林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

リハビリゲーム

2012-11-30 | 高麗便り

久し振りに万年青へ行った。
ここのカレーライスは懐かしい味がして、しばらく食わないと落ち着かない。

また新しいモノがあった。
指先のリハビリ用具と思い、使い方を奥方に解説していたら、ご主人は「違います、ゲーム玩具です」と言う。

始めに任意の杭を取り除き、空いた穴に一つおいた杭を抜いてきて嵌め、間にある杭を抜いて穴にポイする。
それを繰り返し最後に1本残れば「お見事」だけど、大抵バラバラに数本の杭が取り残り「残念」ということになる由。

 へーぇ!これって、指先のリハビリ用具じゃないですか。

 いや、ゲーム用です。

 いや、頭と指先のリハビリ用具です。

 いや・・・・・・・・・・・・・(以下繰り返しのため割愛します)

ご町内のお暇な方、高麗の里に遊びに来た方、詳しいルールは万年青へ行って聞いて下さいね。
書いたものを読むより聞いたほうが早い。

指先のリハビリにも、脳味噌の攪拌にも向いてるゲーム用品です。

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北のカナリアたち

2012-11-29 | 拍手

北のカナリアたち」は真面目な、いい映画だった
何故、子どもたちはカナリアになったのか。

島の小学生たちに慕われていた小百合先生が、何故島を出なければならなかったのか。
一番泣き虫だった子が、何故殺人を犯し島に逃げ帰ったのか。

映画は過去と現在が度々切り替わるのに、謎解きは分かり易く、納得でき、最後は深く感動させられた。
ただし、笑っていられるような面白く楽しい映画ではなかった。

小百合先生には、死期近い夫が認める小さな「浮気」があり、子どもたちには辛い家庭や妬み嫉みがあり、互いに内心反目しあい、結局誰もが心に深いキズを負っていた。
しかし小百合元先生が成長した教え子たちを訪ね歩くことで、わだかまりや誤解は融け、最後はホッとさせられる。

殺人犯を追って来た定年を迎える刑事が、北の島のカナリアたちが友情を取り戻したのを見て、「俺は大事なものを置いてきたようだ」と呟いたのが印象的だった。

この映画は圧倒的に風景が素晴らしい。暗い北の海を照らす日射しや、沖合いの利尻富士は神々しいほどだった。
一方、音楽が劇的過ぎたようだ。映画館の音響が大き過ぎた所為かもしれないが。

吉永小百合は相変わらず美しい。20年前の先生と現在の容姿が変わらないんですね。
観ていて過去と現在がごちゃごちゃしてしまい困った。やはり老けた姿は興行的に避けたのだろうか。

映画館の各所に「女性に観て欲しい」と書いてある。
じじぃだって、観てソンはしなかった。

ユナイテッドシネマ入間でいつも感じることだが、映画館として適切な音響管理をして欲しい。
割れるような大音量は映画鑑賞の邪魔になることに気付くべきだ。
特に予告編は、腹が痛くなりますね。

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南天

2012-11-29 | あらら!

袋の中は南天がぎっしりなのだろう。これじゃ折角のルビーを見られないのが難点である。
すれっからしのヒヨドリが狙ってるので、分からないでもない。でも、かれらに啄ばませるのも愉快じゃないか。

などと、他人のモノだから言えるのである。

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木枯らし

2012-11-28 | 高麗便り

 

夜明け前から木枯らしが吹き荒れた。

 

高台にあるわが町では、木枯らしはひゅうひゅうではなく、

どどどーん  どーん 

と押し寄せ、雑木山はごうごうと悲鳴をあげる。

じっとしてると冷気が脚をよじ登ってくる。町には日射しが溢れていたが、歩いても歩いても寒かった。

 

町の南端は多峰主山の日陰になり、冬は午後2時を過ぎると早くも日陰になる。

わが猫額亭が3時を過ぎると日が翳るのは、家に囲まれた土地が割安だったからだ。

まだ11月だというのにカラダは芯から冷え、もう股引を穿きたくなった。

・・ 股引を大暇人ははきたくてカメラかかげて今日も暮らしつ ・・

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清流を遡る

2012-11-27 | 高麗便り

人や車で混み合う紅葉狩りの名所は敬遠している。
代わりに今日は高麗川を遡った。それしかすることないし、歩けば行けるところだから。

市は高麗橋から上流を「横手渓谷」と名づけた。
東急西武両団地の山裾を穿つ横手渓谷は日暮れが早いので、ブログの更新もせず昼前に猫額亭を出発。

高麗橋、祥雲橋を経て一本橋を渡り集落へ。木立に覆われていた集落は道路拡幅工事中。農村風景は一変していた。
のどかな風景は失われたが、生活道路が狭過ぎたので、ここは必要な工事である。

