林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

青春豚肉生姜焼き

2007-08-25 | 林住期

 

炎天下の道を、いつものお婆さんが歩いている。
コツコツと杖の音を立てながら朝夕2回。偉いものだ。

   青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。
   優れた想像力、逞しい意思、萌える情熱、兄弟を退ける乱暴心、
   安易を拾う冒険心。
   こういう様相を青春というのだ。
   年を重ねただけで人は老いない。
   理想を失うときに初めて人は老いるのだ。

はいはい、分かりましたよ。

で、炎天下、団地のスーパーへお買物に。
エコノミークラス症候群の恐れがあるし、森男はあのお婆さんより50は若いのだ!

スーパーは、何故か天井灯を半分消して、涼しい。故障かな?

お稲荷さん(地元の大地主にして、書家、お百姓氏)から頂いた、丹精の玉葱を思い出して、国産生姜焼き用黒豚を購入。どうです、この優れた連想力。

暑いけれど、燃える情熱で、夕食に生姜焼き作るという逞しい意思。そして冒険心。上手く焼けるかなぁ...........。

鹿児島産黒豚ロース、今日の特別価格、388円が気に入った。
他に、生姜焼きのたれ、アイスクリーム等々合計1420円。儲かった!

で、炎天下を引き返す途中、計算合わないんでないの?、という疑念が入道雲だ。
当然、取って返してスーパーに抗議したら、答えて曰く。

   「今日の特価 100g 388円、これ200gですっ」。

   人は信念と共に若く、疑惑と共に老いるのだ

糞っ。消灯してたワケは........。 

で、生姜焼きは美味く焼けましたよ。われながら料理の天才、鉄人であるな。
信念と共に若く、やたらに疑惑を持たないようにしよう。
値段を見違えたのは暑さの所為だった。

   こうなったら、もう、神の憐れみを乞うる他はない。

緑色の文字部分は、畏れながら、原詩 Samuel Ullmanの「青春」、訳詩 森男です。
なお、森男は「青春」という詩に、個人的な恨みがあるのです。


加賀美屋がアブナイ

2007-08-25 | 重箱の隅

  加賀美屋玄関(森男盗撮)

 みちのく盛岡市の老舗旅館「加賀美屋」が危ない。

 引退しても、加賀美一家の家長として君臨していた大女将が、病名も不明、入院治療もせぬまま、不審死したのである。

 NHKが毎朝、この名門旅館の内情を「どんど晴れ」シリーズで報告している。

 大女将は、母親の自分と、旅館と、妻子を捨てた長男直系の孫に、経営を継がせたい。
孫が連れて来た横浜の洋菓子屋の娘を、座敷わらしと間違えて、孫の嫁にして女将にしたい。
そこで、ドロドロドロの内輪揉めが始まった。

 大女将が、持っていた株式を、社長(大女将の次男)の長男(支配人)に贈与して、一応内紛は収まったが、経営者一家の男達は全員、屑と愚図ばかり。近い内にまた騒動が起きるに違いない。

  加賀美一家(HPより)

 ■家族関係がヤヤコシク分かりにくいので、お暇なら「人物相関図」を見てね。

 やり手だが腹黒い女将(社長の嫁)が、大女将に毒を盛ったのかも知れず、情緒不安定の長男も、株券だけでは満足せず、いずれ、叛旗を翻すに違いない。

 ■お暇なら、HPの長い粗筋、読んでね。

また、

 ・経営を引き継ぐ孫は、独断専行かつ優柔不断で、目つきはとろん。
 ・若女将(ヒロイン=直系の孫の嫁)は、桁外れのお節介焼き。
  大女将引退の原因は、そのお節介によるお客との揉め事だった。
 ・予約無し宿泊を断る方針なのに、韓流ちんぴらスターはOK。
  ルックスでお客を選ぶのかい?
 ・番頭は腰痛で仕事を全然しないのに、植木の移植や、松の剪定はする。
   仮病だろうし、松は枯れちゃうよ。
 ・支配人の弟の板長は、文化財級の客室で、焼肉サービスを計画中。
    客室に染み付く匂いと油煙をどうするの?
 ・仲居たちの躾が全く出来ていない。陰口、悪口、意地悪ばっかり。

