林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

モーロクのすすめ

2016-03-10 | あらら!

       

     ・雪になる布袋の臍を拝んだ日・

     これは俳人・坪内稔典さんの俳句で、近著「モーロクのすすめ 10の指南」から転記しました。
     この意味不明な句は「シュウチャク(変態)-嫌がられてみる」章の「雨になる?」に載っている。
     そこでは、どうしてこういう句ができたのかを説明しているが、わけが分かりません。

数日続いた俄かな春るんるんの後、今朝は昨日から真冬の続きである。
西武線高麗駅では電車が入って来るたびに「秩雪です・飯能雪です」と繰り返しているほどの寒さだ。
腹なんかを露出している場合ではなく、暖かい猫額亭で稔典先生のモーロクおすすめ本を読んだ。

稔典さんは言う。「モーロク」は所謂「耄碌ではない」と。
耄碌は老いぼれること。年老いて頭や身体の働きが鈍くなることで、誰もが体験する自然現象であり、忌むべき現象である。
しかしモーロクとカタカナにすれば、耄碌を自然現象として受け止め、鈍くなった頭や体の働きを楽しめる。

へー、そうかぃな?と思うが、先へ進みます。
ここで
稔典さんは、山口楸邨が80代で作ったヘンな俳句を紹介している。

     ・天の川わたるお多福豆一列・
若い日の楸邨は人間探求派と呼ばれる生真面目な俳人だったが、80代になり、こんな突拍子もない句を作った。
漫画のようなこの句に人生論はなく、お多福豆に笑いを誘われ、読者はほんの少し幸せな気分になれる。それで充分なのだ。
と絶賛している。これはまぁ分かりますね。

モーロクするために、稔典さんは10の指南をしている。 

     ・ウソ(方便)-茶化してみる

     ・オイタ(悪戯)ー叱られてみる

     ・ソラ(宇宙)-覗いてみる

     ・ボヤキ(悲嘆)-溜息をついてみる

     ・ギョウシ(注目)-ひとりになってみる

     ・ラヴ(片思い)ーいい気になってみる

     ・シュウチャク(変態)-嫌がられてみる

     ・ウチ(我が家)-振り返ってみる

     ・ウロツキ(徘徊)-飛んでみる

     ・クフ(美食)-長生きしてやる!
それぞれの指南には短い随筆が付いていて、それぞれはとぼけた面白さがあるが、どうも朦朧として、またよく分からない。
しかし、発売は岩波書店だし、本体定価は1900円もした。なお更に稔典さんは、広い句界で一派を率いているエライ宗匠でもある。
森生が朦朧とするのは、耄碌しているからだろう。

甘納豆やアンパンや河馬が大好きな稔典さん自身も、代表作と自負するヘンな俳句を沢山載せている。例えば、

     ・三月の甘納豆のうふふふふ・

     ・桜散るあなたも河馬になりなさい・

     ・たんぽぽのぽのじのあたりが火事ですよ・
こんな俳句なら自分もできる、と誰もが思うはずだ。が、お互いマネできることではない。
なお、だんだんモーロクしてきたためなのか、徘徊と美食の章に分類した短い随筆はしみじみと、胸に響く名文だった。
そして全編にわたり、稔典さんご自身のの俳句論を忍びこませ、他人の短歌・俳句・詩をいろいろと紹介している。

軽く読める、雨や雪の日にぴったりの本です。

        岩波書店・211頁・2052円

      160310


死ぬまで勉強

2016-03-09 | うわごと

国の「高等学校等就学支援金」を不正に受給した、と疑われている、三重県にあるウィッツ青山学園高校は、楽しい高校だ。

  ・100万ドル相当の神戸の夜景を2時間見物する=美術の授業

  ・USJ見物でお土産を買物し、釣銭を計算する=数学の授業

  ・駅から学校までを、徒歩で通学する=体育の授業

  ・友だちとファミリーレストランで食事する=家庭科の授業

  ・観光バスに揺られながら、アメリカ映画を観る=英語の授業

などいろんな授業を履修したことになるそうだ。

田母神俊雄センセイは、いま浪人中なので
ので事務所を家宅捜索されたが、他のセンセイたちは悠遊と泳いでいる。
W青山学園高校のセンセイは議員のセンセイを見習い、生徒諸君は
、学園生活を満喫したろうな。

