林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

平安キャリアウーマン

2016-09-30 | 拍手

「徒然草REMIX」に続き「枕草子REMIX」を読んだ。これも頗る面白い。
枕草子を一旦ばらばらに分解し再編集して、清少納言の真の姿に迫るのは徒然草と同じだが、こちらの方が先に発売された。

作者の随筆家・酒井順子さんは、千年前の清少納言を自分と同い年のキャリアウーマンと見做し、いたく共感している。
そしてここでは清少納言と酒井順子が、架空対談をする。

話題は男・女同士・ブス・夜・下種・老い・覗き・お洒落・友達ほかである。
二人はホンネ丸出し。清少納言は貴族のお嬢様だから品格を保とうとしていても、下種の出身の順子さんは何かとアケスケ。
清少納言に「尾籠ねっ」とたしなめられたりする。

酒井順子さんは先輩・清少納言を、

  自分をあくまでも客観視しながらも、露悪的ではない視線を持っている。
  単なる閨秀ではなく、一筋縄ではいかない、侠気に溢れた、純情で、女心を知り尽くした、友だちは多いが孤独な女である。
  そして枕草子は、女子校的極私的回覧雑誌である。

としている。

「原文で読んでみよう」という頁が多い。
始めはちょっと腰が引けるけど、各行の脇に添えた意訳がイマ風で鋭く、機知に飛んでいて笑える。

末尾に清少納言の外出先を追体験する「枕草子観光」が載っている
行き先は清
水寺・下鴨神社・逢坂の関・伏見稲荷・長谷寺・石清水八幡宮・船岡山・鞍馬寺・泉湧寺など。
このはんなりとした小さな旅も、目の付け所が結構面白かった。

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おずおず集金人

2016-09-30 | うわごと

ピンポンと音がする。
壁を伝いながら玄関に辿り着き、扉を少し開けると、顔は見えないが新聞のいつもの集金人君だった。

我が猫額亭は坂道が多い団地に建っているので、門扉から玄関まで10段近い石段がある。
普段は、上がってきてもらうのは恐縮だから、森生が下りて行って対応する。
でも足が不自由だと、この石段の上り下りが実に大変なんですね。

だから「上に上がってきて下さ~い」と扉の隙間から叫んだら、

  あ、また来ます。

  いや、またじゃなく、いま上がってきて下さい。

  それじゃぁ、後で来ます。

  後だってダメなのっ。いま、上がってきてよ頼むから。足が悪いんだ。

  いや、明日来ます。

  勝手にしろっ。もぅ払わん。

この集金人、いつもひどくおずおずしてる。図々しいのも腹が立つが、遠慮も過ぎると腹が立つ。

これ、山さん川さんに話したら、「手籠めにされると思ったんじゃないの?」だとさ。
集金人は30代半ばか40始めのオトコである。しかも森生の趣味じゃないのね、ああいうの。冗談じゃないよ、ふんっ。

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痺れる

2016-09-29 | 病院巡り

脛に怪我をしてからちょうど4週間目。

朝、少しは良くなっているか、と期待しながら起き上がろうとしても、麻酔をかけたように、まだ足が痺れている。
黒痣は確実に消えかけ、激しい痛みは治まってきたが、腫れは全く退かず、右脚に体重を乗せられない。
それでも、全体では快方に向かってるんでしょうかね。

ところが困ったことが発生した。
就寝時、左肘が重かったが、夜明け頃目が覚めた時から、痛み始め、曲げるのが辛く、身体を支えられなくなった。
原因は、階段の上り下りや布団から出る時に、両腕と左足で体重を支え、両腕を捻ったためかもしれない。
身体は全部繋がっているのだ。

   

