白亜の鳥居観音は山の上に三人連れで立っている。
場所は旧名栗村の西。家からは40分で麓に到着する。
一応仏教寺院ではあるが無宗派の由。
正式な名前は「白雲山鳥居観音」です。
この寺を開いたのは、今では手に鎌を持ち脚絆地下足袋姿の銅像になったお金持ち。りそな銀行の前身の旧埼玉銀行を経営していたらしい。
山仕事姿に身をやつしてはおられるが、風貌には威厳があり、見習わなければならぬ、と反省しました。
麓の入口には本堂をはじめ庫裏や博物館(「鳥居文庫」)まである。夫々3癖も4癖もある建物である。
本堂は外観内部ともてんこ盛り。一体全体ご本尊はどなた?である。
ここには由来看板などもあるし、お金持ち像の左には貞淑な夫人の胸像もある。
博物館の縁の下には出番を待つ石像群が犇いているので、今後どのような使い方をするのか興味津々。閉じ込められた可哀相な仏様や女神を見落とさないこと。
入口から車道があるが、500円が必要。集金箱があるだけで無料で通行するのは気がひける。それで徒歩40分という山道を登った。これは正解でした。
山道は良く整備されてはいる。あちこちで立木を手入れ伐採している。
ただ、自然石で拵えた階段にゴツゴツした岩盤が露出して結構、息、上がります。
また、集落を遥かに見下ろす急斜面の道では、股間がスースーします。
そういう苦労はあるけれど、デズニーランドにこそ似合う「平和観音像」や真紅の「展望台」など奇妙奇天烈な楼閣を巡るトクがあった。
もっとも「仁王門」と中に鎮座する阿吽像はまともであるし、お金持ちのご両親を記念する「恩重堂」は、ま、一応真面目な造りではある。
車道と合流するところに三蔵塔という恐るべき白亜の搭がある。
三蔵法師の遺骨のごく一部分がある、と言うがまさか!
中華、印度、マヤその他の様式がゴチャマゼであり、旅姿の三蔵法師の銅像がある。ここは十分に細部を観察鑑賞すること。
ここからは車道を白亜の巨大な救世大観音立像に向かう。途中にクラゲのような「大鐘楼」や印度風の「納経堂」がある。納経堂はただ今ペンキ塗り替え工事中でり近づけない。近付けたって、もう坂道はご免だよ。
ようやく辿り着いた「救世大観音立像」。立派立派、大したもの。
思わず頭が上がります。参った参った。
ここまではね。
すなわち、石段を登って愕然とする。
観音様たちの台座部分が御殿になっており、まるで、千尋の雇い主だった湯婆の館である。もっとも化け物相手の温泉場の経営は傾いているようですが。
観音様は背中に籠のような展望ベランダを背負ってる
いくら好き好きと言ってもあんまりな意匠。
こちらはゴチャマゼ三蔵塔に、ギリシャ神殿様式が加わり更に素晴らしい。
興福寺から四天王の内お二人がお出ましになって、上から睥睨している。
内部は平日だったので、残念ながら入れなかった。どうも豪華絢爛この世の極楽のようらしい。玄関両側のガラス窓には仁王様。
休日に再訪問の必要がある。
ここからの下界や周囲の山並みは圧巻であった。
例年どおり順調に季節が推移していたら、さぞ素晴らしい紅葉風景を楽しめたであろう。
まあ、家から近いから新緑を楽しみにまた来てもいいか、とも思う。
帰りは車道を歩いた。
相当な急勾配で、森男の軽ではとても上れそうもない。
竜宮城正門のような「玉華門」や、風神雷神がしがみ付いている「トーテムポール」がここはパラダイスなんだ、とか。愉快、痛快、滑稽、結構である。
鳥居観音は坂戸の「聖天宮」に匹敵する建築群、と言える。埼玉県の誇りである。
聖天様は道教に則ってキンキラキンの中華風に纏めているが、こちらはユニバーサルに混沌としている。
聖天様より境内が遥かに広いので、異形の建物の印象は散漫。代わりに美しい山林風景や一寸したハイキングを楽しめるというご利益がある。
拝観料は200円。集金人は見当たらなかった。
それならお賽銭で、と思ったけれど、吃驚してしまいどうも信仰心は湧かず、結局只。
それにしても、この険しい山に着目して、この奇天烈なお寺を創った地下足袋のお金持ちは偉いと思う。ムラカミホリエモン、勉強しろよ。
なお、食堂の類はありません。
近くの「さわらびの湯」と「農産物直売所」は生憎休業。
「味自慢」の蕎麦屋は十数人の爺さん婆さん連れが座敷に陣取り、店員はパニック。注文なんか取りに来ない。ピラカンサの実が見事な広場で、冬桜を見ながら昼食にした方が精神衛生上よろしい。
結局、家に帰って遅い昼食となりました。
追加の写真掲載作業が難航しております。次稿「鳥居観音アルバム」に続きます。
「聖天宮」は昨年12月29日記事「こてこて聖天宮」をどうぞ。
仁王門と恩重堂はお寺のHPから借用しました。