林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

植樹は先送り

2007-02-19 | お節介

  この「苗木」どもを....。

 いろは紅葉11本の植樹のはずだった。背丈ほどの小型の苗木のはずだった。楽々出来るはずだった。
ところが植木屋がトラックで運んでた「苗木」は、どう見たって「成木」。トラックから降ろすのにはクレーンを使った。後はお互いにガタがきたボランティアが丘の上まで担ぎ上げなければならない。

 集まった人は男8人、女3人。合計7~800才。坂道を登るだけでも息が上がってしまうのに、木を担ぎ揚げるのだ。男4人1組になって、よたよたしながら、やっと予定の場所に配置したら、へろへろ。
互いに、身体能力の経年退化をかこつ有様となった。

  この山の上に.......。

 で、いつもは1時近くまで働いてしまうのに、今日は11時半に作業終了。
ほっとしたものの、このままでは枯れてしまう。草臥れたけれど、明日は植え付けなければならない。今度は水を麓の水溜りで汲み上げて、担ぎ上げなくてはならない。

 そういえば、近頃「.....ねばならない」が無くなった。たまにはいい、とせねばならない。


東京マラソン

2007-02-19 | 重箱の隅

  日本ハーメルン市の子供たちは何処へ?

 寒い雨の中、本当にご苦労なことであった。
用事も無いのに、大勢集まって走る。他の動物から見れば、アホな行為。異様な現象。

 マラソンは趣味。他人の趣味をとやかく言うことは野暮。
だが、個人の趣味のために、都心の交通を長時間途絶させるのは如何なものか。今までどおり、青梅市で良かったのではないか。
 趣味は内輪で楽しむもの。個人の趣味が巨大な塊になって、多くの人々に迷惑を掛けた。空恐ろしい状況だ。銀座通りの真ん中で茶会をやる、と言ったら都はやるのかね。
 参加料1万円。3万人参加したから、集まった金額は3億円。協賛企業からは15億円の運営費を集めた。100億円の経済的な効果がある、という。あのタウンミーティングで儲けた電通はじめ、協賛した大企業は必ず元を取る。
主催の東京都が使ったこの日のための経費は、どのくらい掛かったのだろう。
街の商店他、交通遮断で迷惑をした人々の損害額はどのくらいか。

 マスコミはおっちょこちょいが多い。
大会は慎太郎知事が主導し、スタートの号令を発し、得意満面。
今度は息子良純クンが共催フジTVの司会・中継に出演。この一家、少しも反省していない。遠慮というものが無い。
 選挙目当てがありありである。市民主導で次第に規模が大きくなった先進欧米諸都市とは、大分事情が異なる模様だ。

 みんな賛成しているから、森男は敢えて反対する。


冬構え

2007-02-18 | 林住期

  P・ゴーギャン 「黄色いキリストのある自画像」

春が近いというのに「冬構え」の話である。かなり手遅れではあるが........。

随分前にNHKで「冬構え」というドラマが放送された。
主演は笠智衆。沢村貞子、小沢栄太郎、藤原鎌足といった名脇役が出演した。
粗筋は、年老いた老人が全財産を現金化し、晩秋の東北地方を死に場所を探して彷徨う、というものである。

途中、死の床の友人を見舞ったり、家出してきた上品な老女に仄かな愛情を抱いたりし、金は気前良く使う。

旅の途中に出会った若い板前の貧しいけれども将来の夢を持った生き方に共感。高額の現金を渡した後、海に身を投げようとするが失敗。後を追ってきた板前に助けられ、板前の故郷で独り暮らしの祖父のもとに老人は預けられる。

板前の祖父は無口。事情を薄々察し、「気が合いそうだから、一緒にここで冬を迎えよう」と提案する。老人は微笑んで、頷く。

森男はまだ若かったが胸に迫るものがあって、あの連続ドラマを鮮烈に覚えている。そして身の回りが老人ばかりになった今、よく思い出す。

◇◇◇

朝日新聞の土曜版(2/17)に有料老人ホームの選び方があった。武谷美奈子氏に対するQ・A方式の内容である。
大切に取って置いて、先日拙宅に来た艦長さんに見せたら、やはり記事に釘付けになった。内容を忘れないよう、下に要約転記する。

