林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

めがね

2007-09-30 | 拍手

 

「めがね」を観た。
面白かった。ゆる~く、チカラが抜けた傑作であり、肩凝り治ります。
ケータイ漬けのお子さまや、マジメ眼鏡をかけている方、黄昏れる才能の無い方々にはお勧めしません。
いや、腹立つかも知れません。

事件は無い。タエコほか謎の男女が島の民宿に集まり、たそがれている内に心が解け合う。
そして、一人ずつ島を去り、また同じ季節に集まってくる。

海はエメラルドグリーン。浜は白い砂。
潮風はいつも草木を揺らし、民宿の部屋を吹きぬける。
美味そうな家庭料理の数々が目を楽しませる。

 

朝は、ゆる~いメルシー体操で始まり、美味い朝食の後、することは編み物か釣りしかない。
カキ氷を食べ、マンドリンを奏で、たそがれる。
そして美味しい夕飯。この繰り返し。
会話はあまり無い。たまの話もちぐはぐに終わるのに、何故か心が通ってゆく。

何故「めがね」かといえば、5人全員が眼鏡をかけていること。
ど近眼のタエコが島を去る時、眼鏡を落としても、拾おうとしない。後日、民宿のコージが突堤でその眼鏡を釣り上げる。意味ありなデキゴトだが、深読み禁止。
ま、オトナの童話ですからね。

  @

そんないい加減な映画だけれど、観終わった後の幸福感と充足感は、「Shall Weダンス?」や「阿弥陀堂便り」以来のものだった。

南の島の美しさは「青幻記」や「ナビイの恋」に劣らない。だが「めがね」には悲しさや激しさが無い分、疲れない。
森男も民宿「ハマダ」でたそがれるなら、な~んも要らない。漢方薬のような映画だった。

たまに流れる音楽は静か。大貫妙子の主題歌も、ゆる~く澄んでいて心地良かった。
もう一度観たい映画である。

 

 ▼余計なことだけれど、登場人物。 (ここと、次の粗筋は、なるべく読み飛ばして下さい)

タエコ(小林聡美)。始め無愛想、ハマダに不快感。次第に打ち解ける。大学の講師らしい。

ヨモギ(加瀬亮)。研究員か? タエコを追ってハマダに来るが、な~んも起こさない。

コージ(三石研)。ハマダ主人。野離しの雌犬だけが家族。料理は達者。客数増は望まない。

サクラ(もたいまさこ)。ハマダに毎年ふらりと来て突然去る。従業員として滞在。巫女のよう。

ハルナ(市川実日子)。島の高校教師。「死にたい」が口癖。辛辣で親切。食事・休憩に来る。

  @

▼読まない方がいい粗筋。

空港に大荷物のタエコと軽装のサクラが降り立つ。

タエコ、ハマダに着くが、歓迎される風もなし。コージ、ここはたそがれる場所、と優しくマイペース。

朝、タエコはサクラの気配で目覚める。「朝ですよ。いいお天気ですよ」、と起こされる。

3人家族のような朝食。正しい姿勢で美味そうに!

島には観光地は無く、スーパーで毛糸を買い、浜辺で編み物に耽る。これを黄昏状態という。

サクラ、絶品と評判のカキ氷を勧めるが、タエコ、苦手と「拒否」。

たまにカキ氷の客はあるが、代金は物々交換か、子どもの場合は折り紙など。

夜、ハルナが加わり庭先でバーベキュー。美味そう!