きのう、山さん川さんが見舞いに来てくれた。
見事な初物果物や、珍しいお茶や、面白い本などを下さっただけでなく、ごみ出しまでやってくれた。

滞在してくれた2時間あまり。久しぶりの談論風発で、足の不快な痺れを忘れることができた。

二人はきょうからスケッチをしに、奥日光に出かけるそうだ。いいなぁ..........。
今朝の高麗の里は雨模様だけれど、奥日光だけでも、晴れますように。

見事な極早生蜜柑は大阪市場さま、ふじ林檎は楽天さまから拝借。

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励ます言葉

2016-09-28 | 病院巡り

月5日に診察してもらってから4回目の診察だった。
お互いに慣れてきたためか、先生は打撲傷の状況について、少し話をしてくれるようになった。
そして、あとしばらく頑張れ、と痺れ止めの錠剤メチコバール錠を7日分処方してくれた。

じじぃは診察室に入った時からお追従笑いをしていたけれど、先生は営業笑いを返してはくれなかった。

折角病院に来たんだから、通い慣れた最上階にある三ツ星級職員食堂で、早い昼食を摂った。
8月は炎天続きで、9月は怪我で、およそ2カ月間ご無沙汰していた。

目の前に広がる日和田山から高指山の山並みと、西側の西武団地の遠望が懐かしく、素晴らしい。

馴染みになっっていた食堂のおかあさんから、

  あ~ら、珍しい、一体どうしたんですか?

  かくかくしかじか。

  でも大丈夫。あたしも同じ経験がある。打撲場所も同じ、痣も腫れも同じだった。
  1か月もすれば、大分ラクになりますよ。必ず治りますからね。

  あ、食器の後片づけはしなくていいですよ。

とニッコリ。先生より嬉しい笑顔と、励ます言葉だった。

  

  デザートはイメージです。実際は小さなキウイ・ゼリーでしたが。

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たそがれ

2016-09-27 | お節介

病院で島さんに逢った。およそ1年ぶりである。
島さんは隣の団地の、公園ボランティアの大ベテランで、確か森生と同い年のはずだ。
定期健康診査を受けに来た島さんは、元気だそうだが急に老けたようだった。

森生はまだ、この公園ボランティアの永年会員だ。
しかし昨年、山道で足を踏み外してでんぐり返ってから、すっかり消極的になり、作業をサボっている。

親しくしてくれた人々の近況を、島さんに尋ねた。

前会長夫妻は、このところずっと不参加。

月例作業ほか毎週作業にも参加していた飲み助氏は、前立腺癌を患っているのに、まだ頑張っている。
名栗村から来ていた名前が思い出せない某氏は、糖尿が進行し失明寸前とか。

新規に加入する若いじじばばがおらず、数年前までは盛んだった会も、たそがれ状態だそうだ。
その他いい話はあまりなく、散々な有様である。

森生もここ数年、何もかもが下り坂。炎暑酷寒雨模様にめげていた。
涼しくなったらと思っていたら、生憎の打撲傷。毎日とほほな状態である。
まぁ、年貢の納め時なのだろう。

そういうわけで、来年は作業会員を卒業し、賛助会員になるつもり、と島さんに伝えた。
島さんは同意してくれた。

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暗い月曜日

2016-09-26 | 病院巡り

庭で転びかけた時、右足の脛を強打してから24日。
脛の痛みは触らなければ感じなくなり、足指や踝周りのゾッとする黒痣は大分薄くなってはきた。
しかしどうしたことか、足指の付け根から甲にかけてが腫れあがり、左足と較べると土色にテカテカと光っている。
もちろん、痛みもあるし、足首から先が麻酔をかけたような不快な感覚が続いている。

ああ、これは一体どういうことなのだろうか。この先が不安だ。

10日前には凸凹さんたちが様子を見にきた。帰り道は遠回りして、足の病に霊験あらかたな子の権現へお参りしてくれた。
4日前には団地に住む切株さんが、食料品を買い集めてくれ、きょう午後にも、また来てくれる。
きのうは多峯主山から山じぃが下りてきて、植木鉢に水遣りをしてくれた。
本当に、本当に有難く、嬉しかった。

これまで整形外科には3回かかっている。
骨折の有無を調べるために、初回と前回の2回X線撮影をしたが、やはり、骨に異常はなかった。
前回は検温と血液検査をしたが、問題は無いと診断された。

