家族葬に賛成したとはいえ、気持ちがもう一つ落ち着かなかった。
夜、姉に、電話をした。
姉は、葬儀の前日に子らと共に、祭壇を確認をする由。
場所は駅近くの「葬儀専門ビル」である。
お別れを兼ね、「事前の確認」に参加させてもらうことにした。
「葬式ビル」は駅近く、体育館脇の重厚なビルだった。
営業担当の明るい青年に施設を案内してもらった。
ここでは仏教各宗派ばかりか、キリスト教でも葬儀が出来る。会食も宿泊も出来る。
更に驚いたことは、7000柱も安置できる納骨室(倉庫)がある、いわば「お墓ビル」でもあったのだ。ビルといっても散文的なロッカー式ではない。
墓参の際は個別遺族カードを入れる。
白鳥が彫られている磨り硝子の内部が次第に輝き始めた。
見本の墓だったけれども、ここでシメヤカな気分になってきた。
少し、というかかなり待つ........。
.......やがて硝子扉が静かに両側に開く。
そして、おお、黒御影石の大きな墓が現われた! 普通の2倍はあるか。
墓前には小型噴水盤と、香炉と鐘があり、両側には生花が活けてある。
墓石の中央の窓に家名を彫った黒御影石板が、カードによって入れ代わるのだ。
家名は注文により、夢でも風でも、何でも差し支えないそうだ。
家名石板の後ろには後ろの納骨室からコンベアで運ばれて来る骨壷がある由。
本当に遺骨が運ばれてくるのか確めようがないが、魂消てしまった。
塔状回転式駐車場の仕組みを、有難くも荘厳なものにしたようなものだ。
墓は腰の高さなので、立ったままお参りでき、膝や腰に難がある高嶺者向きである。
同じ形式の墓参窓口が1室に8箇所はあったろうか。どの窓口を選んでも指定した遺骨がせり出してくるそうで、便利なような、薄気味悪いような.........。
義兄の棺は、好きだった花に囲まれており、背後の祭壇には慣例の賑やかな飾り物は一切無く、簡素で趣味の良いものだった。
そして、義兄の死に顔は安らかだった。合掌........。
姉たちは四十九日まで、遺骨を自宅に安置し、その後ここに納骨する。
お通夜は無い。
遅れて来た妹一家と共に、横浜高島屋へ行き、3家族で贅沢な夕食をした。
「精進落としの会みたい」、と姉は機嫌が良かった。
翌日、姉から電話があった。
全てが円滑に運び満足している。東京湾岸にある火葬場までの道が素晴らしかった、由。
葬儀と墓地ビルの仕組は「関内陵苑」をどうぞ。
091031