫妻のように幸福であらせられるのだろうか。
週刊誌が騒いでいるが、火のないところに煙は立たぬ、という。

連綿たる皇統に前例はいくらもあるはずだ。この際、妃殿下を以前のご身分にお返して差し上げたら如何か。
在外公館か総合商社で活躍して頂けたら、八方がうまく収まるだろう。何かと煩いニッポンにいることはない。
そして皇太子殿下はまた.........、(以下削除)。

皇后陛下のご慈愛に満ちた笑顔は、今では、ごく自然に見える。艱難辛苦の末お立場に適応されたのだろう。
時代は無茶苦茶に進化し、ヒトの心はそれ以上に変化し、人権はグローバルスタンダードであるそうな。
皇太子妃、秋篠宮妃、お若い皇族方の笑顔は、どこかぎごちなく、お辛そうである。



林住期も最早後半となった。
内憂外患のニッポンから、ブログ如きに悩まされぬブータンに逃れ、晴遊雨眠の遊行期を迎えたい。
 厭離穢土、欣求浄土の今日この頃である。
 

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あの町この町

2011-11-20 | 歌の翼に

西武線吾野駅に戻った。3時を少し過ぎていた。
吾野宿は既に日影の底に沈みかけていた。

飯能行きに乗り北側を見ると、嘉手川画伯の白い館が初冬の日射しを受けて輝いていた。

♪ あの町この町 日が暮れる 日が暮れる

朝来たこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ

東郷公園(秩父御嶽神社)は吾野駅から宿場とは反対に秩父方向へ公式20分。断崖絶壁上の狭い道を歩く。
ここは日本海海戦に勝利した東郷元帥を記念する公園で、業種は神社・公園です。

きょう11月20日日曜日は、チラシに拠ると「吾野宿市」が開催される予定。
地元野菜、旧川越農高産新鮮野菜、西川木楽会製木工品、「その他魅力満載の市」になる由。

 

さはさりながら、「出店者・商品出品者・運営協力者等募集中」と同じチラシで呼びかけている。
おいおい大丈夫かい? おヒマな方、確かめに行って下さいね。

神社の紅葉と霊験は間違いありませんが、徒歩所要時間20分はちょっとなぁ......。
なにしろ砕石場の脇を通り抜け、山中の急な坂道ですから。

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燃える社長

2011-11-20 | 風に吹かれて

全てが角ばっているか尖っている工場(こうば)があります。
その前に立つ丸いヒトこそ、浅見鉄工の浅見社長である。
工場は嘉手川画伯邸の真下、国道299号線沿いにある。

無人の工場内を無断で撮影している最中、不意に声を掛けられた時は少し怖かった。
だが、顔や身体のようにまあるく話好きの社長だった。
買わない、と言ったのに色々教えてくれた。


  ウチの手製の薪ストーブは燃焼時間が長いナマ木でも燃やせる。  
  そして煙がごく少なく環境に優しい。

  形や付属品はいくらでも注文に応じられる。
  既製品はこの辺を徘徊する猪の姿にした。

  薪ストーブは周囲の山々に放置されている間伐材を利用できる。
  放置した間伐材は朽ちる時CO2を発生する。

  工場は自分が建てた。鋲は使わず全て溶接だ。


社長は嘉手川画伯のオブジェ制作を技術的に助けたそうで、画伯の画集を見せてくれた。
また薪ストーブのように熱いヒトである。
東北大震災では徹夜して薪ストーブを作り、被災地に持って行った由。


