林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

エロトピア

2015-12-11 | 拍手

昭和を代表する人がまた一人、亡くなった。
今度は小説家の野坂昭如さんである。

週刊誌で度々読んだ野坂の文章は、悲観的過ぎ、くどくどと長たらしく、好きではなかった。
だが中年御三家の生き残り永六輔さんに送った最後の手紙に、

         日本は瀬戸際にさしかかっている(12月11日付朝日新聞朝刊35頁文化・文芸欄)

という、現在の日本を危惧するご意見には、森生も賛成します。

  

未だに愛蔵している野坂昭如本の一つは「エロトピア1・2」である。
これ、最高ですね。サイテイという堅物がいるかもしれませんが、そういうお方とは付き合いたくありません。
車の中では読み難い内容だけど、野坂の本文と山藤章二の挿絵との掛け合い効果が、純真無垢な森生青年を密かに、しかし大いに楽しませてくれた。
なおこの画期的な「競作」の成功で山藤は大いに認められ、森生は長い間、山藤を追っかけている。

妹を餓死させた過酷な実体験を小説化し、直木賞を受賞した「蛍の墓」は哀切極まりなく、余りにも酷く、再読する気にはなれない。
この本はじじぃが死蔵しているのは勿体ない。安倍晋三をなんとなく支持している若者に進呈したい。

  

野坂は無頼派の作家だった。
大島渚監督にアッパーカットを食らわせたのは痛快だった。
もっとも、傷害事件化や訴訟など七面倒臭い手続きを割愛し、数発殴り返した大島渚監督も立派だった

田中角栄と選挙で争ったこともある。

原稿が間に合わず、雑誌「面白半分」は数頁を白紙のまま発売する羽目に。
編集長は急性胃潰瘍を発症し、この事件は業界からはヤンヤの喝采と共に歓迎された。

  

一時、歌手として売り出していた。
そのほか「男と女の間には深くて暗い溝がある」という「黒の舟歌」を作詞している。

この歌は長谷川きよしと加藤登紀子の歌が知られているが、本人の声でお聴き下さい(動画はアニメ作品のようで、少し不気味ですが)。

         黒 の 舟 歌

童謡「おもちゃのチャチャチャ」が野坂の作詞とは知らなかった。
脳梗塞で長い間療養中だった野坂昭如さんは、この歌で賑やかに送り出しましょうね。

         おもちゃのチャチャチャ

エロトピア1・2をじじぃがもう一度読んだら、果たしてどんな反応がありますかね。
もう効かないだろうな

挿絵は全て「エロトピア1・2(1971年文藝春秋刊)」から。山藤章二さんが描きました。

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どど・ど忘れ

2015-12-10 | 林住期

 

 ・中華食堂のレジに小銭入れを置き忘れ、店のおばさんに追いかけられた。

  ・まるひろで買物中にポイントカードを落とし、店内放送で呼び出された。

  ・バスに乗る時、パスモのタッチを忘れ、降りる時、運転手氏にインギンに通せんぼされた。

  ・そのほか、何かあったんだけど、何だったのか忘れた。

以上はこの4日間の、忘れもの落とし物によって引き起こした出来事で、全てじじぃの自己責任です。

今朝、朝飯になにを食ったかなんて、いつも忘れている。
薬は普通余るのに、足りなくなった。

忘れた分だけ、新しい何かを覚えればいいんだけれど、やっぱり脳味噌が減って来たのかなぁ。

まぁいいや。何もかも忘れりゃ、悲しみ悩むことも、困ることもあるまい。

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大気汚染

2015-12-09 | 床屋放談

北京の大気汚染が物凄いことになっているそうだ。いい気味だ。
そんな状態で「世界第二位の経済大国」とは笑わせる、と言いたいところだが、汚れた空気は偏西風に乗り日本に流れてくる。
にも拘わらず、安倍晋三は沈黙。

