もう何年も両親の墓参りをしていない。
両親が亡くなってから、お盆や正月でも、兄が継いだ実家にきょうだいが集まることはない。
森生は、墓は胸の中にあればそれでいい、と思っている。
76歳で亡くなった父の思い出が、あまりない。
雨が降り続いても、何かに蹴躓いても、ご飯のおかずが気に食わなくても、ぐちぐちと小言を言い続けた。
父が家にいると、家中が陰気になった。
県の職員だった父は、微分積分の勉強が趣味で、父の勉強中に笑い声を立てると叱られた。
森生が算数を嫌いになったのは、父の指導法と仁丹の苦い口臭による。
進学も就職もその後のことも、父に相談したことはなかった。
晩年は大分丸くなったらしいが、長い話はしなかったので、家族の歴史を聞いていない。
就職祝いに、青いワイシャツと鰐皮金バックルのベルトをくれたが、会社は色もの禁止で、鰐皮は趣味じゃない。
一度も使わないままで無くしてしまった。可愛げのない次男坊だと思っていただろう。
ただ、父がくれたヘンミの計算尺は、電卓が安く出回るまで算盤代わりに使っていた。
加減は算盤が、乗除計算は計算尺が重宝だった。特に円形計算尺が。
戦後の混乱期、一家を守ったのは母の奮闘のおかげである。
父は、農地解放の対象外だった持ち山を見回りに行くか、微積分に没頭していた。
父は子どもたちの育て方に失敗したようだ。
父が亡くなった歳に近付いた頃から、父が分かってきた。
そして「だが、ああはすまい」と決めていた。
けれども、なんのことはない、いま父と同じことをしている自分がいる。
持っていたはずの計算尺が、どうしても見つかりません。
写真はこちらさまとこちらさまからお借りしました。
180812