林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

過去よさらば

2013-10-16 | 林住期

とうとう「過去」を捨てた。
過去といっても「事務書類」である。事務書類は問題を指摘された時、反論する資料やアリバイだったつもりだ。

リストラで、永年勤めた会社をおん出るときの仕事は、無茶苦茶だった。
全く未経験の資金繰りと経理もやってたので、最後の3年間はてんやわんや。重大ミスを犯していたかも、だった。

設備や構築物や什器にも固定資産税がかかるなんて、リゾートホテルを建てて初めて知った。
「億」になる手形を切るときは手が震えた。その後、世話になった大銀行が破綻した。
あの時、お餞別を断ればよかった、と今、思う。

それもこれも、遥か茫々の昔のことだ。もう全てが時効である。というか、だぁれも問題にしなかったのね。
アリバイ作りは自意識過剰の一人相撲だったのだ。これって、お払い箱だったシュミット氏と同じだわ。
残念のような、口惜しいような........。うん、悲しいね。

      

安い手漕ぎのシュレッダーを見つけたので、980円で買ってきて、書類の裁断を始めた。
裁断する書類はB4判やA4判ファイル5センチ分。だが、シュレッダーは2枚ずつしか切れない。そんなバカな。
しかも、切れ味は頗る悪く、ハンドル掴んでギコギコガッタンと格闘することに。

これでは手で千切る方が能率がずっと良く、結局、大半は破り捨てた。
始めは細かく、終わりは丸秘もへちまもない切れっぱしのままで。

残ったのはカラのファイルと役に立たないシュレッダーだけだった。
「過去」はこの程度のものだったのだ。 とほほ。

131016


ツィゴイネルワイゼン

2013-10-15 | 歌の翼に

若林暢のヴァイオリン演奏会に出かけたのは、シャモじぃのお誘いがあったからである。
それに暇だったし、チャリティコンサートで入場料が無料だったこともある。

森生は、ごく若い頃はヴァイオリンが好きだった。
チャイコフスキー(だったかな?)のヴァイオリン協奏曲にウットリし、サラサーテ(だったよね)のツゴイネルワイゼンにハラハラドキドキしたものである。
だがそれも大昔のこと。今ではヴァイオリンのキーキー音より、チェロの深々とした音色の方が好きになった。

飯能市民会館小ホールはほぼ満席だった。珍しいことだが男性客がかなり多かった。
演奏曲目は以下の4曲だった。

     ・モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ト長調 k301(293a.....って何だ?)

     ・ブラームス ヴァイオリンソナタ 第2番 イ長調 作品100

     ・ヴィニャフスキ グノーの「ファウスト」による華麗なる幻想曲 作品20

     ・プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ 第1番 へ短調 作品8

事前に配布されたパンフに載った若林暢(のぶ)さんは、ほっそりした美形である。
しかし拍手とともに登場した実物は、真っ青に彩色した土管が突っ立ったような堂々たる中年女性だった。

演奏は上出来だった(のではないか)。
音量はたっぷり。メリハリを利かせ、専門用語を知らないので簡単に記せば、チョコマカキイキイ小技も上手かった。
森生は細かいミスを聞き逃せない損な耳の持ち主だが、2時間余りの演奏で1回もミスはなかった(と思う)。

途中2回、お暢さんが前後の曲の解説をしてくれた。
簡にして要を得た愉快な解説では、4曲ともソナタの名曲で、特にプロコフィエフは100年に1曲の名曲なそうな。
しかしね、そなたはそう言うけれど、初めて聴いたわちきには、悪くはなかったけれど良くも無し。
ま、相当な技巧を要する難曲を、見事に弾き終えた、とは思いますがね。

なお、ピアノ伴奏はアルバート・ロト爺さん。この穏やかに微笑む趣味のいいお爺さん。好きだ。
演奏中、椅子を引き摺りギィッという怪音を発するのは良くないけれど、演奏は柔軟にして優美。
怪力お暢さんを巧みに支えた(のではないか)。