 以上を総合的に評価すると、あと数年で倒産するのではないか、と心配である。
関係者全員、大真面目だが、笑っちゃうほど馬鹿馬鹿しく、朝から困ってしまう。

 但し、「加賀美屋」の建築群と庭は素晴らしく、一見の価値があります。

 トップページの右下、「おもてなしの宿加賀美屋」を見てね。

 しかし、支配人は、銀行から短期融資すら引き出せないのに、リゾートホテルにしようと、建替えを計画している。
良くないことを予告する怪鳥が鳴く広い庭園を持つ加賀美屋が、間もなく無くなりそうで、心配なんです。
ちーとも、ダイジョーブじゃありません。

 ■ご注意。番組終了後、HPは削除されます。


自動改札機

2007-08-24 | 林住期

  Suicaスイカ誰何、 西瓜好き!

 回転ドアと同様に、自動改札機が嫌いである。

 キセルを止めてから半世紀も経ったのに、自動改札機を通る時には、扉は果たして開けてくれるだろうか、スイカされまいか、と緊張してしまう。
近頃のアイツはアセモかゲンナマか、客を選ぶらしいので、余計緊張する。

 JR池袋駅でアイツを通り抜ける時、入れた切符が出てこない!
切符挿入口や吐き出し口を調べたが、切符は入ったままである。

 しばらくの間、あれこれ探している内に腹が立ってきた。
オノレJRめ、客を差別しやがって.....。

 後ろの若オジサンから、

 「そのまま出ればいいんだよ」。

と言われて、そうだッ、駅から出るんだった!

 激しく傷ついて、厳しく反省して、口惜しく後悔して、乗り換えた西武電車では、寝付けなかった。
 だから、自動改札機が、また嫌いになった。


YOUのお言葉

2007-08-24 | 先輩のお言葉

 YOU? Who are you ?だ。

 森男のタイプは、風子画伯、Ms anatagaitiban雅陽師匠、清水ミッチャンその他、2~3芸に優れ、かつ、おコメントを投稿して下さる完成された令夫人の方々です。

ワークマン・森男の勇姿。よし、いくぞーっ。CM見てね。


 それはそれとして、YOUは小生意気だが、ヨイことを言っているよ。
こんな蒙古班が残っている娘っ子に、どこを見られてもウザイだけだから、どうでもいいのだが、どうでも良くない部分も森男には少し蒙古斑なのです。

 いちいち、抜粋するのも手間が掛かるので、そのまんま記事を転写します。

  8/20朝日夕刊

 ある程度の年齢になったら、流行とかブランドを追いかけるのではなく、上質なものを選べ、だと?

 そんなこと、とっくにアンダスタンだぜ。

 だがな、減る年金に増える負担だ。YOUは分かるか、この辛さ。
だから普段はワークマン、たまに気張ってユニクロだぃ。
ブランドを追いかけざるを得ないじゃないかっ。 

                      ●YOUだなんて、フザケタ名前には敬称を付けませんっ。


掃除機

2007-08-23 | じゃじゃ馬馴らし

  氏原忠夫「春秋絵暦」より

 部屋の埃1gの中には7000匹近いダニがいる、とか。
嘘だよ。わが猫額亭の埃は1000gはあるはずなのに、そんなに刺されないからね。
ま、虫が好かない体質だろうが.....。

 自分の部屋の自分の周りくらいは掃除をしないと。雨が降って、ちょっと涼しいし。

 久方ぶりに掃除機を持ち込み、コードを掻き分けコンセントに繋ぎ、スイッチON。

 動かない........。

 リモコンの電池交換したのは何時だっけ?

 あれこれ試したり、点検したが、ダメなものはダメ。いう事を聞かない。

 パソコン野郎はふらふらのご主人様とは異なり、確固たる意思を持って、命令を拒否し、勝手に動いている。
掃除機にもコンピュータが入っているそうだから、ご主人様の言うことを聞かないのだ。