朝、サクラの気配でタエコ目覚める。「朝ですよ.......」、と。

浜辺から音楽が。メルシー体操とやらをやっている。サクラ、誘われるが「拒否」。

ハルナが加わり4人家族のような朝食。美味そう!タエコ、何か違和感。

そこで、一旦は宿替え。しかし、直ぐ戻ってくる。

以後、たそがれる毎日。

ヨモギがやって来るが、別に何も無く、体操、食事、釣り、編み物、カキ氷、食事の繰り返し。

  @                            

....... どうです、つまらないでしょ。ところが、これが面白い。

いい環境で、ケータイもTVも無く、美味い物を食い、海を見て、夜は眠れば、心は解けてくる。肩の力は抜けてくる。
無愛想なタエコが次第に明るくなり、メルシー体操にも加わり、料理を手伝うようになる。カキ氷も欲しくなる。
去る時は笑顔になる。

タエコのモノトーンな衣装が、1年後ハマダに来て、カキ氷屋の開店準備を手伝う時にはピンクの花柄になっている。
サクラが帰って来たときには、昨年タエコが編んだ赤くて長いショールを纏っている。

これでお終い。
...... 後はきれいな主題歌が流れるだけ。             

@  

画像「@」は「Cinema Cafe. net」HPの「大貫妙子」頁 からお借りしました。
「めがね」公式HPより、この頁の末尾の関連記事の方が面白く、見易いです。


ピアニストのお父さん

2007-09-29 | 高麗便り

  「谷間の夜」P・クレー

 スーパーでオジサンに遇った。
小柄な身体にTシャツと半ズボン。自転車を押して来た。
どこかで見たか遇ったかしたことがある......、と考えてから思い出した。

あの盲目のピアニストのご父さんである。
このところずっと出ていないが、N響のビオラ奏者だった。

 

ピアニストは「ショパン国際コンクール」に出場。
課題曲は合格したが、初見の新曲の演奏では何箇所かを弾き間違い、落選。
しかし、指揮者はじめ聴衆に深い感動を与え、ワルシャワ市長特別賞を授与された。
目が見える人でも困難なことなのに、付き添いのお母さんの助けを借りて暗譜し、演奏に臨んだそうだ。

凱旋演奏会はN響とショパンの「ピアノ協奏曲第1番」だった。
シャルル・デュトワ氏に手を引かれて登場し、堂々の演奏をした。
森男にはその演奏技術を云々する能力は無いが、ショパンの美しい曲と相俟って感動的だった。

もちろん、ご父さんはN響の一員としてビオラで伴奏した。
始めての父子協演に、会場の全員が無言の声援を送っているようだ、と司会の檀ふみさんが言っていた。

ピアニストは、老後は自然の中で小鳥の囀りを聴きながら過ごしたい、と言っている。
近くの横手渓谷を流れる高麗川のほとりを、ご家族と寛ぐ姿を見たことがある。
いまウィーン在住だが、老後は高麗に帰ってくればいい。
それまで高麗の麗しい自然が残っていればいいが.......。

以前は、ご父さんがビオラケースを抱えて出勤する姿をよくお見受けした。
昼間、スーパーへお買物とは、N響を退団したのだろう。
いつかお二人の合奏を、町内で聴いてみたいものである。
同じ町の住人として、勝手にそう思っている。


お辞儀

2007-09-29 | 重箱の隅

 

 北の湖さんが文科相に呼びつけられた。
二人は会ってお辞儀をした。
なんか文科相が北の湖さんにお詫びしているみたい▲。

北の海さんは横綱だった。
あの頃は、もっとキビキビ動いたみたい。
お辞儀だってちゃんと出来たみたい。

相撲協会の理事長になって、普通だったら苦労で痩せて、お腹のアブラも少しはとれて、動き活発お辞儀も出来る、となるだろうに。

北の湖さんの頭はお味噌の代わりにアブラが詰まっている。
それとも現役時代の酷技で鼓膜が破れたのか。

この際、相撲協会は北の「膿」を出し切らないと。
謝るならば、こうしないと▼。

またまた余計な一言だけれど、
高校野球で監督が怒ってばかり、という場面もヤですね。


月の名前と栗くり坊主

2007-09-28 | 知ったかぶり

 

 病院れすとらんでご夫妻からご馳走になったお礼に、蜂蜜を手土産にして会長さんのお宅へ行った。
蜂蜜と言っても林檎の果汁入り。森林公園のものですぞ。

ご夫妻から上がれ上がれ、と歓迎されてテラスでお茶を頂いた。

広いテラスの前には、あら珍しや斑入りの薄。
名月はここから眺めたそうだ。
艦長さんとの公園の月見を話したら、来年は一緒にここで観月の宴をやろう、と。

二人とも満月が楕円に見えて、忍び寄る人生の秋を儚んだ旨告白したら、本当の満月は中秋の名月の二日後であり、楕円に見えたのは目がいい証拠の由。
?????。.......ということは「立ち待ち月」が満月というわけ?