 ・介護保険制度が施行されて、有料老人ホームが増え、料金が安くなった。
  利用料は首都圏で月15~25万円。(下図参照)
  入居一時金は不要の施設が増えた。金額はまちまちである。

 ・公的資金補助のある特別養護老人ホームは待機者が38万人もいる。
  政府に増やす方針はない。

 ・有料老人ホームを選ぶ際の注意点は、必ず複数の施設を見学すること。
  質の良い施設は、入居老人の表情が穏やか。悪い施設は能面のように無表情。
  無表情は入居者ほったらかしの証拠である。
  住み慣れた環境と大きく異なると認知症の引き金になる。
  職員数が不足していると、部屋の隅や洗面所の掃除が不十分になる。

 ・利用料金と介護サービスの良し悪しは無関係。
  設備投資が大きい施設はサービスが悪くても高いから要注意。

 ・重要事項説明書と契約書は隅々まで読むこと。
  揉め事になり易いのは入居一時金の返還問題。よく確かめること。

ここまでは分かった。次に大変なことが書いてある。

 ・終身利用権の「終身」はあてにならない。
  認知症の進行で共同生活が難しくなったら、契約を解除されることがある。

 ・有料老人ホームが増えると介護保険給付額が増え、自治体の負担が増える。
  昨年、制度改革で有料老人ホームの開設規制策が採用された。
  特別養護老人ホームだけでなく、有料老人ホームも不足する。

どうすりゃいいんだ、冬構え、である。
戦後50年。老親を養わなくてもいいように子を育てたのだから、凡その老人は最後に施設に入るしかあるまい。記事は更に続く。

 ・入居者の平均年齢は約80歳。

 ・大体75歳で入居。男は13年間、女は17年間ホームで生きる。
  その期間の資金は40代から準備する必要がある。

そんな事はぼんやり分かっていたので、準備をしてきて、まだ準備し足りないのに、自民公明役人経団連日銀は、年金生活者から蓄えを剥ぎ取ろうとするばかりである。

............東北は寒いから、有り金抱えてタヒチへでも逃げ出すか。 

    朝日新聞記事から


敬語で水やり

2007-02-17 | 庭いじり

 

 敬語は日本独特のもので、他の国語には無い、と思っている人が多い。
と、丸谷才一先生が書いている。
人間が集まれば、敬語・丁寧語・謙譲語的なものはどこの国にもあるもの、と思っていた森男は、作家評論家英文学者博識者の先生が書いた随筆(2/6朝日「袖のボタン」)を読んで、間違っていなかったと安心した。

 月に1回掲載されるこの随筆には、いつも感心、納得、同感させられていた。
今回は文化審議会国語分科会の「敬語の指針」(答申)について、色々書いている。
殆ど全て、感心、納得、同感です。評価しようにも、全くの門外漢で、解らないことも3割(いや、もっとか)はありますけどね。
 ただし、一箇所、「?」があった。それは、植木に水をあげる、水をやる、について、答申では「あげる」は本来謙譲的意味をもっていたが、昨今では美化語になっているから、どうでもいいや、と言っているのは、大勢順応型の間違った処理である、と難じている。
そして、言葉は保守的な趣味を大事にしながら、新しい事態に対応してゆかねばならない。ついでに言い添えれば、「植木に水をまく」と言えばいい、と書いている。

 そうだろうか。
「水をまく」と言えば、例えば庭のように広い場所の植木に水をかけることであり、「やる」は鉢植えの植物に対する散水・注水作業である、と思う。
夏などは、葉が茂っていて如雨露で水をかける場合は、殆ど「注ぐ」的な作業になる。冬は葉が無い植物が多いので、まあ「かける」ですね。「まく」では広過ぎてスプリンクラーのようだ。
 流石の丸谷先生も、東京のマンション住まいで、実際に植物の面倒を見ていないのではないか。でも、偽庭師・森男としては、先生でもよくご存じないことがある事を発見して、「ちょいと」嬉しくなった。