 こういう場合は蹴飛ばすのがいい。
ところが、叩いても、蹴飛ばしても、ダメなものはダメ、と土井タカコ先生のよう。

 製造年月日を確かめたら97年製で、もう10年も経っている!
ここらが潮時ご臨終かも知れず、出入りの電機屋氏に電話。掃除は止めた。

 掃除は先延ばしにするとしても、掃除機をどけなければ、ダニはともかく森男が住めぬ。

 れれれ、コードがコンセントに嵌っていない! 動くわけ無いのでした。

 今までの暑さで頭クルクルパー。
日本の夏はもっとキンチョーしなくては......。出入りの電機屋氏には、電池でも配達して貰おうか。

日本の夏 緊張の夏

+よいしょっ+

「出入りの電機屋」とは(いい響き!)、飯能本店で洋菓子店併設の日高店がある
「すみや電機」のこと。
天井の蛍光灯交換や、洗濯機に点検掃除までしてくれ、
年2回、「シャトレーゼ」の氷菓子や洋菓子を下さる優れたお店です。
利用して下さいね。(これでいいでしょ)


コロッケ母さんのお言葉

2007-08-23 | 先輩のお言葉

  コロッケさんファンクラブHPより

 またまた家庭内殺人事件だ。そして、またまた医者一家だ。

 どうも、医者とか政治屋は美味しい商売らしく、子どもの適性に関係なく、跡を継がせたがるようだ。

 今度はお祖父さんが孫を、前回は妹が兄に、学校の成績が上がらないのを詰ったのが、殺害の理由らしい。

 そこへゆくと、あの顔面姿態歌唱模写名人コロッケ君のお母さんは偉い。

そのお母さんのお言葉。

  成績はいつもビリの方。でも煩いことは言わなかった。歌の振り付けをTVで1度
 見ただけで覚えるんだから、頭は悪くない。その才能を勉強にも使って、と言っても
 無駄だった。
  挨拶、片付け、清潔など躾は厳しくした。
  人前に出ても恥ずかしくない人間になって欲しかった。勉強が出来る子になるよ
 り、それが大切と思っていた。

 安倍コベちゃんや徳彦クンのお祖父さんに聞かせて上げたいですね。

 それにもう一つ。
これは以前に書いた森男の意見(→「木戸をあけて家出しよう」)だが、物事が煮詰まってしまったら、家出をすること。
後は、時間が解決する。


ヤケクソかずら

2007-08-22 | お節介

へくそかずら(屁糞蔓)

 気象予報士の嘘八百によると、先週後半からは少し涼しくなるはずだった。
昨日は俄か雨か雷雨があるはずだった。

 ところがどっこい、ますます暑くなり、雨は全く降らず、庭のぎぼうしや一人静やつわぶきは葉っぱがチリチリである。紫陽花はすっかりへたっている。

 涼しくなったらと先延ばししていたら、土手の叢は人の背丈ほどにも延びて、元気一杯である。バイオエタノールとやらも、雑草を原料にすればいいのだ。

 ひなたいのこづち(日向猪子槌)

 実は、もう何日も土手の草刈をやっている。
家の中にいても、どうせ汗まみれ。エアコンは電気代が嵩む。もうヤケクソで草刈をしているのだ。

 ひかげいのこづち(日陰猪子槌)

 叢は、エノコズチ、ドクダミ、キチジョウソウ、ユキノシタ、ヤブカンゾウ、ミョウガ、ミズヒキ、イバライチゴ、ヤマブキ、コデマリ、ユキヤナギ、レンギョウ、ハギ他の雑草やらに花木やら。これらがごちゃごちゃに伸びたところに、ヘクソカズラ、ヤマイモ、カラスウリ、アケビ他の蔓草が覆いかぶさって、足の踏み場も無い。

 みずひき(水引)

 水を浴びたようなミジメな姿で作業をしていると、通行人に声を掛けられる。

 暑いのに、ご苦労サマ。

これは嬉しい。

 市にやらせればいいんだヨ。

用も無いのに歩いているなら、草刈手伝えよ。このゴクツブシめ。

 やまいも(山芋)

 機械を使わず、鎌や刈り込み鋏でしこしこやってるから、なかなか作業が進まない。
9時から始めて、昼近くなると、身体の芯から火照ってきて、少しムカムカ、目が霞む。こりゃ熱中症か、と思う頃には引き揚げて、シャワーを浴びて、エアコン、の日々である。

 やぶらん(藪蘭)

 夏は運動不足で、70を超える。
2~3時間作業をすると、68になる。
水分をたっぷり補給すると、また70。我ながら、水膨れである、な。

 からすうり(烏瓜)


袖のボタン

2007-08-21 | 拍手

 