ご夫妻の息はピッタリで、自信たっぷり。単なる慰めとも思えないが.........。
ま、来年の今月今夜.....、(いや、今月一昨日かな)、生きてりゃ確かめるとするか。

ところで、月の名前は「新月」(見えない)から始まり、

  三日月、七日月、十三夜月、十四夜月、
  十五夜、
  十六夜(いざよい)、
  十七夜(立ち待ち)、
  十八夜(居待ち)、
  十九夜(寝待ち)、
  二十夜(更け待ち)二十三夜、
  有明の月、夕月、二夜の月、雨夜の月、晦日の月、昼の月、
  幻月.....、でなく「暈月」(うんげつ)だと思いますが......。

  ○以上は、全部知っていたのではなく、「お月見特集」というHPの「月の名前」頁からの受け
   売りです
。詳しい説明もあります。「幻月」は「暈月」(うんげつ)が正しいと思いますがね。
   来年のお月見には知ったかぶりをしましょ。

 栗くり坊主

お茶請けに栗の渋皮煮を頂いた。
奥様、「栗くり坊主」を使って鬼皮剥きを実演して下さった。
森男も真似したが難しいや。実を削ってしまうね。
栗ご飯用ならいいが渋皮煮には不適切である。
代わりに「毛抜き」なら実が壊れない、と森男の経験を語る。

渋皮煮は手間も時間もガス代も、たっぷりかかる上に、砂糖はどっさり使う。
高麗駅前の大工さんちの縁の下で売っている渋皮煮は、観光客襲来で100円の便乗値上げをした貴重品である。

本当は5~6個食いたかったが、2個で痩せ我慢の子だった。
良い子になるのは辛いのである。


高血圧

2007-09-27 | 林住期

 

 保険無しの入れ歯を注文した。型取りは極めて念入りだ。
噛み尽くしたガム100枚、鉄骨などをおちょぼ口に詰め込まれ、口を開けたまま閉口する。........乱暴は止せ。
歯医者とは医者と言うより左官か大工であるな。
アフラックの大口役者が羨ましく、親を恨んで血圧上がる。

街道筋はどこもかしこも車・車・車の大渋滞。
彼岸花の巾着田に殺到する車・車・車・車で、商店の売上げが下がるのは無理も無い。
通りかかった巾着田は車・車・車・車・車・・・・・・。
普段の5倍の時間をかけて、検診会場の公民館に着いた。
予約時間を30分遅れて血圧上がる。

事情をルル述べたら、みんな同じ。遅刻を咎めぬ親切な受付のお姉さん。
身長、下げ止まり。体重、横這い。猫額亭の体重計は故障しているらしい。
血を抜く人、冷酷美人。
血圧を測るお母さん、ス・テ・キ。
握手してくれるのかと思ったら、腕をムンズと掴まれてしまった。

それで、血圧は上160、下82。
心電図にも影響したかな。


画像やりくり

2007-09-26 | じゃじゃ馬馴らし

▲消えた画像

 保存した画像が多くなって、昔の画像を探すのが困難。管理不能になりそうだ。
保存画像はもう増やさず、ダウンロード済みの画像を再利用したい。
保存画像を削除すると、記事の画像も消滅する。
画像はフォルダで分類整理してあるので、特定のフォルダを指定し、その中から画像を選びたい。

以上をgoo事務局さんに質問した。回答は直ぐ来た! 有り難う。

■その操作順序

 画像フォルダ
 ツリービュー表示
 使用フォルダを開く
 使用画像(=ファイル)を指定
 「この画像をブログに使用」釦をC
 小型ウィンドウの「○○(=画像ファイル名)を利用しますか?」の「OK」をC。
 記事作成画面(HTML)に変わり、
 記事記入枠左下に「この画像が記事に使用されます」という文句と画像が表示される。

