約束どおり、雨催いの割合涼しい日、三爺うち揃って「旧白洲邸 武相荘」へ出かけた。
夏を迎える武相荘は鬱蒼と茂る木立に抱かれて仄暗く、コンデジカメラにはその佇まいが巧く写せなかった。
それに素晴らしい母屋内は撮影禁止。撮って撮れないこともなかったが、連れの紳士二人を前に、コソ泥のようなことはできなかった。
展示品は日用雑器が多く、作家ものはあまりない。そして作家の作品であっても、日常的に使いこんだものだそうだ。
う~む、恒産があれば心がけ次第で、渋いながらも彩り豊かな世界が作れるんですね。ま、その恒産の多寡が問題ではありますが.......。
白洲正子夫人の書斎がステキだった。こういう書斎なら林住記の更新も大いに捗り、斯界での評判も良くなるに違いない(かな?)。
本の重みで書棚が大きく撓んでいる。頑丈な書架を作ればいいのに、正子夫人って意外に大雑把で締り屋なんですね。
それは書斎脇に掲げた自筆の額、「家の選びかた(違う題だったかも)」についての文章でも裏付けられた。以下、その大意です。
家は不完全がいい。住み方が年月と年齢により変化するので、変化に合わせて家は改造すればいい。
私は大雑把な性分だから、不完全なこの家が気に入っている。始めから完全な家は、家に住み方を指図されるようで面白くない。
この家は、古かったが骨組がまだしっかりしていた普通の養蚕農家だったので、多少の不都合には目を瞑り購入した。
以後、何度も何度も手を入れている。この先もそうするだろう。
という正子夫人のお考えを不肖・森生も学びたい。
だが、ここでも改造費用はどう捻出するのか?という素朴かつ重要な疑問が湧き、所詮わが猫額亭では見果てぬ夢ですなぁ......。
白洲次郎氏が居場所にした元の土間は、床を敷き床暖房を入れ、本革ソファが鎮座。置物・照明器具その他諸道具が高尚な雑然。
夕暮れ時、大工仕事の後、ジーパンのまま重厚な椅子に凭れ葉巻を銜える.......。最高のゼイタクですな(ふんっ)、と。
武相荘という名前は不愛想にかけている。白洲夫妻が気に入った客人しか招き入れないつもりで、そう名付けたのだそうだ。
地理的には武州と相州が入り組んだ、現町田市、元鶴川村の丘陵にあり、日米開戦時に、東京が焦土と化すのを見越し引っ越してきた。
林の周辺にはオレンジやピンクの派手な文化住宅が、大波のように押し寄せてはいても、わが彩の国よりは上等な土地柄である。
母屋の番人をしているお母さんは明るく親切で、武相荘の全てを知っているようだった。
切符・記念品売場担当のお母さんは、ななんと森生が長年勤めた会社の後輩だった。リストラの大嵐の際、現館長に引き抜かれたらしい。
30年も前だったか現館長とは少し接点があった。お母さんとは、ラテン気質の現館長の、愉快な逸話で盛り上がった。
そう、武相荘は決して不愛想ではない。林が明るくなる晩秋から冬か、新緑の頃、また行ってみたい。
展示品の撮影が禁止されていたので、本と団扇の写真は、わが猫額亭のほんの一部の備品であります
夏季展示品は団扇ではなく、色ガラス食器類でした。武相荘のHPをご覧くださいね。
麦藁手片口・鉄釉掛片口は武相荘特製絵葉書を転写しました。
140623