幼稚園の塀です。へ~、アブストラクト!、ですね。
しかし、親方は惜しいことをした。あと少しペンキの色を増やしたら「名画」になったのにな。
ボロックという画家の、同じような「名画」が、川村記念美術館に所蔵されているそうです。
ボロック氏は、これをこっそり見に来ていたのかもしれない。
▲ジャクソン・ポロック「緑黒黄褐色のコンポジション」。朝日夕刊「水曜アート」から転写しました。
町内に住むこのペンキ屋氏の仕事には瞠目すべきものがあり、度々塗り替える自宅外壁には、毎度驚かされています。
幼稚園の塀です。へ~、アブストラクト!、ですね。
しかし、親方は惜しいことをした。あと少しペンキの色を増やしたら「名画」になったのにな。
ボロックという画家の、同じような「名画」が、川村記念美術館に所蔵されているそうです。
ボロック氏は、これをこっそり見に来ていたのかもしれない。
▲ジャクソン・ポロック「緑黒黄褐色のコンポジション」。朝日夕刊「水曜アート」から転写しました。
町内に住むこのペンキ屋氏の仕事には瞠目すべきものがあり、度々塗り替える自宅外壁には、毎度驚かされています。
小説家の古井由吉さんは、「言葉が符号化することに伴い、アナログだった言葉がデジタル化し、思考も感覚もデジタル化している」と指摘している。
新聞TVはここ何年も、朝から晩まで、来る日も来る日も「説明責任」である。もう、うんざりだ。この四文字熟語、既に使い古してしまい、意味が無くなっている。
渦中の小沢幹事長や鳩山首相は、もう済んだこと、と思っているし、これからも、「知ってました」、なぞと言うはずが無い。ここらで別の言葉を見つけないと。
古井さんは更に続けて、
もしもサブプライムローンという言葉が無くて、”返済に不安がある人向けのローン”と言っていたら、あんなに極端なところまで行かなかったのではないか。
言葉によるコントロールが利かないから、経済の合理性を追求するあまり、アナーキーに転じてしまったのです。
これも、なるほどなお言葉。
日本で流行っている、リストラや、グローバルスタンダードなども、同じではないだろうか。
首切り、アメリカ追随、と言えばいい。
古井由吉さんのお言葉は1月14日朝日新聞「2010年底からの旅」からです。
清水ミチコさんが40回目の誕生日を迎えた。おめでとう、でいいんでしょうね。
「気になるのは、顔のシワよりシャツのシワ」
今後はこの気概で行くそうですが、更に「見栄を張るより胸を張れ」。
何事も誤魔化さず、包み隠さず生きる、とか。
近ごろ無口で、ずいぶんガッカリな蓮舫さん、聞いたか?
詳しくはミチコさんのブログ「4325」をどうぞ。
シワの方は、いしだあゆみ先輩に教わったそうです。
この記事はミチコさんとの共作のつもりなので、アリアさんの写真を使いました。
森生はスコアさんのつもり
いま、歯を抜いてきた。まだ唇が痺れているので、昼飯は抜きにしよう。
これまで歯は何本も抜いているけれど、どうもあの口腔内工事は好きになれませんね。
今度も、おとといから精進潔斎し、柔らかい食品を買い溜めし、いつにない早起きをした。
無理に昼飯分まで食い、屠所に向かう豚みたいにシオシオと歯医者へ。
3箇所への麻酔注射で、カラダは椅子にめり込む。あの注射、何とかなりませんかねぇ?
既にグラグラしていた歯だ。抜歯は意外に簡単。案ずるより抜く歯易し、だった。
心筋梗塞後、血液サラサラ薬を飲んでいて大出血の恐れがあり、心臓先生はあまり賛成したくないようだった。
しかし歯科先生の腕前と、歯が根無しになっていた所為か、ドラキュラ気分は約30分。血生臭さは収まった。
脱脂綿をあと30分噛んでいれば、出血は止まる由。信じるものは救われる。
動物は歯が無くなればこの世にオサラバ、と聞いている。今日はこれで、さらばじゃ。
飯能から歩いて家に帰った。倹約と健康のために......。
町であちこちしたので、山道に掛かる頃には、夕闇が辺りを支配し始めていた。
山賊は怖くはないが、猪に出っくわす恐れがある。
慎重に、急げ山道。
ニッポン人が蜜柑を食わなくなったそうだ。理由は、猪に横取りされた、のではなく、
・炬燵で家族団欒をせず、長椅子で横に並んでTVをただ眺めているだけになった。
・核家族化で、箱買いをしなくなった。
・列車の中で、冷凍蜜柑を食う時間が無いほど気ぜわしい。
・カタカナフルーツに駆逐された。
なるほどねぇ、とご尤もな理由の他に、
・皮を剥くのが面倒臭い。
・いちいち指先を拭わなければならない。
・爪が黄色くなるので、爪飾り(「ネイルアート」というらしい)が出来ない。
蜜柑1個を剥く時、指先を覆うために、ティッシュペーパーを3枚使う、キレイママが実在していた!
