林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

洋七のかばい婆ちゃん

2013-09-30 | 重箱の隅

身体が酷く重かったが、友達との約束があったので、飯能市民会館大ホールで開かれた講演会に行ってきた。
演者はかって漫才で一斉を風靡したB&Bの片割れ、島田洋七である。
演題は「島田洋七とかばいばぁちゃん」だった。

「佐賀のかばい・・・・」は読んでいないが、多分、同じ内容だろう。
洋七クンは激しい浮き沈みを乗越え、あの頃の元気を持続し、機関銃のようにくすぐりを入れた。
得意の貧乏ネタと、かばい婆ちゃんの話は1000人の笑いを呼び、会場は爆笑の渦。

だけど森生は肺に響く咳を飲み込むのに気が散り、あまり笑えなかった。無理強い笑いの底が浅いしね。
「人間、一つことを懸命にやり続ければ、必ず報われる」という考えを伝えたかったようだが、それは洋七の場合。
人間百近くにもなれば普通、為しても成らないことが分かってくる。洋七クンは、まだまだ未熟ですな。

話はあちこちに飛んだ。
笑っていいともの前任司会者が洋七だったそうだ。でもねぇ、やはりタモリ氏の方が懐が深いよ。
たけしや紳助との交友も面白おかしく話してくれたが、生憎、森生は二人の芸風が嫌いだ。

念のためにウィキペディアで島田洋七を調べた。
ビートたけしの洋七評は、彼から漫才を取れば、ウソツキ・ほら吹き・詐欺師・裏切り者で、漫才は敵わない、とか。

一時間半、1000人の聴衆を大笑いさせ続けた洋七クンは、とにかく偉い。法螺も芸の内である。

ところで洋七クン。なにもかもをさらけ出したようだけど、B&B時代の相方についてはな~んも言わなかった。
なんか不自然。根はインケンなのかも。やはり漫才師は、漫才で客を笑わせてほしい。

講演会は飯能青年会議所の主催だった。なんでも創設40周年だそうだ。

挨拶のために舞台に上がった青年たちはまるで一張羅の背広でめかしこんだ自衛隊員みたい。
聴衆に頭を深々と下げるのは当然だが、舞台天井に吊った看板にも最敬礼するのが可笑しかった。
みんな羨ましいほど元気だった。それにしては町がどうして寂れる一方なんだろう。

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早くも流感か

2013-09-28 | 林住期

マミーマートから帰ってくる坂道が酷く辛かった。途中で3回も休憩したのは初体験である。
家に帰り着き、今日の記事を書き始めたが、全く興が乗らない。
とりあえず横になるとゾクゾクと寒気がし、身体中の関節が痛む。

これってインフルエンザの走りですかね。ちょっと自慢できるかもな。
きのうの鎌倉は、埼玉より寒かったからだろう。

それでも夕食後、2回目の栗の鬼皮剥きに挑戦。
前回より仕事が雑なのが分かる。何しろ同じ分量を2時間で済ましたからね。

味付けは明日にして、今夜は早く寝ることにします。
今から、42度にした熱い風呂に入ります。

お休みなさい。

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お墓参り

2013-09-27 | 林住期

運良く台風が逸れて、この春先に亡くなっていた大先輩の墓参りをした。
昨年の新年会幹事3人だけでのつもりだったが、噂を聞きつけた人が加わり11人での墓参りとなった。

葬儀は家族葬で済ませたために、誰も知らなかった。
その後、奥さまが「鎌倉霊園」に納骨されたと聞き、お彼岸の最後の日に墓前に集まることにした。

新しいお墓はお人柄を表して、余分な飾りなど無く、小振りだけれど清々しいお墓だった。
墓前からは、雲の切れ間の箱根と丹沢山塊が見晴らせた。

    

この霊園が出来てすぐに社命で来たことがある。
一番高い場所富士見門近くに、この霊園などを開発した創業者の巨大な墳墓があり、魂消たものである。
その頃の霊園は、現在ほど広大ではなかった。

