ライズ外伝

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ポタリングしてます。

旧奥州・日光道中ポタリング【3】

2018-12-26 | 道中
つづき




この隅田川が国境かと思ったけど利根川の栗橋が国境

埼玉県との県境は足立区の毛長川

隅田川は荒川区と足立区の区界





江戸時代は軍事上滅多に大橋は架けない

ここは家康が最初にかけた大橋とされる(1594年)

大橋といったらここをさすのでそのまま大橋

今は千住大橋を呼ぶが、昔のままの名が残る





橋を渡ると千住市場

昔はここにはない

(松尾芭蕉の碑はここと橋の麓にある)





しかし【やっちゃ場】としてこの道が栄える

やっちゃばとは『問屋』のこと

戦国時代からあったとなると奥州街道は古道だ






一方通行だが自転車専用レーンはある

道の至る所に問屋のなごりの看板がある






この町自体が博物館のようだ

いろいろと説明がある

残念ながら空襲で焼けてしまった





この通りまでが『やっちゃ場』

千住大橋を渡らなくても向島・墨田の方からもつながる道

墨堤通り





源長寺を通り

ここからは『掃部宿(かもんじゅく)』

千住宿の一部であり江戸4宿の最大宿場となる





高札場と一里塚までが掃部宿

この先から本宿場町

今来た大橋の手前の南千住も『千住宿』とされる





この道も墨田と向島に通じる

牛田も関屋も古い町

鎌倉道はそちらの方との情報


ここの問屋で旅人は人足と馬の手配をする

馬に乗せる荷の重さの制限がある






商店街らしい商店街のようになる

この日はクリスマスだったが

それほどクリスマスらしくなかった






駅前の通りを過ぎる

所々古民家が見える

家の入り口は道と平行ではない





そしてゴール

右は水戸佐倉街道

少し行って左は日光奥州道中

直進は下妻道中







今イベントでいろんな道中のペナントが下がっていた

知りたいのはルートが知りたい

宿の位置は特定できるが、そこまでの道が謎


東海道だって名古屋から三重までは水路となると

隅田川を水路で千住まで行ったのかもしれない

(松尾芭蕉の家は隅田川沿い)

向島の墨田からも行ける

街道以外の道は使ってはいけなかったのだろうか


今ある鎌倉道の資料には北千住は載っていなく

橋場から竹ノ塚になっている

王子の方を通る『日光御成道』のほうが鎌倉道の

『中ノ道』で奥州へ向かったとも思う

もしかしたら室町時代以降に造られた道かもしれない


木のなるのはここから水戸街道と下妻道に分かれ

日光街道はくの字に曲がって進むこと

直線が本線でもいいのでは?

この先、古代官道のように直線がつづく


おわり
コメント
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