近所迷惑だ、と抗議するか、
環境浄化技術を売ってあげましょう、と提案するか、
人民の不満を煽るとか、
知らん顔をしている場合じゃないと思う。

それにしても、原発反対を主張する人たちは、何故、中国大陸の原発に対して何の発言もしないのか。
中国の原発が、日本の原発よりも安全なはずがない。

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歩いても歩いても

2015-12-08 | 高麗便り

さぁ大変だ。まだ火曜日というのに、早くも行き詰まっております。う~む、困った。
で、困った時の里歩き。

日和田山登山口辺りを歩いてみました。
が、木の葉以外はなぁんも落ちてません。年々再々、一向に代り映えしませんな。

人生は365日、紙飛行機だそうだ。きょうはとうとう墜落だぁ。
♪ 思いどおりにならない日は、あしたがんばろう。

 

きょうは、以上でお四枚。

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ビーグル犬

2015-12-07 | 知ったかぶり

1週間ぶりに朝のラジオ体操に参加した。

今朝の参加人数は大分減り、およそ20人くらい。意志も身体も、この団地で最強のじじばばである。
そして軟弱で虚弱なじじぃがひとり。

昨日まで、忙しかった。
というのはええかっこしぃな言い訳。本当は寒かったのである。
今朝も空気はキリキリしていたけれど、太陽がサンサン。
それで、踏ん張って早起きしたという次第。

    

団地合唱団のセンセイが、元気がいい小型犬を連れて来た。
種類はビーグル犬だとか。どこかで見たようなと思ったら、あのスヌーピーだ。

思索的なスヌーとは異なり、誰にでも愛想が良く、手を出すとじゃれついてくる。可愛いね。
じじぃもこうでなくちゃ、と反省するけど、誰も手を出してくれないのよ。ふんっ。

ビーグル犬は猟犬だそうだ。

  えっ!? こんなに小さくて?

天気を変える怪力がある、物識りじぃさんが補足して曰く。

  尻尾の先が白いだろ、猟犬の証拠だよ。

  へー、そうなんだ!

その他、

  小型犬より大型犬のほうが賢く、上下主従関係を弁えている。「お手」は主従関係を確認する大切な躾である。

  餌はまとめてやるより、量を少なくして、回数を増やしたほうがいい。

等々、今朝もまた一つ利口になった。
哀れ蚊」という季語も、センセイから教わった。人間、生きてるもんです、早起きするだけで何かしらトクがある。

明日から股引を履けば、もう一つ利口になれるかなぁ.......。

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学食ねぎ味噌らーめん

2015-12-04 | 拍手

飯能市の外れにある駿河台大学の学食ビルが素晴らしいよ。
今日は、3階にある中華麺処「菩提樹」の「ねぎ味噌らーめん」を食した。

こんなにいろいろ具が入っていて、僅か390円!
器がいかにも安っぽく、トレイが交換時期を迎えてはいるが、味はなかなかのもの。
分量だって、じじぃには過不足なし。

窓から見晴るかすと、右・加治丘陵から左・入間川の遠望がステキだ。
関東平野の西の果てを独り占めした気分になれる。

しかもしかも、あーた、周りは女子大生がいっぱいだよ。(男子大学生もいますが.......。)

キャンパス入口で警備員氏から誰何されますが、学食の昼食だけが目的であることを「正直に」伝えましょう。そうすれば、親切に案内してくれます。
森生は軽を運転して行ったけど、飯能駅南口から、無料のスクールバスが利用できる。
こちらなら学生諸君に紛れて、気兼ねなく学食ビルに入れます。

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終わらない草刈

2015-12-03 | お節介

寒い日、おじぃさんは近所の土手で草を刈る。身体が温まってきて少し汗ばみ、気持ちがいい。

この辺りは竜の髭や黒蘭がいい具合に広がってきたので、そのままにしておいた。
しかし、赤芽柏や空木・野茨など、藪になり易い灌木をは根元から切り取り、矢鱈に増える、実を付けない南天は、罰として伐採。

数年前、移植した射干は爆発的に勢力を拡げ始めたので、可哀想だが根こそぎ引き抜いた。
また、ペットボトルが株の中にごろごろと捨ててあるので、龍の髭と黒蘭も、結局、刈り取ることにした。