 先生は植木には水を「やる」が正しくて、「あげる」は困った語法である、と書いている。ここまでなら全く感心、納得、同感でした。
ついでに書き添えれば、丸谷先生は以下のように、敬語習得法を書いて、答申に注文を付けている。

 敬語は実生活で習うのが本筋だ。先輩のものの言い方を真似たり、「他人のふり見てわがふり直せ」をやったりするのが上策だが、それは理想論。次善策として、里見の小説や小津安二郎の映画を参考にすればいい。これらなら、名人芸の描写力だから、状況がいちいち具体的に迫ってくるし、言葉そのものも洗練を極めている。答申にはこんなことも書いてもらいたかった。

 ところで、植木の水遣りだ。
冬季は葉が無いし、寒くて水を触りたくないから、つい疎かになって、枯らしてしまうことが多い。夏は遣り過ぎて根腐れを起こすことがある。全く水遣りは、敬語より難しいのです。

揚げ足。
小津安二郎の映画では、原節子がしばしば「ちょいと」と言う。これって、「ちょっと」耳障りじゃないだろうか。
以上洗練されてない物言い、ごめんなさい。


平櫛田中彫刻美術館

2007-02-16 | 色めがね

  気楽坊

   六十七十は洟垂れ小僧 男盛りは百から百から わしもこれからこれから

 と言った木彫家・平櫛田中の旧居、「小平市平櫛田中彫刻美術館」へ行った。
良かった。木彫が殆どで、ブロンズ像が少し。小品、試作品が中心である。
新設の展示館は小さいながら地下、1階、2階とあり、各階とも趣味が良く、観易く、寛げる。作品はすぐ傍でじっくり観られる。作品は力が漲り、小さいけれども大きく見える。木肌が実に美しい。前から逢いたかった「気楽坊」は思ったより小さく、数が多い。

  本屋居間から
  別棟展示室から見たアトリエ
  別棟展示室から
 
 旧居は素晴らしい日本家屋。玄関から直ぐ寝室、居間、客室、アトリエ、茶室、展示室と、かなり広い区画が見学できて、それぞれのしつらいが美しい。
客間では数組の雛人形の特別展示が行われていた。
 玄関の脇の坪庭は凛として、玉川上水に隣り合う庭園は、ゆったりと平明な造りである。ちょうど紅梅白梅が満開近くだった。暗い室内から見える光の春が眩しかった。結構なお屋敷は大変住み易そう。仕事も捗りそう。
 老境に入るまでは、貧困を極めたそうだが、作品数が多い小型の大黒天・恵比寿像が、邸宅造営費として役立ったのだろう。

  楠の原木

 門の脇で驚いた。天辺に屋根を乗せた巨大な樹が立っている。
直径1.9m、高さ5m以上、重さ5トン。平櫛田中が100歳を過ぎても、あと30年は仕事をするつもりで、木場へ出かけて買い付けた楠の原木だ。
横山大観や竹原はんの像を彫る予定で、竹原はん像については具体的な構想を持っていた、とは恐れ入った。

 また、好奇心の強い人で、最晩年まで新聞に目を通し、興味のあるところを自分で切り抜き、スクラップブックに丁寧に貼り付けていた。吉田茂、武原はんばかりか、商品広告の美人モデルや、スケートのジャネット・リンまであるのに、脱帽した。

 連れの書家先生と入館したのは、10時を少し過ぎていた。今日最初の客のためにその時館内は点灯した。始めにビデオを2本見せてくれた。概略を把握できて有益だった。
 入館客が珍しいからか、年配の小平市職員は親切で、気持ちが良い。
帰る時に、素晴らしかった、有り難う、とお礼を言ったら、
 「これしか無いのか、と不満をいうお客さんもいるんですよ」
と却って喜んでくれた。森男たちも嬉しかった。これしか無い、なんていう奴は築地の魚河岸へ見物に行って、荷車に轢かれちまえ。

