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林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

アマゾンは奔流

2006-11-12 | じゃじゃ馬馴らし

考え悩んだ挙句、亡くなった親友の娘さんの一押しで、「筆ぐるめ」を買う事にしたのだ。
娘さんの数々の助言には何時も助けられている。

何時もなら、山田電機で冷やかしたり、飯能のパソコン屋の社長の高邁なお説を承ったりして、購入する。
しかし、森男は忙しいのだ。
グーグル検索で「筆ぐるめ 通販」を検索したら[アマゾン]が先頭に出たので、ここの通販を利用することにした。
利用者が多いから、先頭に出たんだと考えてね。
また、割引惹句にも釣られた。
以前「できるブログgoo対応」をここで買った時、問題はあったが直ぐ届いたし。

これが浅墓だった。
以下、記憶による購入手続きを列記する。

1.対象商品をクリック(以下C)。
  届け先欄に森男の名前が既に入っている。
  前回の記録があると考えた。
  「ショッピングカート....」と「1-Clickで今すぐ買う」が出ているので、後者をCした。
  これで、受注メール(以下M)が森男宛に送信されると思っていた。
  前回はそうだったし、他社の場合もそうである。

  しかし、Mは来ない。

2.思い直して、今度は「ショッピングカート...」をC。「レジに進む」C。
  パスワード(以前の書籍購入時に設定済み)入力。
  「注文を確定」C。

  間もなく、受注確認Mを受信した。
  しかし、届け先欄に、市町名はあるが「番地」が無い。
  以前、書籍が届いた時、宅配便の配達員から、番地が無いが探して来た、と
  いわれた。
  つまり、アマゾンの顧客リストが不十分だし、出荷係りの点検は無しだ。

3.受注確認Mに問合せURLがあるので、ここを開いてた。
  届け先変更手続きをした。
  これが大変ややこしくて、大苦戦したが、「間違いなく慎重に」入力した。

  また、受注確認Mを受信。
  しかし、また、市町名はあるが、「番地」が無い。

4.上と同じ手順で、今度は一体全体どうなっとるか?、と丁寧に「問合せ」をした。
  この手順は、更にややこしく、ようやく問合せを済ませたのは、夜。
  返事は、当然明日(つまり今日)以後と予想した。

  寝る前に、M受信フォルダを開いたら、発送通知Mが2本受信していた。
  夫々のMの発送番号の末尾5桁が異なるぞ!よく見て良かった。
  直ちに、また「問合せ」。
  厳しい調子で、カード二重引き落としは許さぬ、と送信し終えたのが夜11時過ぎ。

5.今日午前10時、番地が無いまま、筆ぐるめは2個届いた。

やれやれ。大河アマゾンの流れは食い止められなかった。
アマゾンの奔流に翻弄された。

1個返品の手続き、カード二重引落の訂正.......。
どれも簡単に済まないだろう。
相手は商品に添付した伝票に「納品書券領収書」と書いてある。
返品手続きなんかどこにも明示していない。(納品兼領収書の裏にあった!)。

徹底的に手前勝手な合理化をしている。
質問・苦情は宝の山なのに、障壁を築いている。
そのくせ、「ユニバーサルデザイン」とか「アカウンタビリティ」なんていう流行言葉は得意なんだろな。
売ることと、代金回収には熱心だが、「ソフトはパンク状態」というものだ。

ネット新興企業は経営者も若僧ばかり。
お客の都合は分からない。
ネット通販の本流になるには、もっと分かり易くしてもらいたい。
健康食品のネット通販の方がずっと充実している。

多分、森男の手続きに手落ちがあったのだろう。そう言われるに決まっている。
買い手側も「トレーサビリティ」の覚悟をしてアリバイを固め、ネット通販を利用しなければならない。
ネット社会はチンピラ評論家が言う様に、決して便利ではない。