諏訪橋。......あんれま! 上流は川岸にピカピカな遊歩道が出来上がっていた。
選挙公報で上田現知事は「どぶ川を蘇らせる水辺再生事業」と書いていたが、高麗川はもともと清流ですけどね。

遊歩道は巾着田に繋げる計画だ。晋ちゃんが紙幣を増刷し土木工事で景気を良くするそうなので実現するだろう。
だが税金はもっと有効に使って欲しい。美しい景観を破壊した遊歩道なんか誰が歩くものか。

諏訪橋から国道に出て、楠淵の真上に出来た不思議なピザ屋(パン屋かも)で遅い昼食。
高麗橋手前で渓谷を離れ、日和田山南麓を蛇行する高麗川べりを通る旧道を歩き、鹿台橋に着いた。

 ここまでは平坦な道だった。
けれどこれから先、猫額亭までの道のりが坂道だ。


 

2枚続きの写真は、出発点である高麗橋から上流と、終点鹿台橋から下流です▲

ところで、横手渓谷に遊歩道を造ったらこうなりました▼
渓流を埋め立てて、こんな道が巾着田まで続いていいのでしょうか?

  

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用心棒

2012-11-26 | あらら!

暗くなってから通りかかると、パッと電灯を点けるのはお前だったのか、無礼者めが。
森生は怪しいものじゃないわぃ。もはや人畜無害だぁ

じろじろ見るなっ、昼間は目を閉じとけ。

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川の流れのように

2012-11-24 | 歌の翼に

 

秋は、高麗川の上流からやって来た。
過ぐる
夏、街から来た人々で賑わった清流。
今はもう秋、誰もいない川。知らん顔して通りすぎてく。


   高麗川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず

   よどみに浮かぶ葉っぱは かつ散りかつ集まりて 久しくとどまるためしなし

   世の外にある森生と猫額亭と またかくのごとし


で、けふもまた、不人気ブログ「林住記」更新にぞこだわりにける、だわ。
淀む血流。
あ~ぁ、こんな日常、飽きたなぁ。


写真は、高麗川に架かるどれみふぁ橋・あいあい橋・ガタガタ橋・獅子岩橋です。

▼人生に飽きた人にも笑える、歌をどうぞ▼

前川清さんと梅沢冨男さんが共演。

川の流れのように

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小道

2012-11-23 | 高麗便り

高麗の里には、一度も歩いたことがない小道が、まだいくつか残っている。
ただ、知らないお宅の間を通る小道を先に進むのは、空き巣かと怪しまれそうで、入ったことがなかった。

そんな弱気を切り替え、かわせみ街道を東側に外れた辺りを徘徊した。近くの高麗川は深い林に遮られて見えない。
子どもは学校へ、奥さんはパートかカルチャーか、どの家にも人はいない。案ずるより入るは易しだった。

家々の軒先を通りすぎると、視界が開けた。
見慣れた風景とは異なり、赤城山麓か浅間山麓でよく見かけたホンモノの里山の趣がある。

軒を接する文化住宅の裏には、盛りを過ぎた小菊が咲く菜園が広がっていた。
野良じぃが居れば親しくなって、野菜を分けていただくつもりだったが、ここにも人はいなかった。

空き巣はともかく、ハクビシンの所為にして、大根一本ほうれん草一株くらいならニンゲンだもの、構わないよなぁ。
.......角の文化住宅で狸爺が辺りを見張っていたので、そういう恥ずかしいことはやめにした。

小道の入口に戻り、折れ曲がった坂道を下りると高麗川に架かる高岡橋である。
秋の陽は釣瓶落とし。川面には夕暮れが漂い始めていた。

 