薬は朝晩の鎮痛剤と、日に数回塗布する鎮痛消炎ジェルしか出されておらず、自然の回復を待つしかないそうだ。

......ったく、泣きたいね。というか、泣いてます。

毎日、新聞と積んでおいた本を読み、TVを見て、居眠りをするか林住記を書くだけだ。
それもそろそろ苦痛になってきた。

雨が続き、暗かった九月。十月になれば足は治り、秋晴れになるのだろうか。

切株さんが来てくれる前に、これから4回目の整形外科へ行ってきます。
雨傘を杖に、ぴたこんぴたこんと足を引き摺りながら、軽に乗り、慎重に運転して。

  以上、泣き言を並べてごめんなさい。
   打撲傷は長引くとどこかで聞いたけれど、こんなに長引くとは思わなかった。ふぅ......。

   9月からの写真は、全て在庫品です。

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兼好法師の正体

2016-09-23 | 拍手

徒然草と兼好法師を知ったのは高校生の時だった。
あの頃の兼好法師は、毎日が退屈でうんざりしている坊さんだった。

  家は夏向きに建てるべし、

とかなんとか小うるさいことをいう坊主だなぁ、ぐらいしか印象はなかった。

ところが、随筆家・酒井順子の随筆兼解説本「徒然草REMIX」によると、全然違うんですね。

兼好は、周囲の人々の言動を鋭く観察し、自分のことは棚に上げ、批判悪口雨あられ。
大変な毒舌家なのだった。

自分が属する貴族階級以外の人間はごみ同然。
何とも嫌味な坊さんだった!

ただ著者の達者な筆捌き。
隣はご免だが、何軒か先にはこういう偏屈じいさしがいるのもいいと思えてくる。



兼好法師が一目も二目も置いている清少納言を登場させ、対談をさせているのには吃驚した。
二人は直ぐ仲良しになったが、兼好法師は清少納言に押され気味。

  紫式部さんが「自慢ばかりする嫌な女だ」と貴女をボロクソに書いてますね。

と清少納言を挑発する。
清少納言は受けて立ち、紫式部と兼好法師を散々に切り刻み、

  書いてしまった悪口は残るからね。
  
あなただって本当は自慢したがりなのよ。
  私みたいに素直に自慢すればいいのよっ。
  あの紫式部だって、もっとオープンに自慢していればよかった。
  後世の人に「性格悪~っ」って思われないですんだものを。

  だ
んだん紫式部さんが可哀想になってきた。

  なんですって?

  いや、何でも........(落涙)

と、こんな調子。

また著者は徒然草をばらばらに分解して、

  あらまほし・愚か・わびし・あはれ・くちおし・心にくし・はかなし・
  をかし・つれづれ

など多用されている言葉から、兼好法師の本音に迫っている。同じ手法で、

  女・老い・いにしえ・子供・自慢・身の程・仏教

などからも、根は女好き、子供嫌い、特権意識が強い保守主義者。
などと兼好法師を裸にする。

酒井順子の文章はイマ風で、例えば有名な冒頭の「あやしうこそものぐるはしけれ」は、

  何をしてるんだかなぁ、俺。

となるんでした。

また兼好法師とブロガーとの共通点の考察も、ドキッとさせられる。
僭越ながら森生だって、兼好法師と同じ動機で「林住記」を書いているのである。

ただ「徒然草は」何百年も残り「林住記」は1日か2日しかもたないのね。
勿論、教科書なんかに載るはずがないよ。

著者によると、それは〇×をはっきりさせないのがいけないらしい。

 

この本を実はあまり期待していなかった。酒井順子という随筆家を知らなかったので。
ところが読み始めるとぐいぐい引き込まれ、大いに笑うことができた。
じじばばブロガーは、読んでおくべき本です。

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愛ちゃん

2016-09-23 | 拍手

    

   愛ちゃんが結婚していた。

ニッポンのオリンピック選手は、弱虫のくせに態度がデカイし、オリンピックが嫌いだから関心はない。
しかし、愛ちゃんは別である。

福原愛ちゃんは、泣き虫愛ちゃんの頃から見ていて、よその子だけど可愛い子だなぁ、と思ってた。

そしてこの頃、随分逞しくなったなぁ、と少し眉を顰めていた。
でも、記者会見に臨んだ和服の愛ちゃんは、吃驚するほど綺麗になっていた。
眩しいほどアデヤカになっていた。

お互い、随分と長い年月が過ぎ去ったんだなぁ........。
とすこしホロリとする。

隣にいたオット君が、これまた若くて美形で、いささか不愉快である。(だからカレの姿は記念写真から削除します)
嗚呼、ニッポン卓球界は何をモタモタしてたんだぇ?