怒っていると、傷が深くなる。
頭を冷やして、したたかに、慎重に対処しよう。
余計忙しくなってしまったよ。

 二つの「グルメ」 団扇で頭を冷やそ 


舌なめずり筆ぐるめ

2006-11-11 | じゃじゃ馬馴らし

昨夜から[筆ぐるめ]に浸かっている。

インストールに1時間半もかかった。
パソコンを買った時に、既に[筆ぐるめ]が搭載されていたらしく、これを削除する為に説明書通りの展開にならず、慌てた。
時間がかかったのは、古い既存の[筆ぐるめ]の所為らしい。
始めから分かっていれば、バージョンアップ版を買えば、ずっと安くて済んだ。

取り敢えず、宛名印刷を急いだ。
大変使い易い。
説明書を読まなくても作業が出来た。
画面上の日本語がこなれていて、疑心暗鬼にならなくて済むのは有り難い。

氏名、郵便番号と電話番号、番地を記入する時、いちいち画面を「次へ」クリックで変えるのは、一寸面倒だ。
慣れれば、他に便利な方法があるのかも知れない。
森男は玩具を手に入れた「高嶺者子供」だから、待っていられない。直ぐ動かし始める。
先が短いからね。

字体には注文がある。
フォントの種類は多いが、全体に品が無い。
パンフレット他、広告業界・出版業界ではもっといい字体を使っている。
森男は宋朝体が好きだが、無くて残念。
太い字はインクを食うので好きじゃない。

ペン字体は「恋文ペン字体」というヘンな名前のものがあるが、もっと端正な恋文にならないか。何やらお行儀が悪い感じだ。
ペン字体をもっと増やして、毛筆体を減らした方が、ご時世に合うのではないか。
なんて考えながら、恋文ペン字体で印刷してしまってから、「ペン行楷書体」というましな字体がみつかったが、後の祭り。
フォント一覧表の画面編集はもっと、体系を整理整頓せよ。

印刷も分かり易いが、プリンターの不具合か、数枚印刷位置がずれて無駄にした。
切手を後から貼る私製葉書にした方がよかったかも知れない。

宛名印刷に限ってだが、「筆ぐるめ」は85点くらいはあげられる。
雪でも降ったら、家に閉じ篭って、暑中見舞いを大凝りに凝って作ってみよう。
面白い玩具が手に入った。


煮干の解剖

2006-11-10 | 拍手

今、小学校では科学の時間に蛙の解剖をするそうだ。
森男が小学生の頃は、そんな勿体無いことはせずに、食ってしまった。
特に赤蛙は、太股の部分の醤油焼きが旨かった。

蛙の解剖は血は流れるし、足はヒクヒクするし、トラウマな体験になるから、と言って煮干の解剖を奨めている人がいる。
朝日新聞日曜版でこれを知り、HPを見て森男はおったまげた!
市井に偉人ありだ。

HPは至れり尽くせりで、最期の掲示板まで面白い。
この素晴らしい着想力と、構想力と、表現力に完全に脱帽します。
仇や疎かに煮干が食えなくなってしまったよ。

煮干に似たもので目刺とししゃもがあるが、これで試して後は食う。
知識欲と食欲が一緒に充足できる。

ところで業者の方々、近頃の目刺、も少し塩を効かせて下さいな。
ししゃも、電子レンジで加熱すると、爆発します。

HPのお題は「煮干の解剖資料室」。
写真もここからお借りしてます。
なお、煮干に弔意を表し、黒枠を加えました。


赤ちゃんポスト

2006-11-09 | 重箱の隅

 熊本市の[慈恵病院]に「赤ちゃんポスト」が設置される。
ほのぼのとしたいい名前だが、実は「捨て子受付箱」のこと。
病院の説明では、子殺し・中絶防止の為の由。

 .............そういうものか。病院は善意。.....でも、なぁ。

身にまさる 物なかりけり みどりごは やらんかたなく かなしけれども

 「金葉和歌集」に採り上げられた、子を捨てた母親の一首である。捨てられた子を包んだおくるみに書いてあったそうだ。平安時代の子捨てには悲嘆があった。
現代はポストどころか、「赤ちゃんダスト」になってしまうのではなかろうか.........。