で、この記事が出来た。しかし........
保存画像削除=記事画像消失、の由。
また、問題点がある。

■問題点

 記事先頭中央に画像は表示され、画像位置が指定出来ない。
 1記事1画像だけで、複数の画像を使用出来ない。「画像を選択/解除」をCしたら
 折角ツリービュー表示から掲載した画像が消滅してしまった。▲図
 画像の大きさを記事作成画面で微調整出来ない。

問題点に就いて、goo事務局さんに追加質問をした。
済みませんね。こんな記事、こんな質問。

回答は直ぐ来たが、質問の仕方が悪いためか、回答になっていなかった。
ほんにブログは難しい。
HTMLでは画像が自在に操れないのだろうか。
う~む。


砂山

2007-09-26 | 歌の翼に

 

 北原白秋の「砂山」には中山晋平と山田耕筰が曲をつけている。

中山晋平の歌は「わらべ歌」風である。
子ども達自身が歌っているような、中山晋平の曲の方が人気があるようだ。

詩は白秋が新潟を訪問した際、大歓迎されて感激して、作ったそうである。
詩は明らかに童謡用である。白秋は童謡大会に招待されていたのだから。

しかし、山田耕筰の「歌曲」風の歌もなかなか良い。
子ども達の帰って行く様を見て、大人が感慨に耽るようなこちらの方が好きである。

当時の砂山は侵食により既に無くなっているが、詩と歌は未だに歌い継がれている。名歌は永遠である。

いま、NHK「みんなの歌」で、山田耕筰の「砂山」を放送している。
管弦楽の伴奏で、バリトン歌手が歌っている。

「誰もいない海」と共に、この時期にピッタリである。

       「砂山」

     海は荒海
     向こふは佐渡よ
     すずめ啼け啼け もう日は暮れた
     みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ

     暮れりゃ砂山
     汐鳴りばかり
     すずめちりぢり また風荒れる
     みんなちりぢり もう誰も見えぬ

     かへろかへろよ
     茱萸(ぐみ)原わけて
     すずめさよなら さよならあした
     海よさよなら さよならあした

♪旋律だけですが山田耕筰の砂山が聴けます。→「


月がとっても青いから

2007-09-25 | 林住期

  

8時過ぎに、隣の団地に住む潜水艦(昨年9/14)艦長氏から電話があった。
月がとっても青いから、公園で会おう、と。

ぎょぎょっ。
艦長さんは元気とはいえ、爺さま。
いいのかなあ。

そういえば、今夜は中秋の名月。
艦長さんは東京の友だちから電話があって、気付いたそうだ。
屋根の間からのお月見では味気ない。渡したいものもあるし、と。

昼間の熱気は乾いた北風に変わり、夜は爽やかである。
月は何故か縦長の楕円形! いよいよ目がダメになったらしいな。

            

艦長さんは少し酔っていた。
故郷の神話を纏めたそうで、是非読んでくれとの話だった。
やっと出来上がって気分は最高。ブログの勧めには聴く耳持たず。

月を入れて二人の記念写真を撮りたい、とデジカメを持って来た。
満月を入れるために公園の階段の上に森男を立たせ、階段下に三脚を付けたデジカメを置いて、脚を伸ばさず地面に腹ばいになる。...........?
あらら、犬の雲古がありますよ。

三脚は壊れたままで、二脚になっている由。
弄りまわしたけれど、セルフタイマーの使い方が思い出せない、と艦長さんは焦る。
森男もよくあることで、非難はできませんね。

そのうち、電池が切れたらしく、全く動かなくなってしまった
艦長さん、激しく落胆。

来年の中秋の名月がありますよ、と慰めておいたが、来年は晴れるだろうか、元気だろうか...........。
何か七夕みたいになってきた。熱海の海岸かな。

            

頂いた力作は驚くなかれ、題名が「天皇家と日本国」である。
う~む、困ったなぁ。これ、読むのかい?