創業者とその家族に社員たちは翻弄されたが、時は全てを浄化し、当時の恨み辛みは笑い話になった。
大先輩の新しい墓の近くに墓所があるはずだから、折角の機会にお参りし記帳しよう、という成り行きになった。
しかし現在の霊園の職員はその所在を知らなかった。


創業者は当時、「会長」ではなく、専ら「大将」と言われており、大将はその尊称を喜んでいた。
2ヶ所で職員に「大将のお墓は何処?」と尋ねても、「は?タイショーですか?それって何ですか?」という状態だ。
本名でも「さぁ?」ということだった。あれから半世紀。偉大な創業者にして暴君は土に還ったようである。

われわれも「そいうことならまぁいいか」と、お参りは中止にした。
あれは大昔のことだったし、ハラの虫を黙らせるのが喫緊の課題だった。

    

霊園は鎌倉を囲む山々を切り崩し谷を埋め、巨大で充分以上に整備されていた。
太刀洗門から周囲を眺めた第一印象は圧倒的だ。それでも足らず、朝比奈峠方面はまだ造成工事を進めている。
霊園は物凄い環境景観破壊だった。鎌倉が世界文化遺産に選ばれるはずがない。

ここを墓所と決めた大先輩には申しわけないが、墓地はもう造らないほうがいいと思う。
散骨や合同墓など、最近増えた家族葬と同様に新しい墓のあり方を考える時代が来ているようだ。
今のままでは、日本中の大都市の郊外が、墓地になってしまうおそれがある。
    

墓参を終え、市内西御門で同輩が定年退職後に始めた蕎麦屋で昼食会を開いた。
中先輩、同輩、後輩が集まったが、以前の肩書きは綺麗に外し和気藹々。美味い酒肴と蕎麦を楽しんだ。

昨年の新年会は大先輩の米寿祝いを兼ねた。来年は卒寿祝いを考えていたが、肝心要の方が亡くなってしまった。
やはり統合の象徴、お神輿が必要だ、と言う幹事3人の事前の筋書きどおり、中先輩に会長を引き受けて頂いた。
そして次回の幹事仕事は次の世代に託すことにし、後輩3人を指名し、了承させた。これは半ば腕ずくで。
 

昼食会の後、新会長は由比ガ浜で喫茶店を成功させた元部下の店へ。一人は逗子の兄弟宅に。
森生は、北鎌倉の円覚寺にご先祖と両親の墓があるけれど、生きている人たちのほうが懐かしく大切。
老いた椋鳥たちは湘南ライナーに並んで座り、歳を忘れて囀りながら、埼玉県に帰ってきた。

挿絵は草思社刊「鎌倉 海と山のある暮らし」(安西篤子文・沢田重隆絵)から。

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原風景のなかへ

2013-09-26 | 拍手

 「室津漁港」

「原風景のなかへ」(山川出版社)は、高名な水彩画家・安野光雅さんの画文集である。
見開き2頁に水彩画があり、続く2頁が文章になっている。

「原風景」は観光名所が多いが、描いた場所は少し外し、文章はその場所からもっと自由に外している。
例えば「九十九島」では、父の里、要塞地帯、ジブラルタル、ハウステンボス、ゴールド免許資格喪失、というように。

水彩画も佃島では高層マンションが林立する現在の風景ではなく、「ありし日の佃島」を描き、佃煮屋を偲んでいる。
富山市八尾町では、おわら風の盆について語るより、安野画伯の故郷津和野の思い出話のほうが多い。

川越の菓子屋横丁では中学生と店のおばさんとの遣り取りが可笑しい。
「長崎県鬼木の棚田」では原発事故に重ねて、西欧の文明を追ってきた日本の文明の限界を案じている。

「筑波山の麓」では2頁を追加し私立蝦蟇高校校歌を披露。
鎌倉「腰越漁港」では、頼朝嫌いだがシラス漁の漁師は気に入った。

 「栃本関跡のある村」
 「腰越漁港」

後書きに大切なことが書いてあった。
「先祖が残した田畑をブルートーザーが動き易いように壊し、利益率が高ければ簡単に農地を工場に明け渡す」。
「わたしの思惑などと無関係に、驚くべき速さで自然は様相を変える」。
という意味のことを書き、文末の4行から抜粋します。

