林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

質素

2016-04-08 | 先輩のお言葉

昨日の「清貧」の続きになりますが、ホセ・ムヒカ氏は既に来日していて、東京外国語大学で講演していました。
下は朝日の記事です。

 

どうです? いい講演でしょ?

ただ「世界で一番貧しい大統領」という称号はいただけない。貧しいは「質素」に言い替えるべきですね。
なお、出版社は「汐文社」のことらしく、本はこの記事の始めに載せたものではないでしょうか。

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清貧

2016-04-07 | 先輩のお言葉

南米ウルグアイの前大統領・現上院議員ホセ・ムヒカ氏。
世界で一番貧しい大統領として注目を集め、小さな家に住み、愛車は87年生のフォルクスワーゲン。自ら運転をし、家事をこなし、畑を耕す。
国民から熱い支持を受けているそうだ。

朝日新聞の記者が自宅で話を聞き「清貧の政治思想」として記事にした(4月1日付朝刊・オピニオン%フォーラム頁)。
以下はその抜粋です。

 ・私が思う「貧しい人」とは、限りない欲を持つ人で、少しのモノで満足している私は質素なだけで貧しくはない。

 ・人は苦しみや敗北から多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えてくる。大事なことは失敗に学び、再び歩み始めることだ。

 ・人は独りでは生きられない。人生で最大な懲罰は孤独だ。

 ・ファナチシズム(熱狂)は危ない。宗教であれ左右の政治思想であれ、狂信は憎しみを生む。異なるものにも寛容であれば、幸せに生きられる。

 ・まるで王様のような大統領や王子様のような政治家がいる。政治家は大半の国民と同じ程度の暮らしをすべきだ。

 ・いまは文明の移行期で、昔の仕組みは上手く回らず、来たるべきものは熟していない。だから不満が生まれる。

 ・民主主義は欠陥だらけだが、これまで人が考えた中ではいい仕組みだ。

 ・南米のスイスと呼ばれたウルグアイが格差社会に変質したのは、新自由主義経済の所為だ。市場経済は放置すると富を集中させる。

 ・政治の役割は、公正な社会を作ることだ。国家には社会の強者から富を受け取り、弱者に再配分する義務がある。

 ・私は国家をあまり信用していない。国家は必要だが頼り過ぎてはいけない。自治の力を身に付けなければならない。

うーむ。かっては美しい国、現在はアベノミクスや1億総活躍社会、それにトリクルダウンなどを標榜する安倍晋三氏。
ムヒカ氏の言葉をどう受け止めるのか。

なお、ムヒカ氏が初来日する。日本でしたいことは?と朝日の記者に問われたムヒカ氏。

 ・日本の今を知りたい。いま日本で起きていることの中に、未来を知る手掛かりがありそうだ。

 ・日本は経済も技術も大きな発展を遂げた働き者の国だ。それで結局、皆さんは幸せになれたのですか?と尋ねてみたい。

たまでいいから、自国の総理大臣から、こういう話を聞きたいものですなぁ..........。

なずな(ぺんぺん草)の写真は「花図鑑」さまからお借りしております。

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姫踊り子草連想

2016-04-05 | 高麗便り

 

いま、野道で目立つ野草は姫踊り子草である。

名前はとは異なり性質は強靭。どんな場所にも進出している。

姿形だって妖怪じみている。揃うとマイケル・ジャクソンのスリラーを連想する。

接近して写すのはじぃ腹が邪魔。息苦しくなるので股覗きして撮った1枚です▲

3憶1282万回以上も見られたお化け動画をどうぞ。

マイケル・ジャクソン「スリラー」

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たけのこ梅雨

2016-04-05 | 知ったかぶり

  

今朝も雨である。
霧雨よりもっと細かい粉糠雨が、しとしとと降り続いている。
今朝の平井予報士は自信たっぷりに、

  霧雨がパラパラと降る

というけれど、関東平野の西の果て、当地では、

  霧雨や粉糠雨がしとしとと降る

です。

この長雨を森予報士は

  たけのこ梅雨

と言った。梅雨には、

  菜種梅雨 たけのこ梅雨 卯の花くたし はしり梅雨
   (菜種梅雨は温度と湿度がもっと低い日の長雨、筍梅雨は少しじとっとした筍が芽を出す頃の長雨、卯の花くたしは卯の花が腐るような長雨の由)