既に3時を過ぎ、日影が長くなった。山峡の吾野宿は夕暮れが早い。
猪鍋を見て急に肉じゃがを食いたくなった。そういえば昼飯はバナナ2本だったのだ。

社長の写真は浅見鉄工のHPから借用しました。
薪ストーブをご検討中の方は、秩父の行き帰りに、工場にお立ち寄り下さいね。

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むべなるかな

2011-11-19 | 風に吹かれて

縁側の古民具の山の中に天井から吊るした鐙があった。
鐙には知らない果実が飾ってあった。実はあけびの実より一回り小さい。



果実は奥様が飾った「むべ」の実だそうで、「さすが!お見事」な装飾になっている。
縁側の軒先にはむべ棚があり、実がたわわの実は甘く美味しいとか。

屋内で既に小一時間も過ごしてしまった。そろそろお暇すべきだろう。
奥様には更に図々しくも、庭先にあるむべの棚に案内して頂いた。

棚の下には畑仕事に出かけたはずの嘉手川画伯もいて、森生を待ち構えていた感じである。
画伯は案外優しく、吾野宿のさまざまなことを教えて下さった。

  (ん? 脈がある、次に繋げられるぞ)

  あのぅ、別の日にまた先生の作品と素晴らしい古民具を拝見させて下さい。
  (
しまった! 「素晴らしい」の位置を間違えた)

  それに、友だちを連れて、また来たいんです。

  だーめ。「吾野宿まちなみ展覧会」の期間だけ頼まれたので開けてるのさ。
  といっても、来たのはあんただけだけどね。どこから来たの?

  吾野駅から単線なら15分の高麗駅からです。これでもご近所の住人ですっ。

  絵を描くのが最優先の生活で、ヒトが来て邪魔されたくないんですよ。

  むべなるかな

傍で奥様は微笑んでいた。
.........う~む。諦め切れない森生だった。

 

次は意外なヒトに出会い、薪ストーブの勉強をしました。

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吃驚仰天

2011-11-19 | 風に吹かれて

あけび棚が庇になっている玄関を入ると、早くも上がり框から吃驚仰天、唖然呆然である。
太い梁が天井に何本もある広い部屋は、黒ずんだ古民具で溢れ返っていた。

煤けて黒光りする古民具の間には、ご主人の描いた抽象画が何枚も立てかけてあった。
そう、嘉手川氏は「嘉手川画伯」だったのである。



ここは博物館ではないので説明カードは一切ない。古民具はよく管理されて埃なぞ見当たらない。
単なる好事家が集めた雑多な古民具ではなく、どれもが端正でさえある。
そして嘉手川画伯の抽象画の強い色彩と造形が異彩を放っていた。



奥様は画伯のアトリエを除き都合5部屋を案内して下さった。
南側を白壁で塞いだ仄暗い部屋のどこもかしこもが、古民具と画伯の抽象画と立体作品で埋まっていた。
ご家族は一体どこで暮らしているのやら。

撮影許可は頂いた。
しかし森生如きの腕前では、パソコンで確認すると殆ど全てがペケだった。

嘉手川夫妻は沖縄出身で、凡そ20年前に吾野に越してきて.........、と奥様からお聞きしたが、森生は探偵じゃない。
奥様は尋ねたことには丁寧に答えて下さるが、余計なことは一切仰らない。
お二人の歴史に大いに関心はあったけれど、失礼に当ると思い、あまり詳しくは尋ねなかった。

画伯の作品は小島喜八郎先生とは真逆の画風である。しかし人生の先輩としてお付き合い願いたい。
奥様は尚家の末裔のように臈たけている。

お二人が集めた古民具はお二人の眼力の確かさを証明し、駒場の「日本民藝館」に負けていない。
しっかり心の準備をして、再訪したい嘉手川家だった。
ところが.......。

人さまの記事ですが、「海邦小国」嘉手川繁夫の世界「丸木美術館学芸員日誌」吾野・嘉手川繁夫さん訪問をどうぞ。
「チョウケン泡瀬通信」嘉手川繁夫展閉幕には画伯とマイクを手にした奥様が載っております。
そして「飯能むすび」という地元ボランティアのウェブが参考になりますのでご覧下さい。

作品では箪笥の奥にある作品に異様な迫力があり気に入りました。
絵は沖縄の陶芸品のようにも見えます。古民具にも通じる立体抽象作品が面白く、好きですね。

作品や古民具についてのここだけの話は、グーブログの操作性が今日も悪いので、敢えて割愛します。
記事はまだまだ続きますが。

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