   

で、森生じじぃはどうか。
昔から「人間、死ぬまで勉強しなければ」と言われてるので、この頃、何を勉強しているのかを書き出してみた。
あ、勉強といっても自習だけどね。

  ・国語を自習=この存在しないに等しい「林住記」の執筆。

  ・美術を自習=写真や図版を「林住記」に貼付ける。

  ・体育を自習=この「林住記」のネタ拾いのために、ご町内屋や高麗の里を徘徊する。

以上、恥ずかし乍ら「林住記」ばっかりだ。だが細かく考察すると、いろいろ勉強している。

  ・哲学を自習=思庵で長時間、物思いに耽る。

  ・数学を自習=スーパーで財布と相談しながら、慎重に慎重に買い物をする。

  ・家庭科を自習=炊事洗濯掃除を嫌々する。

  ・社会科を自習=有料老人ホームのパンフを集める。

  ・生物を自習=何があってもなくても、しょっちゅううとうとする。

  ・音楽を自習=ユーチューブで有名歌手と合唱する。

う~む、こんなに沢山の学科を学んでるのに、なーんにも役に立ってない。
学園生活に較べ、老後生活って、ちっとも楽しくないよね。
むしろ退屈だわぃ、ふんっ。

160309


すっとこどっこい

2016-03-08 | 拍手

朝日の夕刊、月~金に掲載する「うめ婆行状記」。
作者は宇佐江 真理。既に亡くなっていてこの小説は遺作とか。
最近、夕刊が待ち遠しく、繰り返し読み、すっかり嵌っております

うめは大店のお嬢さまだった。
同心に見染められ嫌々下級武士の家に嫁ぎ、子供4人を育て上げた。
舅姑を送り、急逝した夫の一周忌を待たず、長男の反対を押し切り、
かねてから念願の一人住まいを始めた。
家は嫁ぎ先ばかりでなく、実家や実弟の家に近い。
                     

実弟の長男の祝言を一族で祝い、賑やかに楽しんだ。
翌朝、隣家のおばさんが亭主も気付かぬ内に、亡くなっていた。

駆け付けた若い
町医者が、死亡を確認し、

  穏やかな羨ましい限りの最期でございます。

と口にしたら、うめは、

  何言ってんだい、このすっとこどっこい。
  おばさんは亭主を看取ってから逝くつもりだったはずだ。
  さぞ口惜しかったろうに。
  羨ましい最期だって? 
  
いうに事欠いてとんでもないことを喋る。この藪!

と町医者をどやしつけた。

いいねぇ「すっとこどっこい」。
森生も誰かに言ってみたい。

この件の前は隠し妻と子供に関して、優柔不断な甥に向かい、

  この唐変木っ。

と叱咤した。

更にその前は、嫁ぎ先の我儘勝手な小姑をやり込め、
家柄に拘る実家の兄嫁と修羅場を演じ、
収まるところへ見事に収めている。

登場人物は全て、くっきり造形されている。
意見の違いを越え強い絆で結ばれており、争っても後腐れがない。
実弟の長男の祝言で繰り広げた、うめ一族の和気藹々。
羨ましいなぁ.........。
                    

うめ婆は、婆といってもまだ五十路前。
他の人々も若いはずなのに、人生には物語があり、陰影がある。
現代日本人の人生80年より、江戸っ子の50年の方がましではないか。

安里英晴氏が描く縦長の挿絵が、これまたいいんですねぇ。
粋で艶がある。
時々、粗筋とうめを中心にした二つの家系図が載るのも親切だ。

ここ数カ月、朝日新聞の購読を止めようと思っていた。
しかし、うめが頑張ってる間は、と思いとどまっている。


朝刊の夏目漱石作「門」は、うじうじめそめそと続いた。
主人公夫婦に共感できないままで完結した。

夕刊、沢木耕太郎の「春に散る」は面白かった。
しかし挿絵の人物がまるで毛唐のようだぜ、あんぽんたん。

おたんこなす、べらぼうめ、あたぼうよ、野暮天め.......。
など威勢がいい啖呵を、もっと聞きたい。

*****

なお、NHKの連続TVドラマ「ちかえもん」が最高だった。
役者、衣装、大道具小道具は
豪華絢爛。
意表を突く展開と、奇怪な
演出に興趣増々。
稀に見る怪作にして傑作でした。