曲の合間のお暢さんの解説中、椅子から巨体を立ち上がらせ、ピアノに捉まり立ちしていた姿が愉快だった。
ロト爺さん、きっと腰痛持ちなんだろうね。辛いの、よく分かる。

以上4曲が終え、形式どおり花束贈呈。いきなり、司会がアンコール演奏を「指示」。

お暢さん、ツィゴイネルワイゼンを用意してたらしいが泡食って、「流れからいけば無理ですね」とタイスの瞑想曲に。
これにはロト爺さんが面くらい、譜面めくりのお嬢さんと慌てふためき床に譜面を広げ、タイス探しは迷走。
お暢さんも加わり「長い業務連絡中です」なんて誤魔化して、やっとタイス始まる。

これは良かった。若林暢さんのロマンチックな一面がよく出て、まさにパンフ写真どおりの名演だった。
次、ツィゴイネルワイゼン。これ圧倒的。むせび泣くかと思えば猪突猛進。大昔のハラハラドキドキを思い出した。

感動の2曲は、よろしければ、オーケストラ伴奏ですが、どうぞ。

     ・タイスの瞑想曲    

     ツィゴイネルワイゼン

そういうわけで若林暢とアルベルト・ロトの演奏会は拾い物だった。

それもこれもしゃもじぃのお陰だけれど、周りに聞こえるような声で「ト長調って何?」とか「作品番号はいつ誰が?」
などと尋ねないで欲しかった。森生だってそんなこと知らないんだからね。

それから、寄付金はソナタの言うとおり、しゃもじぃの2倍返しにしといたよ。
えへん、だ。

131015


だるい

2013-10-14 | 林住期

月初めに引いた本格的な風邪以来、全然やる気が出ない
浴びるほど薬を飲んだので、風邪は治ったはずだが、朝、目が覚めると、また風邪を引いているように頭が重い。
喉はイガイガ、目はシバシバ、肩はコリコリ、脚はヨロヨロ。参ったなぁ。

NHKのアナ君が番組が終わるとき「今日も一日お元気デッ」と尻を蹴飛ばすけど、あんなもん、効かないよ。
昨日、寝る前には今日はあれもしよう、これもやろう、と思っていたことは、全て明日へ先送りだ。

体力自慢の70代が増加したそうだ。
スポーツクラブで鍛えた成果だそうだが、身体を鍛えるなら、道路掃除や公園の草毟りでもすればいいのにな。
余程、年金が多いんだろうよ。朝日がジャーナリストなら、年収と体力比較を記事にしろってんだ。

そういうわけで、これから今日一回目のヒルネをします。
ふぅ。

131014


一茶一千句集

2013-10-13 | 拍手

玉城司訳注「現代語訳付き一茶句集」(角川文庫)。
腰巻によると「季語別に1000句を厳選」したので、618頁になり、2.5mmの分厚さだ。
分厚いからいい、というわけじゃありませんよ。内容がいいのです。

内容は、一茶の一句一句にあわせて、出典ほか、

  訳文 簡単な現代語訳
  年次 伝記的事項や出典の性格から推測
  語釈 句の解釈に必要な語句の解説
  解釈 句が出来た背景や同時期に詠まれた句など
  参考 一茶の類句や前・同時代の俳人の発句で用語・素材・趣向が類似するもの

など至れり尽くせりである。

だが森生は先を急ぎ、そういう細かいところは読み飛ばし、直感勝負です。
すなわち、勝手に一茶の心理や行動を想像する。
これはあれとくっ付けると面白いぞ、なんて考える。

例えば秋の三夕の一つに西行法師の名歌がありますね。

  心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ

この一首はきっと一茶の頭にもあったはずだ。ないわけがない。
そこで一茶は、この西行法師の名歌から連想して何句も捻り出した、に違いない。

  鴫の立程は残して暮にけり

  鴫立つや門の家鴨(あひる)も貰鳴(もらいなき)

  立鴫の今にはじめぬゆふべ哉

  今しがた逢し人ぞよ鴫をつく

どうです?愉快でしょ? 
西行法師に較べると諧謔味が濃く、殆ど川柳作家といってもいいですね。
しかし何故か心を打つ。そこが一茶の偉いところ。俳聖芭蕉とは立ち位置が違う。

    