 丸谷才一先生の「袖のボタン」を、やっと購入した。

 本は飯能の本屋で買うが、どういう訳か、江原啓之サンのものはたっぷり置いてあるのに、こういう面白い本はなかなか店頭に現れない。(スピリチュアル・江原も面白いですよ)。

 袖のボタンは月1回、今も朝日新聞に連載されている。
その都度読んで、う~ん、と感心納得驚嘆しているのだが、やはり纏まったものはそれなりに持ち重りがある。

 内容に就いて、下手な紹介をするより、腰巻から転記します。

  思いがけない清新なものの見方
  いちいち納得のいく論旨の展開
  言葉と思考の芸の離れ業による現代日本文明への鋭い批評
  大学入試によく出るのも当たり前

朝日の書籍出版編集部か出版販売部か知らないけれど、簡にして要を得て、流石秀才揃いの方々ですね。お陰でラク出来ました。

 全部が気に入っているけれど、特に唸らされた二つを、以下、簡単に評論します。

 

 1.「歌会始に恋歌を」

 先ず詩人の大岡信さんが歌会始の召人(めしうど・招待客)になって詠った、御題「幸」による詠進歌の紹介から始まる。

   いとけなき日のマドンナの幸ちゃんも孫三たりとぞ e メイル来る

 森男なんぞは、な~んだ、大岡センセともあろうものが.......、と思うのだが、丸谷先生によると、

  言葉の藝があざやかだし、水際立った機智の遊びだし、それに、ここが一番
  大事なところだが、歌会始の歌の詠みぶりに対する果敢でしかも粋な批評が
  ある、

となる。そして、

  日本文学の中心は和歌であり、その中心は天皇の恋歌である。代々の帝は
  恋歌を詠み、国民に恋歌を勧めることによって国を統治した。
  ところが明治政府は軍を天皇のものとし、天皇を大元帥に祭り上げ、武張っ
  て神々しい感じにしなけれぬと考え、天皇が恋心を詠むことを禁じた。

  日本人の俳句や和歌など短詩への関心の高さや、皇室で毎年行われる歌会
  始は他国には無い優美な文明であり、誠に誇らしい。

 しかるに何事か。(丸谷先生はもっと婉曲に、ユーモラスに書いていますが)。

  軍国主義の縛りが無くなった戦後の歌会始でも、一向に恋歌が詠われない。
  無学な藩閥政府が始めた文学統制がまだ生きている、歌会始という折角の祝
  祭が昔日の宮廷文化と較べて、輝かしさ、花やかさが足りず、点睛を欠いてい
  て残念だ。

と憤慨していて、森男も残念です。

 

 2.「石原都知事に逆らって」

 この項では、伯父の名声のおかげで帝位に就いた陰謀好きの愚物、と思っていたナポレオン3世のことを、鹿島茂著「怪帝ナポレオンⅢ世」(講談社)で、パリ大改造をした人物と知り、尊敬に値する傑物と評価を改めた、と前書きする。

 話変わって、丸谷先生は、

  日本の都市の醜さに言及すると、自虐的都市論と言われて嫌われるが、諦
  めてはいけない。

と説き、石原都知事の発言を紹介する。
以下は丸谷先生が、やけのやんぱち、と呆れている都知事の発言です。

  「東京は救いようがないよ。これを都市計画が出来る街にしろとか、外人が来て
  びっくりするような街にしろとか。そりゃ大地震でも来て焼け野原になりゃ、多少
  そりゃ、建て直すんだろうけれども.....」

 この発言を、都知事はもっと冷静、着実、具体的に対処すべきだ、と批判する一方、芦原義信の名著「街並みの美学」(岩波現代文庫)に言及する。

  日本の商店街で街並みを決定しているものは建築の外壁ではなく、外壁から
  突出しているものである。この種の突出物を少なくすれば、街の景観がすっき
  りして、豊かなかんじになる。

と、芦原の主張を支持。更に、

  都市部では、防災上からも、美観上からも、看板、広告塔、電柱、電線等を撤
  去しよう。
  「芸術作品としての都市」は差し当たって高嶺の花だろう。しかしそれなら、醜さ
  を極力減じた「実用品としての都市」を作ろう。そういう、いわば最初期のインダ
  ストリアル・デザイナーのような抱負を、日本人全体がもたなければならない。

