つづき(流山市編)
古地図を見るとこの辺は『松の木』だらけ
何もないということはこの辺で待ち伏せされそう
時代劇では林の中から悪党が出てくる
流山街道の方に民家がある
流山市には東福寺から三輪山の茂呂神社へ
古代官道が走っていたという説もある
古地図には運河の所で流山街道と日光街道は合流
利根運河が出来る前はそこだけが高台になっていた
古代道もここを通った可能性は高い
流山街道が複数あるのがややこしい
旧道も含め何回かルート変更されている
今は県道5号が流山街道とされる
常磐道の日光橋公園から少し進むと
『クランク』がある
水戸街道は『カギの手』と呼び宿場が多いが
日光街道には無い
(西の方に『上新宿(かみしんじゅく)村』はあるが)
線路沿いに松の木が現れる
街道ではなく線路が松の木に囲まれている
江戸川駅を過ぎてクランクになるのだが
道を間違える><;
整備されてクランクの面影がなくなっている
何度も行ったり来たりしてやっと本線に辿り着く
『浄真寺』と『慈眼院』
共に戦国時代の創建
片膝を立てて座っている石造が特徴
個性的な参道のアプローチ
(この近所に安蒜家板石があり鎌倉末期に造られる)
やっと歴史的に触れられた
流山街道と交差するも
厳密には小さいクランクが2つがある
『流山街道』も今とルートは違うようです
この辺りに神社仏閣が集中しており
運河沿いに『深井城』がありました
小金城に匹敵するだったかも?という人もいる
『八坂神社』
なんだけど思ったより規模が小さい
小さい祠も多く見かける
(深井村)
『旧日光街道』ここが本線
ここの意味がすごく気になる
検問とかする場所だったのか
流山市内にはクランクが多いです
葛飾区は古い道ほど曲がっていて
新しい道は直線というが
2段クランクを抜けると再び流山街道
街道になぜクランクが必要なのか?
個人的には方角を見失わせる戦術に思う
(今回クランクで道を2回も間違えた)
下総流山の『駒形神社』
1399年創建
お諏訪様と同じく源氏にゆかりアリ
でも年代が違うような・・・
運利根河に到着
この辺まで流山市
運河は明治に入ってから造られた人工の河
橋を越えると左に『ビリケン』さま
”金”になってリニューアル
創立は大坂のと年代は変わらないくらい古い
橋を越え大学を過ぎると、野田市
今は緩やかなカーブだがYの字のように左に曲がる
『山崎宿』に到着
少しクランクして直線だが
今は面影なし
近くに”山崎貝塚”があり古くから住んでいた模様
大昔は清水公園あたりまで海だったとのこと
梅郷村とは埋めた里の村なのか?
山の先があるというのは違うような
地名の由来が気になる
つづく
古地図を見るとこの辺は『松の木』だらけ
何もないということはこの辺で待ち伏せされそう
時代劇では林の中から悪党が出てくる
流山街道の方に民家がある
流山市には東福寺から三輪山の茂呂神社へ
古代官道が走っていたという説もある
古地図には運河の所で流山街道と日光街道は合流
利根運河が出来る前はそこだけが高台になっていた
古代道もここを通った可能性は高い
流山街道が複数あるのがややこしい
旧道も含め何回かルート変更されている
今は県道5号が流山街道とされる
常磐道の日光橋公園から少し進むと
『クランク』がある
水戸街道は『カギの手』と呼び宿場が多いが
日光街道には無い
(西の方に『上新宿(かみしんじゅく)村』はあるが)
線路沿いに松の木が現れる
街道ではなく線路が松の木に囲まれている
江戸川駅を過ぎてクランクになるのだが
道を間違える><;
整備されてクランクの面影がなくなっている
何度も行ったり来たりしてやっと本線に辿り着く
『浄真寺』と『慈眼院』
共に戦国時代の創建
片膝を立てて座っている石造が特徴
個性的な参道のアプローチ
(この近所に安蒜家板石があり鎌倉末期に造られる)
やっと歴史的に触れられた
流山街道と交差するも
厳密には小さいクランクが2つがある
『流山街道』も今とルートは違うようです
この辺りに神社仏閣が集中しており
運河沿いに『深井城』がありました
小金城に匹敵するだったかも?という人もいる
『八坂神社』
なんだけど思ったより規模が小さい
小さい祠も多く見かける
(深井村)
『旧日光街道』ここが本線
ここの意味がすごく気になる
検問とかする場所だったのか
流山市内にはクランクが多いです
葛飾区は古い道ほど曲がっていて
新しい道は直線というが
2段クランクを抜けると再び流山街道
街道になぜクランクが必要なのか?
個人的には方角を見失わせる戦術に思う
(今回クランクで道を2回も間違えた)
下総流山の『駒形神社』
1399年創建
お諏訪様と同じく源氏にゆかりアリ
でも年代が違うような・・・
運利根河に到着
この辺まで流山市
運河は明治に入ってから造られた人工の河
橋を越えると左に『ビリケン』さま
”金”になってリニューアル
創立は大坂のと年代は変わらないくらい古い
橋を越え大学を過ぎると、野田市
今は緩やかなカーブだがYの字のように左に曲がる
『山崎宿』に到着
少しクランクして直線だが
今は面影なし
近くに”山崎貝塚”があり古くから住んでいた模様
大昔は清水公園あたりまで海だったとのこと
梅郷村とは埋めた里の村なのか?
山の先があるというのは違うような
地名の由来が気になる
つづく