一茶については、子ども好きな優しいお爺さん、という印象が強かった。
そう教えられていたからであるが。

ところが最近、田辺聖子さんの「ひねくれ一茶」(講談社)を読んだ。
この本で、一茶の複雑で気難しい性格を知り、痺れてしまった。

哀れだが、したたかでもあった。世渡りに必死で、手強いおっさんだった。
経済的に支えてくれた豪商や粋人には、屈辱的な仕打ちを受けたりもした。
捻くれるわけである。

おまけに、小説はいかにもお聖さんらしい。
美味そうな酒肴、贅沢な衣装が繰り広げられる見事な伝記小説だった。

年老いて故郷に帰った一茶。
異母弟との相続争いは、調停が成立し和解。
初婚、離婚、再婚、死別と繰り返す。

精力は絶倫。
最期は観音様のように優しい若妻に看取られて、彼岸に旅立つ。

そんな粗筋だったように覚えている(違ったかな?)。

句集の1000句は、そのあたりの事情を考慮して読めば、また一入の味わいがあるだろう。
一茶の隣に住みたくはない。
ご町内に一茶がいて時々会えたら楽しいだろうな、と思う。

 

涼しい秋が来たら、一茶と二人連れでお江戸に上り、上手く当て嵌まる写真を撮り歩こう。
林住記の記事を何本かでっち上げられそうだ。うふふ。

鴫の写真は「但馬情報特急便」さまからお借りしました。
鴫と千鳥の写真が沢山載っておりますよ。

 131013


立ち話で医者選び

2013-10-11 | 林住期

前会長さんは少し痩せたようだが、夏前より元気そうになった。
奥さんも出てきて暫くの間立ち話をした。話はお互いの体調に関してである。

森生は太ってきて、却って体調が悪い。医者が浴びるほど大量に出した薬を飲んだが、効き目はないようだった。
不具合はいくらでもあり、それらを列記すると少し気がラクになるけれど、読む方にはいい迷惑。だから止めときます。

前会長さんご夫妻から、いい医者を教わった。
眼科、耳鼻咽喉科、高血圧は老先生。歯科は明海大付属病院でいいだろう、と。
検査後2時間あまりは瞳孔が開いてしまい運転が出来ないので、遠くのまちの眼科は諦めるしかない。

4歳年上の前会長さん。同い年の奥さん。亀の甲より歳の功。森生より病院慣れしているようだ。
立ち話は妙に波長が合い、少し体調が良くなった。体調不良は神経だったのかなぁ。

来週は病院巡りを始める気になってきた。
病院へ行くには体力を付けないと.....。

131011


軽率

2013-10-10 | 床屋放談

付きまとわれたうえに殺害された女優の卵の話題で、朝晩のTVはもちきりだ。
警察は、対応が適切だったかどうか検証すると言っているようだが、殺人事件を防げなかった以上、対応は不適切だったのである。

例により、被害者への同情が集中している。被害者は天使のように穢れのない、完璧な人物だったようである。
あるコメンテーターは、同種の事件を防ぐために、付き纏われている人を保護する施設が必要だ、とまで言っていた。

TVでいろいろ語るコメンテーターは多いが、基本的には皆同じ。
だが、誰も言わないことがある。

それは被害者が軽率だった、ということである。
どこの馬の骨か分からない男とフェイスブックで知り合い、交際を始めたことだ。

他にも、真夜中の街を一人で歩いていて、通り魔に殺害される女性がいる。
昔から、まともで賢い女性は、不特定多数を対象にして交際相手を探したり、深夜に街をうろつかなかった。

被害者は折角の美貌と才能を、一瞬の軽率で無駄にしてしまったようだ。
コメンテーターは、そういうことは絶対に言わない。

131010


政と源

2013-10-08 | 重箱の隅

三浦しをん「政と源」(集英社)。
粗筋は面白く、全六話を一気に読み終えた。
だが、どうも全体に薄っぺらで、なんにも残らない。

元銀行員・有田国政。しぼり簪職人・堀源次郎。
共に東京墨田区に生まれ育ち、同じ73歳の親友同志である。

幼い頃の家庭環境や職業からか、性格は正反対。
対立はするが互いに助け合い、切っても切れない間柄である。
政にはなまじっか常識があるので何事にもややこしく、源は直情径行。

