嵐山光三郎の随筆集「素人包丁記(講談社文庫)」は凄まじいグルメ本であり、圧倒された。
表紙カバーが安西水丸の装丁でのほほんとしているから、20年前に買っておいたのだが、内容はなかなかの重厚さである。
この随筆を執筆する際に集めた料理古書は200万円にもなったそうだが、その分、内容に厚みをもたらしたようだ。
また、重厚といっても滑稽味ばかりか、苦味も充分まぶされていて、嫌味は無い。
挿絵は全くなく、小さい活字がぎっしり詰め込まれているが、文章は名調子。とんとんとんと読み下せる。
目次を紹介してみよう。
尺八の煮物
カレー風呂
歩く水
豆腐の擂粉木
メロンのぬか漬け
泥鰌だしの素
空飛ぶステーキ
校庭結婚式
茶漬け合戦
ジャムのおむすび
病院メニュー
イトコンニャクのざるそば
魔草メガの謎
松尾バナナ
甘い生活
死期の献立
以上の目次だけ読んでも、涎が垂れそうでしょ? ......ゲテモノみたいで無理か。
各項には嵐山が勧める料理や、貶す料理がワンサと出てくる。
嵐山は全国各地に赴き、実際に食し、突飛な料理は、食材を取り寄せ、自ら調理し、食している。
その意外性と圧倒的な探求心はグッチ・裕三氏も裸足で逃げだすほど。
吐血して出された病院食の不味さに辟易し、内緒で取り寄せた美味佳肴をむさぼり食すし、まさに命がけ。
正岡子規の死に臨んでの猛烈な食欲に唖然。
そして嵐山が2今から9年前に書いた世相洞察に、深く頷かされる。
いま、うまいものブームである。
テレビも雑誌もおいしいもの情報ばかりである。日本中が食物にたいしてうなされている。
これは子規の「仰臥漫禄」と同じではないか、と僕は思うのだ。
子規が自分の死期を見定めて死期の献立へのめりこんでいったのと同じように、世紀末へ向けて、
日本人は日本の破綻を予感しつつ、終焉の料理を見定めようとしている。
(中略)
究極の料理というものは死の香りがする。
究極の味という言葉が流行することじたい、時代も料理も死へ向かっているということなのである。
この随筆は第4回講談社エッセイ賞を受賞した。
そして文庫本の最後が豪勢である。うるさ型大作家4人が選評を書いているのだ。要約すると。
井上ひさし・・・痛快な力技
大岡信・・・・・真の畸人の証明書
山口瞳・・・・・断然他を圧す
丸谷才一・・・・閑雅な本
なお、丸谷才一の選評の最後の2行です。
ここには遊ぶことの名人が一人ゐて、彼は不思議に高い境地に達してゐるため、こんなに閑雅な本ができたものらしい。
いくら何でも褒めすぎじゃないかと疑ふ者は、ただちに駈足で書店へゆけ。
丸谷才一には名著「食通知ったかぶり」があるが、嵐山光三郎は丸谷才一を超えたのかもしれない。
栗おこわは、ワタミ宅食さまの折り込みちらしから拝借しました。
ワタミは大分、盛っております。実態は猫飯ですがな。
161012