と結ぶ。

 杉並の住宅街のけたたましい楳図邸についても、丸谷先生のご意見をお聞きしたいですね。勿論、先生は顔を顰めると思います。(→8/6「楳図邸の騒色」

 

 この他、マクナマラ元国務長官を上げたり下げたりの「東京大空襲のこと」や、小泉、安倍氏の言葉使いをこき下ろした「政治家と言葉」(→10/4<同題)>)など、腰巻の惹句どおり、「植木に水をあげる?」(→2/17「敬語で水やり」)以外は、いちいち納得のいく内容でした。
 多分この本も、いずれ文庫本化されるだろうが、固い表紙のしっかりした本で読んだ方が、脳味噌に直接、油を注したようで得した気分になれる、と思ふ。
                                        ▲装丁・画 和田誠

建築家芦原義信著「街並みの美学」(正・続)は79年、83年刊。
 大分以前の出版物だけれど、未だに古くならない「名著」です。
 


照波 痛み分け

2007-08-20 | 庭いじり

 

 照波とは角界に関係は無く、純情可憐な多肉植物の名前である。

猛暑、乾燥など全く平気。
寒さに強く、肥料不要の小型弁慶草の一種だ。

照波は不思議な花である。
日当たりの良い場所で、春から夏、3時になるとタンポポに似た黄色い花を咲かせる。だから「三時草」が通称になった。

大昔に誰かから頂き、株分けを繰り返し増やした。
あの人この人に差し上げて、喜ばれた親善大使でもある。

その照波がまた鉢一杯に増えてしまい、この暑い盛りに株分けをした。
他の草花はこの時期に株分けなぞしたら全滅だが、照波は大丈夫。

鉢一杯に絡み合った集団を引き裂き、根をちょん切り、そのまま培養土にねじむ。
後は水を掛けて知らん顔。乱暴な扱いでも全然平気な痛み分けだ。

そして、1ヶ月もすれば格好良く、鉢に根付いている。
地面に落とした屑芽も、立派な苗になっている。

さぁ来春、誰に差し上げようか。

写真は「ういんういん」の自分学(科)サボテンセラピー(属)から拝借。
これによると。
メセン科ベルゲランサス属の多年草。原産地はアフリカ。
夏生育。花期は春~夏。植え替えは今。耐寒耐暑耐乾性は強。耐湿性は普通。
置き場所は日当たりの良いところ。用土は水はけの良いもの。
繁殖は株分け・挿し芽。


スミレちゃん

2007-08-19 | 遠い雲

「横顔」森男

 従妹のスミレちゃんの本当の父親は戦病死した。

 叔父さんが復員して直ぐ、叔母さんは子ども3人を連れて叔父さんと再婚した。
家族を守るために、祖父の判断に従ったのである。
叔母さんにしてみれば、わが子3人のために、義弟と再婚したわけであり、あの頃はそういう事は当たり前だった。

 異父きょうだいが2人生まれ、合計5人になったきょうだいは、おおらかな新しい叔父さんと、しっかりものの叔母さんと、お祖父さんに見守られて、揉めごとも無く大きくなった。一家は力を合わせ、よく働き、農産物に恵まれた。
 森男一家が餓死せず生き延びたのは、この一家8人に負うところが大きい。

 スミレちゃんは長女である。あの頃は明るく可憐な少女だった。
高校卒業後、一時、勤めに出たが、大家族を守る母親を助けるため、家事見習いをしていた。

 森男の母は、生家に当たるこの一家、特にスミレちゃんを大変に気遣っていて、お婿さん候補を探し出してきた。候補者は森男の兄嫁の末弟である。

 お見合いは、森男の実家の敷地内にあった兄宅。
一流会社勤めのお婿さん候補には、父親が付いてきた。
そして、お婿さん候補より先に、父親がスミレちゃんを気に入ったようである。

 息子を残して、父親が先に帰る際、本人が承知しなければ私が必ず説得する、是非嫁に頂きたい、と母に懇願したそうである。

 間も無く、スミレちゃんは嫁入りした。

 あのお舅さんの葬式に行った時、就学前の男の子が2人いた。スミレちゃんはちゃんとした服装をさせようと、子ども達を追いかけたが一向つかまらず、ま、いいや子どもだから、とあっけらかんと諦めて式に参列。