政は定年退職後、2女を生した妻に逃げられたが、離婚手続きはまだ。
源は大騒動を経て結婚した恋女房に早死され、天涯孤独のようだが、徹平という弟子がいる。

役者も舞台も充分である。
しかし、人気絶頂・三浦しをんは妙に明るく軽いTVドラマのようなして、物足らない。
山本周五郎や池波正太郎が同じ筋書きで書いたら、味わい深い人情話になっただろう。

給料のいい銀行員が、戦後、親が再建した、雨漏りがする古い木造住宅にそのまま住むか。
それに、二人の年齢が73歳では、敗戦直後の状況記憶等描写に無理がある。
墨田区「Y町」も気に入らない。柳川町、横堀町など、架空の漢字名前がよかった。

最大の欠点は円陣闇丸の挿絵である。これが下町の人間か▼
こんな挿絵なぞ全く必要なかった。
三浦しをんのセンスを疑う。

131008


残された両親

2013-10-07 | 拍手

踏み切りで倒れた老人を助けて亡くなった村田奈津恵さんの通夜が昨夜行なわれた。
参列者の列が100mも続き、JR東日本社長、横浜市長、神奈川県知事も参列。菅官房長官は安倍総理の感謝状を届けたそうだ。

ああいう事故が目の前で起きた場合、自分ならどうするか。きっと足がすくんでしまい、目を瞑るしかありません。
村田奈津恵さんの勇敢な行動には頭が上がりません。心よりご冥福をお祈りします。

辛い一連の報道で見たご両親の、取り乱すことのない抑制された悲しみの表現にも、驚かされた。
このご両親にしてこの娘さんあり、だったのである。

中国自動車道で起きた交通事故。桜塚やっくんとかいう女装のタレントほか一人が即死した。
やっくんがどういうタレントなのかは知らないが、こちらもご両親は立派だった。

取材記者たちの質問に淡々と答え、同時に亡くなったマネージャーの家族に詫び、思わず涙ぐむ。
傍から見ればヘンな息子さんだけれど、「いい想い出しかない、事故は息子の責任であり、死んだことは諦める」、と。

既に絶滅したかと思っていた日本の極めて上質なご両親が、二組いた。

131007


清須会議

2013-10-04 | 拍手

三谷幸喜「清洲会議」(幻冬舎文庫)は、本当に面白かった。
買っても決して損をしませんよ。

「小説」は、本能寺の変に遭遇した織田信長が焼死する寸前の「断末魔のモノローグ」から始まる。
最後は秀吉の正妻・寧の「日記抜粋」で終わる。

信長後の織田家後継者を重臣たちが決めた清洲城での駆け引きを、7日間にわたり、柴田勝家、お市の方、羽柴秀吉そのほか戦国時代のスターたちの、独り言や日記や議事録やコメントで明らかにする。
恐れ入るのは、これらは全て現代語の超訳であり、流行語まで使っている。

お市の方は勝家を嫌っていた。体臭に不潔臭に加齢臭にラッキョウ臭が加わり、全くの野暮天で実は大嫌いだった。
しかし夫を滅ぼし、息子を殺した秀吉はもっと嫌い。秀吉を絶望させるために、柴田勝家と敢えて再婚したのだった。
秀吉や勝家を虜にした絶世の美女は、英雄二人を操るしたたかな女でもあったのである。

お市の方にのぼせ上がった勝家も、手練手管を繰り出す秀吉も、必死で実にカワユイ。
でも物事を多面的に把握して、万全の対策を講じる秀吉が勝って当然なのだった。

風景、建築や調度品、食事、衣装などの環境描写は殆ど無い。
全てが登場人物による相手の感想や思惑ばかりの「小説」である。
こういう「時代小説」もあり、とは驚き、感心した。

この小説は全てが映画の脚本のようなな体裁である。三谷幸喜は映画化し、面白い面白いと触れ回っているようだ。だが当時のスターたちが、現代の俳優と重なってしまうのは、想像を自由に膨らませられず、残念だ。
例えば森生はなれるものなら前田利家か、織田三十郎信包になりたいんだよね。