  いままさに、原風景は失われようとしている。それも加速度を増しているように思う。
  
例え貧しくても、自然の風景の中に住んでさえいれば、そこは本当に安住の地なのであることを、
  (後悔と共に)早く気付いた方がいいのにと思っている。

「蔵造りの町並み」
 「近江町市場」 

全国34箇所に足を運んで描いた水彩画は瑞々しく、文章は平易で、一気に読んでしまえる。
だが一日一箇所くらいにして、ゆっくりと隠し味まで味わいたい本であります。

 

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歩数計

2013-09-25 | 風に吹かれて

秋晴れだ。夏の間、敬遠してきた山歩きをようやく再開する気になった。
だが、いきなり多峰主山では鈍った身体に辛い。手始めは山を越えて飯能へ買出しに行くことに。

山から出ると西武電車の操車場。黄色い電車がだんだん少なくなってきた。増えるラッピング電車はみっともない。



飯能市観光案内所「夢馬」。時々地場産の珍品がある。無花果ジャムは荷物になるので、買わずに覚えておく。

だだっ広い百円ショップと薬屋は通過。スーパーマーケット・マミーマートは音入れ拝借、ありがとね。

  

きょう、2度目の登り坂に取り掛かる。見た目よりキツイよ。坂道を坂道らしく撮る方法ないものだろうか。

新設の図書館はかなり頑張って、瀟洒である。おじぃの居場所に最適。弁当を使える部屋を発見。



急ぐ旅ではない。歩数計を持ってきたので歩数を稼ぎたい。古い飯能の路地を、敢えてジグザグに歩いた。



手遅れ稲荷。持ちこたえる家。それなりにモノ錆びて、侘しく逞しい。消費増税反対に賛成。

日除けの取付け金具、壁飾り、洗濯用品、植木鉢ほか。百円ショップ同様、家庭科の生きた勉強になりますな。

市内でここだけが賑わう飯能駅を通り越してサビアへ。ソフトクリーム200円。日高・飯能で一番安いのだ。

サビアで一息入れ、駅ビルPEPEの本屋を覗き、食鮮市で買物。バスで坂の町に帰る。これが当初の計画だった。
一口茶屋で、あっちこっちのポケットに手を入れてまさぐったが、じぇじぇじぇー。ナイ!リュックの中にも無い。

小銭入れが無いのだ。当然、札入れなんかあるわけない。哀れ森生は一文無しなのであった。

帰り道は飯能市内を斜めに歩き、坂の新道を越え、ガソリンスタンドも斜めに横切り、マミーマートへ辿り着いた。

狙いはパイナップルの試食。3個くらいは頂こう。だがパイナップルは無く梨も無し。入店客数が減るわけだ。けっ。

結局、何も飲まず食わずだった。秋の日は釣瓶落とし。明るいうちに山道を越えねばならぬ。

長い坂道をよろよろと上り切ると買物難民団地だ。下り坂の途中にあるわが懐かしき猫額亭にへとへとで帰還した。

で、今日の歩数は合計何万歩になったのか。

   

じぇじぇじぇー、たった15705歩だよ。
洗濯にも耐えたと思ってたが、歩数計め、壊れてるに違いない。

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鬼皮剥き

2013-09-24 | 林住期

採れたての利平栗が手に入った。
彼岸花の時期だけ、手作りの土産店を開くご同輩が、実家に頼み、特別に大きい実を集めてくれた。


すぐ茹でて、実に潜んでいる虫の卵を殺す。
夜になってから4回茹でる。栗が口を開け、鬼皮が柔らかくなったので、ブログは止めて剥き始めた。

  ♪ じぃさんはぁ夜なべをして栗の皮剥いているぅ~ おばぁは土間で藁打ち仕事 お前もガンバレよぉ~

皮剥き用の道具は買っても年に1回しか使わない。どうせ来年は行方不明になっているはずだ。
ウチでは魚の小骨を抜く、料理用ピンセットで鬼皮を剥く。これで充分。

一袋たったの15個でも、鬼皮剥きはうんざり。鼻歌が止まり、剥きかたがだんだんぞんざいになってくる。
着手したのが遅かったので、全部剥き終えたときには日が変わっていた。