 母親である叔母さんの葬式には、あの時の駄々っ子2人が、嘘みたいに立派な社会人になって参列した。
スミレちゃんは、叔母さん似の堂々のお母さんになっていた。

 今日は母の一周忌。
スミレちゃんは、森男と同い年の旦那さんと、一族の長老になった陽気な叔父さんと、3人で揃って来てくれた。

 精進落としの宴席で、スミレちゃんは、明るく賑やかに、お酒を勧めて回るのである。
昔の光いまいずこ、ではあるが、横顔には面影は残っており、今は豊穣の秋である。
これもまた、悪くない、と思った。 


新美術館は体育館

2007-08-18 | 風に吹かれて

 

 外から見ると、圧倒的な温室である。
切符売場から、美術館入口へ行く道は、流通センター裏口であり、中に入ると体育館だった。

 「国立新美術館」は、地下鉄乃木坂駅6番出口が一番便利である。
ただ、よく見れば凝った造りだが、何かが足りない。白一色で仮設通路の感じがする。
地上に出て切符売場をとおり、裏口のような入口に到る通路はガラス屋根の下で、強烈な陽射しを遮るものは何も無く、ゆっくり歩いていたら干物になりそうだ。

 美術館内部は、凡そ美術館らしくない薄っぺらな造りで、多分、前面の巨大に膨らむガラス壁に予算の大半を使ってしまったのではないか。
 美術館としての使い勝手は良いのかも知れないが、あまりにも単調で味気が無い。設計の黒川紀章先生としては、自己顕示欲の塊となって、ガラス壁に精力を使い果たしてしまったのだろう。

 出来たばかりは斬新な意匠が評判だが、あと20年もしたら、解体・改造工事が必要になる、と思う。大体、あの広大なガラス面は掃除が大変だし、冷暖房効率が悪い。国立だから済むものの、都立だったら、政敵慎太郎知事、黙っちゃいないはず。
公共的な建物は、外観の意匠だけ目立ってはマズイのだよ。

 新美術館は収蔵品を持たず、企画展など貸し展覧会場らしい。つまり、博覧会かイベント会場というわけだ。それなら、1年で取り壊すのを前提にして造れば良かった。

 なお、いいところは、展覧会会場以外は入館無料であること。
猛暑日や天気の悪い日、近所の人は、空調の効いた長い木製廊下広場でジョギングすればいい。

 

 ところで、新美術館では有料の「日展100」の他に、無料の「書道展」と二つの「水墨画展」が開催中だった。
ひととおり、観たが、壁一杯に作品を取り付けて、まるで収蔵庫のようだった。いいも悪いもなにもあんなに並んだら......。

 ただ、犬も歩けば収穫がある。
書道展の書の99%は読めないが、読めて、しかもなかなかの詩があった。
三好達治の作品です。題は......。書き留めるのを忘れました。

    夏の祭りの海の上
    祭りの樂は雲の間に

    天使たちがそそくさと
    しだらに脱いだ白い沓

    鴎の群れはむきむきに
    沖べの巌に動かない

    彼らの仲間も陽に酔って
    しばしは天上の夢を見る

    夏の祭りの海の上
    祭りの樂は雲の間に

 そして、ステッドラー製「ルナ水彩色鉛筆スケッチセット」を衝動買いしてしまった。
熱い熱い、と言っても、夏が過ぎたら秋が来る。


名作100年

2007-08-18 | 色めがね

 ようやく逢えた

 なんたって、「日展の歴史をたどれば、日本美術のこの100年がわかります」、と煽られたら、行かないわけには行かないのだった。

 ところで、この展覧会の名前は何というのか。ま、「 日展100」とします。

  再会

 以前から気に入っていて、再会したもの、ようやく会えたもの、へぇ~っと感心したもの等々目移りする賑やかさで、半日くらいかけてゆっくり見て回りたい。
禅に誘ってくれた友人は、この手のに関心が無く、1300円も入場料を払ったのに、どんどん先に行ってしまうのが、残念だった。

  新発見

 ようやく逢えた作品は、藤島武二の「東洋振り」。
おや、これはいいな、と新発見した作品は小堀進の「初秋」。
再会した名作は数知れずで、ここに書きようがない。改めて愉快だったのは棟方志功の「勝鬘譜 善知鳥版画曼荼羅」連作である。