でもまぁ何はともあれ「おめでとうございます」と書かなくてはなるまい。

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敢闘賞を

2016-09-22 | うわごと

JR総武線佐倉駅で、事件は起きた。
停車中の電車の運転席の扉を開けて、運転手52歳が、線路上に放水したのである。
目撃者がJRに通報。可哀想に運転手は大目玉を食らい、実名は出されなかったものの、NHKはじめ全マスコミに報道された。

こういう場合JRの決まりは、本部に報告してから最寄りのWCを使うことになっているとか。
だけどそんな悠長なことをしていたら、間に合わないかもしれないし、電車は遅れる。

運転席に拘束される時間は2時間だったそうだ。
分からない人には分からないかもしれないが、切羽詰まったらもぅ我慢できず、凄く辛いのよ。
決まりを守っていたら電車は遅れ、運転手は人事考課でマズイことになるかもしれない。乗客だって大迷惑だ。

JRはそういう守りにくい決め事よりも、お洒落な尿瓶を開発し、全ての運転室に常備すべきである。
そして、イザという時には森生にも使わせていただきたい。

同じ悩みを抱えるじじぃとしては、この運転手氏に同情を禁じ得ない。
放水は決して褒められることではなかったが、その行為を目撃されたのが不運だった。

運転室内に臭い水溜りを作らず、定時運転を守ったこの運転手氏に、むしろ敢闘賞を差し上げたいくらいだ。
そして、それをガマンしなくていい職場に、異動してあげよう。

写真は江ノ電の運転席らしいです。

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これから

2016-09-21 | 林住期

足指やかかと周りのぞっとする黒痣は、色が少し薄くなってきたようだ。
しかし右足全体はまだ腫れている。抜歯の際の麻酔をかけられたような状態で、自分の足とは思えない異様な感覚だ。
そして室内を伝い歩きする時、右足に体重が乗るとズキンとくるし、腰掛けていても時々チリチリと痛む。
就寝時布団の中で、木偶の棒になった右足の置き方をあれこれ試行しているが、結論はまだ出ていない。

夜間、厠に起きる時が大変で、段取りを考えながら、枕元に置いた椅子にしがみ付き、やっとの思いで立ち上がる。
この間、漏れそうになり、ハラハラさせられ大きな溜息を漏らす。

6時頃目が覚める。寝足りないので、布団の中でうつらうつらしながら、1時間近くもTVを見る。
やっと布団から出て立ち上がり、着替えをし、1階に下りるのに
2~30分はかかってしまう。
だから毎朝が憂鬱である。

それでも、これまでに3回、病院の整形外科へ行った。
勿論、坂道を徒歩では往復できないので、車を慎重にも慎重に運転して。
また、折角車に乗ったのだから、食品を補充するために、山向こうのスーパーへは2回買物行った。
だが、食料品も底が見えてきた。肥るので食事制限をしていても、減るものは減る。

右脛を強打してから3週間になる。傷は、腫れは、痛みはどうなるのだろうかと不安である。
明日はあしたの風が吹くなどとうそぶいていられるのは、五体満足だったからなのだと気が付いた。
風といえば、台風16号の動きに緊張したが、幸運にも雨風は全く大したことはなかった。