絵から下の記事は070224に追記しました。 


高嶺者ならいいか

2006-11-08 | 林住期


おらんだ漫才 鈴木信太郎 水彩

事実は高齢者だが、「高齢者」と言われたくない。
自虐的に「爺」と言うことはあるが、実は面白くない。
世間はこういう場合直ぐにカタカナ英語で言い換えるが、これも不愉快。
当たり前に「老人」と言われるのもイヤだ。

東京都や川崎市などは、美術館、博物館など、入館料を割引してくれる。
三鷹市は無料だった。
松下電工の美術館も割り引いてくれた。
みな高齢者割引のお蔭で、年金減少・負担増の昨今、大変有り難い。
自分から「高齢者」であると申し出て、恩恵にあづかる。

その癖、切符売場で相手から親切に、「高齢者割引ですね」と確認されると、ムッする。
素直じゃないね。
その結果、罰として普通料金を負担させられて、一晩うじうじする。

学生と座席を奪い合うのに、おばさんに席を譲られると、つい断ってしまう。
ソンな性分だ。

作家の藤本義一さんが、「高齢者でなく高嶺者と書こう」、と朝日新聞に提案している。
そうだ、そうだよ。是非そうして下さいな。

以下余談。

藤本さんは、更にアッと驚く指摘をしている。
安倍総理のスローガンを逆さに読むと、

 美しい国=うつくしいくに→にくいしくつう=憎い死苦痛。

死と苦痛=戦争。それを憎む安倍さん。
安倍さんの頭の中には戦争を憎む思想が漂っている、と。
「美しい国」では抽象的で観念的で、具体像を聞いたら、100人100様の答えになる。
しかし、逆読みすればよく分かる、と。

上手い。流石です。


小熊記事

2006-11-08 | 高麗便り


                        ▲朝日新聞朝刊熊記事続続続報から

古新聞を片付けようとして、小さな記事に気付いた。

 住宅地に子グマ
 リンゴで捕獲
      日  高

場所は上鹿山の住宅地だ。
発見した時は腹ペコ状態だったそうだ。

団地緑地の熊のその後は分からない。
あの熊が上鹿山に行ったのかな。
だが、途中には夜間も車の通行の多い県道や国道がある。
育児放棄の親熊はどこへ行った。

寄居で小熊捕獲、都幾川で鶏舎荒らしと宅地内目撃、日高市内で目撃2件、そして4日に捕獲したとの記事。

清流文化都市は猪熊文化都市だ。


いらっしゃい

2006-11-07 | 歌の翼に

 

の~んびりした歌が聞こえてきた。
方言で話しながら、だんだん歌になる。
歌が上手くて、TVに目が行った。
人形のアニメが懐かしい。詩情溢れる。
田圃の中の曲がった道、茅葺屋根の家、縁側、暗い家の中。
お爺ちゃん、お婆ちゃん........。
人形は細川晋。

この声、聞いたことがある。上手い歌手だ。

この方言はどこのだろう。
東北地方のような、関西以西のような、全国各地のような.......。
不思議な味がある。

番組が終るとき、字幕だ出た。NHKの「みんなの歌」。
やっぱり、だった。

倍賞千恵子歌・白峰美津子詞・小六禮次郎曲。新曲「いらっしゃい」だった

 おいでんせー。ようきたなー。
 まんずまんず。よぐぎだなー。
 いらっしゃい。よくきたね。

 やんわ~として行かれ。
 ゆっくりしちょちょくれ。
 ゆっくりしてってな。

 あの駄菓子屋はね、コンビニになったけれど
 おばあちゃんは今も元気

 「あなたに会いたがってたよ」

 おじゃったもんせー。ひさかぶい。
 ようきたね。ひさしぶりだがね。
 いらっしゃい。ひさしぶりだね。

 さいきんどうしようた?
 このごろどなんしょうたん?
 なにかいいことあった?