 
  愉快

 広い会場は時代別に、文展、帝展、新文展、日展と分けて、作品の種類に関係なく、洋画、日本画、彫刻、工芸品がまぜこぜに、ぎっしり展示している。
どれもがその時どきの展覧会で主役を張れる名品揃いで、かえって効果を消しあっている感じがしないでもない。

 特に、松田権六の「鷺蒔絵棚」、飯塚琅玗斎の「華藍富貴」(竹籠)、佐藤潤四郎の「クリスタル花器」など、立派な工芸品が、冴えない展示で気の毒だった。

 ところどころに作品を解説する貼紙があるが、字が小さくて読めない。
作品を楽しめばいいのだから別に解説が無くてもいいが、主催者としては読ませたいのだろう。だったら、もっと大きな字にせんかい。

 暑さの所為か、ここも日経新聞の宣伝不足の所為か、空いている。
勿体無いが有難い。会期は9月3日迄で、まだ暑い。7月末から約1ヶ月の会期は短いと思う。
 涼しい雨の日があれば、また観に行きたい展覧会でした。

 それに、もっと絵葉書の品揃えを増やして欲しかった。

 福田平八郎「雨」も降って欲しかった。


全然禅

2007-08-18 | 色めがね


  左 重文「無関普門坐像」京都龍吟庵

 禅宗は地味な上に、勉強したわけでもないから分かり難く、奈良の仏教や真言宗や浄土真宗などに較べて、大した文化財は無い、と思っていた。

 鎌倉五山の文化財は、武家がスポンサーだったし、幕府は京都に戻ってしまったし、関東大震災の破壊もあって、特に大したものはないはず。
 昨年、五島美術館で開催された円覚寺の寺宝展も、あれ位だったら我が猫額亭にもあるかもしれない、といったミジメなものだった。
 それが京都となると、足利家が応援したし、やはり公家文化の影響もあったりして、全然そんな事は無い禅でした。

 特に気に入った宝物は、各寺院を興したり発展させた高僧の坐像群である。

 上の絵葉書の右側でこちらを睨んでいる悪相。愛媛県保国寺、重文、「癡兀大慧坐像」。読めなくて書けない名前を名乗るなぞ、いかにもハッタリが得意な禅僧で、ヤクザのご先祖かもな、だった。頼りにしたら頼もしいが、敵に回したらさあ大変の迫力だった。事実、相当なヤリテだったらしい。

 展示してある坐像は、首から上と手先が迫真的で、衣服や姿勢は類型的ではあるが、よく観察すると、彫り方には夫々変化があり、僅かに残った彩色が侘び寂びて美しい。

 同じように、高僧の肖像画も、なかなか個性的な味わいがあり、絵描きの腕は上々と見て取れた。

 なお、金蔓の足利家面々は、情けない坐像ばかりであった。

 書はどうもよく分からん。退屈です。
但し、京都東福寺禅院額字、国宝、「旃檀林」(張即之筆)は、意味不明ながら、堂々として品の良い掛軸だった。

 暑すぎた所為か、日本経済新聞社の宣伝力が及ばなかった所為か、ま、禅だからだろうが、会場は空いていて、結構な「京都五山禅の文化展」でした。

 ★パンフの坐像の下に 「Let's ZEN」 とあるが、何たる安っぽさ!

 


心頭滅却すれば焼死する

2007-08-17 | 林住期

 アサハラ昇降?

 友だちに誘われて、上野の博物館に、「京都五山禅の文化展」を観に行った。

 招待券をくれたし、予報士の、今日は雲が出て昨日より涼しくなる、と言う言葉に騙されたので、つい、ふらふらと出かけてしまったのだ。

 電車の中はいいけれど、池袋駅、上野駅、上野公園のクソ暑さ!
公園の噴水の周りは、いつもより人が少なかった。
「平成館」前の石畳は最新 I Hクッキングヒーターのよう。

 暑苦しい!