猫額亭に来てもらい、車で送ると提案したが、艦長さん、

          ♪ 月がとっても青いから、遠回りして帰ろ............。
   
                                       
  
   ▲挿絵は氏原忠夫。「にっぽんいろは絵本」より。                                 


先ずは四国遍路に

2007-09-25 | 床屋放談

 安倍総理の記者会見は無残なものであった。誰が見てもよれよれ。
この人が代理も置かず総理の職に居座っていた無責任さは恐るべきものである。
辞意でなく辞職をすべきだったし、少なくとも代理を立てるべきだった。
天変地異やミサイル攻撃が無かったのは幸運だった。

乱心安倍のことを今更あれこれ言っても仕方がなくはない。もっと、言い続けなくてはならない。
入院以前から乱心状態で国のハンドルを握っていたのは酒酔い運転と同じ。本人はもとより、周囲の人間にも責任を取らせよう。

謝って終わり、では甘過ぎる。
何故議員辞職をしないのか、あるいはさせないのか?
常日頃から、国家国民のため、と言いながら、これほど国益を損ね、人心に悪影響を与えた罪を看過してはならない。
総理の職責はその辺のサラリーマンとは違う。

議員を辞職し、ベルサイユ宮殿を出て、頭を丸めて四国遍路に行きな。
そうすれば胃腸も心も強くなる。
一議員として国政に尽くすのはそれからだ。

いま、「安倍する」という言葉が流行っているとか。
こうなってしまったら、徹底的に安倍した方がいいと思うよ、晋ちゃん。


曼珠沙華

2007-09-24 | 歌の翼に

「曼珠沙華(ひがんばな)」 北原白秋作詞 山田耕筰作曲

GONSYAN GONSYAN 何処へゆく
赤い お墓の曼珠沙華
曼珠沙華
今日も手折りに来たわいな

GONSYAN GONSYAN 何本か
地には七本 血のやうに
血のやうに
ちゃうどあの児の年の数*

GONSYAN GONSYAN 気をつけな
ひとつ摘んでも 日は真昼
日は真昼
ひとつあとからまたひらく

GONSYAN GONSYAN 何故(なし)泣くろ
何時まで取っても 曼珠沙華
曼珠沙華
(こは)や赫しやまだ七つ*

 

 白秋は「曼珠沙華」と書いて、「ひがんばな」と読ませた。
だから、森男が持っている奥田良三のレコードでは「ひがんばな」と歌っている。

「GONSYAN」とは白秋の生地水郷柳川の方言で、「良家のお嬢さま」という意味。
ローマ字で書くとは、いかにも南蛮趣味の白秋である。
白秋は7歳の時の思い出から、この詩を書いたそうだ。

山田耕筰は、GONSYANをあどけない少女とはとらず、その旨を演奏する際の注文として楽譜に付けた。
実際、岩城宏之指揮、東京混声合唱団、林光ピアノでは「凄絶」な「曼珠沙華」になった、と言う人がいる。
確かにこの詩は妖艶であり、隠微であり、凄みがあり、白秋のトラウマが隠されていそうだ。

歌詞は1番から4番まであるが、同じ旋律は続けず始めから終いまで美しい旋律が変化して複雑である。山田耕筰の並々ならぬ入れ込みようが覗える。

奥田の歌い方は小節を利かせて、日本古謡風でもある。(* 印は繰り返し)
また、リリコテナーで叙情的に歌っているけれど、独特の揺れる高音は一種狂的な感じがしないでもない。 

彼岸花の呼び名は全国各地色々な呼び名があるらしい。
彼岸花を「死人花」と言って忌み嫌う人がいる。墓地に咲くからだろうが、墓地なんて街なかに較べれば怖くなんかないね。
友人の所沢偏屈さんもその一人だが、森男は線香花火のようなこの花が好きで我が猫額亭庭園にも植えてある。
子どもの頃、同居していた美人の叔母がこの花を好きだった影響かもしれない。