 美術館へは鷹の台駅から玉川上水の緑道を歩いて行った。
上水は石垣などの人工的な護岸は無く、両側の歩道は舗装もしていない。大木が亭々と立ち並び、春から秋にかけては素晴らしい道になる。
 「津田塾大学」は、レジャーランドではない大学らしい大学で好もしい。付近の住宅街は閑静だ。「大学評価機構・学士認定協会(だったかな?)」とかいう壮麗なビルが林の奥に建っていて、びっくりした。
 一ツ橋学園通りの中華食堂で昼食。ここ小平市や隣の小金井市には見たい施設が沢山ある。
まだ日が高いので少し歩き回ろうとしたが、連れの先生、午後から碁会。
別の日に、また行ってみたい場所だった。

  鏡獅子(完成作品は国立劇場にある)


好きな歌・嫌いな歌

2007-02-15 | 歌の翼に

  表紙カバー

 77年に発売されて直ぐに買った本が、みつかった。

本の名は「好きな歌・嫌いな歌」である。
作曲家の團伊玖磨が書き、読売新聞社が出版した。

買ったままだったのは、あの頃は滅茶苦茶に忙しく、本なぞ読んでいられなかったからである。

今、暇を本当は持て余し、歌ったり読んだりする暇はたっぷりあるのに忙しいのは、結局貧乏性なのだ。

本当は「歌の翼」カテゴリーをもっと充実したい。だが書きにくくて困っている。
人気がある歌や音楽を書くのならいいが、臍が曲がっていて流行らない歌が好き。
しかも音楽の専門用語を知らないこともあり、感想を書くのが難しい。

  中身の表紙は五線譜

そこへゆくと團伊玖磨は凄い。
専門知識を生かして縦横に説明して、説得力がある。
読売新聞が付いているから、資料は十分にあり、信頼できる。
育ちが良く顔が広いので、話題が豊富である。
文章が巧みで、作曲家として大きな実績があり、書きたい放題でも許される。

本では全部で59項、約100曲の歌を思う存分批評している。
嫌いな歌の嫌いな点を遠慮会釈無く分析していて気持ちがいい。

團伊久磨は書いている。

・平均的日本人の誰もが知っている古今東西硬軟両様の歌に、100曲を対象にした。
 但し、寮歌・軍歌は歌として考えられない程粗野だから外した。

・また、これまで歌の考現学は歌詞にばかり気を取られていいた。
 自分はメロディーの大切さも知っている。
 だから従来とは異なるアングルからこの本を書いた。

例えば、小山明子作詞作曲(歌)の「あなた」は、メロディーは褒め、歌詞はコテンパン。
面白いから以下に短縮転記した。

 旋律は通常のポピュラーのものより一段とリファインされたところがあった。
 ややたどたどしいが、転調的な変化和音も何ヶ所かあり、和音感がある事がすぐに頷けた。
 ピアノの弾き語りをする少女が作ったと聞き、成る程と思った。

 (以下中略)

 ところが惜しい事に、歌詞を聞いて読んでみて、全くうんざりした。     
 (以下、コテンパンの7行は中略)
 結局、この歌詞を僕が好かなかった理由は、貧しさにある。
 建売住宅の宣伝のような何とも陳腐でいじましいマイホーム主義などを、
 どかんと一発、ぶっ毀したところに歌はありたい、とそう感じたのである。

  裏表紙カバー

まさに言いたい放題ですね。
だが「林住記」と異なる点は、連載中から多くの読者を怒らせたことである。
面白いので、以下に転記しました。

 連載中から、僕は随分方々からお叱りのお手紙を戴いた。
 自分の大好きな歌を、貴兄は大嫌いだと書いて怪しからぬ、というものや、
 祖父の作詞を詰まらぬ作詞だと書かれて憤慨したというものや、
 自分の嫌いな歌を、貴兄が好きだと書いてあるのを読んで呆れた、
 というものなど、まさにさまざまだった。

そしてここからが團伊玖磨先生らしい。

 これらの手紙を下さった方は、皆、飛んでも無い勘違いをなさっていると思う。
 人間、一人一人、考える事、感じる事は異なって然る可きなのであり、
 同じ思想、同じ感覚で一億人以上の人間が暮らすなどいう事は、
 少しも嬉しい事でも何でも無い。
 僕が好きで、貴方が嫌いな歌が幾らあっても良いのだし、
 貴方が好きで、僕が大嫌いな歌がどんなに沢山あっても、
 それはその歌を少しも害う事では無く、
 ましてや、貴方を害う事でも、僕を害う事でも無いのである。