だから森生は「映画・清須会議」を観ないことに決めている。

131004


朝の食卓

2013-10-03 | 林住期

10月になっても、梅雨明け夏入りのような蒸し暑さである。
昨夜は寝苦しく、悶々。6時に目が覚めたが起き上がる気力なし。
二度寝して、8時過ぎに布団から出てきたら、カンカン照りの日差しにムンムンする熱気で、頭がぼんやりしてきた。

朝食を摂る気分にはならず、新聞を読んでいると。切株じぃさんから電話。

   このところちっとも多峰主山で会わないけど元気? たまには来て下さいよ。

切株さんは森生より一回りくらい若く見えるじぃさんだ。
密生林を間伐して明るくするのが共通の趣味だが、間伐材や枯枝の整理整頓は森生の趣味。
切株を一つずつ鉈で割り、再萌芽しない処理は切株さんの趣味。

切株さんによると、多峰主山サミットのあの人もこの人も、顔を見せなくなったとか。
猪八戒君なぞは腎臓だか肝臓だか、臓の付くものを摘出してしまったそうだ。

   多峰主山はキツクても、笹山・高麗峠・巾着田ならラクでしょ。朝、誘うから一緒に歩きましょ。

   お誘いは嬉しいけど、このところの衰えはちょっと酷いのね。
   2階に上がる階段で、気合を入れないと、後ろにのけぞり落ちそうになるんですよ。

食欲が無くても、食事をしなければますます弱ってくる。
そこで遅い朝食の献立。

また夜鍋した渋皮煮3個、梅干1個、カゴメ野菜ジュース、明治ブルガリアヨーグルト。

これで元気になれるかなぁ.......。
なるわけないけど、ま、こんなもんでしょ。

 

131003


薬漬けの秋

2013-10-02 | 病院巡り

何度もやり直して、昨日出された大量の薬の内訳が分かった(つもりだ)。
その内訳を以下にまとめました。

  朝・昼・夕食後各1錠3回7日分

    セフジドレンピポキシル100m錠(細菌感染症治療)

    メジコン15mg錠(鎮咳)

  朝・昼・夕食後各1錠3回28日分

    メチスタ500mg錠(痰・鼻汁を出し易くし、鼻詰まり・頭痛を和らげる)

  朝・昼・夕食各1回7日分

    ツムラ麻黄附子細辛湯エキス顆粒(感冒・気管支炎治療)

    朝・夕食後各1錠2回7日分

     ガスロンN・OD2mg錠(胃粘膜修復)

    寝る前1回7日分

     エピナスチン塩酸塩20mg錠( 気管支喘息・アレルギー性鼻炎治療)

などと、やっとこさ、まとめてみたけれど、間違ってませんかね。
朝昼夕食後、朝昼夕食前の日に3回がある。かと思えば朝夕食後日に2回や、寝る前に1回きり、という薬もある。
更に7日分だけではなく、28日分もある。先生は1か月分と言ったけれど、10月なら3日分不足だ。

ツムラ麻黄附子細辛湯エキス顆粒の28日分は「森生様のお薬の内容」表に一致する。
だが表の数量と照らし合わせると、2日分6包も足りなかった。
森生の勘違いだったらみっともないので、何度も見直し数え直しても、足りものは足りない。

それでも表の読み違いかもしれないので、極めて丁重に、薬局の担当の薬剤師にダンコとして「足りない」と電話。
年嵩の薬剤師どの、慌てたね。電話口でおろおろしてやがんの。

  い・い・い、今すぐお届けに上がります。少々お待ちを......。
  えっ!? なに?..........うんうん、そうか...うーむどうしよう。
  あのぅすみません、そのお薬、切らしております。夕方に入荷しますので、お届けは夜分でよろしいでしょうか?

