身体が酷く重かったが、友達との約束があったので、飯能市民会館大ホールで開かれた講演会に行ってきた。
演者はかって漫才で一斉を風靡したB&Bの片割れ、島田洋七である。
演題は「島田洋七とかばいばぁちゃん」だった。
「佐賀のかばい・・・・」は読んでいないが、多分、同じ内容だろう。
洋七クンは激しい浮き沈みを乗越え、あの頃の元気を持続し、機関銃のようにくすぐりを入れた。
得意の貧乏ネタと、かばい婆ちゃんの話は1000人の笑いを呼び、会場は爆笑の渦。
だけど森生は肺に響く咳を飲み込むのに気が散り、あまり笑えなかった。無理強い笑いの底が浅いしね。
「人間、一つことを懸命にやり続ければ、必ず報われる」という考えを伝えたかったようだが、それは洋七の場合。
人間百近くにもなれば普通、為しても成らないことが分かってくる。洋七クンは、まだまだ未熟ですな。
話はあちこちに飛んだ。
笑っていいともの前任司会者が洋七だったそうだ。でもねぇ、やはりタモリ氏の方が懐が深いよ。
たけしや紳助との交友も面白おかしく話してくれたが、生憎、森生は二人の芸風が嫌いだ。
念のためにウィキペディアで島田洋七を調べた。
ビートたけしの洋七評は、彼から漫才を取れば、ウソツキ・ほら吹き・詐欺師・裏切り者で、漫才は敵わない、とか。
一時間半、1000人の聴衆を大笑いさせ続けた洋七クンは、とにかく偉い。法螺も芸の内である。
ところで洋七クン。なにもかもをさらけ出したようだけど、B&B時代の相方についてはな~んも言わなかった。
なんか不自然。根はインケンなのかも。やはり漫才師は、漫才で客を笑わせてほしい。
講演会は飯能青年会議所の主催だった。なんでも創設40周年だそうだ。
挨拶のために舞台に上がった青年たちはまるで一張羅の背広でめかしこんだ自衛隊員みたい。
聴衆に頭を深々と下げるのは当然だが、舞台天井に吊った看板にも最敬礼するのが可笑しかった。
みんな羨ましいほど元気だった。それにしては町がどうして寂れる一方なんだろう。
130930