 

巾着田の彼岸花は昨年から「曼珠沙華」になった。振り仮名はない。
だから、白秋のように「ひがんばな」ではなく、文字通り「まんじゅしゃげ」なのだろう。
「障害者」を「障がい者」と書き換える癖に、不思議なことである。
おそらく観光協会かどこかの爺さまが、昔、流行った「♪赤い花なら曼珠沙華、阿蘭陀邸に雨が降る、濡れて泣いてるジャガタラお春.....」、を思い出してのことだろう。

曼珠沙華は有毒である。だが水で何度も晒せば食べられないこともないらしい。
飢饉のときは飢えを凌ぐために食したそうである。
だが平成の飽食巾着田では普通の饅頭を「曼珠沙華饅頭」として特産品にしようとする噂がある。
毒入り饅頭にならないことを祈るばかりである。

学生時代の最後に訪れた水郷柳川は「廃市」だった。
最近は四通八達する掘割(クリーク)を住民が浚って、町並みを整え、美しさが甦ったらしい。
その辺が、ガラクタを寄せ集めて商魂丸出し、人と車が雑踏する情けない巾着田と違うところである。

水郷柳川

彼岸花関連HP
彼岸花を特集した無料壁紙集→「彼岸花の壁紙
彼岸花の文化誌→「
植物文化誌
白秋誌選集→「
つれづれの文庫
栽培法→「
ヒガンバナ
別名、薬効など→「
彼岸花


ベルサイユの馬鹿たち

2007-09-24 | 床屋放談

  

 新聞やTVの自民総裁選に対する報道姿勢は自民党並みに馬鹿馬鹿しい。
自民党内の選挙なのだから、もっと厳しい報道を期待していたが、何を遠慮か及び腰。
二人の世襲議員の弱点や暗部をもっと明らかにして欲しかった。

そこへ行くと「木走日記」というブログは面白い。
文章は割合短い。時事問題の料理の仕方に味があり、愉快であり、品が良い。
有名な「きっこの日記」の上です。

その「木走日記」で、「中央公論10月号」が読み応えがある、と紹介している。
近所ではこういう難しい雑誌は売っていないだろうし、お金も勿体無いし、先を急いでいるので、図々しいけれどこの日記で勉強し、な~るほど、でした。

日記は、堺屋太一先生の「日本を劣化させた政治の”ベルサイユ化”-このままでは日本は”アルゼンチンの道”を進むでしょう」という論文に着目している。

堺屋先生が挙げた、国家の品質を劣化させた原因は三つある、と。

 1.近代工業化社会から脱却せず、世界の文明転換に遅れている。
 2.官僚機構が「死病」に取り付かれている。
 3.世襲議員が多く、政治家が「ベルサイユ化」している。

1.は日記の作者に疑問があるらしいが、2.3.については賛成している。
森男は特に3.の議員のベルサイユ化の指摘が、笑い事では無いが可笑しくご尤もで、膝が腫れてしまった。

国会議員の先生達は当選すると、赤い薔薇の花が付けられる。
以後、馬鹿丸出し。ベルサイユ宮殿でアルゼンチンタンゴを踊り狂って、民草のことなど知らん顔。
新総裁福田二世はどんな花が付けられるのかは分からない。
いずれ他の世襲議員のように赤い馬鹿の花を、また付けるんだろうか。

以上、堺屋太一先生の論文を紹介するブログの紹介でした。
「木走日記」は正しく論文を読解したはずだが、「林住記」は怪しいもんです。
お暇とお金のある方は本を買うなり、「木走日記」を読んでみましょう。
時事問題について、大変勉強になります。
なお、日記の中の「与太話」という、ご謙遜な随想話が特に好きです。


脳内メーカー

2007-09-23 | 床屋放談

 何時もは屋根の上からものを言う太郎クンが、駅前の愚民を相手に「脳内メーカー知ってっか?」、と下品に叫んだ。
どうも若いヤツラに流行っているらしい。

そんなもの知らなかったが、知らぬは一生の恥。
そこで駒田森男の脳内を調べてみた。
........てへっ!

