稼ぎ時の正月を前にして、富岡八幡宮が大変だ。
現宮司が弟の元宮司に殺害されるなど、3人死亡1人重傷という凄惨な事件の現場になった。
主犯元宮司の脅迫遺言状では「怨霊となり祟り続ける」とか、横溝正史の小説のような骨肉の争いである。
漏れ聞くところ、私生活はどっちもどっちの贅沢三昧。結局、姉弟間のお賽銭の奪い合いだ。
社家一族には神も仏もありませんな。
どの業界にも一定数の不祥事はある。だが宗教界は、世間一般の平均を超えるのではあるまいか。
大方の神職や僧侶の、心の中にあるのはカネばかり、に見える。
森生の生家は、地域の鎮守の賽銭や、神前に供えられる神饌物を管理していた。
祭礼中だけ来る神主に家を提供し、食事・休憩・着替えなどの接待をした。
衣冠束帯姿は立派だけれど、扇風機しかない時代、休憩時の神主さんはあられもない姿だった。
神事の後、神主は神饌物など一切合切を柳行李に詰め込み、タクシーを呼び、持ち帰った。
食べるものがなかったあの頃、森生少年は神主さんが恨めしかった。
いま考えれば、神主一家も大変だったのではあるが.........。
また、町内にある大本山やその末寺には、悪い噂が結構多かった。
結果、神も仏もあるもんか、と子供心に考えたものだ。
その所為か、葬儀や戒名など要らないと思う。
ただ、終わりが見えてくると、ジャンボを買う時など、神さま仏さまのご支援を願う時がないでもない。
そんな時も、絢爛豪華な神社仏閣は要らない。神仏はじじぃの心の中にいるのである。
富岡八幡さまの初詣客はガクンと減るだろうね。
それとも野次馬が増えるかな? しゃもじぃと一緒に、行ってみようか。
写真は産経ニュースから。
171211