遊女、特にお初が良く、この記事に関係ないけど写真を載せます。
詳しくはCotoコトさまをどうぞ。


160308 


聖火台

2016-03-07 | 床屋放談

  

期待されている東京五輪。とんでもないことが次々で、TVは鬼の首を取ったような騒ぎである。
今度は新国立競技場に聖火台を置く場所を考えていなかった。

結構なことじゃないか、と思うのは森生だけらしい。聖火台がないオリンピックなんかとんでもない、とIOCが言っている由。

なぁに、IOCなんかクソくらえだ、と言う人はいない。あれは特権階級の伏魔殿だからね。

じじぃは、聖火・聖火台が何でそんなに有難いのかなぁ、と思う。
どうしても火を置きたいなら、ちょっと贅沢な仏壇と、お灯明で充分だ、と思う。
種火だってわざわざギリシャから運ぶのではなく、代々木でチャッカマンを使い火を点ければいい、と思う。

そういえば、新国立競技場の椅子を木にしよう、数十憶円の追加費用なんかどうにでもなる。
と言ってた自民党有志はその後どうなったの?

朝日ほかマスごみは、3月が来ると東北の復興の遅れを問題にする。仮設からまだ出られないなどと。
だったら東京五輪を返上するか、画期的に簡素な五輪にすればいいのだ。

東京五輪は呪われている。森・遠藤達磨を辞めさせるべきだ。
そうしないと直前か最中に、巨大な災厄に襲われるのではないだろうか。

160307


日高市広報誌について

2016-03-04 | 高麗便り

 

わが日高市が毎月、団地自治会を通して戸別に配布している広報誌の3月号表紙です▲
名前は「広報ひだか」だったのが、この1月から「HIDAKA」になった。そして表紙が色刷りになった。

市民に読んでもらうために、いろいろ工夫しているのだろうが、お気の毒乍らお色直しの効果はないでしょうな。
わが日高市の広報誌は、市職員とその親類縁者以外は殆どだ~れも読んでないはずだ。
その原因は、内容がツマラナイからである。

日高市には何の問題も存在しないように、表面を取り繕っている。まるで桃源郷のようなまちである。
市がやりたいことを、先ずは詳しく市民に知らせて、市民の声を聴くなんていうつもりは全く
ない。
どこからも突っ込まれないように、無難に当り障りなく編集しているだけである。
だから内容が面白くなるはずがないのである。

  

3月号には巾着田を「都市公園化」するという驚きの計画が載っている▲
仮に巾着田が法律的な分類で「都市公園」であっても、巾着田は見た目には「農村公園」であるべきではなかろうか。
この記事をよく読むと、何のことはない、「都市公園付属駐車場拡張計画」である。

市役所は巾着田をこうしたいのですが、ご意見は?ではなく、一方的に4月から工事を始める、というお知らせである。
埼玉県・日高市役所・商工会・観光協会は、既に巾着田を破壊し尽くしたのに、更に、駐車場を拡張するというのだ。
巾着田での禁止項目を並べているが、それらを率先して破っているのが市役所・商工会・観光協会なのである。

この暴挙・愚策に対して、これまで同様、市民からの反対意見は出ないだろう。
理由は、市職員とその親類縁者以外は殆どだ~れも読んでおらず、この呆れた計画を知らないからである。
また仮に団地の住人が担当部門に質問したとしても、計画は既に合法的に決まっており暖簾に腕押しになるに違いない。
あちこちたらい回しにされ、うやむやになり、工事だけが着々と進行するのである。

  

同じ広報誌に、高麗川の遊歩道工事の記事が載っている▲
12月号で発表し、1月早々には既に着工している工事は、出来上がるとこうなる、というイメージ図が「初めて」載っている。
こんなに人工的な、時代遅れな高麗川を、まともな市民は喜ぶのだろうか。