怪我がこう長引くとは思わなかった。
今後、足腰は更に弱るだろう。これからの生き方、室内や庭の配置なども真剣に考えなければなるまい。

ご町内の切株さんに、買物代行を頼もうと思う。
自力でやり抜くつもりだったが、人のご厚意に甘えることもそろそろ必要だろう。

昨日、整形外科医は、見落としているおそれがあるのでと、足首のX線撮影をした。結果は大丈夫だった。
腫れが退かず、足の甲が更に腫れて痛むのはクラッシュシンドロームかもと、血液検査をしたが異常はないそうだ。
常用中の血栓予防薬の所為ではないか、ということだった。素人考えだが加齢も原因だろう。

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良き友

2016-09-20 | 林住期

脛に怪我をして、早くも2週間余りが過ぎた。1日が長く2週間余りも長い。

猫額亭に閉じ篭っている間に、大学病院の予約を無断でキャンセルした。筍の癖に生意気な先生だ、もう行くもんか。

会社仲間の写真展に便乗した昼食会も欠席し、残念無念だった。
飯能の奥地にある穴場訪問は、不参加を連絡した。

痛いところを抱え家に垂れこめていると、お先は真っ暗に。ますます悲観的になってくる。
石原慎太郎じじぃには猛烈にハラが立つ。ヤツは重大犯罪人だ。蓮舫に期待はできぬ。
永年積んでいた本を読みはじめても、アタマに入らない。

そんな中で慰められたのは、友だちからの電話やメールだった。

同じ団地で、安否確認をしてくれる切株じぃさんは、買物代行をしてあげる、と。
凸凹じいさんたちは、様子を見に行くから、少し良くなってれば穴場に連れ出すからね、と。
ところじぃさんは、ブルーレイビデオを送ろうか、と。
山じぃさんは、山歩き用の杖なら2本あるよ、と。
先輩は、早く快気祝賀会をしようね、と。

う・うっ・嬉しいね。
世の中、まだ捨てたもんじゃない、と泪がこぼれるのだった。

いま読んでいる「徒然草REMIX」という文庫本によると、兼好法師はこう書いているそうだ。

  よき友三つあり 一つは物くるる友 二つは医師(くすし) 三つには知恵ある友

まだ痛くて泣いたり怒ったりしている落ち込みじじぃは、四つ目に、

  励ましの便りをくるる友

を謹んで追加させていただきます。あ、そうそう、林住記を欠かさず読んで下さるあなた様も、です。
この本の著者である随筆家・酒井順子さんは、医師のほか弁護士を追加していて、これは笑えますね。
なお、兼好法師は「友とするにわろき者」も挙げているとか。それは、

  若き人 病なく身強き人

などであるらしい。
若き人は性別性格など条件次第だが、頑健な人については全く同感です。

                                            

「徒然草REMIX(新潮文庫)」については、じっくり読んで頭に入ってから、感想を書きたいと思っております。
黒い硯箱は、大滝漆器店さまの「村上堆朱木彫硯箱木蓮」です。

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下流老人

2016-09-19 | 先輩のお言葉

今日は敬老の日だった。

刺激的な題名で、20万部以上も売れたという「下流老人」を、まだ読んでいない。
関心はあるが、わざわざ暗い気分になることもあるまい。明日のことを思い煩うことなかれだ、と。

9月17日付朝日新聞土曜版に、下流老人を著した藤田孝典さん34歳が紹介されたので、これを読んでみた。

まず「下流老人」とは「生活保護基準相当で暮らす高齢者、またはその恐れがある高齢者」と定義するそうだ。
現在6~700万人いると推測し、近い将来、高齢者の9割が下流老人になると警告している。

  従来わが国では、下流老人に転落するのは自己責任と考えられているが、本人がいくら努力しても貧困に陥る社会構造がある。
  普通の人たちが病気、介護、離婚など一つの要因で、あっという間に破綻することが多い。
  その背景には、核家族化、高齢化、婚姻率低下、格差拡大、雇用悪化など社会自体の変化がある。
  また社会保障、福祉政策や機能がそれについていっていない。大半の福祉サービスは申請しないと受けられない。

以上は、学生時代から始めたホームレス支援活動から、現在のNPO法人活動に至る十数年間の体験から確信したそうだ。
そうして、下流老人にならないための個人的な防衛策を挙げている。