日陰に赤いものがあった。
慎重に周りの竜の髭を刈り取ってみると、紅葉の若木だった。こんな日陰でこれだけ鮮やかな紅葉になるとは、筋がいい紅葉である。
大切に育てるために、目印の添え木をしておいたので、散歩の土産に引き抜かないで下さいね。





作業は日に3時間。斜面なので、相当危なっかしく、作業できる広さはおよそ10坪か。
あと半分程度作業が残っているのに、この冬は天候に恵まれませんね。

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水木さんの幸せ

2015-12-02 | 拍手

原節子さんに続き水木しげるさんが亡くなった。まさに「昭和は遠くなりにけり」である。
享年は95歳と93歳。美神にも妖怪にも、等しく寿命があるのだった。

水木しげるがのこした名言に「幸せになるための7か条」があるそうだ。
その中身を「grape」さまから転記しました。

   「幸福の七カ条」

   1.成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない。

   2.しないではいられないことをし続けなさい。

   3.他人との比較ではないあくまでも自分の楽しさを追及すべし。

   4.好きの力を信じる。

   5.才能と収入は別。努力は人を裏切る。

   6.怠けものになりなさい。

   7.目に見えない世界を信じる。

う~む、実行は難しいですねぇ。
近頃、少し妖怪じみてきた森生でも、到底真似できません。

特に「努力は人を裏切る」がいいですねぇ。全くそのとおり、と努力らしい努力をしなかった森生は思います。
同じようなことを、田辺聖子さんも何かに書いていた。

目玉おやじや猫娘、そして子泣き爺などが一般には人気があるようだけど、森生はねずみ男です。
白状すると、実は森生は、彼の親戚だからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歌は熊倉一雄と吉幾三とがあるが、断然熊倉です。飄々として品がいい。

ねずみ男は「妖怪ショップ」さまで販売中です。

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兎追いしかの山

2015-12-01 | 遠い雲

   

小坂小学校の合同同窓会で貰った卒業者名簿に、ヤマダ君の名前がない。
それもそのはず、ヤマダ君は3年生くらいでアメリカンスクールに転校した。転校の理由はおそらくイジメ。

はきだめの鶴のように目立ったヤマダくんは、農村地帯の悪ガキたちに「アイノコ・アイノコ」と囃されていた。
ヤマダくんのお母さんは銀髪のドイツ人で、日本語はペラペラ。町の人とも気さくに付き合ってはいたが、町っ子森生たちは敬遠していた。

森生の両親は「あのヤマダさんのご主人は偉い学者だそうだよ」と言っていた。
ソフト帽を冠り黒いスーツ姿のお父さんは、外国人のように見えた。

覚えていた名前でお父さんをネット検索してみたら、ぞろっと出て来た。
確かに偉い人だった。お父さんはドイツに留学した西洋美術史家で、国立西洋美術館の館長だったこともある。
現代ならハーフとして持て囃されるだろうヤマダ君は、その後どこでどうしているのだろうか。早く生まれ過ぎたようだ。

検索結果を1件ずつ確かめていたら、何と、森生が探していた「兎追いしかの山」の写真が見つかった▲
森生はこの邸宅ができた2年後に生まれ、小学校に入る頃はこの谷戸へ遊びに来る度に「ヘンな家だなぁ」と思っていた。
隣の、塀も生垣もない広い庭の奥にある、絵本のような「Y邸」の方に憧れていた。

写真には写っていないが、この2軒の手前にはホンダ君の家があった。
ホンダくんちへ遊びに行った時、お父さんから「きちんと挨拶をしなさいっ」と叱られて、縮み上がったことをまだ覚えている。
ホンダ君は5年生の頃、引っ越していった。

   

森生たちの遊び場はこの周囲の山林や原っぱで、女学校の裏から葛原岡神社を抜け、銭洗い弁天までが行動範囲だった。
山の向こう側は東慶寺と浄智寺。見えないが、門前の県道の向こう側は北鎌倉駅と円覚寺を抱いた六国見山である。

昭和30年代の北鎌倉には、こんな風景がまだいくらでも残っていたと思う。

ホンダ君とは高校で再開。運動靴を貸したらお返しは水虫。どうして治したかは別の記事にします。
旧山田邸の
写真は「まちもり通信」さまから拝借しました。

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