などいろいろな梅雨があるそうだ。じじぃは、

  から梅雨 暴れ梅雨

もあると思うけれど、これは殺風景だから、まぁ外してもいいだろう。

それにしても、こう不順な空模様が続くと、気分が滅入りますなぁ。どうせ花見に出かける予定なんか無かったから、構わないにしても。

いい服を着て、自信たっぷりな平井さん。
一方、寝癖髪で、いつも恵さんにいびられている森さん。
じじぃは森さんが好きです。

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花の下にて

2016-04-04 | 林住期

本はよく読むほうだった。朝晩の通勤電車に揺られながらの読書だったので、あまり頭には入っていないが。

歳を取ったら本をもっと読めるだろうと、文庫本を沢山買い溜めしたが、最近、その何冊かを開いてみた。
紙は変色し、活字は小さく、とても読む気にならなかった。

長い通勤時間は無くなったし、あまり読んでくれないブログを書かなければならない。
視力は衰え、物事に飽きっぽくなった。
そのうえにここ数日は、春の庭仕事が重なって忙しい。

だが、本を買う習慣だけはまだ残っていて、飯能の駅ビルで、またまとめ買いをした。
どうせ積ん読になるけれど、まぁ煙草を買うよりはましな悪習かも。

         願はくば花の下にて本読まん その如月の望月のころ
                                     ............森生法師

清水ミチコさんの「顔マネ辞典」は無かった。
宇江佐真理の遺作「うめ婆行状記」が早くも単行本になった。朝日の夕刊で使った挿絵を全部入れて欲しかった。
このごろホリエモン君が好きになりました。

マスコミは「満開だぁ、お花見だぁ」と囃さないで欲しい。騒々しくて本が読めないではないか。

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そばよりうどん

2016-04-02 | 林住期

大楠は山奥にあった。
山奥でも、細い舗装道路が縦横にあり、匠じぃさんの車のようにカーナビがあれば、何処へでも迷わず行けるんだなぁ。
でも、森生は諦めている。カーナビの画面が近・遠・乱視と黄班変性症で見えないのである。


どこをどう走ったのかはよく分からないが、行ったところは以下のとおりだった。

  鎌北湖手前の豪邸の門前。

  小さな建具工場の奥にある、持ち帰りたい古民家蕎麦店「ほ」。

  桃祭提灯準備中の桃木街道。

  急峻な山に囲まれた三つ葉躑躅の寺・臨済宗正法寺。

  全粒粉黒蕎麦が名物の超繁盛店「とき庵」。

  ここも繁盛店、町営の威風堂々古民家饂飩店「やすらぎの家」。

  山頂の花の寺・天台宗慈光寺と、更にその奥に静まる臨済宗霊山院

  来る度に寂れていく、厚生年金越生休暇村改め「ニューサンピア埼玉おごせ」。

などだったはずだ。



昼飯は「ほ」で、と行ってみたら「定休」。
珍しく行列が無い「とき庵」も定休。
仕方がないので、前回、長~く待たされた町営うどん店「やすらぎの家」にした。


今回は、注文した山菜天麩羅つけ饂飩850円は普通に出てきて、空腹のどん底だった効果もあり、満足な昼飯になった。
その天麩羅饂飩を写真に撮るつもりだったけれど、忘れちゃったので器だけです。ごめん。

お詫び・・・W10にさせられてから、ピクチャが非常に使いにくく、写真を貼り付けるのに二日もかかりました。
これでこの記事は完成しました。ごめんなさい。ふぅ。

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大楠を訪ねる

2016-04-01 | 風に吹かれて

いつもの三爺がうち揃い、花見に出かけた。
車は1台にして、運転は匠じぃである。行き先は毛呂山・越生・都幾川の3町に限定して、場所は決めなかった。
この辺りはね、ごたごたしたお江戸とは異なり、そこいらじゅうがお花見の名所なのよ。

俗界はお花見で盛り上がってるようだけれど、ここ関東平野の西の果ては、森生が住む高麗も含めて、残念ながら桜はまだちらほら。

ならば、と発想を変えて埼玉県内随一の常緑の巨木、越生町上谷の大楠(おおくす)を拝見することにした。

曲がりくねった狭い林道を潜り抜け、突然開けた集落の背後に、全国巨樹番付第16位の大楠はあった。
堂々の貫録に、3爺は圧倒された。千年以上生きているにしては、木肌は艶めかしかった。





問題は、根の保護のために設置したウッドデッキが目立ち過ぎることである。あれは焦げ茶色か黒にすべきだった。
いやいっそのこと、根本への立ち入りを禁止して、直下の更地から、大楠を見上げさせたらどうかな、と思った。

巨樹の真下の更地の端に、崩れかけた土蔵が残っている。もの錆びた風情があり、気に入った。

目覚め始めた春の里山のおぼろな緑は、満開の桜以上に美しかった。
大楠の番人として、ここで暮らせば、百歳までは生きられるかも、と思った。

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