 

面白くないね。不愉快だね。

太郎クンは料亭へ行かないときは、何時も漫画を読み、こんなアソビをしているのだろうか。次期首相を狙うお方がこれじゃ、情けないねぇ。
アグネスちゃんと仲良しの晋チャンと大して変わらないじゃないかぃ。

ダミ声を張り上げて、矢鱈に強がってるが、吠える犬ほど弱い犬。
あ、そう、とはいかないようでとりあえずは一安心。
ブログのネタが減るのは残念。

 

太郎クンにはもっと正規な勉強をして貰おう。
漫画や脳内メーカーは、猫額亭森男同様、お役御免のご同輩が楽しもう。
ご破算以来、まだまだ若いんだからね。

お慕い申し上げる高島礼子さんとの相性を、こっそり調べてみた。
ガーン。.......冗談じゃないヨ

 


呆れた人たち

2007-09-23 | 重箱の隅

 9/23朝日朝刊から

 朝刊で呆れた記事と本の広告を見た。目が穢れた。

乱心安倍が病院から自民党総裁選の不在者投票をした、そうだ。
よくもまあオメオメと、である。

与謝野官房長官は、首相代理を置かない理由は、①話せば判断力はシッカリしている、②イザという時は病院から官邸まで5分で移動出来る、からとしている。

「政治的空白」は既に2週間も続いている。

 

「新祖国論」という本が、発売たちまち重版、とか。
実業家と自称した虚業家が、しがらみを捨てて祖国再建の手がかりを探っている、そうだ。
ヤオハンやダイエーの創業者は破綻の責めを負った。
セゾンの創業者は「挫折」を主題にした連続番組で、経営破綻の原因を、自分の優しさが無能な経営者を排除出来なかったから、と言って、司会者の目を白黒させた。
この御仁が自分の出自について小説をごちゃごちゃ書くのは自由。
だが、祖国について四の五の言われたくない。

マスコミは政治的権力、経済的権力に次いで第三の権力とも、立法、行政、司法に次ぐ第四の権力とも言われる。
空気に押し流されず、もっとシッカリ人物や事象を監視してもらいたい。


2峰縦走+1峰登攀

2007-09-22 | 林住期

 のこんぎく

 「2峰縦走」とは大袈裟なのは分かってる。
だが、昨日は天覧山と多峰主山を、このクソ熱いのに踏破してきたのだ。
海抜は197mと271mの低山だが、南米パタゴニアを目指している方が、毎朝同じ道を歩いて身体を鍛えているんだぞ。

登り下りが多く、シャツもズボンも水を浴びたように、汗でグシャグシャになる。
2時間歩いて2k減る。
水分を摂って、元に戻り、を繰り返し、体重はとうとう70kを超えてしまった。
死んでも体重を減らさなければならないのだ。

2峰とも頂上の樹木を伐採して、カンカン照りだった。
天覧山にはサシバの渡りを観察する人たちがいたが、多峰主山には誰もいなかった。
周りの山並はまだ真夏だった。

と言っても、叢には季節の花が咲き始め、樹間には名も知らぬ茸にょきにょき。
写真を撮ろうとしたが、「マムシに注意」の看板あり。
月末の健康検診まで、身体に毒は入れられない。撮影は諦めた。

      秋(少し)立ちぬ (暑くとも)いざ 生きめやも(と頑張ろうか)

  1.