  プライドは捨てる。
  利用できる制度をもっと知っておく。
  地域の人々と交流する。
  社会を変えるために、声を出す。

森生の現在の生活は「中流の下」といったところだろうか。
だがもしも大病に罹ったり、大きな自然災害に遭ったりしたら、間違いなく下流老人に転落するだろう。

これまでは、市から新しい保険証が送られて来ても、同封の説明書を読まなかった。
市の広報誌に福祉関係の記事が載っていても、無視していた。
先ずはこの辺から改めなくてはならない、と思う。

その次にできることは.........。ない。
敬老の日。何がめでたい。

藤田孝典さんは、NPO法人ほっとプラス代表理事です。

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鎌倉自慢

2016-09-16 | 遠い雲

森生は、鎌倉生まれの鎌倉育ちであります。
会社勤めを始めて以来、出身地が話題になるたびに「鎌倉っていいところだねぇ!」と羨ましがられた。
正直いい気分で、その時だけ低い鼻が少し高くなったものだ。


そのためだろうか、この前しゃもじぃに友だちを紹介され、すっかり打ち解け、故郷の話題になった。
森生はさらりと「鎌倉生まれの鎌倉育ちで、先祖代々の墓も、まだ鎌倉にありますよ」と。
しゃもじぃの友だちは予想どおり「おや、いい街のご出身で」と言い、更に続けた。

  実はね、うちの娘が鎌倉に嫁いでるんです。

  ほぅ、鎌倉ねぇ。鎌倉のどこですか?

  鎌倉市城廻(しろめぐり)です。

  へっ、城廻? あちらは鎌倉じゃありません。戦国時代に玉縄城があり、鎌倉郡玉縄村城廻。草深~い田舎でした。
  今は新興住宅地かもしれませんが、鎌倉市の辺境です。藤沢市の外れに接してるんじゃないですか?

  そうだ、思い出した。誰もがひもじかった小学生の時、同級生全員で、あの辺に行ったことがあります。
  へとへとに歩き疲れて、大きな農家に辿り着き、味噌と野菜を頂いた。
  小学校に戻ってきて、先生が味噌汁にしました。

  あの時の味噌汁は、塩辛かったなぁ........。

  今でも思い出しますよ、あはははは。

結果はもちろん、しら~っ。

生まれ育ちは鎌倉といっても、実は北鎌倉です。
JRの駅名が北鎌倉なので、山ノ内という本来の地名より、今では北鎌倉の方が通っている。
元は鎌倉郡小坂村山ノ内。生まれ育った頃は大船町山ノ内。その後鎌倉市に合併された。

町内には建長・圓覚寺の大寺院を筆頭に、有名なところでは浄智・東慶寺や明月院がある。
木々が鬱蒼と茂る街道沿いの古い町には、東京から疎開してきた、著名な作家・芸術家・学者が多かったようだ。

だが、旧鎌倉市内の旧家の人からすれば、

  北鎌倉? ふんっ、長い巨福呂坂のむこう側じゃんか、片腹痛いや。

だったろうけど、鎌倉旧市内の住民の殆どは、戦中戦後のドサクサ新住民なので、そんな差別を受けた記憶はない。
それどころか、森生の祖母の昔話では、

  昔はね、急な巨福呂坂を越えて、雪ノ下や西御門からは農家が野菜を、由比ヶ浜からは漁師が魚を売りに来たものさ。
  今、女学校がある裏山には狐が棲んでいて、夕方になると、鳴き声が聞こえてきたけどね。

ということで、鎌倉よりも北鎌倉の方がホンモノの鎌倉なんだ、と刷り込まれていたのである。

この度「京都嫌い」を読み、洛外で育った井上章一先生の、洛中の京都人に対する憤懣を知った。
そしてしゃもじぃのお友だちには、大変な失礼をしたことに気付いた。
城廻はきっといいところでしょう。間違いなく鎌倉市内です。ごめんなさいね。