 白秋が歌ったように「私は私、罌粟は罌粟、何のゆかりもないものを」と、
 クールに突き離し合ったところに、歌の素晴らしさは立ち昇るのだと言いたい。

偉いものですね。流石、團先生。
森男も爪の垢を煎じて飲んで、今後は嫌いな歌についても、大いに書いちゃおう。

この「林住記」は誰も読まないからお叱りのコメントが来る筈が無い。
と開き直り、勝手気侭に鼻歌を書いてゆこう。

  團伊玖磨

 團伊玖磨作曲で森男の好きな歌。
 歌曲「花の街」、童謡「ぞうさん」、歌劇「夕鶴」。
 映画「無法松の一生」(三船・高峰主演)は映像の美しさと、ステレオ録音の管弦楽による映画音楽は圧倒的だった。

 湘南地方の風物を書いた随筆「エスカルゴの歌」は抱腹絶倒。
 アサヒグラフ連載「パイプのけむり」は36年間で全27冊にもなる人気だった。
 本の題名の付け方も面白い。


雪は来んこん

2007-02-14 | 高麗便り

 ゆきぐに

 暖冬予報は当たった。地球温暖化で、暖冬猛暑と言っとけば、大抵当たるけどね。
暖冬の場合、関東平野は雪の日が多い。だが、寒気が南下しないので、雨が雪にならないと解説している。なせ南下しないか、なぜ太平洋高気圧が強いのか、なぜエルニーニョか、を解説せよ。洗濯や傘や風邪の心配は視聴者がするよ。

 秋田県横手市で「かまくら」が始まった、との報道。
住めば住んだで、雪国のご苦労があるだろうが、雪が無い地方の者から見れば、夢、幻のように美しい風景で、羨ましい。

 この冬は、一度も降雪が無く春を迎えそうだ。大雪は困るが、少しは降ってくれないと、何か損をしたような冬である。だいたい、雨そのものが降らなかった。だから強風で猛烈な土埃が立つ。雪はともかく、雨くらいはたまには降らないと.....。

 今朝の予報では、雪どころか、春一番で夜から荒れるそうだ。
夜が更けても、雪にはなりそうもない。

かまくら


鳩サブレー

2007-02-14 | 拍手

 

 鎌倉の若宮大路にある豊島屋の「鳩サブレー」が好物である。
ちょっと高いので、缶入りでなく紙袋入りのものをよく買う。
旨くて、軽くて、嵩張って、手土産には最適である。

 母が元気な頃、月に1度豊島屋本店でやるキズものの売り出しに、朝早く出かけて沢山買い、みんなに分けてくれたものだ。
キズものといっても、ただ割れているだけで、不二家と異なり中身は全く問題が無い。
水を使わず牛乳だけで材料の粉をつなげるから、割れやすいのだそうだ。

 鳩サブレーを食べる時、サブレーをセロハンの袋の中で細かく砕いてから、かけらを一つずつ取り出して食べるのがいい。細かいかけらをその辺に撒き散らさないで済む。
セロハン袋に残ったかけらは散薬のように飲めば、無駄がない。(情けないね)

 姉が送ってくれた「鳩ずくし」を食べ終わってしまった。
池袋に出たら、東武百貨店で買おうと思っている。
バレンタインチョコ? あんなもの、フン、だ。

おまけ。
小さな貝殻の形の落雁の「和賀江島」もなかなかのもの。
画像は「鳩ずくし」の缶にはいっていた那須良輔の絵。豊島屋HPに多数掲載中。
もう一つ。
鎌倉市内のビルは低層で揃えている。八幡宮の石段の一番上に合わせたと言われるが、実は40年も前に、鎌倉商工会議所会長だった豊島屋社長の提案で、豊島屋ビルの高さに合わせた由。お蔭で、若宮大路の景観は、しっとりと落ち着いて麗しい。