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たそがれる巾着田

2012-11-22 | 高麗便り

彼岸花見物で混雑する巾着田は、晩秋から初冬にかけてが美しく、日没寸前の輝きは格別である。

ただ、その見事さを写真に撮るのは極めて難しい。デジカメの機能を使いこなしてないこともある。

しかし、過剰な看板・柵・電柱電線・資材倉庫ほか駐車場・舗装道路などが、美しい風景を著しく損ねているからだ。

英国湖水地方の風景を毎日見ていると、われわれの景観に対する意識は相当低いようだ。

地元の住民が日々の生活のために、畑にバラック小屋を建て、ビニールを散乱させるのは一先ず目を瞑ろう。

だが、県と市、商工会に観光協会、そして巾着田管理事務所による景観破壊は目を覆うばかりだ。

写真はそういう実例は敢えて外し、絵のような風景だけを選びましたが.......。


カメラを少しずらすと、この通り。

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だらしねえ客

2012-11-21 | 先輩のお言葉

きょう11月21日は立川談志の一周忌に当るそうだ。
19日朝日朝刊に、立川談志の言葉が幾つか紹介されている。

 ・落語とは人間の業の肯定である。

 ・落語はイリュ-ジョンなんだ。

 ・今までになかった形式を納得させた時に芸術が生まれる。

談志は異端児風雲児革命家批評家、もしかすると大名人だそうだが、落語家がこういう難しいことを言うとは呆れた。
「円生死して落語の灯が消えた」と新聞が書いたとき、

 ・何ィ云やぁがる、俺様が居るぢゃあねえか。

ほかにも、

 ・私は金持ち(品性が低いタニマチ)に切符を買ってもらうほどセコイ芸人ではない。客は来るもんね。

 ・ヒトラーが「余にとってドイツは小さ過ぎる」と書いた如く、家元(わたし)には落語は小さ過ぎる。

などとも言ってたそうだからますます嫌いになった。だいたい、談志はそんなに上手いのかね。
しかし、以下の言い分には賛成だ。

 ・落語はきちっとし過ぎると面白くないんだ。

 ・客は少し面白くても「金取ってるじゃねぇか当たり前だ」と冷たくあしらった。それに比べ今の客はだらしねえ。

日曜の夕方のTV番組「笑点」をよく見るが、大喜利の前に演る漫才(コント)のつまらないこと甚だしい。
客がなんであんな下手な芸人に大笑いするのか不思議である。名指しでヒハンしたいが、名前を覚えるのも癪だ。

そうだ、あれは入場無料だからなのか。

聞き書き「人生、成り行き-談志一代記」は面白かった、.....というより驚いた。
きちっとしてない落語がいいけれど、林家こん平はだらしない落語で好きではなく、はちゃめちゃ円鏡がよかった。

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監禁事案

2012-11-20 | あらら!

トラックが閉じ込められている。助け出さないと。

小屋の周りをぐるっと廻ってみた。どこからも助け出せない。
犯罪の匂いはない。夕方になると、ホルモン焼きと安酒の匂いがするだけだ。



バラックの南西、北東、南側から撮りました。
北側は国道299号線です。

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彼岸に渡る

2012-11-19 | 拍手

 

「森光子さんを悼む」と題した演劇評論家矢野誠一氏の追悼文が良かった。
以下、かい摘みます。

娯楽本位で、日本の演劇の健全な発展を阻害していると思っていた商業演劇が、森光子主演の「放浪記」を観たことで無為徒食の文学青年(矢野誠一氏自身のこと)の目を醒ませてくれた。

拙書「女興行師吉本せい」が劇化され、初めて対面した森光子は、幾多の賞を総なめにして大輪の花を咲かせていたのだが、驕らず高ぶらず周囲の人全てに気を配る評判通りの人柄で、商業演劇業界の体験を気さくに語ってくれた。

長谷川一夫を書いた「二枚目の疵」は森光子から得た多くの材料を使用している。

ここまでは、他の人たちも同じように言ったり(書いたり)しているのだろうが、以下が凄いのでそのまま転記します。

文化勲章受賞の栄誉を手にしてからの森光子はだんだん遠いところに歩み出したような気がする。

「いけない」と思ったのは、「放浪記」にカーテンコールをつけ始めてからだ。
机に突っ伏して寝入った林芙美子の姿で静かに下りた幕が再び上がると、舞台中央に正座した森光子が両腕を高くかかげて、満員の客席にゆっくりと視線を投じる。

観客への讃美であるのにちがいがないが、裏側に強烈な自己陶酔と睥睨する神経が潜んでいるように写りかねない。
それよりなにより、林芙美子の生涯を胸におさめて劇場を出ようとする観客に、森光子のイメージを押し付けて帰すことになるのを恐れたのだ。

思い切って三木のり平に手紙を書いた。(矢野誠一氏は三木のり平演出で「放浪記」は名作になったと評価している)
四谷の酒場で会ったのり平は、「演出者として俺もそう思うけど、直接言うことはできない」と言った。
誰も気安く注文のつけられない所まで登りつめた森光子を思い、胸が痛んだ。