上の写真は北鎌倉女子学園(同校HPより)
下はGW時の北鎌倉駅と円覚寺前の雑踏(絵的生活さまから拝借)
そして豊島屋の鳩サブレ。

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京都嫌い

2016-09-15 | 拍手

いま評判の朝日新書「京都嫌い」。
筆者は現在の京都市右京区嵯峨で育ち、京都市南の宇治市に住んでいる井上章一先生で、本業は建築史家である。
関東平野の西端に住む森生には十二分に「京都の人」に見えるが、京都市の中心部で生まれ育った「京都人」から見れば「田舎者」。
うっかり「京都生まれで京都育ち」などと言おうものなら、蔑まれ、窘められ、イケズされるらしい。

筆者は京都人に対する積年の恨み、嫉み、僻みを、まったりこってりとふて腐れ気味に書いている。
持って回った少し不思議な文章は笑いを誘う。こういうヒネた井上先生、好きです。

祇園はじめ上七軒など京都の花街は、実は、莫大な拝観料に支えられた遊び好きの坊さんのおかげで、面目を保っている。
南禅寺や建仁寺など有名寺院は武将のホテル代わり。江戸幕府に保護されて、現在の十数倍の境内地を所有していた。
筆者が育った嵯峨の里は、嵯峨天皇や後醍醐天皇が愛した土地で、京都の副都心としての役割を果たした。
明治維新は決して無血革命ではない。会津や西郷隆盛の薩摩での殺戮を見よ。

等々、へ~な史実を解き明かし、話題は南朝支持、靖国神社への疑問、天皇の京都帰還反対、嵯峨の里自慢に及ぶ。

洛中の「京都人」への反感を露わにしながら、嵯峨や宇治よりも京都市から遠い亀岡市や長岡市を、蔑んでいる矛盾。
この矛盾は嫌いな嫌いな京都人によって育まれた、とか。
日本人は京都をちやほやし過ぎる、のだそうだ。

この本は、じぃさんたちが集まった時のウンチクネタとして、役に立つ「京都嫌い」どすぇ。

160915


疑惑の豊洲市場

2016-09-14 | 床屋放談

怪我で身体を動かすのが辛く、日中はTVばかりを見ている。

どの局も豊洲市場のインチキ工事を延々と放送しているが、内容は殆ど同じだ。
埼玉県民なので都民税は払っていないが、都庁の役人のあまりの無責任さに、無性に腹が立つ。

役人たちは信頼を回復するためにどうのこうのとほざいている。
担当部署に役人が何人いるか知らないが、全員をクビにしてしまえ。

施設の地下空間に溜まった水の分析をするために、共産党が水を汲もうとしたら、役人はこう言って制止したそうだ。

  都有地内に溜まった水は、東京都の所有物だから、持ち出しを許可できない。

いやはや、こういう役人は縛り首にして、獄門に晒すべきデス。

ごく狭い面積で、汚染土壌の入替えを忘れたのなら、まぁ厳重注意・減給くらいで赦してやろう。
しかしこの度の誤魔化し工事は、面積が全体の3分の1にもなるらしい。

ところで、この不祥事はどういう経緯で発覚したのだろうか。
内部告発者がいたのか、共産党の内偵調査の成果か、何なのかをはっきりして欲しい。
  (施設断面図1階床下の不自然な横線に気付いた外部の技術者が、地下空間を割り出し、共産党が調査に乗り出したらしいが.....)

設計図の完成・工事の落札・工事中の各段階で、何故誰も気付かなかったのだろうか。
施工業者は、言われるままに、工事をただ行っただけか。落札率99.9%という談合疑惑説もある。

土壌汚染対策に関わった有識者・学者たちも無責任で無能である。
そして結局、マスコミも無能・無責任だったのではないか。
マスコミはこぞって、鬼の首を獲ったように都庁を責め立てているが、都庁詰めの記者連中も、全員入れ替えてしまえ。

それに、この不祥事の遠因は、例の東京オリンピックにありそうだ。
小池都知事に対して、オリンピック道路建設工事の遅れを牽制した、森喜朗の感想を聞きたいものだ。
石原・猪瀬・舛添たち元・前都知事にも。

160914