 あの時一緒に 散歩した並木道は
 すっかりすべてこがね色

 「ねぇ 自転車で行ってみようよ」

 風がふいて ほら、生まれたての落ち葉だね
 こちむいて ほら、くつひもほどけてるよ
 あなたが笑う 私も笑った

 楽しかったちゃ。またこられ。
 楽しかったけん。またきちゃれ。
 楽しかったわ。またきてね。

 何度もふり返って手をふる人
 たんぽぽの花が咲く頃
 じゃあね、またいらっしゃい

 楽しかったのう。またこられ。
 へばのー、元気でな。
 それじゃ、元気でね。

 何度もふり返って手をふる人
 菜の花の季節になったら
 じゃあね、またいらっしゃい
 じゃあね、またいらっしゃい

銀座で買ったCDを何度も聞いた。
カラオケに合わせてみた。
なかなか難しい歌だ。


多峰主山晴れ

2006-11-07 | 高麗便り

雨が上がって、快晴。
夕方、多峰主山から天覧山を歩いた。

多峰主山から西方。秩父の主峰・武甲山。▼



多峰主山北西。関八州展望台と越上山。▼

多峰主山北方。高指山、日和田山。▼

多峰主山から東方。飯能市の先に新宿副都心。▼

天覧山展望台直下無残。▼



眺望確保のため伐採したのはいいが、後は野となれ山となれ。


汐留から銀座へ

2006-11-06 | 風に吹かれて

 汐留再開発地域 上方緑地は浜離宮

たまには銀座を歩かないと狸か猪になってしまう。
汐留に「重森三玲展」を観に行った。

汐留再開発地域を見物したついでに銀座を八丁目から一丁目まで歩いた。

汐留は凄いことになっていた。
高いところを「ゆりかもめ」が走る光景は、まるで未来都市だ。
巨大なビルが林立して、自分がどこに居るか分からなくなる。
日曜日で会社が休みなのに、大勢の人が集まるのか不思議だ。

 電通ビル
 ゆりかもめ

移築した旧新橋駅と模型

銀座は歩行者天国だった、
広い車道をのんびり歩けて快適だ。
町並みも一段と充実してきた。

残念なのは資生堂ビル。景観をぶち壊している。
よく老舗の旦那衆が黙っていたものだ。
高名な建築家の設計だろうが、自分さえよければいいものではないだろう。

 マッカカの資生堂

小品盆栽専門店の[森前]に寄った。
一寸無理すれば買える値段の盆栽が面白い。

四丁目交差点の[和光]。
ここの飾り窓は日本橋高島屋と双璧の見事な飾りつけで、銀座の楽しみの一つだ。
今はコルクで作った蝙蝠と梟を使った奇抜なものだった。

 和光の飾り窓

和光の隣の[山野楽器]で、CD「いらっしゃい」を買った。(これ、いいですよ)。
[ヤマハ]で尋ねたら、ちょっとお待ち下さい、と言ったまま店員が消えた。
山野で尋ねたらヤマハ同様の混雑なのに、棚から持ってきてくれた。
買わないわけにはゆかないので、買った。

ノッポさんの「グラスホッパー物語」をまた探してきそうなので、慌てて断った。
山野楽器は昔から、好きな店だ。

銀座[松屋]。
学生時代から贔屓にしていた百貨店だ。
規模は小さいが、品揃えは気が利いて、欲しくなるものばかり。

手拭・時計・メッセージカード・机上飾り・食器等が素敵だ。
催事場の北海道物産展も、他の百貨店とは一味違う。大入りで歩くのも不自由だった。

同じビルにあった銀行跡が[ルイ ビトン]になっていて、バーゲン売場のような混雑だ。
ガードマンが睨みを効かせているが、入り易い店だ。

 また外壁を変えた銀座松屋

文具の[伊東屋]。ここも大混雑。
ここは一日楽しめる。
万引きしてしまいたくなるほど珍しい商品や、便利な商品が山ほどある。
目に毒になるから、入口で引き返した。
年内にもう一度出直すつもり。