 今日は土曜日。凄まじく熱く、団地内の人通りは絶えた。
西武高麗駅前だけが、彼岸花見物の人々で賑わっている。

日和田山も人が多い。
この山も305mと低山だが、多峰主山と違い登山口から登り坂ばかりのうえ、男坂を使うと、岸壁を攀じ登るので、大袈裟でも「登攀」である。

中腹にある金比羅神社前の岩場にも登山者が大勢いた。
ここから見下ろす巾着田は、彼岸花がまだ盛りでない所為か、車はまだ少ない。
それでも堤防際の木立には車が溢れていた。

頂上で有名人に遭った。
毎日、裸足で山に登り、ゴミを拾って歩いているご老人である。
半ズボンから出た足は筋肉質で、ひょいひょいと軽やかに礫や岩の上を歩く。
森男がゴミを拾うときは、捨てたヤツを呪いながらだが、ご老人は黙々とやっている。こういう方がいるから日和田山はきれいなのだ。
小間物屋をひろげているグループは唖然粛然。

県や市が計画した車道工事を止めたのは正解だった、と思う。
山続きの富士山(ふじやま)と銀平(しろがねだいら)は車道があるのでゴミの山である。展望台は落書きだらけである。

  2.
  3.
  4.
 
家から山頂まで往復2時間を要した。
また2k減ったが、水分補給で元の木阿弥。

1.日和田山中腹の金比羅神社から見る巾着田
2.日和田山登山口付近の墓地
3.日和田山中腹の木漏れ日
4.下山して誰もが驚く巾着田の駐車場(手前は県道)
最盛期は手前の草地も駐車場に

                                     


小さな美術館

2007-09-22 | 高麗便り

 

 「小さな美術館」館長である吉岡幾哉先生の個展が、飯能のまるひろ百貨店で開催されている(~9/24)。

森男は吉岡先生の絵をもう20年近く見ているけれど、作風は全く変わらない。
海がお好きなようで、広い海原を背景にして博物画風の鳥や虫や花を配置し、超現実的な細密画はルネ・マグリットに似ている。
大物に似ているし、ずっと変わらないので、申し訳ないが絵の感想は「...........」。

  「悠海景図」 吉岡幾哉

「小さな美術館」は、高麗本郷の清流という集落にある。
巾着田から高麗神社に行く途中を左(西)の谷戸へ入ると間もなく、鮮やかな青色の美術館が目に入る。

美術館といっても、先生の自宅アトリエである。
玄関を入って直ぐの部屋を開放し、時々お仲間の作品展もある。
先生の奥様は切り絵作家であり、この方の作品は素直に楽しめて、こちらの方が実は好きである。

先生は温厚な紳士。奥様は快活で愛想がいい。ご夫妻は温かく迎えてくれて、寛げる気持ちのいい美術館である。
先生の絵を好きになる人も多いはず。

清流は素晴らしい集落だった。
鯉のぼりが泳ぐ初夏や、晩秋の明るく伸びやかな風景は、初めて見た時から亡くした故郷のようだった。

「小さな美術館」

しかし、残念ながらここも急速に俗悪化が始まっている。
そして残念ながら「小さな美術館」も実は目障りである。
鮮やか過ぎる青色が周囲の風景から突出しているのだ。問題にされている楳図かずお邸の赤白模様ほどではないが、やはり里山の景観を壊している。

楳図先生には偉大な実績がある。だが最近は本業の漫画を休業中らしい。
才能が枯渇して、作品の代わりに衣服や住宅で自己主張しているのでなければいいが.....。
衣服なら変わってる、で済ませるが、住宅の外観は公共のもの。その辺を弁えないのは幼児と同じですね。

清流の集落は、日高市の「観光活性化」には大切な場所である。
道路を広げ、駐車場を作り、飲食店などが進出しても差し支えはない。
但し、農村風景を保ち、積極的に演出する方針があれば、の話しである。
今のままではこの懐かしい集落は、どこにもある雑多な住宅街になってしまうだろう。

ご夫妻とも紳士淑女です。
今度ペンキを塗り替えるときには、もっと抑えた色彩にして下さいね。
自己主張は作品でお願いします。

 

美術館の近くに隠れ家風の洋食屋がある。名前は「シェ・ノワ」。
外観は汚いが、店内からの景色はいい。
高麗神社、聖天院、美術館と組み合わせて、周囲をたっぷり歩けば味は最高。
清流で清遊することも高麗の魅力です。

美術館・洋食屋とも、開いているかどうか、事前に確認が必要です。