 折角来たんだから、と、森男が乃木坂の「国立新美術館」に友だちを誘った。
「日展100年日展100年日......」という頭が痛くなる特別展だ。
こちらの入場券は1300円。老人割引無く、痛い。

 「イタリアントマト」で昼食パスタ。鄙の住人には安くて美味い。

 原宿と乃木坂の暑さには、頭が発火しそうだった。
裸で街を歩いている女性が羨ましい。心頭滅却して裸になれば炎天もまた涼しい、か? 結構結構。

 池袋に戻ったら、西日の当たる駅はもっと凄い暑さになっていた。
西武でCDを探したが、最近のCD売場、分類どうなってんの?
やっと探したCDの活字、小さ過ぎて、低眼鏡かけても読めないぞ。売る気あんのか?

 「心頭滅却すれば火もまた涼し」、なんて負け惜しみを言ってたら、禅僧だって焼死する。まして、森男においておやおや。

 今夜は冷房で頭を冷やし、禅、日展、新美術館の印象は、明日にしますね。


團十郎叔母さん

2007-08-17 | 遠い雲

 漱石作「明暗」から

宮尾登美子の小説に「きのね(柝の音)」は、先代團十郎の二番目の夫人になった女中を主人公にした小説である。

いよいよ再婚するときに、日本画の大家に仲人を頼みに行く場面がある。
この日本画家が、近くに住んでいた前田青邨画伯である事は直ぐに分かった。

叔母さんが「團十郎が来た!」と大騒ぎしたことがあったからである。
叔母さんは團十郎や長谷川一夫を追い掛け回していたのである。ヨン様を追っかけるオバタリアンのように。

       ・・・

学校から帰ってくると、父の部屋に大勢のおじさんおばさんが集まって、父や祖母に頻りに頼み込んでいた。
それは子ども心にもヒリヒリした深刻な光景だった。

それから間もなく叔母さん一家が越してきて、離れに住み着いた。
それまで知らなかったが、母によると父の弟一家だ、と言う。つまり叔父さん一家だった。
叔母さん一家には幼い従弟がいて、直ぐ遊んでやるようになった。

昨年死んだ母は、あの頃叔母さんに「この子、ちっとも父親に似てないねえ」と嫌味たっぷりに何度も言っていた。
叔母さんは「おねえさん口元なんかソックリじゃありませんか」、と返す。
確かに似ていないが、ヘンなことを言う母だと、その頃は思っていた。

そのうち母は「あの叔母さんは芸者上がりだよ」、とも教えてくれた。
三味線を持っていたし、美人揃いの父の妹たちに負けなかったので、そのとおりだったのだろう。

従弟と仲良しになった森生を、叔母さんは厚遇してくれたが、母はずっと叔母さんに意地悪だった。
それは姑小姑たちに苛められての八つ当たりだったろうし、叔母さんが外出勝ちだったのも気に食わなかったようだ。

       ・・・

叔父が病死すると間もなく、叔母さんは従弟を連れて再婚した。相手は土建業の人、と聞かされた。
元々大した荷物は無かったが、住んでいた離れは分解して持って行った。
解体作業は夏だった。祖母は部屋に籠って雨戸を閉め切っていた。

       ・・・

祖母の通夜には、青白い顔の叔母さんが、誰が知らせたのかひっそりと顔を出した。
大分老けたなぁと思ったが、相変わらず綺麗だった。

告別式には、学生服姿の上の従弟が独りで参列した。
納骨が済んで、昨年春に亡くなった叔母が従弟を呼び、

   「今のお父さんが本当のお父さんだと思いなさいね」
   「だから、もうこっちのことは忘れて、今のお父さんを大切にするんだよ」

と噛んで含めるように、しかも、いかにも教師らしく、きっぱりと話していた。

       ・・・

教師だった叔母は昨年、母と前後し、もう一人の叔母は、この春に亡くなった。
亡父の末の妹は認知症になって老人ホームにいる。だから本当の事情を知る人はいない。

従弟に本当の血縁関係が有るか無いかはどうでもいいと思っている。
あれから一度も逢う事はなかった従弟たちが、真っ当に生きて来たのなら、再会してみたいが.......。

              ■宮尾登美子作「きのね」■



 先代市川團十郎が若い頃から仕えた女中で、献身の末、憧れの團十郎の後妻になった千代夫人の物語。
 彼女の艱難辛苦の一生は、辛い話ばかり。しかし迫力のある筆致で、一気に読んでしまいます。
 徹底的に調べ上げた梨園の内幕は驚きの連続です。

070817