いくら今日の予定は無いといっても、とっくに寝る時間になっていた。今夜は別にして。
渋皮煮は、今日中に完成させるつもりでいる。

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一目5000台

2013-09-22 | 高麗便り

巾着田の彼岸花は、今朝、300万本くらい開花していたそうだ。
が~こさんという方がそう教えてくれたので、午後なら500万本になってるかも、と巾着田に向かった。


西武高麗駅から、いやはや大変な人出である。更に巾着田の入口から南、巾着田方面を見渡すと、車だらけだった。
堤防の外側にも駐車場があるので、一目5000台かな? 見ただけで喘息になりそうな景色である。


車に脅かされたり、警備員に指図されたくないので、巾着田には入らないことにした。
彼岸花は墓場で咲く5、6本がいい。
500万本が咲く赤い絨毯なんか、イナカッペが好む風景だぃね。ふんっ。


そこで以下は、巾着田ではない高麗の里、今宿・清流・高岡・栗坪・北平沢で、ひっそり咲く彼岸花です。
彼岸花はこちらをお勧めします。






秋の高麗の里は、排気ガスや人混みを避け、かわせみ街道や、梅原・楡木・猿田など山の辺の道を楽しんで下さい。
雑踏する巾着田とは異なり、しみじみと、飽きが来ない秋が来ております。

巾着田に咲く彼岸花、いや「五百万本の曼珠沙華」は、日高市と観光協会が作ったパンフでご覧下さいね▼

巾着田管理事務所はこちらをどうぞ。 

中で「彼岸花の群生地は漂着した球根が自然に広がった」とありますが、それは真っ赤な嘘。
「俺が株分けして植え広げた」と言う人を知ってますし、作業を見たこともあります。
ま、自然群生説は田舎伝説の一つとして、驚いてあげましょうね。

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とことん味わう

2013-09-21 | 林住期

かすてらが好物である。
といっても文明堂のように名の通った代物ではない。まして福砂屋においておや。
ま、大体が、いやいつもスーパーで、山積みになってる無名のかすてらで満足満足(=我慢我慢)。

朝、遅く起きてきて、さぁ今朝は何を食すか、と先ず考える。

    おっ、かすてらが残ってるぞ。

セロファンを切り開き、箸で慎重に摘んで一口。

    んまい!

冷たい牛乳をごっくん。

   

かすてらで一番美味いのはどの部分か。
それは敷き紙にへばり付いてる底の部分と、セロファンにくっ付いている焦げた屋根の部分ですな。

今日も予定はなぁんにもなく、ウチにはだぁれも来ない。

夜更かし蟋蟀がリリリと鳴く声を聞きながら、ゆっくりとかすてらをこそげ落とし、口に運ぶ。

至福の朝でありまする。

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宵待草

2013-09-20 | 歌の翼に

   

ありゃりゃ、「中秋の名月」はゆうべだったんだとさ。そして、ゆうべは月も出たそうな。
パソコンを弄っていたので忘れてたよ。

中秋の名月は当然、毎年が満月かと思ってたら、次の中秋の満月は8年先なんだとさ。
今年、去年、一昨年と中秋の満月が続き、来年からは満月じゃない、なんて話、あなた分かりますか?
熱海海岸での間寛一クンの台詞のようで、お宮さんも信じられないだろうね。

   

月に関する歌といえば「宵待草」だ。だが、youtubeをいくら探しても、「これは」という宵待草はありませんな。
高峰三枝子李香蘭はおばば過ぎるし、園まり石川さゆり由紀さおり嬢はいまいち。チカラ入れ過ぎ。
ジプシー音楽化したアルフレッド・ハウゼは論外。