[ティファニー宝飾店]が出店した。
二つの入口はドアマンが開閉する。
構わず入ったが、ちょっと硬い雰囲気で、店内は[和光]や[ミキモト]の方が暖かい。

地下鉄銀座一丁目駅まで、昼飯以後4時間も歩いたから、足が痛い。
同じ時間歩くなら、山道の方が楽になってしまっていた。

池袋駅に着いて、ほっとした。
ここはすでに、わがダサイタマだ。
ほっとして、駅の地下通路に出店した[京都・比沙屋]の焼き栗を買った。
これ、旨いんだなぁ。


重森三玲展

2006-11-06 | 色めがね

重森三玲の名前は「庭の時間」の作者、MONKおやじさんのHPで知った。
大分褒めておられるので、気になっていた。
最近、重森三玲展が開催されていると聞いて、グーグル検索をしてみたら、凄い事になっていた。
昭和を代表する作庭家、つまり植木屋の大親方だと思っていたら、大違いだった。

日本画・華道・茶道・建築など日本文化全般の研究と、庭園を独学で学んだ。
全国の古い庭園の実測調査を実施した。
等々学者だったのだ。
しかもただの学者に留まらず、生涯に200余りの作庭までしている。

京都東福寺方丈の有名な庭園は重森三玲の作品だったのだ。
あの市松模様の苔の庭園は、重森三玲による日本初の画期的なものだそうだ。

 1.

会場は写真パネルと庭園図、それにいくつかの模型があり、映画やビデオも上映されている。

庭園図は染みが付いたり、虫が食ったりしているが、額縁に入れると一種の抽象画となって、立派に鑑賞に耐える。
どこかの大学生が撮った映画や、NHKのビデオが上映されて、大変分かり易い。
展覧会用に撮り下ろした写真も見事だ。

ビデオによると、作庭の基本姿勢は、

・「永遠のモダン」。
・施主の用意した石は使えず、自ら山に入って探し出す。
・作庭の前に、施主を作る、つまり洗脳する必要がある。

と言うものだった(ようである)。
また、日本の作庭技術は平安時代を頂点に、時代を下るとどんどん技術が劣り、自分が作庭する頃は最悪だったそうだ。
それを、自分は元に戻した、と大変な自信であった。

で、肝心の庭、つまり「作品」はどうか。
国宝信貴山縁起絵巻を絵葉書だけ見て、あれこれ言うのと同じで、見当違いの恐れが大ありだが、一寸どうもね、だった。

ケレン味があり過ぎてあまり好きになれない。
岸和田城や松尾大社の石組は、一寸煩い感じだ。
また、石が夫々勝手な方向を向いているように見えるのだ。
今後の長い時間が煩さを隠すのだろうか。
竹塀も作り過ぎだと思う。

 2

映画では、職人たちが地下足袋姿で、泥んこになって作業している。
一方、重森三玲は羽織を着て草履姿で白砂に流紋を付けている。
施主との場面でも、施主の方がへりくだっている。

建築家は安藤忠雄・黒川紀章・磯崎新先生等、話が上手い。
他人の資金で自分の作品を作るのだから、芸術的力量以前に、営業力が必要だ。
作庭家も同じだろう。

東福寺方丈庭園の市松模様は、苔と石組の市松も、潅木の市松も、重森作品と知った今でも素晴らしい。

 3

だが、自邸の市松の唐紙は、桂離宮の方が衝撃的に洒落ていて、重森の負け。

庭の評価は、やはり実際の庭を見てから判断しなくてはいけない。
東福寺・松尾大社だけでも、一度行ってみたい
でも、岸和田城は見たくもないな。

庭師になりそこなった森男は、石と設計図はどちらが先か、作庭家は職人にどこまで仕事を任せるのか、植栽はどう決めるか、等々知りたいことがまた増えてしまった展覧会だった。