追悼文はとかく褒め上げっ放しで背中がむず痒くなるものが多いが、流石に矢野誠一氏は違う。
そして追悼文の最後をこう締め括った。

数数の栄誉の冠をかぶった、孤高の名女優が静かに彼岸に渡った。

近頃、いい大人が「静かに天国へ昇った」などと書くが、「静かに彼岸に渡った」のである。

本文は11月19日朝日新聞朝刊「文化」頁に載っております。

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おはよう日本

2012-11-18 | 重箱の隅

土日朝のNHK「おはよう日本」からメインキャスターの森本健成アナが消えた。
電車内で痴漢行為を行なったからだ。痴漢は冤罪が多いそうだが「酔っていて覚えてない」のならやはりやっただろう。
彼がNHKの「朝の顔」だったとは呆れたもんだね。

薄汚い森本容疑者を、朝の番組に相応しくないと思っていた。
寝癖がついた髪、横着なノータイ姿、何にでも大袈裟に驚く下手な演技などが嫌いだったので、番組から消えてサッパリした。痴漢ではなかったとしても、前後不覚で電車に乗るような職員を視聴者の前に出さないこと。

「街角情報室」担当の鹿島アナと、相方である鈴木アナの二人も、番組から降ろすべきである。
鹿島アナは語尾上がりの早口が下品である。下品は大目に見ても、二人は番組を完全に私物化していて見苦しい。
毎回私生活を暴きあい、げらげらくすくすと思い出し笑い。二人も何か事件を起こしそうである。

「おはよう日本」は民放の真似をして出演者が多過ぎるため、騒々しく、せわしなく、朝、安眠できない。
一つのニュースは一人のアナが読むこと。漫才じゃあるまいし、何で男女アナが入れ替わり立ち代り読み上げるのか。
天気予報は予報士一人で充分で、余計な前置きや要らぬ相槌は要らぬ。

アナや予報士はニュースや予報を脇に控えるアナに伝え、脇にいるアナは無闇に驚き感動し、勝手に盛り上がる。
彼らの月給を負担している視聴者はそっちのけで、まるで視聴者は傍から見させて聞かせて頂いているようなものだ。
特別番組には優れたものがあるが、朝夕の報道番組、特に「おはよう日本」は惨状を呈し、さよならNHKである。

   

NHKの受信料が7%引き下げられた。本来は10%値下げが目標だったのである。
10%の値下げは4年越しの懸案だったが、経営委員は執行部の7%値下げ案に妥協した。


NHKにはアナウンサーが多過ぎるようだ。
また、光熱費をもっと節約できる。女子アナが冬でもひらひらと薄着なのは、暖房設定温度が高過ぎるのである。
森本容疑者がクールビズの季節を過ぎても、だらしないノータイ姿だったのは暖房が暑いからである。

朝晩の報道番組にぞろぞろ出演し喧しくしているだけのアナを削減すれば受信料10%下げは実現できた。
暖房温度を下げていれば、春の夜の野良猫のような森本アナのみだらな欲望は抑えられた。

そのいい例がここにいる。わが猫額亭の朝晩は、本当に寒いんだよ。

その他、平日の「おはよう日本」について▼

「おは・スポ・ザ・ワールド」とは何たる日本語か。「朝ズバッ」や「8時またぎ」や「エンタメ」などに付き合うことはない。
「世界のニュースを短くまとめた世界のニュースザッピングです」にはイライラする。
「世界のニュースを短くまとめました」と短く言えばいいのだ。

美濃焼民芸酒徳利は「陶器堂」さんからお借りしました。

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おっくう

2012-11-17 | うわごと

この頃、何もかもがおっくうになることが多いようだ。
きのうは、絶好の徘徊日和だったのに、酷くおっくうで、ひねもす家に垂れ込めて、のたりのたりとしていた。

おっくう、億劫。

何やら深い曰く因縁がありそうな言葉である。
おっくうなのを押して、「語源由来辞典」を調べてみた。

いやはや、おっくうとは大変なものですな。
森生の場合、おっくうの拠って来るところは凡そ百年前から始まっていたのだ。

昼寝をした。夏ではないから布団でした。昼寝をすることはちっともおっくうではない。
だが
一時間や二時間の昼寝で、おっくうが消える筈がない。

折りしも秋たけなわである。葉っぱがおちること多少どころじゃない。

あと何回の秋を楽しめるかを考えれば、おっくうを追い払わなければならないな。
先ずは、おっくうがらずに、朝おきたら、布団は押入れにしまうとするか。

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