倍賞千恵子嬢がややいいけれど、このワッセワッセと刻むリズムは如何なものか。
矢鱈にハープを掻き鳴らす小川寛興の編曲は品が無い。
歌唱力がある人だから、伴奏はシンプルがいいと思うよ。
それに、夢二の同じ歌詞を繰り返し歌わせているけど、間に西條八十の追加作を入れるとよかった。つまり

     待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな

     暮れて川原に星一つ 宵待草の花のつゆ 更けては風も吹くさうな

     今宵は月も出ぬさうな

   

十年前から加齢性黄班変性症で、モノやコトが歪んで見える。
ついでに断っておくけど、性格がだんだん悪くなっているのは、悪化する目の所為だから、おじぃを哀れんで欲しい。

黄班変性症は、十三夜も十五夜も十六夜も同じに見える。
目を患うおじぃにとって、二日や三日の誤差はどうってことないのである。
だから中秋の名月は、今宵拝もうか、と。

     ......なぬ、今夜は曇り?「今宵は月も出ぬさうな」ってか? やるせないねぇ。

名曲「宵待草」については、ウィキペディアがトリビアなお勉強になります。
なお作曲した多忠亮は古事記を編纂した太安万侶の子孫とか。

挿絵は氏原忠夫と竹久夢二です。
この娘さん、泣きはらした目というより、やけ酒飲み過ぎて、酔い醒ましに外に出てきたみたいです。
とするとこのしどけなさは、満月アタマの旦那を待ちわびるお妾さんかも。

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500万本の彼岸花

2013-09-19 | 高麗便り

 

台風一過。高麗の里にもでっかい秋が来た。
巾着田は台風の被害はあったのか。彼岸花は咲き始めたか。道路が車と観光客で溢れる前に行ってみた。

高麗川の水は大分退いたが、どれみふぁ橋は渡れない。彼岸花群生地の倒木はすぐ片付けたようだ。
入園料はまだ徴収していない。群生地は日陰なのであまり開花しておらず、水路際や土手が先に咲き始めている。






巾着田の彼岸花は、昨年までは100万本だったけれど、今年は500万本に増えた。不思議だねぇ。
いっそのこと、1000万本とか2020万本にしとけば良かったのにね。どうせ誰も数えやしないんだからさ。

普段は穏やかな住民が、この時期、目が血走って彼岸花のように赤くなる。畑を潰し、商売繁盛商カネ持って来い。
だから観光客の皆さまへ。巾着には、入場料300円と万札を入れ忘れないでちょうだいね。




あ、そうそう。市役所や、観光協会の紳士が言ってます。

                        高麗の里の巾着田は日・高・市。今じゃ全国区だいね。
                        北海道じゃなくて、埼玉県だぃね。はぁ田舎じゃねえぞ、バカにすんな。
                        だからよ、
彼岸花は「曼珠沙華」ってほうが、よかんべ?




写真は昨日(9月18日)、現場に行って撮りました。
花も商店街も駐車場も、まだ開業前準備中のようでした。
車が走る道路は一方通行になっています。

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かかし

2013-09-18 | 高麗便り

 

案山子(かかし)を見かけなくなった。
田圃を埋め立てて、文化住宅を建てたので、やむを得ないことである。

でもよく探せば、案山子はまだいるのだった。
ただ、案山子というよりも、KAKASHI か scarecrow なのである。

これでは、学園祭の仮装行列である。
おじぃには少し残念だ。

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さぁ来いっ

2013-09-17 | あらら!

            門扉の取っ手をカマキリが占領していた。
            邪魔だから手で払ったら、怒るまいことか。羽を広げて激怒した。

                    すまんすまん。失礼した。でも、かっこいいぜ。

            とカメラを向けた。

            森生の度重なる無礼は、カマキリ君の怒りに火を注いだようだ。
            レンズを睨め回し、

                    さぁ、どっからもかかって来いっ。


               カマキリは漢字で「蟷螂」と書きます。感じがよく出てますね。
               ♀だったら大変。愛し合ったあと、♂を襲い、生きたまま食い尽す、凄可愛い昆虫です。

               昨年、その惨劇の一部始終を記録に残しました。

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台風通過?