琴平丘陵縦走

2007-02-13 | 風に吹かれて

 西武横瀬駅、羊山公園芝桜広場、武甲山登山口碑、398m峰、長者屋敷跡、修験堂、岩井堂、護国観音、27番札所大淵寺の順で琴平丘陵を縦走した。

  掘り崩されて痛々しい武甲山

 縦走とは大袈裟のようだが、森男にとっては「縦走」だった。倒木が道を塞ぎ、滑り落ちそうな道を登ったり、木の根っこに摑まりながら慎重に降りたり、岩の間をよじ登ったり、と案内書では「簡単」というが、気楽なハイキングではななかった。
 杉林は暗くて見通しが悪く、雑木林の道は脇見をしたら急傾斜を滑り落ちそうで、脇見が出来ない。修験堂の岸壁には鉄製の細い梯子段があり、鳶職になったような気分。肛門がスースーする場所が多く、こんな丘陵、一度でいいや。

 石灰岩採掘工事で閉鎖された武甲山旧(裏)登山口にある、新しい道標は間違え易く要注意である。白い砂利道を矢印に従って歩いていたら、先を行く地元の老夫婦に追いついて、間違いを指摘された。多くの人が間違えるので、位置と向きを変えるように、と市役所に申し立てているのに変えない由。

 長者屋敷跡で昼食。この辺りから、右側の武甲山の石灰岩の掘削工事の音が鳴り渡り、戦争でも始まったかのようだ。武甲山は秩父の象徴と持ち上げているが、既に大分掘り崩されて、今に無くなってしまうだろう。

  岩井堂裏のお地蔵さん

 26番札所円融寺奥の院の岩井堂は、秩父で一番形の良い建物である。よくまあこんな高いところに、と感心してしまう。ここも、この奥の修験堂も危なっかしい狭い場所にあって、広角レンズのデジカメでないと、写真は撮れない。(だから西武鉄道のパンフを下に借用した)。
 護国観音は高崎・大船に並ぶ関東三大観音像と言ってるが、ちょっと言い過ぎじゃないの。お顔は観音様というよりオトッツァンだよ。
 急坂を一気に降りると27番札所の大淵寺。月影堂は新しくて、均整がとれた、可愛らしいお堂だ。「延命の水」を柄杓で戴いた。美味い水だった。お礼にお賽銭を差し上げた。

  武甲山遠望(秩父鉄道影森駅付近から)

 秩父鉄道影森駅に着いたら、40分も待たねば電車が来ない。1時間に1本しか来ないのだ。こんな何にも無いところにはいられない。西武秩父駅まで40分も、トラックの排気ガスをたっぷり浴びながら、歩いてしまった。
 途中、当てにしていた蕎麦屋は全部休み。示し合わせて不届きである。西武秩父駅にある仲見世通りの2軒の蕎麦饂飩屋も休んでいる。怠け者め。腹が減って、秩父の町がヤになった。

               岩井堂


祝宴

2007-02-12 | お節介

おおいぬふぐりが祝宴に花を添えてくれた。

 年内一杯はかかると思われた道具倉庫が、早くも出来上がった。
完全木造校倉作り、4畳の豪華版。冬ざれた雑木林の中で、燦然と輝く館に見える。
用途は、今まで会長宅に置いていた、ボランティア作業用道具の置き場である。
落成記念の祝宴で、いつもの顔ぶれが集まった。

 簡単な煮炊きは現場でしたが、奥さんたちが手作りの料理を持ち込んだから、食べきれない程の分量だった。自慢の料理はそれぞれ旨かった。
夏には木影になってビヤガーデンが出来るとか、奥方と喧嘩したらここに暫く立て篭もれるとか、名前はかたくり荘、いや里山倉(そう)とか.............。枯れ木も山の賑やかさで、和やかな2時間だった。

 現在ボランティア会員は115名。会費制ても、2団地だけでこれだけ集まる。市の肝いりの会を、会員数と作業結果で、らくらく超えてしまった。
若い奴等と異なり、昔から身体を鍛えている。元の職種はさまざまだから、市役所の仕事を丸ごと引き受けられる。NPOにしようか、なんて大法螺が出た。いや、法螺話では勿体無い。
 来週は植林予定。