しかし、日高市職員とその親類縁者は、巾着田や高麗川の記事を見て、

   日高市は田舎ではない。巾着田はだんだん街の中の公園になってきた。
   彼岸花は日本中に知られ、観光客が押し寄せてくるだろう。
   庭先を臨時駐車場にして、一儲けしてやるべぇ。

などとと喜ぶのだろう。
井戸の中の蛙が多いのは、困ったものだが、住むまちや広報誌に関心がない新住民が多いのも、困ったことだ。

掲載した画像が小さく不鮮明で申し訳ありません。
詳しくは こちら をクリックして、3・4ページをご覧ください。

160304


ラジオ体操は先送り

2016-03-03 | 林住期

    

ショッピングセンターで行われるラジオ体操は、1月から再開しているが、まだ参加していない。
日の出が少し早くなってきたが、朝晩はまだ真冬の寒さだ。暖かい布団から、とても出られるものではないからね。

噂では、1月から、およそ20人ほどのじじばば参加しているらしい。
この寒さの中で偉いもんだ、と吃驚し、感心し、呆れ、大丈夫かな、と心配している。

森生も2月からは参加しようと思いながら、とうとう2月は参加できず、3月は内心ジクジクしております。

でもね、今朝、「ラジオ体操は年寄りには向かない」と高らかに宣言する本の広告を見た。

  

ふむふむ、なるほどね、やっぱりそういうことだったのか。
それに朝の寒さは、高血圧にも心臓にも悪いはずだ。先の健康のために、今、死ぬわけにはいかない。

ラジオ体操復帰は、またひと月延ばし、4月から参加するつもりになった。

160303


確定申告

2016-03-02 | 林住期

あっ、所得税の確定申告を忘れてた。
収入は年金だけ。年末ジャンボは300円しか当たらなかった。

所得税を僅かな年金から天引きされている。口惜しい。
毎年、医療費と月掛保険料の控除を申告し、蚊の涙ほどの還付金を取り戻しております。
もちろん、通院のためのバス代もしっかり申告している。

だから今年も、何はさておき還付申告をするつもりで今日になりました。
ここ数年はパソコンに国税庁を呼び出し
記入してますが、仕上げの印刷段階で、考え過ぎてか必ず手古摺っている。
他は毎年使い勝手が良くなってるけど、何とかして欲しい。

たとえ蚊の涙でも、取り戻せるものなら取り戻したい。
いまからその仕事に取り掛かりますので、きょうはお終い、あしたまた。

160302


昼食は淵の上

2016-03-01 | 高麗便り

百山じぃさんが多峯主山からやって来た。
丁度昼飯時間だったので、梅咲く野道を通り抜け、団地下にある「cafe日月堂」というパン屋へ行った。

店は高麗川べりの崖にしがみ付いている。
日射しが暖かかったので、じじぃ二人は淵の真上の屋外席に。薄い甲板下にある蒼い淵の存在を思い浮かべると、肛門がスースーしたけどね。

 

埼玉県が「まるごと作り変えます」と傲慢に宣言している高麗川の清流は、遊歩道工事がこの辺りでは始まっていないので、まだ澄んでいる。
周りの樹林はまだ冬眠中のため、大枝小枝越しに、蛇行する高麗川を遥か上流まで見渡せた。

森生が注文したサラミサンドウィッチも、野菜サラダも、アップルジンジャー温ジュースも、とびきり美味かった。
百山じぃさんは、ビール2本を飲み干し茹蛸状態なので、ピザ半分を食してあげた。あらま!その代わりか、残しておいたサラミサンドを食われちまった。

 

食後、土壁真壁造り本格木造家屋の店内を見物。狭いけれど重厚で素朴。パンや渋く鮮やかなニット小物も売っている。
屋根裏部屋では、30年前に諦めた「夢の書斎」を懐かしく思い出した。

 

屋内席には囲いがない薪ストーブがあり、淵上の屋外席の柵は波打ち、走り回る幼児連れには、危ないのでお勧めできない。
倹約生活で、退屈している紳士淑女にこそお勧めしたい、リゾートカジュアルな店でした。

サラミサンドやピザを撮り忘れました。写真は少し似ている猪サラミサンドウィッチです。
日月堂は、もっといろんなものを挟んでおりましたよ。

160301