美術館は汐留の松下電工ビルの4階。
ロビーに我が家が庭ごといくつ入るかという贅沢さだ。
圧倒的に壮麗なビルで、職員の女性も感じのいい人ばかりだった。

松下製品展示場も圧巻で、家族連れで混み合っていた。
一つも買えない森男は、うつむくばかりだった。

写真1.は[St.KYOTO]、2.3.は[めぐりあひて]からお借りしました。
他は会場のパンフと、購入した絵葉書を使用しました。
1~3.は東福寺方丈庭園、絵葉書は石像寺です。


喪中葉書

2006-11-05 | 知ったかぶり

年賀状を受け付ける前に、喪中欠礼葉書を投函しなくてはならない。
喪中葉書は既に出来上がっている。
宛名を書かなくてはならないのだが、つまらぬブログに拘って、一向に着手しない。
そのうち、宛名書きソフトを無料で取り込めるはず、と思いついたから、一層仕事が先延ばしになっている。

朝日新聞の投書欄にいい投書があった。
新潟県の93歳の石井耕一さんのものだ。
以下要約。

・喪中葉書を28枚受取った。そんなに長く服喪中の人はいないと思うが。
・明治7年、太政官布告(服忌令)で、服喪期間を神道に背景に定めた。
  父母の忌30日服13月 夫の忌30日服13月 妻・嫡子の忌20日服3月
・(石井さんのお知り合いの)複数住職意見。
  死後7日毎に忌、7回目の49日が忌明け。
  同居の親族はこれと同じく喪明けとす。同居でない親族は適宜5回や3回にす。

で、ここからが肝心。

・年賀葉書が発売された11月1日までの死亡なら、喪中葉書は必要なく、年賀状をだそう。
・但し、毎年年賀状を出していた本人が死亡していたら、遺族は期日無関係で相手に通知すべし。
・年賀状は美風で、貰って嬉しい。
・それを損なう喪中葉書の乱発は止めよう。

永六輔さんも喪中葉書反対論者だ。
ご両親の喪中でも、年賀葉書を出し、奥様が亡くなっても出すつもりで、年賀葉書を有り難く頂くとも言っていた。
個人の不幸は相手には関係ない、新年を一緒に祝いたい、というご意見だ。

森男は石井さん、永さんに賛成だ。
ところが意志薄弱で喪中葉書を作ってしまった。
だから出す。

だが、毎年楽しい年賀葉書を下さる方には、余白に書き加えるつもりだ。

 .....こういうわけですが、貴方の年賀葉書を楽しみにしてるから、送って下さいね。

また先延ばしする事情が増えた。
例年の年賀葉書もそうだが、喪中葉書も土壇場までうっちゃっておくのだ。
罰当たりなことである。

そして、再来年の年賀葉書は、また一段と減るだろう。 


将軍様 よいしょっ

2006-11-05 | 拍手

やっと気がつきましたか
                              あなたを擁護してくれる国はゼロになったの
                                                                  です

あの将軍様ではない。
将軍様をコテンパンにやっつけている山田紳さんの政治漫画をよいしょなのだ。
新聞の見出しと、この漫画だけ見ていれば、ごちゃごちゃ細かく書いている記事なぞ要らぬ。
辛辣極まる。
絵が秀逸で、将軍様の駄々っ子振りを活写している。
このお騒がせ駄々っ子、何とかならんかね。

「頭ごなし」声明と「頭にくる」一方
  
「耳打ち外交」はやってはみたものの.......