バレンタインチョコ

2007-02-12 | 林住期

 
 バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は日本だけらしい。
チョコレートメーカーのメリーが、売り上げ拡大のため、50年前に提唱して、百貨店が飛びつき、流行となって、習慣として定着したのである。

 と、メリーの広告を信じていたら、昨日の朝日日曜版では違っていた。
36年(昭和11年)にモロゾフが英字誌に広告を載せ、以後例の不二家が56年キャンペーン、メリーは58年伊勢丹新宿本店でフェア開催、60年森永製菓参入なんだそうである。洋菓子屋のいう事は信用できないね。

 チョコレートの売り上げは毎年伸びている。
日本人の1人当たり年間平均消費量は1.86㌔。その4分の1をこの時期に食べるそうだ。(日本チョコ・ココア協会05年統計)
だが、土日がバレンタインデーになると、売り上げは伸び悩む。
理由は上司への義理チョコが不要になるからだ。
女性が邪険になった所為でもあるな。
 だから、チョコレート屋さんは、女性自身がチョコレートを楽しむお祭りに誘導しようとしている。本命チョコ予算は平均2986円、自分チョコ2592円、義理チョコ852円だから当然の動き。自称元祖のメリー社長は、ファミリーバレンタインを提唱し始めた。

 上記チョコの他に、同情チョコ、友チョコ、パパチョコと色々あって、同居人にナニ気に見せる、こっそり自分で買う自分チョコ以外は、これから贈られるかも知れないチョコがどれに相当するか、よ~く考えてみたい。
 だが、残念ながら会社を辞めたら何にも来ないと思う。
仕方が無いから、高島屋の「アムール・ド・ショコラ」をじっと見つめている。
もはや、森男は人畜無害。義理も同情も無い世の中だ。
まさしく、道徳教育が必要である。

   義理チョコに 両手あわせる 歳となり むかしを今に なすよしもがな

嗚呼、哀しいかな。


熱き心に

2007-02-12 | 歌の翼に

 アラスカから届いた「熱き心」

 アラスカの州都フェアバンクスから葉書が来た。
「虚往実帰」という四文字熟語を教えてくれた、青年からだ。
昨年年末に勤めを辞めて、零下20度の寒さの地に滞在中。
自然と人とを繋ぐ仕事をしたい、そうだ。偉いものだ。
おじさんたちが送別会をやろうとしたが、断って、行ってしまった。
若い人は、どんどん日本を飛び出すがいい。

 森男の友達の中にも、短期間なら日本を飛び出す人が出てきた。お金は元気なうちに使おう、と政府が喜びそうなことを言っている。
そうだ、老齢者控除を廃止した代わりに、老齢者国内旅行費控除を始めれば、少しは地方の活性化に役立つぞ。
 うかうかしていられないな、と思い始めているところである。 
でも、入れ歯が合わなくちゃなあ.......。前立腺がなあ..........。
まあ、歌でも歌って、逸る気持ちを抑えるとするか。

  北国の旅の空
  流れる雲 はるか
  時に 人恋しく

  くちびるに ふれもせず
  別れた人 いずこ
  胸は 焦がれるまま

  熱き心に 時よもどれ
  なつかしい想い つれてもどれよ

  あヽ春には 花咲く日が
  あヽ夏には 星降る日が
  夢を誘う
  愛を語る

  熱き心に きみを重ね
  夜の更けるままに 想いつのらせ
  あヽ秋には 色づく日が
  あヽ冬には 真白な日が
  胸を叩く
  歌を歌う 歌を

  オーロラの空の下
  夢追い人 ひとり
  風の姿に似て

  熱き心 きみに

 「熱き心に」 阿久悠作詞 大瀧詠一曲 前田憲男編曲 小林旭歌


公衆便所

2007-02-11 | 高麗便り

  前は芝生。奥は道路を挟んで能仁寺。

 飯能市の能仁寺の前に「飯能中央公園」がある。
立派なホールが大小二つある「市民会館」と、「郷土館」が端っこにあり、中央に大きな駐車場があるから、正しい名前は「中央に駐車場公園」である。

