「森光子さんを悼む」と題した演劇評論家矢野誠一氏の追悼文が良かった。
以下、かい摘みます。
娯楽本位で、日本の演劇の健全な発展を阻害していると思っていた商業演劇が、森光子主演の「放浪記」を観たことで無為徒食の文学青年(矢野誠一氏自身のこと)の目を醒ませてくれた。
拙書「女興行師吉本せい」が劇化され、初めて対面した森光子は、幾多の賞を総なめにして大輪の花を咲かせていたのだが、驕らず高ぶらず周囲の人全てに気を配る評判通りの人柄で、商業演劇業界の体験を気さくに語ってくれた。
長谷川一夫を書いた「二枚目の疵」は森光子から得た多くの材料を使用している。
ここまでは、他の人たちも同じように言ったり(書いたり)しているのだろうが、以下が凄いのでそのまま転記します。
文化勲章受賞の栄誉を手にしてからの森光子はだんだん遠いところに歩み出したような気がする。
「いけない」と思ったのは、「放浪記」にカーテンコールをつけ始めてからだ。
机に突っ伏して寝入った林芙美子の姿で静かに下りた幕が再び上がると、舞台中央に正座した森光子が両腕を高くかかげて、満員の客席にゆっくりと視線を投じる。
観客への讃美であるのにちがいがないが、裏側に強烈な自己陶酔と睥睨する神経が潜んでいるように写りかねない。
それよりなにより、林芙美子の生涯を胸におさめて劇場を出ようとする観客に、森光子のイメージを押し付けて帰すことになるのを恐れたのだ。
思い切って三木のり平に手紙を書いた。(矢野誠一氏は三木のり平演出で「放浪記」は名作になったと評価している)
四谷の酒場で会ったのり平は、「演出者として俺もそう思うけど、直接言うことはできない」と言った。
誰も気安く注文のつけられない所まで登りつめた森光子を思い、胸が痛んだ。
追悼文はとかく褒め上げっ放しで背中がむず痒くなるものが多いが、流石に矢野誠一氏は違う。
そして追悼文の最後をこう締め括った。
数数の栄誉の冠をかぶった、孤高の名女優が静かに彼岸に渡った。
近頃、いい大人が「静かに天国へ昇った」などと書くが、「静かに彼岸に渡った」のである。
本文は11月19日朝日新聞朝刊「文化」頁に載っております。
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