歯磨きが面倒だから入歯にして、入歯をクリーニング屋に出してるキャリアママもいるかもな。
それで、皮を剥いた冷凍みかんが発売されたそうだ。
.......名付けて「むかん」。
四捨五入すると、これって、必要の無いママまで、バスに乗り遅れまい、と会社勤めに出る所為ですね。
自分を勝間蓮舫さんと勘違いしている。
マスコミがそう仕向けている。
今によ~く噛んだ蜜柑が売り出されるぞ。
いやはや。
むかんを開発した「八ちゃん堂」は偉い。脱帽します。コメ離れを歎く農協は見習ひ給へ。
画像はその会社の広告から借用しました。ごちそうまま。
買物難民団地から山越えで街へ買物に行った。
団地は多峰主山の山襞の陰になり、夕暮れが早く、寒さが厳しい。
飯能の市街はまだ日が当たり、暖かそうに見えた。
この山道は叢を抜ける、拓かれたばかりの近道である。
今なら蛇が出る恐れが無いので、最近、利用する難民が増えた。
この町に引っ越して来てから20余年。見慣れた廃屋が国道拡幅のために、今、解体撤去されている。
駅近くの情けない高麗遺産だったが、こうなると身につまされます。
冬の巾着田に人は殆どいない。車が来ないので、の~んびり歩け、好きな場所になる。
ところが今日は車が数珠繋ぎ。人がごちゃごちゃ。おちおち歩けなかった。
売込み中の高麗鍋の味較べ大会に長い行列が出来たのだ。審査方法?そんなことどうでもよろし。
二箇所にあるテント村24店は既に食い尽くし、片付け中。無料は強い。キムチ鍋との違いを知り損なった。
市内に商店街は無く、人が集まる場所は巾着田だけ。商工会としてはなるべく多くの車が来て欲しい。
明日からはまた静かになる、と思うけれど困ったものだ。
オマケの写真。下は彼岸花の現在の姿で、草臥れて横になっています。
▲マーク・ロスコ「壁画№4のためのスケッチ」
姜尚中教授は、世の中の悩みを一身に背負っているようだ。
いつも眉間に皴をよせている。
姜教授が高村薫さんを迎え、マーク・ロスコという画家に就いて、深刻に語り合っていた。
姜教授は「ロスコの前では自我が無くなる」
高村さんは「意味から自由になる」
と。
お二人の難しい会話が続き、付いてゆけなかった。
でもね、そんなに難しく考えなくてもいい。
マーク・ロスコなんか、町ではいくらでも見つかるからね。
書斎から出て、町歩きをすればいいと思うよ。
例えば古い物置小屋とごみ箱など▼
千葉県佐倉市の川村記念美術館では実物展がありました。
TVでしか見ていないのがいけない。反省。
この美術館には素晴らしい庭園があり、巨大な産業廃棄物も展示しています。
事もなくふくら雀に日の暮るる
..............村越 化石
着膨れてふくら雀の如きわれ
..............大房 帝子
羽毛を立てて身体を膨らませ、寒さをしのいでいる雀のことを「ふくら雀」という。
近頃は若者が、ふくら雀のような身なりをしてますね。
既に「伊達の薄着」は死語になりました。
東宮妃と秋篠宮妃殿下は納采の儀の際、帯をふくら雀に結んでいた由。
福が来るという縁起担ぎとか。福、来たのでしょうか。
福来雀型帯結びは「着物諸々」さんをどうぞ。
雀は人里に住む野鳥の由。
しかし、わが猫額亭には全く近寄りません。
森生は既に人三化七だもんなぁ.....。
京都伏見稲荷では、参詣人が雀の丸焼きを頭からバリバリ食う。
ミヤコの人は意外に野蛮です。
ウチでは焼き鳥になんかしないから、たまには飛んで来てね。
この雀たちには、電線に一列に並んでもらいたかった。
チュンチュン騒ぐばかりで、ばらばらな写真になりました
若者に似て、雀は行列が苦手のようですね。
「縮緬福来雀根付」はMSNオークションからお借りしました。
人通りが少ない銀座通り商店街に、不思議な店がある。何故か懐かしい。
淺川マキが亡くなった。
名古屋公演の最終日に姿を見せず、関係者が宿舎に行き、亡くなっていたのを発見した。
この人の歌は暗く、取っ付きにくい歌が多いが、何故か「赤い橋」が好きである。
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
昔 むかしから 橋はかわらない
水は流れない いつの日も
...........
北山修作詞 山木幸三郎作曲