 公園の端、能仁寺の山門近くに公衆便所がある。
この施設、なかなか格好が良く出来ていて、トイレ景観賞をあげたいくらいだ。
屋根は日本瓦で、軒は深く、棟は低い。市特産の材木(西川材)を多用しているように見せて、実はコンクリート製である。辺りの樹木の多い風景に完全に溶け込んでいる。
当然、水洗式であり、簡素で無駄が無く、清潔である。
外壁には腰掛が付属して、モザイクで目立たせた水飲み場もある。

 わが清流文化都市日高のトイレ事情は、複雑だ。
観光活性化の聖地・巾着田の堤防上にあるトイレはアルペン風のログハウス。低い展望台が付いて、今時珍しく水洗式ではない。
 団地のトイレは、ホワイトハウス。少々汚れてきて、BGM装置はとっくに壊れ、高い天井には蜘蛛の巣。ショウウィンドウは掛け時計と張り紙があるだけである。トイレの内部は落葉が溜まっている。

 中央公園のトイレは、綺麗に使いたい。


マイ・コレ募集

2007-02-11 | 拍手

  海洋博公園「沖縄国際洋蘭博覧会」ちらし

 飯能中央公園の崖っぷちにある「郷土館」は素晴らしい。
さほど大きくはないけれど、大きな窓からは名栗川から飯能川原にかけて見渡せ、図書室は、酷寒酷暑の頃のお昼寝に最適だ。
 ただ、ここの常設展示は実に詰まらない。どの町にもある、あれ、です。二度と行きたいものではない。嵐山町の県立「嵐山史跡の博物館」といい勝負である。

 郷土館でも、これではリストラされちまう、と気付いたのかも知れない。
市民に対して、「自慢のコレクションを展示してみませんか」、と展示品を募集している。切手、化石、人形、消しゴムなど、広く紹介したい「逸品」を募集したいそうだ。

 募集の目的は、
  ・市民に、より郷土館に親しんで貰う、
  ・郷土館の新しい利用方法の開拓、
  ・市民の間で埋もれている蒐集品を広く紹介する、ことである。

 展示品の内容は「郷土館の展示に適するもの」として、広く解釈したい由。応募資格は、市内在住か在勤、所縁のある個人や団体と幅広い。
 こういう試みは大歓迎である。

 問題は展示希望案から、「有識者らでつくる館の協議会で検討し決定する」ことである。多分、「有識者」は「石頭か殆ど化石」の人々ではないか。いっそ、協議会委員ばかりでなく、展示や運営などの作業員も公募したら、崖っぷち「郷土館」が活性化するだろう。

 6月17日から7月15日まで(予定)の「特別展」が楽しみだ。


武蔵武士と寺院

2007-02-10 | 風に吹かれて

 

 嵐山町にある県立「嵐山史跡の博物館」の企画展「武蔵武士と寺院」を観に行った。巨大なハコ物だ。
実に詰まらなかった。

 

 博物館は菅谷館跡にある。
菅谷館は予想外の広さである。土塁や空堀が完全に残っている。
早春や晩秋は、きっと素晴らしいだろう。
館跡下の都幾川沿いの湿地帯は「蛍の里」。それに続く雑木林は国蝶「大紫の里」。
国道沿いはアメリカだが、少し入ったこの辺りは「武蔵野」である。空が広く、山並みは遠い。
また行ってみたい。

 

 隣にある国立女性教育会館の食堂へ行った。会館は「ヌエック」というヘンな名前に変っていた。中身が古くなっただけで名前以外は何も変っていない。
ここも、馬鹿でかい施設である。関取級のアフリカ系女性たちが大勢いた。
 嵐山町に住んでいる旧友を呼び出して、閑談でもしようと思っていたが、喫茶部門が無い。宿泊や研修施設がありながら、文科省は何を考えているのか?
まあ、駐車場ががらがらで、あの辺を散歩する時、車を只で置けるから、このまま空いていて欲しいものだ。

 

 広い国道を渡ってレストラン「交響楽」でお茶にした。
2時間近く井戸端会議をしたが、お客は一人も来なかった。「演歌」にしなくちゃね。

 

 広い菅谷館跡で、行き逢った人は3人だけだった。