森生に間違いはなかったようである。もともと品切れだったのだ。
だんだん愉快になり「5日分は手元にあるから明日でもいいですよ」と年長者として優しく応えてあげた。

不足分は、6時過ぎに届けてくれた。
この薬局の薬剤師たちは親切丁寧で、行くたびに森生の体調を気遣ってくれる。医師たちとは心掛けが違う。
しかし、2年前にも別の薬剤師君が間違えた。薬は数え難いし高価だ。ご同輩も確認されたほうがいいですね。

     

以上は、今度の風邪により、新しく飲み始めた薬である。
しかし12数年前から、黄班変性症進行防止薬として、以下の薬も飲んでいる。

  朝・昼・夕食後各1錠3回28日分

     メチコバールμg錠(末梢性神経障害治療)

     ユベラN100mgカプセル錠(末梢血管血流改善)

その他にも、5年前から心筋梗塞再発予防薬として以下の薬も飲んでいる。

  朝食後各1錠1回50~60日分

     プラビックス75mg錠(血管内の血液凝固防止)

     バイアスピリン100mg錠(血管内の血液凝固防止)

     オルメテック20mg錠(降圧剤)

  夕食後各1錠1回50~60日分

     ランソプラゾールOD15mg錠(胃酸分泌抑制)

     アトルバスチタン10mg錠(コレステロール減少薬)

     メインハーツ5mg錠(降圧・不整脈薬)  

一体全体、毎食後合計、何錠を服用しているのか。お暇な方、集計してコメントで教えて下さいね。
ま、とにかく多過ぎるので、先月からサプリメント5種類計20錠の服用を中止した。

DHA(一日5粒)も一緒に中止したためか、アタマの働きが鈍くなった。
その所為か、薬剤師殿がせっかく「一包化」してくれたのに、ツムラ漢方薬を既に2回飲み忘れ1回は食後に飲んだ。
どうも、住み込みナースを雇わないといけないようだ。

まぁ、これだけ大量に薬を飲んでいれば、風邪くらい直ぐ治りそうなもんだが、どうもスッキリせず、食欲がない。
やはり「薬石効無き人生の秋」なんだろうか

     131002 


病は気から

2013-10-01 | 病院巡り

この数十年間、風邪はルル3錠を日に3回、3日間くらい続けていれば、何となく治っていた。
ところが今度の風邪は、だんだん症状が重くなってきて、もしかすると肺炎を併発し死ぬかもな、という気がしてきた。

のべつ鼻から、泡立ち粘り気がある塩辛い鼻水が喉に流れ込み、痰状になり、咳払いだけでは取り除けない。
そして気道の深いところから咳が出てくるようになり、
咳をすると、ズッキーンと肺が痛くなるのだった。

頭痛は治まらず、身体の節々は痛く、横になっても身体の置場所がみつからず、なかなか眠れない。
どうせチンピラ医者に分かるもんか、と構えていたけれど、家のなかでもよろけるので、思い切って病院へ行った。

熱は37度2分。微熱かな。
支給されたマスクをし、待っているうちに息苦しくてぼんやりしてしまった。マスクなんかしたことがなかったからだ。

医師は聴診器を胸と背中に当てて、雑音がしますね、だと。
そんなことは森生にだって分かってるわぃ。粘る痰が喉につかえてるのさ。

レントゲンを撮ってみましょう、とういことになり2枚撮影。

肺炎の症状も肺癌のカケラも見つかりませんよ。鎖骨や肋骨が随分派手に折れてますね。完全にくっ付いてますが。
1年以上前から続いている喉の不調は、副鼻腔炎の所為でしょう。
風邪薬と痰切りの薬は1週間分、副鼻腔炎のほうは1ヶ月分出しておきましょう。

と、心臓と血圧の薬を処方する「主治医」の藪より、ちゃんと話を聞き取り、ずっとマシな診察をしてくれた。
藪は、患者の森生を見もしないで、面倒臭そうに、別に異常は見つかりませんよ、と言うだけだった。

これで治るかどうかは分からないが、病院へ行く時はかなり参っていた。弱気にもなっていた。
だが、薬屋で待たされているうちに、何となく身体がラクになってきた。
まさに、病は気から、だ。

ところが問題は処方された薬である。

朝昼夕食後に飲む薬が○種類で7日分と28日分。
朝昼夕食後と寝る前に飲む薬が1種類○日分。
朝昼夕食後に飲む薬が、..........えーと、何が何だかさっぱり分からないや。
しかも、2~3種類の薬を「一包化」し、「朝昼夕」でまとめたものもある。

これから「森生様のお薬の内容」表に沿って、一種類ずつ確認しますので、今日はこれでおしまい。
なんだか、また熱が出てきたみたいだ。ふぅ

131001