2013-09-16 | 高麗便り

台風は正午に熊谷付近を通過したそうだ。
ということは、11時頃には猫額亭周辺は大荒れだったはず。
でも、どうってことはなかった。

朝5時頃、普段は使わない雨戸がガタガタ鳴って目が覚めた。
それから半日、決定的瞬間を撮ろうと待ち構えていたが、何も起きなかった。
台風避けのお呪いに、簾を巻き上げ、鉢を移動した効果があったようだ。

夕方、ご町内を見て廻ったが、被害は2ヶ所だった。
京都や岐阜で被害に遭われた方々に、申し訳ないような気分だ。


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台風対策

2013-09-15 | 高麗便り

大型台風が近付いているそうだ。
NHKは画面に青枠を特設し、大雨だ竜巻だ土砂災害だと脅かすが、わが町は雨がしょぼしょぼ降ってるだけ。
時々薄日が差したりして、注意報や警報は大袈裟。

高台で北向きのわが町は、冬から春先にかけての北風の方が大暴れ。植木鉢を薙ぎ倒し、家を揺さぶる。
それにこのところ、予報士諸君の予報は外れっ放し。台風対策は無駄になりそう。

 

さはさりながら、備えあれば憂いなし。
簾巻上げ、鉢移動。

台風が来るにしては、やけに静かだ。どうせまた外れだろう。外れて欲しい。
でなけでば、わざわざ台風対策をした甲斐が無い。

130915


仮設でけっこう

2013-09-14 | 先輩のお言葉

有名な建築家は普通、ハッタリで巧みに世渡りをしている。
他人のカネで自分の価値を高め、完成した建築の維持管理なぞは、端から気にしていない。
そんなことに気を使っていたら、日本ではちっとも評判にならないからね。

ところが隈研吾さんは違う。 (以下は9月12日、朝日新聞朝刊オピニオン頁「だから東京オリンピック」から)

  東京オリンピックのためにこれから建設する国立競技場は、8万人も収容するハコにしたら後で困る。
  (奇抜な形状で)維持・管理に苦労する競技場ではなく、仮設的なものの組み合わせでいい。

  日本は成熟社会に入ったのだから、この前の東京オリンピックのように、「それゆけどんどん」ではいけない。
  ヒューマンでスケールの小さいものに価値を置く感性が必要だ。
  今回の街づくりは、大会後を視野に入れるべきです。

2020年の東京オリンピックは、マスコミ挙げてのバカ騒ぎと、猪瀬・竹田・安倍のハッタリで招致に成功した。
身体だけが異常に発達し、おつむは未熟な選手たちの「夢」。建設業界の「夢」。マスコミが煽る「夢」。夢夢夢夢。
こういう「夢」に引き摺られないように、隈さんの貴重なご発言に耳を傾けよう。

それから、大手広告会社が企画する、開会式と閉会式のけばけばしい見世物も要らない。
どうしてもやりたいなら、開会式には阿波踊りと花笠音頭、閉会式には東北三大祭りの行進だけでいい。

ところで、バカ騒ぎの一翼を担った朝日新聞が、目立たないが面白い記事を載せた。(9月12日朝刊▼)

へー、小田嶋隆・内田樹・大宅映子・やくみつる・津田大介さんたちは反対だったんだ! 知らなかった。
恐らく沈黙していたのではなく、自ら同調圧力を作り出した朝日が、同調圧力に屈し、記事にしなかったのだろう。

この記事は、朝日新聞の照れ隠しですね。
詳しいことは省略しますが、これからは新聞社も、小さくしたほうがよろしいようで。

  

森生が短所と長所を付け加えます。
長所・原発事故処理を世界が注視。  短所・中韓の強請、たかりのタネ。

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