「みんなを怒らせてしまった」実験で大ヤケドし
                                                                  そうだね

ワッ 今度はこっちが点火かよ!
「駆け引き」の国が ナゼ「最大の弱点」を隠そう
                                                                  としないんだろ?

1週間で全員の足並みがそろうとは!

悪いけどその「ガラクタ」や「威カク」は持ち込み
                             
禁止なんだ
中国が見せた「金・コメ・油」締めの大ワザも効
                                                                   いてるなあ

                          
大学入試目前の高校で、未履修科目があることが発覚し、大問題になっている。
世界史その他を履修してないんだと。
試験科目に入ってないなら、授業を割愛してもいいね。
世界史をやらないと、国際感覚が身に付かないなどと言う人がいるが、マニアル教師の暗記授業で、そんなもの身に付くわけがない。
国際感覚が本当に必要な人には、ひとりでに身に付くよ。

やむを得ず、超法規措置をとって短時間授業で済ませるらしい。
そこで提案。

昔のことだけれど、世界史の教科書は山田紳さんに書いて貰えばいい。全部漫画でね。それで十分だ。
今回のごたごたには間に合わないのが残念だ。

○お断り○
漫画は朝日新聞掲載にされたものです。 


小さい秋みつけた

2006-11-04 | 歌の翼に

今日も多峰主山に登り、山道を歩いた。
木の葉が少し色づいてきた。この秋は緑のままの落葉が多い。

「小さい秋みつけた」 
サトウハチロー詞・中田喜直曲。

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんがみつけた



小さい秋 小さい秋 小さい秋みつけた

めかくしおにさん手のなるほうへ すましたお耳にかすかにしみた
よんでる口笛 もずの声

小さい秋 小さい秋 小さい秋みつけた

昨日から3日間にわたり、東松山市を中心にスリーデーマーチが開催されている。
29回目になる国内最大規模のウォーキングの祭典だ。

主催は朝日・日刊スポーツ新聞や、県・東松山市、日本ウォーキング協会だ。
その効果かあってか、8万人も参加する。

秋の比企丘陵を巡り歩くのは、さぞ気持がいいことだろう。
だが、8万人もの大人数がぞろぞろ一緒に歩くのは、どうも好きになれない。
乳母車を押したり、鎧姿で歩いたり、ご苦労なことだ。

 東松山市郊外

天覧山・多峰主山を中心に同様の大会が毎年開催されている。
近いから見にに行ってみたら、狭い山道に行列が延々と続き、渋滞が起きていた。
コースを外れると、係員に厳しく禁止されていた。

すっかり管理され、一体何が楽しいのか。

現役の人や、子育て中の家族がこの大会に参加するのは理解できる。
だが、毎日が日曜日の退役高齢者は、別の日でいいじゃないか。
道順は自分で決めればいい。

地元住民との触れ合いは、何時だって出来る。

協会や新聞は宣伝・拡販のために大会を開催する。

行政が何故一緒に主催するのか。役人は休日出勤手当が出ているのか。
行政は8万人を短期集中的に集めるより、秋から冬へ分散するように工夫する方がいい。

近くにだって秋はある。
大きな秋を、自分で見つけようよ。



近くの飯能市美杉台団地中央通り
写真は全て美杉台団地分譲広告から。(実際の風景はもっと見事です)。


智恵袋道具箱

2006-11-03 | 知ったかぶり

カテゴリーに「智恵袋道具箱」を加える。

1.苦手の掃除が好きになる方法
  1回15分以上はやらない。長いとイヤになるから。
  完璧にはやらない。もう少しというところで止める。
  掃除する場所を暦に書き込み、済んだら○を付ける。暦は目立つ場所に貼り出す。
  自分を褒めて、褒美をあげる。頻繁に。

