今の国道4号線は新しい日光街道
元々は浅草の方を通っていました
しかし、古地図には上野の金杉通りに日光道中の文字もある
その他にも、中山道から分かれる『日光御成道』もあり
日光街道の情報が錯綜中です
日光街道自体、日光東照宮が出来てからの道だから
奥州征伐に向かうための道が古いと思われます
鎌倉時代の道も東海道の延長にあるといわれます
今回は五街道の中心の日本橋からスタート
もちろんここは江戸時代にできた道
鎌倉時代は鎌倉、平安時代は京都、奈良時代は奈良を
中心に街道が整備されました
余談ですけど、水戸街道や千葉街道は
今は日本橋起点になっているが五街道ではありません
日光街道と奥州街道が途中まで一緒なのが
本数を数え間違える元であります
中山道も甲州街道と諏訪で一緒になるのも不思議です
ではスタート
日本橋室町
室町幕府はここではないけど
やはり京都の室町と関係はあるようです
交差点を右折
中山道(17号)は直進
この道が初期の江戸城に通じる本町通りともいわれる
日比谷の入り江は大手町の辺りまできていた
鎌倉街道の下ノ道は大手町からこの道で墨田宿へと推測される
4号線は左折だが直進する
小伝馬町
古代管道を驛制とか傳馬制と言っていたんだけど
江戸時代は『牢獄』でした
現在は公園になっていますが
処刑場もあったのにはびっくり
鈴ヶ森(品川)と小塚原(千住)は有名ですが
鞍掛橋から馬喰町
馬を食う?
昔の牛馬の売り買いを博労というのが由来らしい
今は問屋街で有名です
浅草橋
橋の手前に郡代屋敷
元々は江戸城のそばにあったがこの地に移転
伊奈忠次と、は家康により関東郡代を命ぜられ、
『 利根川東遷工事』を行った人物
浅草橋の下は昔の外堀
今は屋形船のたまり場
浅草見付があり重要なポイント
ちょっと寄り道で『銀杏八幡宮』
浅草橋駅の裏にあります
起源は1062年の平安末期
元は奥州街道沿いの小高い所にあったとのこと
本線に戻ると道はイチョウ並木
右側は昔は幕府の御蔵があり『蔵前』
左の方に鳥越神社がある(かなり古い)
左は寺が多いエリア
国際通りは昔はない道
厩橋(うまやばし)へ
歩道沿いにひょっこりと『諏訪神社』
鎌倉中期と江戸時代より古くある
源氏のゆかりがある
駒形
老舗のどぜう屋(鰌)がある
今はおもちゃの本社が有名
駒形橋
左に行くと雷門の並木道
駒形堂
空襲で焼けて今の位置に
元々はもう少し下流にあった
924年と古い
ここから浅草寺の風雷神門へ向かう
つづく