2.重曹は万能
  洗面所や台所など、重曹で綺麗になる。
  風呂に入れれば、サラサラして気持良く、肩こりや疲れに効く。
  しかも、湯を落とした後、汚れが落ちている。

3.目の体操
  瞼を意識的にパチパチと動かし、片目ずつウィンクを数回繰り返す。
  近くと遠くを交互に見る。
  目の筋肉が鍛えられ、ドライアイを防ぎ、老眼予防効果がある。

以上、朝日新聞販売店の折込誌「ASA広場11月号」から。
日高・飯能市民の生活の智恵を集めて、便利。


母恋吹雪

2006-11-03 | 歌の翼に

 叔父のCD

この辺の木々はまだ紅葉には遠いが、北国からは雪の予報。

三橋美智也になる前の三橋美智也を聞いたことがある。
東京で焼け出された叔父一家が、戦後もそのまま同居していた。
その叔父を頼って、三橋が北海道から出て来たのだ。
縁側で三味線を弾きながら、民謡を歌ってみせた。

義理の叔父は尺八の演奏家。
民謡界では名人と言われて、一派を成していたらしい。
だが、森男にはそんなことは全く知らないことだった。

敗戦直前、叔父は庭の大きな躑躅を伐採して防空壕を作った。
父は自分では出来ないくせに、ひどく不機嫌だった。

叔父は芸達者な人で、物置から古い屏風を持ち出して墨絵を書き足したり、越中褌一丁で蛸踊りを踊ってくれたりした。
陰気で小言ばかり言ってる父より、好きだった。

巡業から帰ってくると、叔父のところに入りびたりで、父から叱られたものだ。
それでも叔父が尺八の練習をするのを、いつもそばで聞いていた。

その頃、我が家はこの叔父一家の他に、父の弟一家や、父の妹たちがいた。
祖母も健在だったから、母にとっては姑小姑鬼千匹状態だった。
父は本に埋まって勉強ばかりしていた。

祖母と父の妹たちの3人は、よく母を苛めていた。
子供にも、その辺の事情はよく分かるのだ。

叔母の葬式の時、従姉妹に50年振りにあった。
あの頃のことを、お互いにサバサバと語り合える年齢になっていた。

従姉妹や姉によると、叔父は母に対して非常に同情的だったそうだ。
祖母や叔母たちの苛めや、父の不機嫌の原因の一つだった、とこの年齢になって気付いた。

叔父は三橋をとりあえず、川崎の風呂屋に住み込ませた。
三橋は三橋美智也になって、一世を風靡した。
ヒット曲に「母恋吹雪」(矢野亮詞・林伊佐緒曲)がある。

 酔ってくだまく 父さの声を
 逃げて飛び出しゃ 吹雪の夜道
 つらい気持は わかっちゃいるが
 おいらばかりに ああ なぜ当る

 こんなときには 母さが恋し
 なんでおいらを 残して死んだ
 呼んでみたって ちぎれて消える
 星のかけらも ああ 見えぬ空

 徳利かこった 凍れる指に
 岩手おろしが じんじとしみる
 たったふたりの 親子であれば
 涙ぬぐって ああ もどる道

父は酒は飲めないが、小言と愚痴を言い続けた。
役所を辞めてからも、死ぬまで勉強していた。
そして偏食とストレスで、76歳で急死した。

賑やかだった叔父の葬儀は、弟子たちの尺八葬となった。

大家族のために、食料品の調達に奔走していた母は姑を送り、親戚や小姑を片付け、101歳まで生きた。

歌とは異なる展開となったが、気にかかる名曲だ。

叔父の墓はは北鎌倉の円覚寺にある。
叔父の故郷の岩手県の町のHPによると、町には胸像が出来た。
母を苛めた叔母もとうに死に、もう一人は特別養護老人ホームで呆けている。

父の蔵書は、東慶寺松ヶ岡文庫に引き取られた。
文庫は、父母の墓の真正面の高台にある。

 東慶寺遠望